野川を歩く


古い二枚橋
今の二枚橋

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二枚橋

 二枚橋は野川公園の西北にある北門を出たところにあり、橋の西側は武蔵野公園になっている。西武多摩川線の高架下を抜け、西武線に沿って北側を登る二枚橋坂道の途中に道標と二枚橋の伝説の案内が出ている。
 この橋は江戸末期まで小金井と府中、調布を結ぶ大事な交通路として利用されていたが、このあたりは犬猫牛馬の死獣捨て場などが気味の悪い所で殆ど人家もない寂しい荒漠たる武蔵野原野で、盗賊や化け物が出没したといわれる。
 橋は洪水の度に落ち、昭和33年に掛けられた木橋が上の写真(朝日新聞社編「新訂武蔵野風土記」より転載)である。川の奥は国際基督大のゴルフ場である。現在は下の写真のように昔の面影がない。
(参考野川公園

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二枚橋の大蛇伝説
説その一
 昔、野川には一本の丸木橋がかかっていた。橋の南側に染谷村という小さな村があり、その村の庄屋には息子がいたが、いつの間にか小金井の山守りの娘と恋仲になり、夜ごとこの橋のたもとで逢瀬を重ねていた。やがてこれが庄屋の耳にも届くようになり、庄屋は身分違いの仲を怒って、二人の間を割こうとしたが、若い男女は世をはかなんで、激流に身を投げてしまった。
 やがて、娘の怨念が大蛇となって現れ、橋の下に棲みつくようになった。そしてもう一本の橋に化けては、渡る人を川に引き込んだという。橋が二本に見えるところから、人は二枚橋と呼ぶようになった。
 あるいは、庄屋が前非を悔いて、せめてもの供養にと、大木を二枚に割って立派な橋に架け替えたところから、その名がついたとの説もある。
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説そのニ

 染谷村の大尽の所に道楽息子がおり、毎晩のように村の娘と合びきしたり府中の遊郭へ女郎買いに行ったりして朝方になって帰ってくる。両親は何とか道楽を止めるように意見するが、一向に聞き入れないため、我慢を重ねていた父親もとうとう堪忍袋の緒が切れ、折檻目的で朝帰りした息子を荒縄で縛り、前の野川にかかている橋に吊り下げ、そのまま家に入った。翌朝、このことを知った近所の人が見に行ったところ、橋からは縄だけがぶら下がり息子の姿が影形もなく、よく見ると、その縄が蛇そっくりの形をしている。それから誰言うともなく、お大尽の息子は蛇に呑まれたという噂がたった。
 その後、旅人が通りかかると橋が二つあり、一方の橋を渡りかけると橋が落ちて旅人は水に呑まれて水死するという事故が続き、橋の袂に大きな蛇を見かけたという噂も立った。
 村人は、息子の霊が寂しがってもう一本橋が欲しいということかもしれないと話合って、前の一本橋の隣にもう一本そえて土橋を作った。その後まぼろしの橋も大蛇も現れなくなったという。以来、この橋は二枚橋と呼ばれるようになった。
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説その三

 この里の小作人に一人の美しい娘がいた。野川を隔てた隣村の庄屋の息子と愛し合うようになり、二人は野川にかかる橋のたもとで毎夜あいびきを重ねるようになった。これを知った庄屋は息子をあいびきできないように土牢に閉じ込めた。また、村人は娘を縛り、橋の近くの川に沈めて殺してしまった。
 殺された娘は怨念となって蛇と化し、橋の下に住みつき、里人が通りかかると、もう一つの幻の橋となってまどわし、川の中に引きずり込み殺したという。不思議なことに、よそ者が通るときは幻の橋は現われなかったという。
説その四
 説その三で娘を殺したのは村人でなく、娘の父親が、身分違いの娘の恋を恥じて殺したという。殺された娘の霊が幻の橋を掛けて里人や旅人を殺したという。
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出典と私見

 説その一は、小金井市の案内板および小学館「東京近郊・ご利益散歩ガイド」東京散歩倶楽部編著により、説そのニは有峰書店「武蔵野の民話と伝説」に、その三は朝日新聞社編「新訂武蔵野風土記」および「武蔵野の民話と伝説」に異説として、その四は「武蔵野の民話と伝説」に異説として記述されている。「新訂武蔵野風土記」が昭和44年発行、「武蔵野の民話と伝説」が昭和49年発行であり、これらは全国各地に見られる「道成寺伝説」の流れを引くものであり、説三が原型でないかと思う。
 村人が娘を殺したのでは外聞が悪く、娘の親が殺した説が出来たが、不自然なために庄屋の息子が大蛇に変身、さらに近年では、娘の怨念が蛇となって祟る原型をとどめるが、二人は自殺したことで村人の罪悪感を無くしたものと思われ、その変化が本の中に残っていると言えよう。