倭  人  国  相  対  図

赤字は倭人の住む女王国は陸行、至は水行、海は渡


京都

     帶方郡

(※ 魏人は京都から帯方郡まで陸路で移動した。)

(※ 魏人は何故、帯方郡から船出したのか?)

(※ 魏人は何故、陸続きの狗邪韓國から船出しなかったのか?)

(※ 当時の魏の国境は、帯方郡の少し南であり、それ以南は倭の領域であった。)

(※ 海岸沿いの倭の各韓国を、敬意をもって歴訪しながら循って南下した。)

(※ 当時の九州は熊襲支配、当時の本州はアイヌ支配、出雲・隠岐地方は倭支配)

(※ 天孫降臨説の倭と中華思想の魏は敵対関係)

(※ 当時のアイヌ民族は、集落を持たず、隷属しない。)

(※ 熊襲民族は、宗教的には邪馬台国に近いが、隷属しない。)

(※ インカ文明のように巫女政治の邪馬台国は、異邦人を受け入れる)

(※ 以上から魏人は、朝鮮半島を船で南下し、瀬戸内海を進む方法しかなかった。)

(※ 船のみでの往来であったため、邪馬台国は魏化しなかった。)

(※ 邪馬台国が突然滅んでしまったため、日本国内に資料が無い。)

(※ 倭大和朝廷は、再三都を移転し、魑魅魍魎(実は邪馬台国)の災禍を避けた。)

(※ 菅原道真は、邪馬台国を解明したが、大宰府へ幽閉され、真実は永遠の闇へ)

(※ 聖徳太子以降は、邪馬台国論議はタブーとされた。)

(※ 邪馬台国論議が再開されたのは、江戸時代になってから)

循海岸
水行
歴韓國
乍南



  韓国


狗邪韓國
七千
餘里
乍東
到其北岸
始度
一海
千餘里
8000
餘里
對馬國
所居絶島
方可
四百餘里
瀚海
又南渡
一海
千餘里
9000
餘里
一大國
方可
三百里
又渡
一海
千餘里
10000
餘里
末盧國
濱山海居
東南
陸行
五百里
10500
餘里
伊都國
世有王
皆統屬
女王國
郡使往來
常所駐
南至
水行
二十日
南至
水行
十日
東南
百里
10600
餘里
奴國
(志賀)
東行
百里
不彌國
(大島)
(※ 邪馬台国の入り山口・上関
10800
其南
次有
烏奴國
(彦島)
次有
支惟國
(姫島)
11000
次有
巴利國
(祝はふり)
次有
躬臣國
(長島)
其餘旁
遠絶
不可得詳
←山陽・山陰地方
11200
次有
邪馬國
(上関)
次有
鬼奴國
(笠佐)
次有
爲吾國
(岩国)
11400
狗奴國
男子爲王
不屬女王
次有
鬼國
(厳島)
次有
華奴
蘇奴國
(能美)
次有
呼邑國
(家室)
次有
蘇奴國
(怒和)
次有
對蘇國
(津和地)
11600
↑九州
京都郡

次有
姐奴國
(中島)
次有
不呼國
(二神)
次有
好古都國
(睦月)
次有
彌奴國
(野忽那)
次有
都支國
(御居島)
11800
次有
伊邪國
(経ヶ森)
次有
已百支國
(大峯台)
次有
斯馬國
(久万ノ台)


↓大和朝廷
12000
陸行一月 邪馬壹國
女王之所都

(松前二名)
東渡海千餘里 復有

皆倭種
在其南去女王
四千餘里
其東南
船行
一年可至
其東南
船行
一年可至
投馬國 又有
侏儒國
又有
裸國
復在
黒齒國
↑宮崎・
妻地方
↑高知・
 幡多地方
↑奈良・
  熊野
↑三重・
  伊勢

ちゃんと戻るよ!    ホームへ戻ります


Copyright © 2000 mikichan All rights reserved.