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七福神(弁財天) 七福神中の紅一点、琵琶を弾く妖艷な姿で現される弁財天(弁才天とも書く)は福徳・諸芸能上達の神として広く信仰されている。 大黒天と同様、弁才天のルーツは古代インドの水の神サラスヴァーティーである。 インドでの弁才天(サラスヴァーティー) 古代インドの水の神サラスヴァーティーのサラスは「水」を意味し、もともとは西北インドにあった大河の名前を指し、大河の自然としての偉大さ自体を神としたものらしい。さらに河がもたらす恵みから豊穣の女神となり、さらさらと流れる河の音が音楽を奏でるようだとの連想から、音楽の女神にもなる。 |
さらには、言葉の女神ヴァーチュと同一視されるようになり、言葉(弁)の才に優れた神、弁才天となり、弁舌、学芸、智恵の女神として信仰された。 このサラスヴァーティーはヒンドゥー教ではプラフマー(梵天)の妻とされている。その姿はというと、おなじみの琵琶を弾く姿とは別に「金光明最勝王経」というお経の「大弁才天女品」によると、「その姿は一面八臂(八本の腕)で、人々に弁才、無尽の智恵、財宝、延命」を与え、さらに「悪夢・邪気・呪術・鬼神などの人を惑わすものどもを排除し、病苦や疾病、闘争などからも遠ざける」とある。 |
弁才天と宇賀神 琵琶を弾く妖艷な姿は、室町時代に弁才天が七福神に加えられたころに定着したと考えられる。音楽、豊穣、弁舌、学問と御利益の多い女神が日本にくるとどうなるのだろうか。 弁才天は、奈良時代に仏教とともに伝来し、音楽の女神にふさわしく、妙音天、美音天、大弁才天女などともよばれるようになる。そして、中世になると、比叡山(天台宗)で弁才天と宇賀神という神とを関連づけるニセのお経が多く作られ、両者が同一のものであると説かれる。 宇賀神という呼び名の由来は、サンスクリット語のウガヤ(宇迦耶)からくるという説もあるが、どうやら記紀にでてくるウカノミタマに由来するというのが有力である。 ウカノミタマは、古事記では宇迦之御魂神、日本書記では倉稲魂命といい、食物の神、特に稲の霊とされる。宇賀神は、このほかにも稲の神という意味で、稲荷や大黒天とも結びついたりもしている。 |
弁才天と水神 弁才天はもともと河川の神=水の神という性格があったが、この性格は日本にも受け継がれている。日本三大弁才といわれる竹生島(滋賀県、琵琶湖)、江ノ島(神奈川県)、厳島(広島県)などはいずれも水辺に祀られている。 弁才天を水の神とする考えは、江ノ島に関する伝説にも出てくる。江ノ島はもともと島でなかったが、悪龍が住み着き、人々を苦しめていた。ところが、あるとき大地が震動し、海上に島があらわれ、そこに天女が降り立ち、悪龍を退治したという。狂暴な悪龍を鎮める力があるのだから、弁才天は水神の化身にちがいないというのである。(別紙にいう「江ノ島縁起」) |
弁才天と蛇 水神の使いは蛇とされ、そこから弁才天の縁日が巳の日となっていったという。
また、宇賀神のサンスクリット語ウガヤが、蛇を意味するサンスクリット語ウラガに似ているから、弁才天と蛇の関係が生まれたとする説もあるが、定かではない。 |
蓄財の神・弁財天 江戸の文化・文政時代(1804〜1830)になって決められたコースにそって七福神を参詣する七福神詣でが流行だすと、また弁才天の役割は変化する。縁日の巳の日に弁才天にお参りし、御礼をもらうと財産を得る事が出来ると宣伝されるようになり、今度は蓄財の神として信仰されるようになる。そうなると、もともと弁舌の女神なのだから「弁才天」と書くのが本筋だが、それでは雰囲気がでないので「弁財天」と書くようになったのである。 また蓄財の神たる弁才天の性格をよくあらわしているのは、なんといっても銭洗弁天であろう。特に、鎌倉市の銭洗宇賀福神社(通称:銭洗弁天)は有名だが、弁財天に参詣してお金を洗うと財産の増殖に御利益があるというものだ。
おそらく、弁財天の水神の性格と蓄財の性格がうまく結び付いたものと考えられるが、なぜお金を洗うとお金が増えるという信仰が生まれたのか、その理由ははっきりしない。 お金にも霊力のようなものがあって、お金の汚れを洗い落とし、清浄な姿にすることで、お金の霊力が再生し、お金の増殖に結び付くのだという説明もあるが、いかようにも想像力を働かせて解釈できる。
(小学館「東京近郊・ご利益散歩ガイド」東京散歩倶楽部編著から転載)
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江ノ島縁起 江ノ島にほど近い津という村の湖に、五つの頭を持つ一匹の龍が住んでいた。龍は人の子供を喰らう悪業を重ねていた。龍が人を飲むことを一向に止めなかったため、里人は皆他所に移り住んでしまっていた。ある時、龍は弁才天の美貌に目が眩み、「自分と一緒に情を結んで欲しい」と申し出た。弁才天は「悪業を止めるなら許しましょう。」と応答した。龍は弁才天の法力によって解脱を遂げ「もう悪い事はしません」と誓うと、龍口山という山に化身し、そこにとどまることとなった。 龍口山は江ノ島の対岸にある小山で、現在、日蓮宗龍口寺が建っているが、かっては、その隣に五頭龍神を祀る龍口明神が鎮座していた。(現在は鎌倉市津に遷座)(「欲望を叶える神仏・ご利益案内」小松和彦他監修・光文社より) |
江島神社 社伝では欽明天皇13年(552年)創建とされる。源頼朝は奥州藤原氏討伐にあたり、文覚上人に悪魔祓い・衆生救済・財宝招福の験ありという八臂弁才天を勧請させ、調伏祈祷させた。この像は、有名な裸形の妙音弁才天(裸弁財天)とともに奉安殿に祀られている。 なお、江島神社の祭神は、タギツヒメ(辺津宮)・イチキシマヒメ(中津宮)・タキリシマヒメ(奥津宮)の宗像三女神であり、奉安殿は辺津宮社殿の隣にある。
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弁天さま案内 散歩道で紹介している中で弁財天が祀られているのは次の寺社である。真姿の池・井口院は弁財天が、杵築神社・貫井神社・下弁財天は市杵嶋姫命が、井の頭弁財天は天女神・宇賀神が祀られている。井口院を除いて他の弁財天は古くから祀られていた神が弁財天と同一視されるようになったものと思われる。 なお、市杵嶋姫命(市寸嶋比売命または狭依叱比売)は、アマテラスとスサノオが天安河で誓約を行ったとき、スサノオの剣から生まれた三女神の一人で宗像三女神と呼ばれ古くから航海の神として信仰されている。
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