非日常の国イスラエルの日常生活雑感日記  (2009年)

                                               © Mika Levy-Yamamori/山森みか

   ホームへ  日記のバックナンバーへ


11月15日(日)

 昨日の疲れが取れず、一日だらだらする。今日の読書はマンガで、「天才柳沢教授の生活」。とりあえず「BSマンガ夜話」で取り上げられ、入手しやすいものは読んでみよう、という方針を、夏に自分で立てたのである。それで、「百鬼夜行抄」とか、「妖魅変成夜話」とかいろいろ買ったのだけれど、読むものはどんどん増えてくるし、若いときに比べて読むスピードは落ちてくるし、どうしよう。


11月14日(土)

 朝6時起きで、巻き寿司用の厚焼き玉子をを玉子10個分で作る。それから家を片付ける作業。 今日は夫の兄弟二人の一家と、従姉たち、夫の母など、もう数えるのも面倒になるほどの客が来るのである。多分30人ぐらい? でもそれぞれ持ち寄りリストを渡してあるので、うちで準備するのは巻き寿司とデザートのプディングのみ。それでも庭にある椅子を拭いたり、テーブルを移動させたり、飲み物コーナーをセッティングしたり、とけっこうたいへん。大きな電気湯沸し+保温器は、銀行支店長氏から借りた。学会なんかのとき、よく廊下に置いてあるようなもので、スイッチが、入、切、安息日の3つ表示の位置に動かせるようになっている。安息日というのがつまり保温。 お湯を沸かすだけで30分以上はかかるんじゃないか。12時ごろから、親戚一同が次々にやってくる。夫の従姉の家なんか、結婚した娘さんと息子さんがそれぞれ配偶者を連れてやってきて、そのいずれもが妊娠中という賑やかさ。私には、こういう一族の繁栄、みたいな光景を見て目を細める、という感覚はまったくないと思うのだけれど、人間変わるときは変わるものだから、結論は保留しておこうと思う。みんなが持ってきた、サラダ類、シュニッツェル、豆と牛肉のスープ、キッシュ類、松の実入りライス、レバーとマッシュルーム入りライス、鳥のモモ肉、巻き寿司などを次々にテーブルに並べる。みんな、どどどと食べている。週末に一週間分のご馳走を食べる、というイスラエル人が取っているこのシステムは、今ひとつ健康的じゃないと思うのだけれど、まあ仕方がない。どんどんエスプレッソコーヒーとフィルターコーヒーを作って、サーブする。皿とフォーク類は使い捨てで間に合わせたが、コーヒーカップは陶器のものを使うから、後がたいへん。イスラエルで売っているカップは、基本的に、持っているだけで疲れるようなやたらに大きなマグカップか、エスプレッソ用の小さいものしかないから、うちで通常使っている手ごろな大きさのカップはすべて、私が日本に行ったときに、少しずつ買ってきた有田焼風のもの。一個400円ぐらいの安い物なのだけれど、どうしてこの大きさのカップがここには売っていないんだろう、と常々疑問に思っている。3時ごろお開きになる。週末は息子がいるので、後片付けを頼んで、昼寝に突入。夜ふらふらと起き出し、残った料理を食べる。


11月13日(金)

 一週間の疲れがたまっていて、といって別に大した仕事をしているわけではないのだが、金曜日になるとぼおっとしてしまう。明日は家に多くの人を招いているので、休むとしたら今日しかない。ぼおっとしながら、だんじりエディター江弘毅の著作を読む。この人は、私の中学、高校の2年先輩らしい。夏に会った従姉は、小学校の1年先輩だと言っていた。要は同世代である。この人の言う「街的」という概念は、何となく分かるのだけれど、岸和田のその街的な良さというのを、私はやはり理解できていなかったのだと、それは結局、同じ岸和田と言っても、旧市街の商店街におけるような、よくも悪くも共同体的なつながりのない地域においては、根付いていないものだったからである。でもそうは言っても、都会発信の小洒落たモノ情報に対する、自分の、それがどうした、どうでもいーやんか感というのは、やはりあの地域土着のものであったのだなあ、と納得。それにしても今年の9月に、もう本当に何十年ぶりかに岸和田のだんじり祭りを、旧市街出身の勝手知ったる従姉と一緒に見にいったのだけれど、引き手のヴィジュアル面がたいへん進化していてびっくり。私が子どものときなんか、あんなにきれいな鉢巻を揃いで締めてなんかいなかったし、子どもたちは上は確かに町の法被だったけれど、下はあんなきれいな黒のパッチじゃなくて、学校の白い綿トレパンで引いていた。でも今は若い女の人だけでなく女の子たちもみんな髪をアップのシニョンや編み込みで決めている。まあ今1960年代の話をしてもしょうがないけれど。でも泉州独特の顔立ち、表情というのは確実にあって、ああ、こういうタイプの顔は東京では見ないなあ、とつくづく思ったことでありました。東京だと、ある程度以上の偏差値の男の子は、ああいう地域共同体の、一見泥臭く、それでいて実は高度なセンスを要求されるような付き合いには、まずタッチしないのだけれど、岸和田旧市街だと、地域共同体の絆は偏差値による輪切りより強固なのである。こう言っては語弊が大ありかもしれないけれど、岸和田のある種の激しさに比べたら(別に暴力的と言っているわけではない)、イスラエルの極端さというのは、かなり相対化されるものがあります。


11月12日(木)

 朝から大学へ。 昨日、大学の予算で注文したプリンタの注文書が、商品が存在しないと店から戻されてきたというメールが来ていたので、それを持って学部のコンピュータ責任者のところに行く。しばらく注文書をながめた後、その店からオファー商品として提供された日付が7月になっていたのが原因だろう、とその人が言う。 何でも、日付が2週間以内のものでないと受け付けてもらえないのだそうだ。で、その店の販売部にその人が電話をかけ、在庫があることを確認し、日付を変える許可をもらって、日付だけ変えた注文書をプリントアウトしてもらい、それを持ってまた学部の秘書のところに行く。在庫がないとか、値段が思い切り違っているというならともかく、ただ日付だけ変えればいいだけだったとは。。。 それも銀行の小切手とかなら日付が大事というのは分かるけれど、モノは大学指定業者からの商品のオファーである。役所仕事というのは、どこもめんどくさいもの だと実感。10時から大学院の授業。何だか聴講の学生が増えていて、昼からの古文のクラスもそうなのだけれど、ある一定数の学生が登録してクラスを維持してくれて、その恩恵をありがたく受ける人々がいる、という状況。大学というのは元来そういう場所であり、私もそうやって勉強してきたので、けっこうなことである(大学当局はそうは思っていないだろうが)。予備校じゃあるまいし、セコく名簿と照合しならが授業をやっていたら、学問は進まないと思いますです。


11月11日(水)

 早朝大学へ。学生が相談があるとアポを取ってきたので、9時には教員室にいなければならず、コーヒーとミニクロワッサンをテイクアウトにして教員室に行く。9時から30分ぐらい学生の相談を聞く。 そういうことを私に言われましても、という気がひしひしとするが、他のイスラエル人講師たちが私のところに行けと言ったというのだから、まあしょうがない。そういう巡り合わせなのだろう。14時まで授業。たいへんお腹がすいたので、同僚の先生たち二人と、ちょっと遠くのカフェテリアまで行って、メインが肉の定食を食べる。 学食の御飯だから、ものすごくおいしいというわけではないけれど、法学部下カフェテリアからから多くのメニューが撤退した後では、このカフェテリアがいちばんバラエティに富んだ場所となった。おなかがいっぱいになったので、恒例の水曜日の出店を見て歩くが、まあ同じような品揃えなので、みんなもう買うべきものは買ってしまいました、という雰囲気。今晩は、娘も夫も帰りが遅いというので、同僚の先生と外にお茶しに出る。テルアビブの港を久しぶりに歩いて、たそがれの雰囲気を楽しむ。今ぐらいが、暑くもなく、それほど寒くもなく、いい時期なのである。アロマカフェでコーヒーとケーキでくつろぎ、夜帰宅してみたら、夫が遅くなるのは今日じゃなくて明日の間違いだった、と言う。何なんだ。


11月10日(火)

 オフの日だとほっとするが、今日は原稿書き。書いているうちに、もともと狭い世間をますます狭くしているような方向に行ってしまう。皇族の人が母校の大学にAO入試で合格したというニュースが、mixiで話題になっているのを読み、フェアネスとは何かについて、ちょっとだけ考える。試験の点数のみの世界がフェアであるかといえば、試験の点数を取るための教育投資ができる環境という要因があるので、今では100%フェアとは言えなくなっている。実際イスラエルの大学入試で必要とされるサイコメトリのテストは、うちの母校で言えば一般能力試験みたいなもの、要は知能テストの一種であり、導入当初はいわゆる地頭というか、一夜漬けでは獲得できない能力を見るためのものだったのに、今ではその試験の傾向と対策のためのコースがあちこちに設けられ、うちの息子も除隊一時金をその授業料に充てている。まあ軍に行った人間は除隊一時金をそれに充てられるという点ではフェアかもしれないが、親の収入と子どもの成績が比例しているのは事実。で、うちの夫なんかは、イスラエルはある意味コネ社会だけれど、お金がない人間でも自分の人間関係構築力でコネは作れるから、成績オンリーで動くよりかは、コネがきく社会のほうがまだフェアネスという点ではマシじゃないか、とかなりの暴論を言う。そうか? 思考実験としては考えてみてもいいかもしれないが、 コネと賄賂は紙一重というか、ある種の人々にとっては同一領域にあると考えられるので、それもどうかと思う。でもまあとにかく、うちの母校の大学の場合は、妙に反骨精神がある、というか、予測がつかない発想をする人がときどきいるので(学費が高くなってからそうでもなくなったのか?  教員も穏やかになった?)、皇族とか大金持ちとかの場合は、かえってタイヘンかも。


11月9日(月)

 朝から大学へ。 中国人の同僚の先生に、今月分の水道料金の超過分罰金はどうだったか、と聞いてみる。そしたら特に感じなかった、という返事。うちは200シェケルぐらい余分に払ったのだけれど、と言ったら、新聞にそのシステムは廃止になると書いてあったとの返事。確かに政府の無策のおかげで、起きると分かりきっていた水不足が必然的に生じたのだから、責任を取るべきは政府であって、それをいきなり国民におっかぶせるのはいかがなものかと思う。でも一度そうやって水道料金を大幅に上げると、ガソリンがそうだったのど同様に、これはもうそういう値段なんだと国民が思ってしまうから、政府としてはやりやすい。今後状況が改善した場合、料金を少しでも下げれば、感謝とまではいかなくても、怒りはさほど噴出しない。そういう手口だと分かっていても、受け入れるしかない、今の代わりの政府はないのだから、という状況。


11月8日(日)

 夫はガリラヤに用があるので娘を乗せてハイファへ、息子はテクニオンで勉強している友人のクルマで、これまたハイファに早朝出かける。私も昼前に、ハイファに行くべく列車に乗る。娘の冬の衣料購入計画に付き合うため、1時にハイファのグランドキャニオン(という名のショッピングモール)で待ち合わせしているのである。お買物リストは、KinkiKidsの番組で森三中がはいていたようなタイツ(その形容でどんなタイツなのか分かる人間が世の中にどれほどいるのだろう)、ブーツ、そして何か上にはおるもの。先週の話し合いでは、夫は安物衣料を売っているハダル(ハイファ下町地区)に行けばいい、といつもの如く自分を基準にして主張していたが、珍しく息子が、女の子はオレたちみたいな、着られればいい、みたいな服じゃダメなんだよ、とワケの分かったことを言ったのでびっくりした。娘が行っているのは芸術高校だから、高価なブランド物が評価されるわけではなく、アレンジ力が評価されるのだけれど、それでも最低基準の品質というのが求められているのは、私にだって分かる。 ハイファのカルメルビーチ駅からバスに乗ってグランドキャニオンに着いて、まず時計屋をさがし、自分の時計の電池交換と、夏に息子に買った時計のバンドの長さ調節を頼む。だいたいどのショッピングモールにも、一軒はそういう技術者がいる店があるのである。それから娘が来たので、まずは靴屋へ。今年のブーツの相場は150−200シェケルであるらしい。もちろん上を見たらキリがないが。日本で流行っているという(雑誌で見ただけだが)ニーハイとかいうのはなかった。とにかく、歩きやすいのを基準に選べと言って、さっさと選ぶ。どうせ買うのだから、そこそこ気に入ったデザインであれば、あれこれ迷ってもしょうがない、というのが私のポリシー。それから、タイツ売り場をさがして、マッシュビルというデパートのような一画へ向かう。絶対あっちの方だよ、とカンを頼りに行ったら、下着売り場にはなかったけれどそこから階段を上がったところの靴売り場の傍にタイツ、靴下コーナーがあった。アーガイル柄のものなどを4足購入。さらに、今イスラエルで人気のZARAに行き、ニットのVネックのぶかぶかカーディガンを購入。この手が袖に隠れるような紺色のぶかっとしたニットに、下はかちっとした感じのアーガイル柄タイツを合わせたら絶対にカワイイよ、と、自分までいつのまにかカワイイかカワイクないかの基準で思考していることに気づき、愕然とする。とにかく今日のお買物はこれだけにして(バーゲンになっていないので、必要なもの以外は買わない)、フードコーナーでピザを食べ、歩いて夫の母宅へ向かう。徒歩10−15分ぐらいのところに住んでいるのである。そこでコーヒーを飲んで休んでから、ガリラヤでの仕事を済ませた夫と合流し、帰宅。他人の(といっても娘だが)買物につきあっただけなのに、どっと疲れてそのまま寝る。


11月7日(土)

 昨日の疲れがまだ残っている。朝から、学生に頼まれた推薦状書き(やたら多い)や、教材作りなどの地味仕事をする。安息日に仕事をしない人というのは、よほど効率的な時間の使い方をしているのだろうと思う。 夜は、ジフロン・ヤコブ在住の映画の専門家の人が、キブツ・ミズラでコンサートがあるから一緒に行こうと言ってきたので、彼の招待枠で夫と一緒に出かける。コンサートって何の?と道々聞くと、ナザレで教えているアラブ人の音楽家をサポートしようという趣旨の、多文化何とかを謳うNPOだかNGOだかがハイファの新交響楽団と共に行うものらしい。確かに行ってみると観客は8割方が地元(ナザレ)のアラブ人で、ギリシャ正教の祭服を着た人や、修道女たちも最前列に座っている。ちらほらいるイスラエル人の知人は、みなアラブ人との共存活動に携わっており、ああ、そういう聴衆層なのね、と納得。プログラムもアラビア語とヘブライ語で書かれている。で、最初は、そのアラブ人についているという生徒たちが、彼の指揮の下、バイオリンとチェロでビバルディの協奏曲を演奏。主たる聴衆は若き演奏者たちのご家族なので、楽章の合間にも大拍手なのは、まあご愛嬌。次はその人がピアノを弾いて、チャイコフスキーのピアノ協奏曲。これはハイファの新交響楽団との呼吸が合ってなくて、ちょっと座っているのがツラかった。最後はまたその人が指揮台に上がって、ブラームスのシンフォニー。ハイファ新交響楽団がこの曲では持ち直し、安心して聞けたので、ほっとする。しかし聴衆はざっと見て200人、演奏者は50人以上いたから、ゼイタクなものである。ナザレにはこういうホールはないから、キブツ・ミズラが会場になったのだそうだ。始まるのが8時半と遅かったので(ティンパニーの人はユダヤ教正統派の帽子だったし、安息日が明けるまで仕事ができない演奏者がいたからだろう)、帰宅したら12時を回っていた。


11月6日(金)

 9時半に、10時に、パルデス・ハナに住む農業コンサルタントの奥さんのほうと、軍に入ったばかりの息子さんが、麺棒持参で来る。今日はうちで、餃子の作り方の講習会をやることになっていたため。なぜ唐突に餃子の講習会なのかよく分からないが、先週夫が発案して実施が決まった。彼女はお父さんが2週間前に急死したので、気分を変えるためかもしれない。それにしても、息子は早朝から友人と荷物運びのバイトに行っているが、昼には餃子を食べに戻って来ると言うし、娘も昼には学校から帰るし、その人たちの自宅にいくつかは持って帰るだろうし、いったいどれぐらいの餃子を準備すべきなのか。とりあえず小麦粉1kgに熱湯と油を混ぜて捏ねる。皮が1kgあったら何とかなるだろう。 それから3人でどんどんキャベツ小2個を切るが、彼らは日本の包丁に慣れていないから切りにくいのだ、ということに気づく。いつもはモロヘイヤを切るような両側にゆらして使う包丁で、こういうふうに切っているらしい。とにかく何とか切り終え、水を切って挽肉と合わせ、麺棒で皮を一枚ずつ作りながら餃子に成型していく。そしたらその奥さんが、皮は一枚に大きく伸ばしてから、コップか何かで型抜きして作っていくほうが速いんじゃないか、と提案。そういう発想はなかったけれど、まあ何事も試してみたらいいんじゃないんでしょうか。それで、従来通りの方法と、伸ばして型抜きの両方でやってみたけれど、どちらかといえば一枚ずつのほうが速い。伝統的な方法にはそれなりの合理性があるのだ、と納得する。どんどん作って、結局150個ほどの餃子ができた。息子もバイトから帰ってきて、ホットプレートで蒸し焼きにしてみんなで食べる。食べても食べても無くならない、というのはこういうことを言うのね、と思う。もう食べられない、というところまで食べたけれど、まだたくさん残っていたので、その半分を持って帰ってもらう。そのまま昼寝に突入。夜も、ぼうっとして過ごす。


11月5日(木)

 朝から大学へ。今日も暑くて夏みたいだ。10時からの院生クラスは、とにかく最後に日本語できちんとしたものが書けるように、できることはすべてやってみよう、ということで、とりあえず近いうちに、学生がかつて書いたという問題提起の段落を、ヘブライ語だけでなく英語にも訳してもらって(これはオーストラリア人の学生と私のため)、それを改めて日本語に訳してみたものを、皆で批評することにする。うんと論理的な文章を書くのであれば、別にわざわざ日本語で書かなくても、という気がしないでもないが、でもそういう方向に非日本語話者が日本語を用いて書いてみるのも、おもしろいような気もする。何にせよ、やってみなければ分からないのだから、とりあえずやるだけやってみよう、という方針だけは堅持。12時からは古文で、今日で動詞が終わる。やれやれ。来週は形容詞、形容動詞から助詞に入れる。自分の受験のときですら、これほど予備校の教科書を真剣には読まなかったよ。暑い中、夕方帰宅。洗濯物がカラカラに乾いていた。


11月4日(水)

 朝から大学へ。ようやく雨が上がり、晴天になった。と思ったら、たいへん暑い。水曜日なので、構内にお店が出ている。売っているのは、服、アクセサリー、タオル、靴下、下着など。一巡するが、もう夏物はほぼ売っていない。それにしても、場所代だって払っているだろうに、こんなに毎週店を出しに来る人がいるということは、学生(と教職員)には相当の購買力があるということなのだろう。10時から14時まで授業。その後、同僚の先生2人とカフェテリアへ。今日はピザではなく、生地の中にツナと玉ねぎを入れて焼いたものを頼んでみる。こちらは飲み物(レモネード)付きで22シェケル。夕方帰宅。


11月3日(火)

 朝、イスラエルのテレビCMの仕事をしている人が、 日本のテレビCMについて話を聞きたいと言って、来る。夫の仕事上の知人らしい。外見が、ブロンドのウディ・アレン風で、おお、こういうタイプの人が映像の仕事をするのか、と妙に納得してしまう。来る前に、いくつかYouTubeのリンクを送ってきていたのだが、いかにも日本のヘンなものを集めました、というテイストで海外に流通しているものの集積で、マクドナルドやコカコーラの一連のCMはともかく、つとに悪名高い日本の、悪趣味な体を張ったゲームのリンク(深夜番組風のものもたくさんある)が並んでおり、うーん、私は何を言えばいいのでしょう、という感じだった。その中に、ひょうきん族なんだろうか、さんまの人間パックマンがあったのは、たいへん懐かしかったが、これって20年以上前なんじゃないか。で、話してみると、むちゃくちゃ知的な人で、哲学用語を駆使しながら、日本のCMがいかに西洋人にとって理解不能という意味で画期的か、それをいかに理解したいと思っているか、を熱く語られ、圧倒される。それ、私に言われても困るんだけど、と思いながら、日本は西洋的な近代が成立していないところにポストモダンになってしまったから、様々なジャンルで自由というか、規範のない表現活動が叢生し、今はそれがマンガやアニメ、同人誌などで二次創作に拡大して、作者と読み手の境界も曖昧になってきているのだ、みたいなことを言う。そしたら、日本は我々の先を走っているのだね、と言うから、まあ先を走っているというか、まったく別の路線を、どこに行くのかも分からないままにただ走っているから比較のしようがないという気もするけれど…私は今便宜的に、ヘブライ語で、とりあえず同じ土俵に立つために、複製技術とか、ポストモダンとか、性的タブーとかいう言葉を使って話しているけれど、日本語の文脈でそういうことを論じると、多分また別のニュアンスとか、意味合いが出てくるのだと思う、と歯切れ悪く言う。すると、僕は絶対に日本語を勉強して、それが分かるようになりたいんだ、もうそう決めたんだ、とのことである。あのう、それで、その日本のCMの背後にある文化コードみたいなのを理解したいという熱意は分かったのですが、それを理解してどうなさるおつもりでしょう、と尋ねる。そしたら、ぜひそれをイスラエルのCMに取り入れたい、ということで、まあよく分からないけれど、できるかぎりお手伝いいたしましょう、日本は今テレビ局はどこも広告収益が激減していてタイヘンみたいだけれど、と申し上げる。雨が上がったので、すかさず洗濯をするが、夕方また降ってくる。


11月2日(月)

 再び雨模様の中、朝から大学へ。大学でメールをチェックすると、雨の被害でクラスに来られない、というメールが学生から入っている。毎年毎年、雨が降ると下水から水が溢れたりして道路が冠水し、バスが遅れたり運休になったりする。また今回の豪雨では、雨漏りや浸水もあちこちで起きたらしい。それでも10時からの3年生クラスは、数分遅れで、8割がたの学生が揃った。 激しい雷雨。14時にクラスが終わってから、テルアビブの町の真ん中に住む旧知の知人宅に行く約束をしていたので、バスに乗って出かける。雨が小止みになっていてよかった。ディーゼンゴフセンターの前でバスを降り、10分ほど歩いて着いたら、3時になっていた。土鍋をそのままオーブンに入れて調理した鳥と野菜と豆の煮込みなどをいただく。彼女は日本に長く住んでいたイスラエル人なのだけれど、私には土鍋に蓋をしたままオーブンに入れるという発想はなかったので、そういうのアリなんだ〜と思う。180−200度で加熱するそうだ。ネットで今の日本のドラマを見る方法などを紹介し、今期のドラマはJin‐仁がおもしろいと思う、などと話す。6時前に辞去しようとすると、またもや激しい雨。ビニヤミナ駅に着いたときは小降りだったので、そのまま歩き始めたら途中で土砂降りになって、すっかり濡れてしまった。


11月1日(日)

 ようやく少し晴れ間が見えたので、その隙に洗濯をする。うちは乾燥機がないので、雨が3日も続くと、ちょっとお手上げ。室内干しだけでは限界があるし。夏の間は、夕方取り込めなくて一晩中外に干しっぱなしにしておいても、どうせ雨なんか降らないのだからよかったけれど、 雨季になるとそうもいかない。雨はいったん止んでいるのだが電圧不安定で、夜いきなり停電し、蝋燭をつける騒ぎ。


ホームへ  日記のバックナンバーへ

 

 

アクセス解析 & SEM/SEO講座 by CUBIT

 

 

 

 

 1