もうひとつの
  ストローエビ物語

   「ストローがもたらしたセレンディピティの贈り物」









撮影:浦 壮一郎さん 
(中日新聞・東京新聞「サンデークラフト」2003年敬老の日掲載) 


■ストローエビとの出会い
 2001年の秋、台湾で科学教育ボランティアをしている陳進旭さんというおじいさんに招待されて、921地震の被災地域や高雄にある国立科学工藝博物館(NSTM)を訪れました。
 陳老人は、夏に来日して、「青少年のための科学の祭典」全国大会に来場され、私の「PETフラワー(卵パックで作る花)」のブースで、その新奇の科学工作を気に入って、半月後に自宅に訪ねて来られて訪台の要請をされたのです。
あわただしいブースで名刺を渡してほんの少し言葉を交わしただけで、2度目にそんなお誘いを戴いて、今考えてもよく独りでの渡航をお受けしたものだと思います。「はい」とお返事してしまった後もまだ不安でしたが、その時きっと何か心に響くものがあったのでしょう。

 約二ヵ月後、私は台湾に居ました。
高雄の科工館で講習をした夜、フェリーに乗ってレストランや屋台の立ち並ぶ旗津夜市へ食事に連れて行ってもらいました。その夜市で道の両側あちこちで鈴生りになって売られていた小さなマスコットのキーホルダーに、私の目は釘付けになりました。どうやらそのマスコットの素材がストローらしいのです。珍しそうに見入っている私に、陳老人は3つ(エビ、魚、イカ)お土産に買って手渡して下さいました。
戴いた3つの中でも、魚とイカはそうでもなかったのですが、エビの質感と透明感が、スキューバダイビング経験者の私にとってとてもリアルで、宿舎に帰ってからもそのお土産が気になって眠れず、とうとう魚を解いて2時間掛けてエビを作ることに成功したのです。浮沈子工作の素材として卵パック以外にも日本製のストローを何本も持参していたことが幸いしました。これが日本で最初のストローアーティスト誕生の第一歩だったのです。

 2週間近く滞在して日本へ帰国する日、台北空港のカフェで、待ち時間にストローエビを作ろうと想い付いて、ウエイトレスさんに「ストローを何本か分けてください」と頼んだら、その当時は、台湾の中でもまだまだ珍しいものだったようで、入れ替わり立ち代り別のウエイトレスさんが見に来て、時間ぎりぎりまでストローエビを作る羽目になってしまいました。ついひと月前にアメリカでの多発テロがあったばかりでしたが、別の国ではまだ化粧ポーチの中の小さな鋏は搭乗チェックを無事(?)通過できる時代だったこともありました。


■意外な展開 ストローエビからバッタ
 ストローに数分手を加えるだけで、1本5円もしないもので、こんなにみんなが喜んでくれるのかということを知り、その後一年半ほど、私はただひたすらストローエビのみを作り続けていました。台湾渡航では多くの人に巡り合い多様なモノに触れ、有形無形のお土産をたくさん貰って帰ったと思っていますが、ストローエビは高価なお土産にも勝る最高に素敵なお土産だったと今感じます。
 まず最初に、ストローエビは、ものを観察する目(の大切さ)を教えてくれました。というのは、エビが十脚類だということを知らなかった私は、最初の頃は脚を6本に切っていたのです。昆虫じゃあるまいし・・・
次の年2002年の科学の祭典・全国大会では、偶然棕櫚で作るバッタのブースが出展されていて、ストローエビのルーツに想い至ることになりました。ストロー細工の「折巻き止め」と同じ作り方なのです。その後、中国にも竹(笹)で同じ編み方をしたバッタ(中村さん所蔵 1970年万博・中国館で売られていたもの)があることも知りました。棕櫚のバッタの起源はストロー細工の起源でもあると思うので、今後また新たな流れが判るかもしれません。
昆虫を知ったことが無意識にエビを再考するきっかけになったのでしょう。さらに細かい十本脚のエビを作ることと、新しくストローバッタのレパートリーが増えることになり、新しい手法と数を作ることとが、また少し技術を向上させてくれたように思います。
(写真はまだ腹部のひだも脚も未熟な頃2001年11月の作品)

 2002年の年末には、私にとっては大きな知らせが二つ飛び込んで来ました。
一つは「ダンシングストローズ」(回転浮沈子)のアイディアで日本科学未来館・館長賞を戴くことが決まったこと。もう一つは、PETフラワーなどのプラスチッククラフトの本「キッチンから生まれたプラスチックの宝もの」の出版が決まったことでした。そんな中で出版社の方がストロー細工に目を留めてくださり、著書にもストローエビとバッタを掲載することになりました。


■日本ではたった1冊しかない本
 初めての著書「キッチンから生まれたプラスチックの宝もの」の発行に前後して、夏休みにストロー細工の本を出そうという話が持ち上がりました。先の著書のストロー細工のページは、少しおまけ的な企画でもあって、プロセス写真が小さく、当初から読者にわかりにくそうな感がありました。夏休みまでもう3ヶ月もありません。続けて「親子で作るストロー細工 どうぶつたち」の制作にかかりました。私はもちろんのこと、編集に関わって下さるみんなが、これまでにないクラフト本(自由に切り貼りするストロー工作ではない―折り紙のような)の制作にわくわく楽しんでいたように思います。
 そのころのことを振り返って見ると・・・ストローバッタを作るようになってから、アレンジのコツが掴めたのか別のアイテムを作りたい気持ちが強くなってきていました。昆虫ならカブトムシはどうだろうと作っていて、その出来損ないがゴキブリでした。私は本物に出会ったら悲鳴も出なくて息がつまるほど怖いのですが、その「怖い」というイメージを持っていたことが、逆に作品によい影響を与えているのかもしれません。実物は入手容易なのですが個人的な理由で観察不可能なので、図書館から昆虫図鑑を借りてきて一生懸命作りました。「キモコワ」で笑いながら「キャー」と言われたり、汚そうに摘んで見られたりして・・・、よく俳優さんが「悪役冥利に尽きる」などと言われますが、同じような気持ちなのかもしれませんね。みなさんにも人気があるようで作ってよかったと思います。
Straw art db=dino-bird他には、科学工作の方のストロー浮沈子を人形(キャラクター)のようにしたいと考えていて、蛇腹を首にすることを想い付きました。その時近所の小さな男の子がよく遊びに来ていたおかげで恐竜が誕生しました。恐竜(ストローラプトル)から鳥(ストローバード)が出来たのも、少し前に中国で竜鳥の化石が発見され、新しい進化の説が一般の目に触れる機会が多くなって、私もインターネットやTV番組などで見たことが記憶に残っていたからなのでしょう。
 それにしても、ゴキブリ・恐竜・鳥だけでは32ページの本には到底足りません。自分でいろんなアイテムの創作を試行錯誤をするとともに、台湾の陳老人のところへ参考になる台湾吸管造型工藝作品を送ってくれるようにお願いしました。ただ、本を買って下さった日本の人が材料入手に困ることのないように国内で誰でも簡単に手に入るストローで作る工夫を心掛けました。この考え方は「科学工作」で培われたものだと思います。
 というわけで、なんとかこのこれまでにないクラフト本を夏休み中の8月に書店に並べることが出来ました。


■3つの言葉
 ここまで私を引っ張って連れて来てくれたもの―出会った多くの人が驚いたり喜んで下さったり褒めて下さったことはもちろんですが・・・
 初めてエビを作った翌朝、その興奮冷めやらず、現地台湾の皆さんに見せたら「ゴッドハンド!」と褒めていただいこと。
 日本に帰ってから、中学生になってだんだん生意気になってきた娘に見せたら、目を丸くして「すごい!ママ・・・」と尊敬の眼差しを向けてくれたこと。
 そして、新しい作品を試行錯誤していた時に作って見せた小さな子が「恐竜!」と解ってくれて興味深そうに言ってくれたこと。
この3つの言葉が思い浮かびます。
 でも、やっぱり一番うれしかったのは我が子が驚いて褒めてくれた時でした。
そして台湾の方々と小さな子どもの言葉がなければ、こんな展開はしていなかったかもしれないと感謝の気持ちを持っています。

 3つの言葉はストローアーティスト誕生の重要なエッセンスだったような気がします。


■思い込みの勘違い
 「親子で作るストロー細工」にも私のオリジナルデザインの金魚を掲載していますが、まだその時点でも気付いていない事実がありました。
それは、台湾で最初に魅せられたキーホルダーのストローエビは、実はエビではなく金魚だったのです。
(右の写真)
 日本では、多様な手芸本が出版され、カルチャー教室が盛んですが、台湾では書籍よりもボランティアの人海戦術でクラフトが伝わっていきます。知的財産やプライオリティーの考え方は別として、その動員力はすごいと思いました。もうこの頃は台湾でもいろんな人の手にかかって広く普及し、様々な感性のデザインで作られていました。日本と台湾を盛んに往来されている陳老人から戴いた種子講師の吸管造型作品の中に、台湾エビ(右の黄色いエビ)があったことで、それまでの大きな勘違いに気付くことになりました。
 その後は、機会がある毎に「これ何に見える?」と日本人にキーホルダーを見せて訊いていますが、十人が十人「エビ」と答えます。私がそそっかしいのではないんだと判ってほっとしました。笑
 みなさんは赤い方の生物は何に見えるでしょうか?


■ストローがもたらしたセレンディピティーの贈り物
 ストローから生まれたもの
エビなどのストローアニマル達
回転浮沈子
いろいろ
カクテルデコレーション
マイクロポーチ お人形のバッグ
便利なパーツ
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写真は偏光シートに挟んだものです。
プラスチックの性質が光を屈折させてステンドグラスのような美しい色を見せてくれます。
生物の観察、物理の実験・・・
様々な視点で学ばせてくれたり、生活に潤いのあるものや便利で実用的なものまで、ただの細長い筒ではない、発想を豊かにしてくれる素敵な素材だと思います。


■ストローとアニメーション
 中華竜鳥が発見されてからも、まだ10年と少しですが、恐竜が地球上に存在していたことが明らかになったのもそれほど昔のことではありません。やっと20世紀に入ってからその存在が世界中で調査確認されるようになりました。同じ時期、映画技術もプラスチックの開発とともに急激な進歩遂げましたが、無声アニメの時代である1909年頃には「ガーティー」という恐竜が人気キャラクターでした。
ミッキーマウスやベティーブープ、フリックスより先輩のキャラクターは恐竜だったのです。
 1940年、ワシントン州のタコマ橋という吊り橋の崩落事故はフィルム映画などで紹介されて有名です。この橋がうねりながら振動する様子を、「Galloping(ギャロッピング) Gertie(ガーティー)」と表現するようですが、これはこの有名なキャラクターが体をうねらせながら歩く様子に喩えたもののようです。つり橋は恐竜がその巨体を支えている骨格と同じ構造で造られているので、そう呼ばれるようになったのかもしれません。
逆にアニメーションも、人や動物の骨格を研究して動きを考えて創られています。

 私のストローアニマルは二つの系列に分かれています。一つはエビやゴキブリのようなリアルさを追求したもの。もう一つはアニメキャラのような表情のあるフィギュアです。動眼は使わず3Dペンとスワロフスキーのラインストーンで目線を表現した台湾にはなかった私独自の手法です。
そんなフィギュアを作っていると、自然に物語が思い浮かびました。とても素敵な音楽と、音楽を通してイメージと人の輪も広がりました。
「ひとりぼっちのネオ」 http://www.geocities.jp/min_pda/neo/cast.html
http://www.geocities.jp/min_pda/neo/neo-story.html
是非BGMも聴いてみてください。
 私も、いつかアニメーション=コマ撮りでストローの恐竜を動かしてみたいものです。


■海の神さま
 私の旧姓は海に関係のある名前です。スキューバダイビングに凝っていたこともありましたし、海には縁があるのかもしれない・・・と思うことがあります。海中で見た可愛くて動きが面白くて、半透明の美しいあの小エビに陸上で逢えたんですから。
 子どもの頃七五三参りに連れられた住吉大社のご祭神が海の神様であると言うことは最近になって知りました。底筒男命、中筒男命 、表筒男命というそれぞれの海の層を司る兄弟神です。 神社にはおみくじやお守りがつきものですが、そういう謂れがあったので私のデザインしたストローアイディアのお守りを、現代版「筒守」として採用していただいたことがわかりました。
 「筒守」というのは、昔は竹筒で作られ、大きいものは知識徳義の巻物を入れるものでした。小さいものはお札を入れて封をして傘などにぶら下げる―今で言うと「チャーム」のようなものだと聞いています。お守りというのは「心」を形にしたものだと思いますが、現代版のタピオカストロー製の筒守には、防災カード(緊急連絡カード)を入れたり、持病薬の提案をしたりと、実用的にも身を守るアイディアを封入しました。
 「すみよし」というのは住み良いということから付いた名前だそうですので、環境の神様だと私は勝手に思っています。エビが住み良い環境でありますように・・・、地球上の生物の起源である海の環境が悪くなりませんように・・・願いたいと思いす。


■多くの人に楽しんでもらいたい・・・
 私は台湾でストローアートに巡り合えた幸運を忘れません。
もし神様がいるとしたら、私に、その愉しみを多くの人に伝える役割を与えられたのだと思います。
 2007年秋の三度目の訪台で、ずっと自分の目で見たかった発祥地台湾のプロのストローアーティストに会う願いが叶いました。
 陳老人は3年前に亡くなってしまわれましたが、そのご家族が今も変わらず交流を続けて下さっていて、有名な大道芸術家に会える淡水駅まで連れて行ってくださったのです。(右の写真の荘さん)
今度は、陳老人の奥さんがアリとネズミの吸管工藝をお土産に買って下さいました。言葉が通じないので、自己紹介はおこがましくてできませんでしたが、私とは違って、作ること自体を見せる手際のよさを目の当たりに出来て、とても感激しました。
 もう一人、台北の小学校にオーソリティーだと言われている先生がいらっしゃるそうで、お会いしてみたかったのですが、そちらはスケジュールが許しませんでした。
写真←もしかしたらこの方ではないでしょうか?
 私は、人とものが交流し、違う感性や個性が交じり合う中で、新しい発想が生まれるのだと思います。その過程やものの歴史を大切にして行かなければと、あらためて思います。
 「親子で作るストロー細工」の著書は作品数もまだ少なく、作り方もまだまだ未熟な時点での出版だったので、一度は重版したのですが、残念ながら昨年絶版することに決まりました。今後も様々な伝え方を模索したいと考えています。



■この後のこと・・・
 2008年の後半はアニメが実現しました。(放送は2009年の春・夏)
 2009年1月からwikiHowで英語の記事を書き始めました。

 Kitchen Artsブログでいろいろなお話を書いています。




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