召集令状1945年以前の兵役制度特別攻撃隊日記
昭和20年3月1日の臨時召集令状(赤紙)表 188kb
裏  238kb  (表も裏もクリックすれば拡大します)

富国徴兵保険相互会社(富国生命の前身)
徴兵保険証券封筒
85KB
富国徴兵保険相互会社定款
390KB
上記は2004・8・13 行路死人の遺品整理中に発見し、記載

1945年以前の兵役制度
1 兵役制度の概要
 ア 徴兵
  @兵役義務  17歳〜44歳(兵役法)
  A徴兵検査  20歳で受けて甲・乙・丙種に選別され、さらに数級に区分される。
           徴兵対象外として、丁(銃の引き鉄を引くことができない身体障害者)
           戊(戦争忌避者つまり軍規を乱す者)の2種があった。
           上記赤紙の例は第三乙種とある。
  B甲種合格者は、後日入営通知があり、所定の教育訓練を2年間受けた後、
    除隊予備役として登録される。
  C戦線拡大に伴い、丙種合格者及び45歳まで召集令状が発行された。
  Dさらに徴兵検査前の17歳まで召集令状が発行された。
  E基本的に1戸1人
  F徴兵候補管理は戸籍簿で行われ、記号により区別され、
             本籍地以外に住む人は、寄留簿にも併記された。
 イ 志願入隊(職業軍人)
  陸・海軍少年学校から兵学校、工廠等の学校経由と大学卒業者等の士官

2 学徒動員
  召集されていない男子学生・16歳以下の男子学生及び女子全学生は、
  軍需工場及び関連工場へ動員された。(当時の中学校は5年制)
  (昭和18年6月25日法律)
  (神戸製鋼)松山商業300人宇和島商業100人、(日本製鋼)八幡浜商業100人、
  (愛知県の大同製鋼)新居浜工業専門学校、 (松前町の東レ)松山工業高校
  中学3年生以上は新居浜市の住友化学・住友機械及び今治市の東洋紡航空工場、
  女子学徒隊は倉敷紡績
  松山中学・宇和島中学及び北予中学の3年生は、
  翌年3月新居浜市内の工場で繰り上げ卒業を行った。

3 愛媛県伊予郡松前町北伊予地区の出征兵士の帰還状況
  出征 715名
  戦死 229名
  生還 486名(北伊予の伝承Xに全員の名簿がある)
      ……生存者の名簿の公表は珍しい。


特  別  攻  撃  隊  日  記
神風特別攻撃隊流星隊長 林 憲正 海軍少佐(当時:中尉) の手記
神風特攻第七御楯隊第二次流星隊指揮官(流星12機・木更津発・宮城県沖)

   略歴  大正8年11月18日愛媛県伊予郡北伊予村徳丸(現在は松前町)生まれ、
        昭和18年慶応大学経済学部卒、
        昭和18年三重海軍航空隊第13期甲種海軍飛行予科練習生に入隊、
        昭和20年8月9日戦死。27歳。
        (あと6日で終戦。)
私は帝国海軍に対して反感こそ持て決して好意は持たない。
私は今から私自身のこころにたいしていう。
私は私のプライドのためならば死に得るけれども
帝国海軍のためには絶対に死に得ないと
私は郷土を守るために死ぬことができるであろう。
私にとって郷土は、愛すべき土地、愛すべき人であるからである
私は故郷を後にして、故郷を今や大きく眺めることができる
私は日本を近い将来大きく眺める立場となるであろう
私は日本を離れるのであるから、
その時こそ私は日本を本当の祖国として郷土として意識し、
その清らかさ気高さ尊さ美しさを護るために死ぬることができるであろう。

                       日記

   昭和20年7月31日
      今日こそ出撃の日である。我が流星隊八機の特攻攻撃の日である。
      朝起きると、深い深い霧、山の木々の葉や梢から、
      その霧が滴となって、ポタリポタリ滴り落ちていた。
      飛行場へ来ると、
      私達の飛行機に搭載すべき品々がきれいに整頓されて置いてある。
      昨夜、身につけるものもすっかり更えた。
      母上の送って下さった千人針も腹につけた。
      弓立の小母様の下さった新しい純白のマフラーも用意した。
      私の身の回りにある最上等のものを身につけたわけだ。
      出撃命令を今か、今かと待ち乍ら、
      ただ独り防空壕に入って、これを記している。

      父上、母上をはじめ兄弟姉妹、その他親戚知人の皆様、さようなら。
      御元気でやって下さい。
      私は今度は「アンデルセン」のおとぎの国へ行って、
      そこの王子様になります。
      そして、小鳥や花や木々と語ります。

      大日本帝国よ、永遠に栄えんことを。

   昭和20年8月3日
      秋晴れの夏が続いて、私はまだ生きている。
      あの日、敵機動部隊は姿を消してしまったのである。
      私たちの特攻待機も解けた。(後略。)

          (昭和20年8月6日広島原爆、9日長崎原爆)

   昭和20年8月9日
      敵機動部隊が再び本土に近接してきた。
      1時間半後に、私は特攻隊とし、ここを出撃する。
      秋の立った空はあくまで蒼く深い。
      八月九日!この日、私は新鋭機流星を駆って、
      米空母に、体当たりするのである。

      御両親をはじめ皆様さようなら。

      戦友諸君、有難う。
          (昭和20年8月9日 御前会議開催)
          (同日深夜 ポツダム宣言受諾決定)

          (昭和20年8月14日 攻撃中止)
          (昭和20年8月15日 ポツダム宣言受諾放送 終戦)

資料提供「北伊予の伝承X」(平成12年3月発行)松前町東公民館

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