芋坂のぼれば





■道灌山通

 おそろしく暑い日だった。立っているだけでも大粒の汗が浮かんでくる。真夏日どころか酷暑の日。かくも暑い日に散歩などしようとは、酔狂どころか、焼けたフライパンの上で猫踊りするようなものかもしれない。自分の狂態を自ら嘲笑いつつ、まずは西日暮里駅近くを歩き回ってみる。

道灌山通
道灌山通駅跡付近
奥が上野方面


 この付近に道灌山通駅があったとされているが、現在となっては痕跡がまったくわからない。画面中央付近の高架下店舗あたりが怪しく思えるものの、確証があるわけではない。急曲線区間にあることから、おそらくは数両分のみのホームを備えた、停留所のような駅だったのではないかと推測している。





■日暮里

 日暮里は変わった。駅前が再開発され、十年前と比べても風景が大きく変化している。京成電車の日暮里駅を主題にして、鋭角的でラショナルな風景が現出するとは、いったい誰が想像していただろうか。

日暮里
日暮里駅近景
右が上野方面


 もっとも、日暮里駅から東南側、鶯谷方面への道筋は、あまり変わったような雰囲気はない。じわりじわりと時がうつろっていく、街の眺めだ。

羽二重団子
羽二重団子
右手の道が芋坂を経て上野に至る


 そんな古くからの道筋沿いに、羽二重団子は店を構えている。文政 2(1819)年の創業というから、二百年近い星霜を経てきたことになる。文政 2年とは小林一茶が「おらが春」を著した年でもあり、
「目出度さもちう位なりおらが春」
「ともかくもあなた任せのとしの暮」
 などの句が収められている。両句は字面だけみれば面白おかしい諧謔のようにも見えるが、小林一茶の真髄はむしろ宗教心にある。両句は背景を知れば知るほど含蓄深く、時に洗われ永遠の命を得ているといってよい。羽二重団子もまた、銘菓として永遠の命を得ていくのであろうか。

芋坂由来
羽二重団子脇に掲げられた芋坂の由来看板


 羽二重団子の右脇を往く道に折れると、台地を前に迎え、芋坂にとりつくこととなる。掲げられた由来看板の記述からは彰義隊への恨みのような感情が読みとれ、時代の一断面を彩るできごととして興味深い。





■芋坂

 明治の昔、日本鉄道がこのあたりに線路を敷設した時、台地を登る勾配は設けなかった。そのかわり、太古の汀に沿うが如き、台地の端をめぐる急な曲線が描かれた。時代が巡り、線路の数は増えに増えた。増えた線路は、台地を削って得られた土地に敷かれた。だから、今日ではもはや、芋坂と呼べる坂道はのこっていない。

芋坂
芋坂付近
奥が上野方面


 上の写真にはほんらい、左奥へと続く坂道が写っていなければならない。しかし、今日ではわずかな勾配が名残をとどめるだけで、地形はまったく改変されている。

芋坂
芋坂付近
奥→右が上野方面


 いま「芋坂」と呼べるのは、この人道跨線橋の階段部分ということになるのだろうか。もっとも、こんな無機質で殺風景な階段では、自然薯など採れそうもない。

芋坂
芋坂付近の変電所跡
奥→右が上野方面


 階段脇の京成電車高架下には変電所の遺構がのこされている。時代がうつろい、役目を失った存在が、炎暑のもと、うつろな形だけをとどめている。

芋坂
芋坂付近
奥が上野方面


 人間は、火を熾し、道具をつくる道具をつくり、文明と科学技術を手に入れた。人間は、自然薯が採れる坂を穿ち削り均し、文明の利器たる鉄道を走らせるための土地を造成した。結果として、かくも味わいに欠ける、牢獄のような風景をもつくりあげてしまった。

芋坂
芋坂の人道跨線橋から日暮里駅を遠望


 人間社会は進化し続ける。少なくとも、そう信じられている。そのためになにを捨ててきたか、なにを捨てなければならないのか。

芋坂
芋坂付近
左が日暮里方面


 ……幽明の境から人間世界を垣間見れば、ひねくれた文言を書き連ねたくもなる。そういえば、ここには谷中の墓地があり、日暮里は「ひぐらしの里」とも呼ばれていたか。





■寛永寺坂

 人間は業績を地に刻む。京成電車は上野の山の下にもぐる。地下区間がつくられた時代を反映するかのように、扁額は実に立派なものだ。ちょうど折良く、新型スカイライナーどうしがすれ違っていった。

寛永寺坂
寛永寺坂
寛永寺坂付近(上はトンネルの扁額)
奥が上野方面


 日本鉄道が避けた台地に、京成電車は直面せざるをえなかった。電車ゆえに勾配は苦にならずとも、曲がりくねったトンネルを掘らなければならず、文字どおり屈折が伴う事業であったかもしれない。

寛永寺坂
寛永寺坂駅跡
手前右側が上野方面


 トンネルを入ってすぐの場所に寛永寺坂駅跡がある。昭和 8(1933)年の日暮里−上野間開業にあわせて設けられた駅で、戦時の休止・復活を経て、昭和28(1953)年には早くも廃止されている。利用者数がよほど少なかった、ということだろうか。

寛永寺坂
寛永寺坂駅跡
右が上野方面


 寛永寺坂は短命の駅で、しかも廃止後半世紀以上経つというのに、駅舎が形をとどめているという事実には驚く。もっとも、現在の姿から駅舎という履歴を想像するのは難しい。予備知識がなければ、倉庫と見間違うような造作だ。というよりも、現状は倉庫そのものであって、駅舎らしい面影は断片のみにしか見出せない。

寛永寺
寛永寺
右が上野方面


 寛永寺坂駅至近に現在の寛永寺がある。この根本中堂は明治期に移設されてきたもので、全盛期の威光が残っているはずもない。明治期には良くも悪くも、徳川幕府が備えたさまざまなものが削りに削られてきた。平成の今日、昭和ですら遠くなったというのに、明治はさらに遠く、江戸時代などもはや遙か彼方である。





■博物館動物園

 「時よとまれ」という文句の流布は、時間が停まらない現実の裏返しである。そもそも、本当に時間が停まったとしても、人間は時間停止など知覚できるわけがない。だからこそ人間は時間に縛られる。

 われわれ人間は、進化し続ける人間社会のなかで生きている。面白きは人間といういきものよ。過去を捨て、切り離したつもりでいても、実は過去からのしがらみにとらわれて生きている。とらわれているがゆえ、もがき、あがき、苦しみ、悩み、葛藤する。生きた証をのこそうとする。生きた証の多くは時の大河に流されていく運命だが、すぐれたものは「芸術」あるいは「学問」「文芸」などと呼ばれ、不壊不朽の明光を煌めかせることがある。

 先に紹介した小林一茶の俳句など、まさにそれに該当する。そんな生きた証の精華が、ここ上野の山には多々揃っている。

国際子ども図書館  国際子ども図書館
国際子ども図書館(左は企画展のポスター拡大)
左が上野方面


 こちらは国際子ども図書館。京成電車は手前の道路下を走っている。

 ちょうど「日本発☆子どもの本、海を渡る」という企画展が開催されていた。ポスターに掲げられているのは角野栄子「魔女の宅急便」。このほか、五味太郎・いもとようこ・いわさきちひろらの絵本、松谷みよ子らの手による日本昔話、黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」、上橋菜穂子「精霊の守り人」、宮部みゆき「ブレイブ・ストーリー」、さらにはドラえもんやピカチュウの学習絵本などが児童文学海外翻訳主要事例として挙げられていた。

 「魔女の宅急便」などは、アニメーション映画化を通じて高名を博した面があるものの、実は文学の方がよほど味わい深い世界観を持っている。現在第六巻まで刊行され、およそ四半世紀を経てようやく完結した、息の長い作品である。

 「精霊の守り人」シリーズの世界観に至っては、相当なぶ厚さと重さを兼ね備えている。重ねての再読に耐えうるかと問われれば、些か厳しい面があるとしても、日本文学(児童文学と範囲を限定せずに)の脊梁山脈において、一座を占めうる高嶺であり名峰である。

 絵本は、こどもに見せたものが多く、なつかしさも感じる。例示されたなかで自分が特に面白いと思うのは「きんぎょがにげた」(五味太郎)で、幾何と造形の面白さ、原色を多用した強さ、謎解きを導く構成などで、どこの国でもこどもが面白がると思われる傑作である。

 日本昔話にも名作が多い。企画展の主旨からは外れるが、最近すばらしさを見直したのが「鉢かづき」(文:あまんきみこ 絵:狩野富貴子)で、何度読んでも泣けてくる佳品である。物語の構成は「白雪姫」と相似しつつも、信仰心がハッピーエンドを導くという点で趣を異とする。外国語に翻訳されても、じゅうぶん通じるものがあるのではないか。

 このように見比べてくると、日本の児童文学も豊かになったものだと実感する。日本人の感性に訴えるだけでなく、海外にも通じる普遍性を備えたという意味において、豊かさがある。

博物館動物園
博物館動物園
博物館動物園駅跡(上は駅跡の表札)
奥が日暮里方面


 博物館動物園駅跡は、まさに博物館らに囲まれた一角にある。国会議事堂を連想させる造作は、周囲の風景に融けこむようにと意識されたのだろうか。しかしながら、せっかく立派な駅舎を設けても、近隣の定住人口は極端に少なく、日常的な利用者は限られていたに違いない。 4両編成しか停車できずダイヤに制約が多いこともあり、平成 9(1997)年に休止され、平成16(2004)年に正式に廃止となっている。京成電車の駅としては世紀を跨ぐことなく営業を閉じており、細々とした灯火は風の前の塵の如く消し飛んだ。

 写真の背景は国立博物館の法隆寺宝物館。手前左に東京藝大大学美術館と東京藝大附属図書館がある。このほかにも、それこそ枚挙に遑ないほどの、芸術と学問の拠点が揃っている。

国立科学博物館
国立科学博物館
左が日暮里方面


 こちらは国立科学博物館。京成電車からはやや離れた場所となるが、D51231が静態保存されているので、鉄道にまつわる場所ではある。以前から展示内容が充実していただけではなく、近年ではさらにエンタテイメント性をも意識した展示手法を用い、好評を博している。筆者も「かはく」は大好きだ。

国立博物館
国立博物館
奥が日暮里方面


 こちらは国立博物館。上野公園の噴水を手前に配するすぐれた風景だ。もっとも、芋坂から寛永寺までのあまりに烈しすぎる濃厚さと比べれば、あっさりとした薄味の如き景色でもある。人間は自らが住みやすい空気感をつくりあげた、ということかもしれぬ。右手が国立科学博物館、左手が都立上野動物園になる。京成電車は左手の地下を通っている。





■上野の山の南斜面

 上野の山も下り坂になり、広小路に近づいていく。繁華が増しつつある雰囲気のなかで、濃厚な空気感はどんどん薄れていく。

西郷隆盛像
西郷隆盛像
左奥が日暮里方面


 西郷隆盛像は、無血開城させた江戸の街を見晴らすかのような場所に立っている。

蛙噴水
蛙を模した噴水
右奥が日暮里方面


 噴水にも遊び心がある。というよりもむしろ、どう着想すれば、かくも面白味を備えた造形ができるのか。

京成上野
京成上野駅
奥が日暮里方面


 京成上野駅は、上野広小路により近い繁華街の一角にあるというのに、地下にもぐったせいか賑やかさに欠ける。「じゅらく」が解体撤去中で眺めが殺風景になっている点は、いずれ解消されるとしても、いま少し華がほしいところ。成田スカイアクセスが開業し、海外渡航の玄関口として殷賑を獲得し、久遠の未来まで持続するほどの輝きを放てるか。時間の奔流において、人間の生きた証をしかと刻みつけられるのか。

 人為は時間に試され、洗われ、磨かれ、ときに砕かれる。古言はまったくもって真理を衝いている。曰く「人事を尽くして天命を待つ」と。





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執筆備忘録

散歩:平成22(2010)年真夏

執筆:平成23(2011)年春