白崎海岸・番所山の水仙



由良町・番所山の水仙

2006年1月15日撮影

一万株を超す花の大半は八重である。
花冠の黄色と剣のような緑の葉は、彩りの少ない冬に日が当れば輝いて見える。
持統天皇の紀州紀行の際に詠まれた
「白崎は幸く在り待て大舟に 真楫(かじ)繁(しじ)きまたかへり見む」
白崎は幸く在り待て---白崎よ、どうか無事で待っていてほしい・・・との意。





28年前に「和歌山県立白崎青少年の家」の職員が、
草木の下に埋もれていた水仙の花園を見つけ雑草を刈ったり、球根を植えたりして
保全に勤められたそうだ。何時から生えていたかは明らかでないらしいが、
地元の植物研究家の説によると
西アジアが原産地の水仙はシルクロードを唐に至り、さらに中国から日本に広く伝わったのは
元の侵攻がきっかけ。この由良に建てられた臨済宗の大寺・興国寺に宋から逃れてきた禅僧が携えてきた
水仙がその後近隣に普及、この水仙の群落地に「白崎遠見番所跡」があるので、
花ごころのある番所の関係者が植えたのが始まりではないかとの見方である。
「淡路の水仙は、由良の水仙の球根が、紀伊水道に回りこむ黒潮分流に流され、海岸に漂着して植えられた」
との説も付け加えておこう。(読売新聞社の文献参考にまとめる)























由 良 町・白 崎 海 岸



石灰岩の向こうに番所山










 

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