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| 本名「志賀 太祐(しが だいすけ)」 昭和51年11月9日生まれ 東京都足立区出身 |
| 身長 約180cm、体重 約148kg、血液型 A型 |
| 高校卒業と同時に玉ノ井部屋に入門。初土俵(大相撲界で最初の相撲)は、平成6年9月。 |
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師匠の玉ノ井親方の次男坊。何かとプレッシャーの多い二世力士。 女将さんは、毎場所TVの前で一人、念を送っているらしい。 歳の離れた兄は、調理師であり、現在は部屋の切り盛りを手伝っているらしい。 |
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・コレクションは腕時計らしい。 ・千代の富士に憧れていたらしい。子供の頃にもらったサインを大切にしているらしい。 ・角界の友達は少ないらしい。 →「同じ世界ではあまり仲良くなると、どこかなあなあになってしまう。」(本人談) ・ほかのスポーツ界で交友を広めているらしい。 ・子供の頃は野球少年だったらしい。当時、巨人軍原辰徳のファンだったらしい。 ・でも、父(玉ノ井親方)が星野仙一氏と親交があり、本人も可愛がってもらっているらしい。 |
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平成10年 (1998年) | 3月 | 春場所 新大関候補と言われながら、右肩脱臼により、途中休場。 |
| 平成12年 | 9月 | 秋場所直前、右肩脱臼。(たしか、大関陣不在の稽古総見でたまたま指名されて傷めた。) 派手なテーピングをして本土俵に上がったものの、見るも痛々しい相撲で、6日目から休場。 直前二場所で9勝、12勝を挙げた大関取りのチャンスは、また消えた。 |
| 平成13年 | 9月 | 大関昇進の声が高まる中、一場所15番のうち、4番の“立合い変化”で批難轟々。 |
| 11月 | マイペースで12勝3敗。三場所連続勝ち越し33勝のノルマ達成、大関昇進の声が確実。 | |
| 星野仙一氏(当時中日ドラゴンズ監督)が『龍の化粧まわし』を贈呈。このまわしが、なかなか験が良いらしい。 | ||
| 12月 | 大関昇進。 | |
| 平成14年 | 1月 | 初場所 幕内初優勝。この優勝により、大相撲全階級での優勝記録達成。 新大関として緊張の場所ながら、初日から11連勝。 4日目の朝青龍戦では、連続顔面張り手を受け、取組中鼻血流血により、水入りというハプニング。 2敗で迎えた千秋楽は、1敗千代大海との本割を制し、ほぼ燃え尽きた。決定戦では大海をあっさり突き落とした。 この“突き落とし”に少々波紋があったが、大方容認された。 |
| TV出演、雑誌インタビュー等増える。 (株)キリンビバレッジの飲料「アミノ サプリ」のCFに出演。 | ||
| 7月 | 名古屋場所にて左肩及び左上腕負傷。途中休場。→公傷認定。9月秋場所全休。 先の飲料「アミノ サプリ」の宣伝ポスターに『“天才”化粧まわし』姿で登場。 | |
| 10月 | 秋巡業に参加。この際の土俵入りに先の『天才』まわしで登場。少々話題になった。 | |
| 10月末 | 痛風発症。→食事療法開始。 | |
| 11月 | 肉が落ち、体が小さくなった九州場所は絶不調。1勝4敗から、中盤なんとか盛り返し、辛うじて8勝。(ただし、2横綱2大関休場) | |
| 平成15年 | 1月 | 初場所初日から4連敗。正月明け早々に腸炎を患ったことによる調整不足・スタミナ不足か。 絶不調ながら立合いからの変化がなかったことにファンとしては希望を持った。ところが、5日目、好調出島を受け止め粘ったが、善戦むなしく押し倒され、またもや左肩脱臼。翌日から休場。(公傷認定) |
| 3月 | 春(大阪)場所、全休。 | |
| 5月 | カド番で夏場所を迎える。場所前稽古で膝を傷めた模様。痛みに耐えながらも騙し騙し8勝。だが、二つの立合い変化にファンは意気消沈。粘った翌日は堪えがきかない。本人曰く「本来の相撲が取れていない」。戦う当人と楽しむファンの価値観のズレは埋められず。 | |
| 7月 | 場所前に膝を傷めるも名古屋場所出場。動きが硬いまま、なんとか一場所取り切るも7勝8敗と負け越し。後日、「自分には大関らしい相撲が取れないから引退したい、と師匠に話した。」と語るほど落ち込んでいたらしい。ちょきには、必死で戦ってる様子が前向きに感じられたんだが。 この夏から、汚名返上・名誉挽回の猛特訓スタート。 | |
| 9月 | 秋場所は二つの注文相撲が気に入らなかった。終盤、夏中特訓の成果が少しづつ現れ、10勝5敗。 | |
| 11月 | 九州場所では、まさかの優勝!復調の兆しはあったものの、ここまで精神的に強くなったとは思わなかった。嬉しい成長を見せて苦悩の1年を締めた。 | |
| 12月 | JRA有馬記念のプレゼンテーターを務める。 | |
| 平成16年 | 1月 | 初場所前、『2度目の綱取り場所』との報道に当人は「ムリです。」と断言。初日黒星発進。なんとか7連勝するも終盤崩れて、9勝5敗。 場所終了後、「4日目に肩を傷めていた」との報道(「実は初日から」との噂も)。終盤、かなりの発熱もあったらしいが、毎冬、体調を崩すのはなんとかせねば! (と思ったら、角界全体がそうらしい。インフルエンザの力士も。一斉摂取したワクチンは無駄!?) |
| 3月 | 場所中に肩を痛めながらの強行出場で、とにかく9勝。場所後の検査によると、故障は予想以上に深刻なもので、左肩の肩峰等に3箇所の骨折が見られ、完治は困難。またも試練。 | |
| 5月 | 角番となるが、左肩が使えず、全休。治療とリハビリに専念。公傷制度廃止により、次場所で大関陥落となる。それがどうした。大事なのは“相撲”そのものだ。 | |
| 7月 | 肩を酷使できない分、足腰を鍛え直して臨んだ名古屋。大関陥落一場所目となるこの場所で、見事10勝をあげる。しかも無敗で独走していた横綱に土を付けた。9月は大関復帰。 | |
| 9月 | 大関に復帰した秋場所。不安な肩にも慣れてきた様子で、なかなかの相撲を見せた初日二日目。好調と思いきや、3日目の取組で仕切り線(エナメル)で足が滑り、膝小僧から落ちる。半月板と靭帯損傷で4日目より休場。無念! | |
| 11月 | 肩だ、膝だ、と怪我を重ね、再び角番となった九州場所。三日目まで辛くも白星を重ねたが、相撲に安定感は見られず、四、五日目と連敗。なんと、肩甲骨骨折で六日目から休場。まさしく怪我に泣いた一年は2度目の大関陥落で終えることになった。が、腐ったとも思えず、再出発を期待。 | |
| 平成17年 | 1月 | 骨折は完治せず、てっきり休場すると思っていた初場所は、リハビリ順調につき、いちかばちかの強行出場。話題の中心にいた魁皇・若の里が予想外の不調、蚊帳の外だった栃東が予想外の復調ぶり。若手に圧されて上位陣が崩れる中、持ち前の粘りと堅い相撲で嬉しい11勝!来場所は『2度目の大関復帰』。“2度目”というのは史上初の記録らしい。 「2度も地獄を味わった」所為か、今場所はかなり大人びた印象。 |
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| 7月 | ||
| 9月 | ||
| 11月 | ||
| 平成18年 | 1月 | 3度目の優勝!14日目に平幕力士の追随を断ち切り、千秋楽で横綱朝青龍を出し投げ。大関栃東の面目躍如。 |
| 3月 | ||
| 5月 | ||
| 7月 | ||
| 9月 | ||
| 11月 | ||
| 平成19年 | 1月 | |
| 3月 | ||
| 5月 | 7日付で現役引退。「相撲を取る気力がなくなった」とコメント。高血圧・脳梗塞の不安を抱えて栃東の相撲を取り切ることは不可能と見て、現役続行を断念した模様。 |