松前町はんぎり競漕

愛媛県伊予郡松前町塩屋海岸にて
2010年8月7日 快晴  4枚
2006年8月5日 快晴  8枚
2005年8月6日 晴   8枚
2004年8月7日 快晴 32枚


昭和30年代頃までは、瀬戸の夕凪として知られている遠浅の
北黒田・新立海岸や塩屋・本村海岸で地引網が行われていました。
新立・本村地区と呼ばれている浜集落には、数軒の網主と多くの網子と呼ばれる漁師がいました。

満潮時になると水平線から網主が所有する機帆船が2艘現れて、
沖に残しておいた袋状の網に繋いだ綱を陸地の網子に渡します。
網子とその家族は干潮になるまで延々と綱を引っ張り続けて、
やがて魚が追い込まれた袋状の細かな網が陸地へ近づきます。

網子の中でも大き目の子供達がはんぎり(木のたらい)に乗って、
大人の胸の水深まで干上がった中州へ向かいます。
地引網で採れた魚を「はんぎり」の中へ入れ、押して陸地へ近づけます。

陸ではおたたさん(魚の行商人) が仕入れを待ち構えています。
新鮮な魚は、その場で酒の量り売り同様に、枡計りで売られます。
枡ですから塩水も多量に含んでいて、売り手と買い手の
微妙な駆け引きで魚の値段が決定していました。(海が荒れて漁が少ないときは、海水のみに近い)

夏の海水浴や秋の夕涼みでその時偶然居合わせて、網引きを手伝った見知らぬ大人や子供達にも、
アジやイワシとシロコ(生のチリメンジャコ)が分配されました。
残ったジャコ(イワシの稚魚)は天日で干され、チリメンジャコとして、
ゆであげただけのシロコとして売られます。

やがて高度成長期時代になって、海浜埋立補償金と引き換えに地引網も廃止され、
「はんぎり」も風呂の焚物になっていきました。

昭和48年頃から昭和56年になって、松前町の風物詩を復活させようという計画が持ち上がり、
松前漁港を兼ねている長尾谷川河口(夫婦橋外海)ではんぎり競漕を開催しました。

始めの数年間は、各漁師がそれまで大事に保管し、わずかに残っていた多様な「はんぎり」を用いて、
満潮時に松前内港を横断する形で実施しました。時間が経過するにつれて河口も兼ねている内港は、
潮流が早くなり対岸に辿り着けなくて、港の外へ流されるハプニングもあり松前夏の風物詩となりました。

時代と共に河川や海の汚染が目立ち始めたため、
義農公園プールや学校プールへ実施場所を移転しました。
「はんぎり」もプラスティック製に変わり、小・中学校生徒中心のイベントのはんぎり競漕となりました。

2002年からは塩屋海岸での『はんぎりトライアスロン競漕大会』となっています。

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