科学エッセイ「生命の森をさまよう」        下田 親


第97回 三毛猫の模様はどのようにして決まるのか
    大阪市大理学部近くに70代のご夫婦がやっておられるA理容店があります。ここに通い始めてもうかれこれ40年近くになります。店内をよちよち歩きしていたお嬢さんがもうふたりの中学生の娘さんの親御さんですから、いかにこの理容店とのお付き合いが古いかがわかります。散髪の後、コーヒーを淹れていただいてご夫婦と会話を交わすのが楽しみです。先月、刈ってもらおうと寄ったら、おじさんが店をあけて外出中。「仕事ほっぽりだして、何処うろついてるんやろ」と言いながらおばさんが心当たりに電話をしてくれました。程なく、おじさん「すんまへん」と言いながら帰ってこられました。電話をかけられた先のご主人が親切にも心当たりを自転車で探して下さったようです。まことに、人情篤い大阪の下町です。今週、散髪に訪れましたら、この日はおじさんサッと中からドアを開けてくれて「いらっしゃい!先生の姿がみえたから・・。」でした。さっそく、調髪用の椅子にかけようとしたら、その上で飼い猫のピーちゃんが熟睡していました。せっかくの眠りを邪魔して悪いねと思いながら、席を空けてもらいました。さて、今回の話題は散髪でなく、猫です。なんだか長いイントロになりました・・・。


 写真 三毛猫。ブログ「だから、おやじなんだと言われている」からお借りしました。
http://pub.ne.jp/kokekooko/

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猫で珍重されるのは三毛猫(写真)。白、黒、茶のスリー・トーン・カラー。これは和製英語かな。本当はトライカラー(tricolor)、フランス語読みするとトリコロールで三色旗、フランス国旗になります。不思議なことに三毛猫はほとんどがメスです。雄の三毛猫はさらに希少な存在なのです。猫の毛色の遺伝はきわめて重要な問題を秘めていることを、以下にご説明したいと思います。

猫の毛色はどのようにして決まっているのでしょう。猫の体色を決めている遺伝子が2つあると考えられています。そのひとつは白い模様(白斑)を作る白斑遺伝子です。この遺伝子は白のフェルトペンを持っていて白色に塗るとそこが白斑になるというわけ。簡単ですね。でも、A理容店のピーちゃんは茶色です。猫には茶色や黒の模様を持つ猫もいますから白斑遺伝子だけではないはずです。

そうです、猫の体毛の色を支配するもう一つの遺伝子は茶色と黒色を描く遺伝子で、茶黒遺伝子と名づけましょう。この遺伝子は茶色もしくは黒色のフェルトペンを持っていて、先ほどの白斑以外の部分を茶色か黒色に塗るというわけです。ところで、この茶黒遺伝子は性染色体であるX染色体上に存在します。このことがオスには三毛猫がいない理由なのです。

猫の性染色体は人と同じで、メスが2本のX性染色体を持ち、オスはX染色体をひとつとY染色体をひとつ持ちます。つまり、XXがメスになり、XYはオスになります。お忘れの方はもういちど、29回のエッセイをご覧下さい。さて、猫の体色です。オスはX染色体が1本ですから、片手に黒か茶のフェルトペンのどちらかをもって色を塗っていると考えられます。茶と黒のいずれかしか持っていないので、当然オスには三毛猫はできないのです。それではメスはどうでしょう。2本のX染色体を持っていますから、片手に黒を、別の手に茶のフェルトペンを持つことができますね。すると、3色の猫、三毛猫ができてもいいですね。

大分複雑な話になりましたが、可愛い猫に免じてもう少しつきあって下さい。ここで、もう一つややこしい問題があります。メス(人の女性もそうです)はX染色体を2本持つと言いました。ところが、2本のX染色体がフルに働くと身体に害があり、その個体は死んでしまいます。「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」というわけですね。そこで、正常なメスでは発生の初期に2本持つX染色体の一方が働かないように封印してしまいます。(これは人間の女性でも同じですよ)。このX染色体の不活性化は赤ん坊の発育のごく初期に起こります。ある細胞でどちらの染色体が封印されるかはランダムに決まるのです。そして、いったんどちらかのX染色体が不活性化すると、そこから分裂してできる細胞群はその性質を引き継ぐのです。

それでは、もう一度三毛猫の話に戻りましょう。いま、あるメス猫が茶の遺伝子と黒の遺伝子を持つとします。フェルトペンの例えで言うと、右手と左手にそれぞれ黒と茶のフェルトペンを持っているとします。しかし赤ちゃんの時、染色体が封印されて、そのいずれかが使えなくなるのです。その結果、例えば黒色のフェルトペンだけが使えるとすると黒の模様になります。その逆に黒色遺伝子のある染色体が封印されるとその細胞のまわりは茶の模様になります。どちらのフェルトペンが使われるかはでたらめに決まるので、様々に塗り分けられた三毛猫が出来上がるのです。

さて、もう一つ疑問が残ります。オスはX染色体が1本しかないので、絶対に三毛猫はできないはずです。しかし、ごくまれにオス三毛猫がいます。これはどうしてでしょうか。実は、オスの三毛猫では性染色体の構成が正常なXYではなくXXYとなっていて、1本よけいにX染色体を持つのです。オス化にとって重要なのはY染色体ですから、XXYもオスになるのです。さて、この変わり種のオスはX染色体を2本持ち、茶色と黒色のフェルトペンを両方手にすることができるので、メスと同じく三毛猫の体色パターンになりうるのです。

遺伝子DNAは4文字で書かれた文章です(エッセイ24回「4色のビーズでできたネックレス」参照)。遺伝する変化(突然変異と言います)は、この4文字の文章が書き換えられることで起こります。しかし、今回述べたX性染色体の働きが封印されるような変化は文字を書き換えた結果ではありません。DNAの文章が読み取れないように、染色体をまるごとのりで固めてしまうような変化なのです。このほか、特定のページが読み取れないように、のり付けすることもしばしば起こります。こんな文字を書き換えない遺伝子の変化をエピジェネティクスといいます。「エピジェネティクス」は現代生物学のトピックスのひとつです。難しい言葉ですが、これから皆さんも耳にする機会が増えてくる予感がします。

僕は大阪市立大学に入学して大学院を終えて、そのまま教員になり、定年後も特任教授として勤務を続け、今年の3月でなんと50年になりました。思えば半世紀を大学がある住吉区杉本町で過ごしたことになります。A理容店だけでなく、杉本町界隈にはいろんな行きつけのお店ができました。こうした地域の皆さんとのふれ合いがまた楽しくて・・・。まだ、当分は大阪市大とは縁が切れません。

 




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