入間市 米軍ハウス
                  photo by mirutake  2007.12



米軍ハウスについて私が知っていることと言えば、遠くから密かに聞こえてくるものでしかなかった。70年代?ロックのミュージシャンがが住んでいるというのは何となく聞いたことがあった。八王子に住む友人とか実際に見ている人からは、米軍ハウスについては、大した物じゃないと言う情報しかなかった。
90年代?柏木博氏が戦後住居史をパネル展示したときに取り上げていたが、影響力はかなりあったのではないか?という思いはあったが、ではどのような物なのかと言うことには、一向に想像力が働かず解らない状態だった。

去る土曜日(2007/11)に、「王様のブランチ」という番組で、いろんな規模の住まいを紹介=値段を当てるという番組があった。いつものようになんとなく見ていると、「平成ハウス」というのを入間市でやっていると取り上げていた。米軍ハウスとの関連も言われていたと思うが、よくわからないまま見ていた。「平成ハウス」という物件もパーチクルボードを室内全面に使っている物で、おまけに便器が室内に露出している。これは清家清の「私の家」からきているとしか思えず、建築家の関係している物に思えた。


そこで早速インターネットで調べてみると、入間市の一角に米軍ハウスの賃貸物件が残っていると言うことが解った。そしてそこには、「かつて日本の住まいは米軍ハウスから大きな影響を受けて、それを残してゆきたい」と言うことが書いてある。そして「平成の現在にその流れを込めて、新たな住まいの提案をやって行こうと思っている」というようなものだった。このコンセプトには、即、すごいなーと思わずにはいられなかった。そして何かが在るのかもしれないという思いが湧いてきた。どんなことになっているのか、これは見てこなければ。


現地は都心から1時間半かかった。
冷たい風が吹いていた。(07/12)国道から**美術館というのと、**パン屋さんと言うのがそれらしく見えた。この奥にどうもあるなーと言う感じ。

まず見えたのは殺伐としたハウジングがあった。道路も庭も整備されていないのがつらい感じを与えた。一部には長年保たれた樹木があって、なるほどこういう感じであったのかという感慨はあった。こんな物かなとも思った。



































この写真を見ながらこの美しさの由来を書いてみる。
まずこの改修の新しい白ペンキに始まる。これを改修しようとする管理者に脱帽。

平屋にしても尚低い屋根、緩い勾配、下屋として増築しているから母屋よりもっと緩い勾配になってゆったりした感じを与える。足下に基礎がほとんど見えず、それが軽快に見せている。ベランダと掃き出し敷居とが、段差が低く、すっきり見せている。
これらによって全体が低く小振りになっているのがとても愛らしいのだ。

そして気づくのは、塀がないから、これらの長所が大変よく見えることによって鑑賞が楽に行え、軽快に舞い降りてきたかのような解放感になる。これらがこのような現実離れした感覚を与えるのではないでしょうか。









けれどそれだけではなかった。
一軒のハウスが、改装されたばかりで、白色にペイントされ、光っていた。
なんと愛らしいたたずまいか。猫ちゃんが迎えてくれるではないか。写真を撮っていると足に体をすりつけてくる。

これは奇跡のたたずまいだと思う。
低い平屋の屋根。その低さに続いて増設された玄関用の室。そしてもう少しそのまま伸ばして、テラス用の庇。この低さは得難い物だ。
そもそも背の低い平屋の建物があり得ること自体が奇跡としか言いようがない。夢のたたずまいが実現されてしまっていると言っていいでしょうか。美しいです。現在に建てようと思っても不可能な建設計画(たたずまい)だからです。建築家という固有種のある一部には可能か?と思えるのですが、そのくらい稀少です。

下見板張りというのは、アメリカンハウスのイメージぴったりだ。
戦後アメリカの家族ドラマが幾つもTV放送されたが、そのハウスのイメージそのものだ。私たち団塊の世代が住宅を手がけるようになった頃も、耐火下見板張りや、アルミの下見板張りのアメリカンスタイルが流行ったものだった。建築家達も手がけていたのだ。そんなことも下見板張りを見ていると思い出す。

現在の設計環境から言うと、平屋と言うのは大変難しい、あり得ない選択にさえ見える。でからこそ美しいと言うところへ昇華した観点になって行くといえる。もっともこの場所あり得ていると言うことは、場所性、家族の構成、などからあり得る選択と考えることもできると言うこと。

また1階の床が低くて、とてもそこが美しいのだが、逆にそこが木造故の湿気対策としてあり得ないという批判もあった。土間コンで床暖でも出来ればあり得るのだが、予算として苦しい選択だ。けれどこの事も翻って考えれば、では何故にここで成立しているのか?と言うことになる。立地条件や、隣棟間隔とか、気象条件とか、ここの地域性が好条件だったのか。実際何十年もこの木造が持ってきているのだから。これらのことをもっと良く吟味してみなくてはと思う。








地元の古い民家
現在もこういう軒の低い平屋の古い民家が残っているところなんだ。こういう愛らしさを現在の大勢の不動産業界は一顧だにしないし、建築家のテーマになることもなくなったか。

軒が大変に低い、開口部の鴨居と軒がすぐのところにある。平屋建て、外壁が地盤近くまで下がっている、これが大地にへばりついていると言う、安定感を生み出し、民家はキノコだというある建築家の発言を思い出した。下見板張り(押さえ縁在り)と言い、米軍ハウスに近い建て方になっていると思う。


この平屋のハウス群を残そうと思った管理者に敬意を表します。営業が成り立っていることもまた、奇跡と言えるのではないでしょうか。米軍ハウスの生き残りとして、平屋ハウスの希少価値として、かつてミユージシャンが過ごした場所として、等々の意味付をもって、入間市の文化として生き残って行くのですね。
                   071221


この後ネットを検索していると、「占領軍住宅の記録(上)(下)」と言う本のがあることが解り、早速読んでみる。そこには戦後直ぐの時期(1945〜1948)に、日本各地に10000戸の米軍のための住宅建設が行われたことが書かれている。日本では15坪建築制限が出ているときに、小さいので25坪、00、00と大きい物が建てられていた。柱梁の軸組部分は日本の構法で、屋根は合理的なトラス構造で建てられた。独立キッチンと、食堂居間が一体の大きな部屋となるプラン。それに主寝室と1から3くらいの子ども部屋のプランで、水廻りは大便器とバスが一体の物で共用の一カ所配置だった。これらに加えて先進のアメリカ文化たる流し台、ガス台、湯沸かし器、冷蔵庫、洗濯機、家具類さえも日本の技術によって供給されたから、その後は什器としては日本の大衆の生活に大いに影響を与えていった、とまとめられている。住居としては限られた生活空間であり、交流と言うわけにはいかないので、影響はなかったと結論づけられている。

ハウジングに話を戻すと、配置計画から、A,B,C,それぞれの規模の違いのプランが示されている。立面や矩計が掲載されている。
それらを見ていて気付くのは、圧倒的に多いのは2階建てのハウジングだ。平屋で規模も小さいのは下層の下士官や、兵士のものであることが解る。

ここ入間市のハイツでも当時の写真を漁ると、多くが2階建てハウジングとなっていることが解る。そんな意味でもここ入間の平屋ハウジングが残されたことは奇跡であり、管理者の平屋建ての美しさへの思い入れがあるのではないかと感じる。分けても平成ハウスも平屋とは行かなかったが、なるべく低く、中2階というのを意識的に守ったハウジングとなっている。

平成ハウスがこれからの住まいの何かを引っ張っていけるかどうかは難しい問いなのでコメントできないが、米軍ハウスの影響と言うことも、豊かな生活というイメージを喚起したと言うことにとどまるようで、実際の住居プランへの影響は見られなかったようだ。進駐軍からの厳しい注文で、家電製品や家具什器を作ったことでの製作側への影響はあったとのことでした。
                 080120

    占領軍住宅の記録〈上〉(住まい学大系)
    占領軍住宅の記録〈下〉(住まい学大系)
    小泉和子=偏 住まいの図書館出版局 \2600×2




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