平成19年8月、全線での完全冷房車化が達成したことでんではあるが、イベント運転や団体の貸切用として5両(65号が11月で引退の為、以降は4両となる)の旧型電車が残ることとなった。いずれもことでん本体や電車自体の歴史を物語るものばかりである。ことでんは1990年当時、経営が深刻であったうえに志度線・長尾線では軟弱な橋梁や急曲線が多く、琴平線と同じ規模の電車(18mクラス)の投入が困難であった。1995年当時でも他の一部の中小私鉄では100%冷房化達成した所があるにもにもかかわらず両線ではいまだに冷房車が1両もなく旧型車を整備して使い続けていた。その後は両線に名古屋市地下鉄からの冷房車も投入されたが、ことでんの経営事情から100%とはならず、旧型車もかなり残された。しかし再建後は利用者の要望により沿線自治体の協力により、京急等からの冷房車の大量投入により相次いで廃車となっていった。廃車後、一部の電車は自治体が用意した施設等に永久保存されたものもある。冷房化100%化後は残った4両が年に数回、観光シーズン等に臨時列車として琴平線などで運行の予定である。ともあれ晩年の通常運行では冷房がない等、悪評ぶられた旧型電車ではあるが、古きよき時代が味わえる本格的なレトロ電車であるだけに大切に残してほしいものである。
1000形120号(大正15年汽車会社製)
昭和63年エバーグリーン賞受賞・平成20年度近代化産業遺産認定
1000形は大正15年に琴平線が栗林公園⇔滝宮間が部分開通したときに後述の3000形と共に用意された。
形式は1000だが車番は一桁少ない100番台で100・110・
120・130・140の5両が汽車会社(現 川崎重工業)にて製造投入された。新製(開業)時は茶色一色であったが、戦後には肌色とのツートンとなった。昭和40年代には室内を蛍光灯にしたり窓をアルミサッシ化し、さらに塗色も近代車両に合わせてピンクのツートンとなった。昭和40年代後半からは志度線
でも運用されるようになったが昭和51年に110・140が志度線内で正面衝突事故により廃車となってしまった。のこる3両は瓦町駅再開発に伴う志度線分断化後は長尾線用となったが冷房車の投入により、130が平成10年に100が平成11年に廃車となった。残った120号がラッシュ時の増結や事故や検査時の予備車として営業運転を続けていた。
1000形120号
ゴールデンウイークの撮影会にて
仏生山工場にて
3000形300号(大正15年日本車両製)平成20年度近代化産業遺産認定
3000形は1000形と同じく大正15年に琴平線が滝宮まで部分開通した時に用意した電車で日本車輌東京支店製である。当時の日車製の標準車体がベースとなっている。1000形との違いは窓の部分が角張っていることである。3000形の車番は300台だが300号を除き下1桁は5となっている。
300・315・325・335・345の5両が用意された、1000形と同様新製(開業)時は茶色1色であったが、戦後にツートンとなった
昭和40年代には近代化工事を行い、一部は志度線にも転属した。昭和50年代に長尾線にも転属したことで琴平線からは撤退している。志度線分断化後は300・315・325が長尾線に335・345号は志度線用となった。平成10年年まで全車が現役で活躍したが、冷房車の投入で345号が平成10年に解体された。345号は5両の3000形の中で唯一車内がニス塗りの開業時の面影を残していた。残る4両は再建後も残ったが、長尾線の大形冷房車の投入により、325号が平成18年 10月に335号が12月に廃車となっている。冷房化100%達成に伴い315号も平成19年の8月の「さよなら運転」を最後に
運用を離脱した。廃車となった335号は高松市牟礼町の道の駅「源平の里むれ」に静態保存されている。
残籍が決まった300号は平成15年に窓の一部を新製時に近い丸窓に改めた上、車体色も開業当初の茶色一色に改められている。
3000形300号
ゴールデンウィーク撮影会にて
仏生山工場にて
5000形500号(昭和3年加藤車両製)平成20年度近代化産業遺産認定
5000形は琴平線が全線(瓦町⇔琴電琴平)開通した翌年の昭和3年に3両が大阪の加藤車両で製作・増備された。
500・510・520の3両で、当時は増結専用と制作費抑制の為
電動機を持たない付随制御車とした。戦前は上記の1000形・3000形と共に計13両で琴平線で活躍し終戦を迎えた。
戦後、他の私鉄より木造車等(大半が付随車)が投入された為、5000形は電動車化された。昭和40年代に近代化工事が施され、塗色もピンクのツートンとなった。車両の大型化で1 000形・3000形が志度線・長尾線に転属後も暫くは琴平線での増結用として使用されていたが、昭和60年頃から冷房車の投入で、520号が昭和60年に廃車解体となり残りの2両も長尾線に転属となった。分断化後は長尾線専用となったが平成10年に冷房車700形の投入で520号が廃車となってしまった。のこる500号も100%冷房化で廃車とささやかれていたが、ファンの要請や推奨産業遺産に指定されたこともあって動態保存が決定した。現在仏生山工場にて全般検査と修復作業が行われている。修復後は1000形・3000形同様に茶色のツートンになった。
5000形500号
GWの特別運行にて
滝宮駅にて
1000形120号 3000形300号 5000形500号は平成19年産業考古学会より「推薦産業遺産」に指定され、
平成21年2月、経済産業省から「近代化産業遺産群 続33」の認定をうけた。続33認定は3両の電車の他、香東川鉄橋や滝宮駅舎等9箇所が認定された。
20形23号(旧 近鉄5620形 大正14年川崎造船所製)
20形23号は昭和38年に志度線の大型化および昇圧(当時は600V)を見越して4両が近鉄南大阪線より譲受された。
当車は大正14年の新製時は前身である大阪鉄道のデロ20形で前面は川崎造船製らしい5枚窓となっていた。また車内もデロ(特別車の意味か?)らしく彫刻等を施した芸術的な装備となっている。琴電に移籍にあたっては前面を貫通形の3枚窓に改めた上、形式も20形(21・22・23・24)となった。
志度線に投入の予定であったが、出力の関係で琴平線の増結用に回され、志度線には木造車等を転用した。
本来の志度線には昭和50年代になってからで、その際車体の傷みが激しくなっていた為、4両ともリベットレスの溶接車体に更新されている。ただ、車内は雰囲気を残すためか、木目調で残している。尚22号は更新前は雨といに特徴があった。
分断化後は志度線用となり今橋車庫に配置され、主に朝のラッシュ時の増結用に使用されていた。ことでん再建後も4両とも現役であったが、平成18年100%冷房化に伴う長尾線より小型冷房車(600形・700形)の投入により、21・22・24が廃車解体となった。のこる23号も当初は廃車の予定であったが内装がニス塗りなど芸術的に残っていることもあって動態保存が決定した。動態保存にあたっては今橋車庫が満車になることや他の旧型車と揃える事から、平成19年の8月に仏生山車庫に転属となり、大型トレーラーにて移送された。転属後のイベント等では琴平線・長尾線での運行となる為、乗降口には転落防止のステップも取り付けられている。
20形23号
羽間駅にて
イベント時の特別運転にて
事業用車(貨車)
ことでんでは営業用車(上記の旧型車を含む)のほかに車籍のある事業用車が2両ある。いずれも無蓋貨車でデカ1は貨車を2両をつなぎ合わせた上、運転席および走行装置を取り付けた電動貨車である。工場内の入換が主で本線上では運用しないが、大雪があった時に除雪作業に供された事があった。
13000形1310(長尾線の冷房車の1301〜1304は1300形)は国鉄の無蓋貨車を標準軌に改めて台車などの大形部品を運ぶために用意したものである。通常は予備の台車を積んだまま北側留置線にいる。
その他車籍のない工事用車両が数両ある。
電動貨車デカ1形
昭和32年改造
トラを2両組合わせての改造
仏生山工場にて
無蓋貨車13000形1310号
昭和5年製
元 国鉄トラ3131
仏生山駅北側留置線にて