松田聖子こと蒲池法子は1962年3月にゴム製品の製造で有名な福岡県久留米市に生まれ、タレントデビューする為、1979年の2学期に堀越学園に転校するまでの17年間を久留米市で過ごしました。中でも中学時代(久留米市立荒木中学校)は自宅と校門がすぐそばにあり、通学時間0分といったところでした。
高校は「お嬢さん学校」で知られる久留米信愛女学院で、当校はカトリック系のミッションスクールで、久留米の本校をはじめ、熊本、大阪、和歌山にも系列校があります。校則も厳しく英語教育に力を入れているようです。
制服はカトリック系らしくボレロ風となっています。
彼女もこの制服に憧れて受験・入学したようです。
画像の制服(ボレロ・ジャケット)は
久留米校の同形品です。
松田聖子は1980年(昭和55年)4月に「裸足の季節」で歌手デビューし、セカンドシングル「青い珊瑚礁」でははやくも総合ベストテン1位(オリコン調べ)となり、それ以降にリリースしたシングル曲も結婚後の1988年(昭和63年)の「旅立ちはフリージア」までの24曲が連続 1位(同)に輝いています。又、歌ばかりでなく「ぶりっ子」という流行語や「聖子ちゃんカット」というヘアスタイルも登場したものであります。
画像の衣装は1984年(昭和59)に、夏のコンサートで
「時間の国のアリス」で使用着用したものです。題目にふさわしく、いまでいうメイド風の衣装です。エプロンとドレスは独立しており、エプロンを外してドレスのみでも披露しました。
1990年代になると、これまで所属していたサン・ミュージックを離れ、家族らが立ち上げた事務所「ファンティック」に移籍しました。
その頃から、得意な英語力を活用して欧米市場に進出するようになり、一時は1年の過半数をニューヨークで過ごした時もありました。
又、ファン層もこのころから大きく変化し、男性ファンが激減した一方、彼女の活躍ぶりを評価したOL層が中心となりました。又、活躍も従来のテレビ中心からコンサートやディナーショー等、ライブ系中心となりました。特にディナーショーは国内のアーティストとしては
最も高額のようです。
リリースしたヒット曲も「ぶりっ子」時代の季節などをテーマにしたものから、恋愛系統をテーマにしたものに変わっています。さらに大半の曲を自分で作曲・作詞するようになりました。
画像の衣装は1994年(平成6年)の夏のコンサート
「Glorious Revolution」の「大切なあなた」使用着用衣装です。ファーのブラとミニスカートが独立しており、セクシー感をいだいています。
おまけ(ゆかりの地)
幼少時代を過ごした久留米市荒木の実家のあった所
(平屋建てであったが現在はなくなっている)
久留米市立荒木中学校
自宅からは徒歩で0分だったとか
昭和60年頃から平成8年まで
過ごしていた都内某所の住所
現在は所属事務所となっている
平成8年から平成19年10月
まで過ごしていた住所
表札が「神田」「蒲池」の2つがあるのが見える
平成19年10月からの現住所
左の旧住所の近くに引越した
表札は「KANDA」「KAMACHI」
とローマ字表示となっている
彼女がプロデュースしている
自由が丘(目黒区)のブティック
「フローレス・セイコ」
タレントブランドの草分け的存在