
非日常の国イスラエルの日常生活 雑感日記 (2005年)
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6月30日(木)
昨夕の撤退反対派による道路封鎖は、さほど成功しなかったもよう。警察が放水したりして封鎖をやめさせ、また百数十名の逮捕者が出たらしい。一方ガザのグーシュ・カティーフ の、撤退反対派の右派の少年たちとパレスチナ人のあいだの投石で、16歳のパレスチナ人が危篤状態で病院に搬送されたときの様子をネットのマバトニュースで見る。事態を沈静化させようとするイスラエル軍と警察にも負傷者が出ており、倒れているパレスチナ人を救出しようとした報道陣やイスラエル兵士が右派にさえぎられ、右派が「殺せ、殺せ」と叫んでいる。 パレスチナ人との投石に発展する前に右派活動家を撤去できなかった軍の不手際に対する批判が出ているが、いやイスラエル国防軍というのはたいへんですね。パレスチナ人を殺すと批判され、右派ユダヤ人の子どもに暴力を振るうと非難され、パレスチナ人を救出しようとしたら右派には投石されてメディアには手際が悪いと言われるし。同情してしまう。昨夕ラジオに出たグーシュ・カティーフのラビは、イスラエル警察や軍はユダヤ人の子どもを殴っている、ケシカランという見解を繰り返す。キャスターが「法を犯して暴力行為をする者は、ユダヤ人であれ子どもであれ拘束されなければならない」と言っても、動じない。子どもに死傷者が出たほうが都合がよいという、まるでアラファトがとったような戦術である。今朝はラジオにいろいろな人が出てきて、この右派の行動を批判。以前ユダヤ人にリンチされそうになったアラブ人テロリストの上に覆いかぶさって身をもって彼を庇ったという8人の子持ちの超正統派女性が出てきて「それが私のユダヤ教だ」と言ったり、モト労働党首のミツナが「彼ら(暴力的右派)には神がいない」と言ったり、もうぐちゃぐちゃである。軍は、今日からガザを居住者以外立ち入り禁止地区として封鎖。 右派活動家は入れない。撤退延期しろという案が出ているそうだが、こんなぐちゃぐちゃは早く終わるに越したことはないような気がする。いったん区切りをつけないと。とか言って肝心の撤退の時期には私は日本にいるのですが。
娘は今日で学校が終わり。通知表を持って帰る。日本で言えばオール5という感じ。まったく実情を反映していない。これでオール5なんだったら、私なんか何だったんだ、という印象である。夫も同感。先生たちは、ただもうウルサそうな親を黙らせるためだけに、こういう通知表を出しているんじゃないのか。「夏休みだ〜」と踊っている娘に、この通知表を信じていたらとんでもないことになるからね、と一応は言ってみるが彼女の理解を超えた発言であることは火を見るよりも明らか。イスラエルの方々は何かといえば日本は競争社会だから、とおっしゃるが、私から見ればイスラエルにおいて、生きていくのに最小限のものを手に入れるために投入せざるを得ないエネルギーというのは日本の比ではない。競争意識が遥かに剥き出しにされている社会でもある。 ここでちゃんとやっていこうと思ったら、ちょっとやそっとのデキのよさじゃダメなのである。一方息子と息子の友人は、ロボットの点についての苦情レターを先生に書いている。1年間ずっとグループで仕事をしてきて、プレゼンテーションもグループでやって、最後のレポートも共同執筆した。先生はその間グループのメンバー間でどんな仕事の分担をしていたかも把握していないのに、いざ点が出されてみると評価が分かれた。100点、95点(うちの息子)、そして90点の子がいる。90点の子(ドイツで育った子)は!?である。苦情レターは、コピーが校長、学年主任などにも送られる。こういうことになると黙っていられない夫が、先生を最後まで追い詰めるな、自分たちがどれほどロボット学が好きかを強調しろ、などと傍から言っていたが、最後に息子たちが書いた手紙を読んでみて「なんだ、このナイーヴな手紙は、何が言いたいのか明確じゃない」とか言って添削して書き直す。ナイーヴなイスラエル人なんて、それだけで希少価値である。夫は、必要があったらいつでも先生に交渉に行くから、と乗り気だが、来なくていい、いい、と固辞する息子たち。私はいつもそういう手紙をもらう側なのですが。いやもう先生というのは、よくない点を出したら苦情が来て、よすぎる点を出したら馬鹿にされる。結局自分の子どもを評価するのは親なんでしょうかね。
6月30日。ラジオを聞いていたら、テレビ視聴料の支払いが今日までで、今日を過ぎると罰金がかかると言うので、あわてて電話で払い込む。イスラエル国営放送の視聴料は世帯に必ずかかってくる税金みたいなもので、テレビ受像機がないとか何とかいう理屈は通用しない。不払いだと罰金付きで、最後は差し押さえまでいけるような性格のものである。最初は憤慨していたけれど、日本のようなシステムを取っていたら払う人がだれもいなくなるだろうことがだんだん実感されてきた。私、マバトニュースをネットで見たりもしているし、少なくともニュースはNHKのものよりも遥かにしっかりしているので、まあ払ってもいいです。
6月29日(水)
朝ラジオで、今日右派が撤退反対運動としてイスラエルの多くの道路封鎖を計画しているというニュースを聞く。テルアビブ―エルサレムを結ぶ幹線道路上に多くの釘やニンジョート、油が、、、と言っているけれど、そのニンジャというのは、マキビシというかそういうもののことなんですね。ニンジャでahで終わるから女性形としてニンジョートと複数変化する。でもたいがいの忍者(人間)は男性じゃないでしょうか。でもくのいちだったら、クノイチームで男性変化するのか。ゲイシャはゲイショート、ニンジャもニンジョート。それはともかく、そういうものを路上にまいたら事故が起きて危ないじゃないですか。あなたたちが愛してやまないと言うイスラエル及びイスラエル人にそういう危害が及ぶようなことをするのは方向がちがっているんじゃないか? 今日子どもたちをこの道路封鎖に送り込む親は、子どもたちと面会するのは留置場になるだろう、と警察がラジオで繰り返し警告。 子どもたちをこのような運動に送り込んで逮捕暦のある子どもにするのは、親の責任であると。午後5時から道路封鎖が計画されているそうです。 グーシュ・カティーフ(入植地)で撤退反対運動に反対してブロックなどを投げている14歳の子どもへのインタビューがラジオで流れる。ローティーンの子どもたちが多く参加しているそうだ。
昨日、イスラエル人はカラッとしているように見えて妬み深いことがあると書いたけれど、追記。自分が妬んでいることをまったく隠す気がないというところが、カラッとしていると言えなくもない。私の基準だと、自分がだれかを妬んでいるということが自覚されれば、大人だったら少なくとも表面上はそれを気取らせまい、とするのが普通なのだけれど、ここの人たちはそういうことはない。もう全然ない。エピソードを記すとイヤな気持になるのでやめますが、うちの夫なんか「好きなことを生業にして生きている」という一点において、相当羨ましがられているようだ。
6月28日(火)
昨夜、娘の友だち(夫の友人の自然カメラマン氏の娘)が来て(夫とカメラマン夫妻はなんだかの自然レクチャーに行った)、それはよいのだけれど、彼女にサルサを教わった娘が私にも踊れと強要する。私、踊りたくないんですけど。引越し作業で疲れているし。それにしても陽気な子どもたちである。この娘さん(うちの娘と同い年)は、見事なプラチナブランドであるという理由でクラスの子どもたちから爪弾きにされて小学校を変わったということなのだけれど(いや、世の中にはいろいろ排除の理由というのが転がっているもんだ、ブロンドがなんでダメなのかなんて誰にも答えられないだろう、カラっとしているように見えてけっこうロコツに妬み深い人がいる国ではあるけれど)、とてもそうは見えない。
モト同僚の先生のブログで、列車の線路に置石があったらしいことを知る。私もこれ、ラジオで聞いたのですが、あんまりよく分からなかったのです。まあこういうセキュリティ関係のことは、報道管制がかかっていることもあるし。ネゲブに打ち込まれるロケット砲だって、命中したかどうかが分かると今後の照準合わせに影響するので、必ずしも真実が報道されているわけではないと、その付近に家があるモト学生が言っていたし。ハアーレツ英語電子版で、内務省がやろうとしている法改正の二つの項目についての記事を読む。1つは、外国人でイスラエル人と結婚している人に、不法入国あるいは不法滞在の経歴がある場合は、彼らを国外追放する、もしくはイスラエル永住権を与えないことを可能にするもの、もう1つは外国人労働者のイスラエル生まれの子ども及びその家族に、イスラエル永住権を与えることを可能にするもの。ネタニヤフは、非ユダヤ人である外国人労働者の子どもにイスラエル国籍あるいは永住権を与えることに強く反対している。内務相ピネスパズがしようとしているような外国人労働者の子どもに永住権を与える政策推進に当たっては何らかの条件設定をしなければならず、また近年急増しているという不法滞在の外国人とイスラエル人の偽装というか便宜上の結婚を阻止しなければならないということなのだろう。警察や内務省の職員がめいめい勝手な理解で職務を遂行している現状は大いに困りものだけれど、きっちり条件を決めて(といってもイスラエル人がそれほどきっちりできるわけないのだが)システムを回し始めたときにどんなふうになるのか、予測がつかない。いまひとつよく分からないのが、これに改宗というファクターがどう絡むのかということ。先日のニュースでは、イスラエル国内の正統派の手による改宗のモノポリーが崩され、海外で改宗してもユダヤ人と認められるということではなかったか。不法滞在の外国人が国外退去になった後、海外で改宗してユダヤ人になったらどういうステイタスになるのだろう。ネタニヤフだって改宗した人には文句は言わないだろうが、それじゃあピネスパズがしようとしているノーマ ライゼーションの方向とは逆向きなのじゃないか。でも国内正統派のモノポリーを崩したのだから同じ向きなのか。いずれにしても現在8−10万人の外国人不法滞在労働者がいると言われているのだそうだ。かなりな数。そんなにこの国がいいの?
6月27日(月)
朝からエプロン持参で大学に行く。オフィスアワー+教員室の引越しをしなければならない。先週引越しのための段ボール箱を部屋に入れておいてねと技術職員に頼んでおいたのだが、箱が3つしかない。足りるわけないじゃないの、子どもじゃないんだからざっと見渡したらいくつぐらい箱がいるか分かりそうなものだが。そういうことを言っていても仕方がないので、東アジアのメインの秘書に来てもらって、いっしょに箱をさがす。ホロンに住む同僚の先生が来て、だからうちから箱を持ってくるって言ったのに、というけれど、なんで大学内の引越しのために家から箱を運ばなきゃならないのよ。それに今日はクルマじゃなくてバスで来たと言っているんだし。結局東アジア学科がある人文学部の建物の技術職員のおじさんが、箱をもっと運んできてくれる。箱に詰めるのはいいけれど、いったいどこに移るのかを再度確かめたところ、隣のかなり大きい部屋であることが判明。隣なんだったら箱に詰めなくてもそのまま運べるものは運びたいと言って秘書といっしょに入ってみると、無人ではあったけれど、先住者たちが移動する気配なし。ここの人たちは本当にどこかに移るのね、と秘書に確認したら、それはもう100%間違いないと言う。それでまあ、同僚の先生と二人してせっせと箱に詰め、その合間に大量のものを捨てる。結局10箱になった。これをどうやって3箱に納めろというのか。そうしているうちに、隣の、私たちが移ることになっている部屋の先生(外国語学部所属)が来 て何をやっているのかと言うので、いや、お宅の部屋に移ることになった、と答えると、その先生は、ええっ、そんな話は一言も聞いていないと反応する。そうでしょうとも。どうせそんなことだろうと 最初から思っていたのよ。それでその先生が外国語学部の秘書に電話したところ、秘書はその話は知っていたけれど、まだだれがどこに移るのかは決まっていないと言ったのだそうだ。私たちは7月1日までに部屋を空けろと言われたから一生懸命やって来てせっせとパッキングをしているのである。その荷物を7月1日にどこに運ぶのか? 廊下に放り出すの? 東アジアの秘書のところに行ってもう一度、いったいいつになったら荷物を開きに来れるのかを、無駄と知りつつ質す。秘書の説明によると、日本語と中国語が使っている部屋2つのうち、少なくとも1つを7月1日までに空けなくてはいけなくなった。これはドミノ倒しのようなもので、最初のドミノを倒さなければいつまでたっても物事は進まないのだ、という。そうだろうよ。最初のドミノとして中国語の先生ではなく私を選んだのは彼女の慧眼である。だって私たちは日本式に慣れているから、期日までにやれと言われたら、文句は言いながらもとにかくやるのだもの。これ、イスラエル人や中国人だったら、7月1日以前にやるということは考えられない。それでどういう展開になるかと言ったら、7月10日ぐらいに電話がかかってきて催促され、そのときも分かった分かった、で済ませ、何度催促されてもだらだらしているうちに夏休みになって外国に行ってしまう。それで9月までうやむやになることもあれば、強制執行で誰かが勝手に段ボール箱に全部詰めてしまうこともあり得る。誰かに勝手にやられたら、大事なものが無くなるかもしれない。私たちは、大事なものが無くなる可能性と、言われたとおりにさっさとやることを天秤にかけて、結局さっさとやったほうが頭痛のタネが少ないという判断に傾くのです。でもマジメすぎるのかもねえ。なにせ日本人と英国人のチームだもんねえ。この10年のあいだに、秘書はそういう私(たち)の性向をすっかり把握してしまったのねえ。 これを信頼されているととるか、ナメられているととるかは、好き好きである。7月1日というのは恐らくサバを読んだ期日であり、向こうが期待していたのは7月末、ひょっとしたら9月初めだったのかもしれない、と同僚の先生と言い合う。7月10日にB日程の試験に来て、引越し完了していたらシャッポを脱ぎます。ま、いずれにしてもなるようにしかならない。
どっと疲れてカフェテリアで昼食を食べ、お金を下ろしてから、久しぶりにバスで同僚の先生とカルメル市場に向かう。以前だとバスに乗るときは「えいやっ」という感じだったけれど、グリーンライン内でのテロがほとんど起きていない昨今においては普通の気持ちでバスに乗れるようになった。ディーゼンゴフセンター裏のビーズ屋をちょっと物色。カルメル市場では、2シェケルショップ(50円ショップという感じでしょうか)を見たり、娘の夏用ズボンを買ったり。ひらひらのきわめて派手な色のスカート、しかも裾がかなり鋭く斜めに切れているのを自分用に買いそうになるが、これを日本ではいたらかなり顰蹙だろうと思ってやめる。ま、9月になってから買おう。イスラエルにいると、他人が何を言おうがどう思われようが、もうどうでもいいという気持ちにどんどん傾くのだけれどねえ。暑くて、クーラーのありそうなカフェテリアに入ってアイスコーヒーを飲む。カフェテリアのおじさんが、私たちが入ったらクーラーをONにしてくれた。夕方帰宅。
6月26日(日)
6月も末じゃないですか。旅行代理店に電話して、最終確定した7月末の日本行チケットを送ってもらうように手配。私、生涯においてあと何度ミラノ空港でトランジットするんでしょうか。朝から地味仕事(学生の推薦状を書いたりとか)。また2軒隣のピアノの先生宅に行って、娘のピアノのレッスンの件で相談事。親というのはいろいろとメンテナンスがたいへんなのよ。昼ごろ隣の庭から怒鳴りあう声が聞こえてびっくり。お隣(イラストレーターと弁護士夫妻)が雇った庭師とその奥さんだか彼女だかが大声でケンカをしている。学校から帰ってきた情報通の娘によると、この人たちは娘の同級生の家での庭仕事のときも大喧嘩し、殴り合いになりそうになったのでそのうちのお母さん(彼女は娘たちの学校の理科の先生でもある)がヤメロと一喝したのだそうだ。娘はたまたまその場に居合わせたのだという。狭い世界。私、一喝することはできそうにないけれど、と言って夫を見たら、夫はお隣のダンナさん(イラストレーター)の携帯に電話。その人から庭師に電話を入れてもらって丸く収めようという回りくどい方法を取る。息子は「ここは日本じゃないからねえ」と皮肉っぽく言う。そういうあんただってイスラエル人じゃないか。今日から息子は花粉つけ(アノナという果物)のアルバイト開始。夕方の2時間だけ自転車でご出勤。家族4人がそれぞれ稼いでいたら、ま、飢え死にすることはないだろう。
6月25日(土)
朝から夫といっしょにカヤックを漕ぎに行った医療機器メーカー勤務の博士号もった人と、庭でコーヒーを飲む。みんなヒドイ状況ヒドイ状況と言っているが、80年代初め、インフレ率が400%だったときに比べれば今はまだマシだ、という話を聞く。そのときは、いくら給与がドル建てでも、3ヶ月前のレートで計算されたため、実際に給与を受け取る時点では目減りしてしまってとても生活できなかった(といって死んだわけではないけれど)のだそうだ。そういうインフレ率だからほぼ毎日のように用があって銀行に出かけたけれど、そのときはまだ番号札とか順番で待つとかいう概念すら浸透しておらず、みんながわっと窓口に押し寄せ、プライバシーも何もあったものじゃなくて、一人が手続きするのをみんなが覗き込んでいた、とか。今はそれに比べると遥かにマシだ、と言われれば、そりゃまあそうでしょうが。80年代初め、日本は平和でしたね。
その後、昨日作ったブドウの葉の詰め物をもって、ハイファに向かう。途中、オレンジ色のリボン(撤退反対)を付けたクルマだけでなく、青(撤退賛成)、もしくは青と白(青は目立たないので、白といっしょに付けて目立たせるんだそうです)のリボンを付けたクルマもちらほら見かける。昨夜おとなりのダンナさん(オーストリアから戻ってきた)に聞いた話だと、彼はビニヤミナに曲がる交差点に立って、2000台のクルマに青いリボンを配ったのだそうだ。同意してくれた人にはその場でアンテナに結びつけたとか。えらいなあ。私と同じでイスラエル国籍も取っていないのに。ちなみに緑のリボンは、環境保護のしるしなんだそうだ。まぎらわしいけれど、とにかくオレンジじゃなければ何でもいいのだとか。しかしハイファの街中で、オレンジと青の二本のリボンを付けた車を発見。これ、ご夫婦で見解を異にしているということなのでしょうか。それとも一人の中で分裂しているということなのでしょうか。夫の母を拾って、ラマット・イシャイの夫の従姉妹宅へ向かう。従姉妹夫妻、娘さんとそのダンナさん(やたらウルサイ結婚式だったけど)、軍を除隊したばかりの息子さんとそのGF、うちの息子と同い年の下の息子さん、そして施設から来たお母さん。うちの4人と夫の母という、まあイスラエルではフツウの、しかしかなりな人数の安息日の食卓である。施設に入っているそのお母さんは、私が作ったブドウの葉の詰め物をおいしいおいしいとたくさん食べてくれ、というかほぼそれだけを食べており、嬉しい。乾燥ミント(ナナ)がたくさん入っているところが、エジプト風なのだそうだ。そこの娘さん、息子 さんのGF嬢は、うちの娘が持参したビーズの指輪を見て、あれがほしい、これがよいと注文。その場で作って売る。けっ女どもはしょうがない、という顔をして見ているうちの息子。でもどんな場合にも、手ごろな値段のアクセサリーというのは必ず買い手が見つかるというのは、否定しがたい事実である。いいじゃないの、まあきれい、まあかわいいで成立するコミュニケーションがあったって。帰りにアラブの村Fで、米を買う。いつも買う店で、顧客の中でうちが唯一その場で払っているため(村のアラブ人はみんなツケでしかも払わない)、なんだかんだとおまけをくれる。今日は夫にはコーヒーを淹れてくれて、私と子どもたちにはアイスクリームをくれようとしたのだが、アイスクリームは買うと言い張ったら、ケーキをたくさんくれた。何なんだ。そのアラブの村で見たアラブ人のクルマが、オレンジ色のリボンをつけていた。撤退反対なのか? なんで? もう本当にイスラエル世論というのはよく分からない。
6月24日(金)
ハアーレツ英語電子版で、ペレツ(ヒスタドルートのヒゲおじさん)が、衰退著しい労働党における唯一の希望だ、という、ハイファ大学教員による記事を読む。元々中流層に主たる支持基盤があった労働党が、ここのところずっと低所得層の支持を得ることに失敗し(低所得層はシャスのような右派に取り込まれる)、衰退するにつれてますます裕福な層にのみその支持がかぎられ、富裕層を代弁することでその社会民主主義的理念を失ってきたこの状況において、ペレツが唯一、低所得層への福祉政策を行える人物だ。「占領地と福祉の交換」政策が、今後労働党が慢性的衰退から抜け出す唯一の道だ、みたいな論旨。消去法でいったらペレツしか残らなかった、もうそれ以外に道はない、という感じのような気もしますが。
今朝はまたもや4時から、ビニヤミナにおける鳥の声を聞くツアー。夫は主催者だから当然行き、娘も同行。私はパス。40人ほども来たのだそうだ。娘は学校を休みたがったが、今日は行きなさいという。学校というところは、多少気が進まなくても行くという習慣をつけさせるのに役立っているのだから、行くという行為自体に意味があるのです。 そりゃ、具合が悪くなるほど行きたくない、というのであればそれなりの対応もするけどさ。学校に行くより、ツアーに参加して鳥の鳴き声を聞くほうが勉強になるという言い訳は、一度は通用しても二度使ってはいけない。どうせあと1週間で休みなんだし。朝からパイ2種、クーゲルホップ、チョコチップクッキーなどを焼く。だれが客に来てもよいという万全の体制。で、まず解雇通知を受け取った海洋学兼水泳の先生がコーヒーを飲みに来る。解雇は未確定。どうやら教育省が、4000人もの解雇は見送る見通しのよう。この人、夏は自宅での水泳コースが忙しい。今日は成人の泳げない人向けコースがあるのだそうだ。今でこそ、イスラエル人(世俗派ユダヤ人)は子どもが5,6歳のうちにコースに通わせて泳ぎをマスターさせるという習慣ができたけれど、昔はそんなゼイタクなものはなく、子どもが泳げても自分が泳げないという親が、子どもに恥ずかしいという理由でコースに来るのだという。その先生がいるあいだに、夫の編集仲間の人が資料を持ってくる。この人と水泳の先生は初対面だが、この人の子どもたちが水泳の先生のコースに通ったという縁があることが判明。この人は料理が趣味で、自宅の庭に中華用の強力ガスコンロを設置したほどだが、先日はピツァが焼ける専用のかまどを庭に据えつけたのだとか。まだ火力調整がうまくいかず、パーフェクトのできではないのだけれど、パーフェクトに使いこなせるようになったら招待してくれるらしい。うれしいなあ。その人がブドウの葉を摘ませてほしいというので、摘むのを見ていたら、私が取らないような、かなり大きく育った固めの葉を摘んでいるのに気づく。私はもう本当に、若い柔らかいものしか使っていない。彼の言によると、若すぎると酸味が足りなくてブドウの葉の味がしないので、ある程度育った酸っぱいもののほうがよいのだそうだ。目からウロコであるが、これはまあ好みの問題ですね。彼はその酸っぱい葉に、さらにレモンを入れるそうだが、うちはなるべく酸っぱくならないようにやっているのです。 それはともかく、明日ハイファの夫の母を伴って、彼女の妹(即ち夫の叔母、老人施設に入っているが週末だけ娘さん、つまり夫の従姉妹の家に来る)のところに行くことになったので、彼女たちが大好きだと言ってやまないブドウの葉で米と挽肉を包んだ料理をせっせと作る。そんなにおいしいか? いや別に不味くはないけれど。なんだか家族の中で、私が中東、東地中海料理の継承役をやっているような気がする。
6月23日(木)
昨夜は、ヘブライ大学付属植物園の主任研究者氏(夫の共著者)が来て、いかに植物園に予算がないかを述べる。植物園の入場料で賄えるのは、予算全体の10−20%ほど。大学からは独立経済でやってほしいと言われており、全世界からの寄付が頼りなのだけれどそれがまた当てにならないときている。テルアビブ大学付属植物園のほうがまだマシなのだそうだが、それもにわかには信じがたい。寄付で思い出して、ヘブライ大学日本文化センター問題のブログを見てみると、英語が基本的な書き込み言語になっている。ま、妥当な線でしょうね。しかし、「反ユダヤ的要素」を批判のベースにしているのは、戦術なのか、本気でそう思っているのか。反ユダヤ的要素を前面に押し出すと、親ユダヤなら何でもいいということになりかねないよ。でも、つくづく思うけれど、失われた部族、レビの末裔が日本人だという説があるということがこんなに宣伝されてしまったら、私の博論のテーマなんて、まるでそれに引っ張られて博論を書いたみたいに見えるんじゃないでしょうか。日本人なんだし。ま、今さらどうでもいいけれど。
朝起きて学校に行くのは娘のみ。私も息子も夏休みである。なんで私ひとりが学校に行かなきゃならないのよ、と憤懣やるかたない娘。私だってあんたの年には毎日小学校に行って、まずい給食を食べて、掃除当番があったのよ。トイレは汲み取り式で、床にはハエのサナギが散らばっていたのよ。などと言ってもしかたがないですが。
6月22日(水)
昨日ネゲブ北部で起きた、ベエルシェバ行列車が線路に侵入して止まっていたトラックにぶつかって脱線した大事故のニュースを朝からラジオで聞く。死者8名。焦点は、大型トラックの運転手が、法で定められた勤務時間を超過していた、ということに合わせられている。運転手は居眠りしていて線路に侵入し、警笛も聞こえなかったのだろうと推測されているのである。ラジオに、自分たちがどれほどの過重労働をさせられているかを訴えるトラックドライバーからの電話が殺到していると言う。みな生計を維持するため必死にその職にしがみついているのだと。私の不安は、これにヒントを得たパレスチナ過激派組織が、以前やって失敗したような爆発物を線路に仕掛けるのではなく、そんな列車が来るのに合わせて爆破させるという微妙な操作の要らない、石とかクルマとかを線路に置くことで列車事故を引き起こそうと するんじゃないかという点。爆発物での列車テロ未遂以来、線路の脇にはいちおう(本当にいちおう)柵らしきものが作られてはいるのだが、置石ぐらいだったら簡単にできそうで、過激派組織がそれをしないのはただそういう発想がないだけだろうと前から思っていたのである。これでヒントが与えられてしまった。線路に盗難車を乗り上げておいて逃走、みたいなことが起きないことを、切に切に願う。
6月21日(火)
息子は夏休み突入、とはいってもバグルート(大学入学資格試験)がいくつか残っているので、そのためだけに登校。ロボットの試験が明日で、そのために先生が電池をわざわざうちまで届けに来る。劣悪な設備、機材のために、設計はよかったのだが、現実にロボットが動かないという事態が頻出。カメラやら何やらがしょっちゅう壊れた。 動いては、壊れ、動いては、壊れの連続。テーマは丸いものを認識してそれをそっと摑み上げ、モトの場所まで戻るというものだった。インドネシアの津波後、息子たちのグループは、生存者を認識して救出するためのロボットという構想に変えて、プログラムもそれで書いていた。今のところの点数は93点で、ロボットが明日動いたら100点になるということなのだけれど、どうなんだろうねえ。最高の環境が最高の仕事のレベルを保証するわけではないことは十分認識しておりますが、私の大学での条件といい、学校の設備といい、もう少しレベルアップしてくれてもバチは当たるまい。でもまあないならないなりに、最後は何とかなってしまうのがこの国の常なのですが。
ネットで昨日のマバトニュースの、昨日エレズ検問所で捕まったパレスチナ人女性自爆未遂犯のインタビューを見る。拘束後数時間で、シン・ベート(諜報)がTVにインタビューを許可したというのは異例。つまり軍の広報がそれなりの意味を認めたということなのだろう。21歳の彼女は昨年末ジャバリヤ難民キャンプの自宅のガス事故で負った火傷の治療のため、ベエルシェバのソロカ病院で治療を受けるための通行許可を持っていた。ファタハのアル・アクサ殉教団がそれに目をつけて、ソロカ病院で自爆するようにと昨夜10kgの爆発物入りの服を彼女に届けたのだという。検問所で発覚したときに自爆しようとしたのだけれど、爆発しなかった。首やうなじ、手や指に明らかに火傷の跡がある人。最初は、自分はイスラエルの占領に抗議するために自爆するつもりだった、殉教者になるのが小さいときからの夢だった、火傷のために結婚の希望を失ったから自爆しようとしたわけではない、と言っていたのだけれど、インタビュアーが、「どうしてあなたを送り込んだ人は、自分の子どもを送り込まなかったのかな」と聞いたら「彼らには子どもがいない、いてもまだ小さいから」、「じゃなぜ、自分自身が自爆しなかったのかな」との問いには「分からない」と答え、その後ついに「利用されたのかもしれない、私も犠牲者だ」と言うに至る。もうちょっと早く気がついてくれないものかねえ。でもまあソロカ病院の真ん中で爆発しなくてよかった。とりあえず気の毒なのだけれど、この種の無知というか偏った教育の成果というか、一朝一夕には変わらないだろうし。
午後は、去年も書いた記憶があるけれど、娘の体操コースの発表会に行く。護身術とカプエラ(ブラジルのダンス武術)との合同。護身術は、他との盛り上がりのバランスを取るためか、受身なんかをやっているBGMに、途中でファイアー!とか叫ぶよく分からないトランスパーティなんかでかかっているようなズンズンいう音楽が流れる。これってそういうもんだったの? あまモトモトいろんなものを折衷しているようだけれど(稽古着も一見柔道着ふうなのだけれど、実は前合わせじゃなくてVネックのシャツに帯を締めるとか)なんだか殺陣とかアクションクラブのような雰囲気。カプエラは、技術のことは私には分からないが、先生(女の人)と生徒たちのあいだに、一種独特の連帯感ができていて他とは異なる精神的高揚があるのが感じられ、なるほど、これがエトスを伝えるということなのか、と思う。しかし音楽がうるさい。最後にメダルとか賞状とかを配るときもズンズン、ファイアー!である。盛り上がればいいというもんじゃないと思いますが。
6月20日(月)
昨夜は、お隣の奥さん(ダンナさんはお父さんが亡くなって急遽オーストラリアに行ってしまった)のところで、夫とお茶を飲む。毎日だれかのところでお茶を飲む日々。 ポーランド旅行(つまりホロコーストの旅)が、各人に与える影響は千差万別である、という話などを聞く。シオニズム、ナショナリズムの方向に行く人、パレスチナとの対話に行く人、それはもういろいろなのだそうだ。
早朝から大学へ行く。3年生の試験の採点をして、掲示用紙を作る。10時過ぎに同僚の先生が来て、今朝移民警察に捕まりそうになった話を聞く。最初はナンパだと思って無視して歩いていたら実は移民警察で(って警察官でも警備員でもナンパしてくる国ではあるが)、IDの提示を求められ、「女性はIDを携行しなくてもいいという英国統治時代の法律があるのを知らないのか」と自論を述べたところ、何かIDに代わるものの提示を求められたため運転免許を見せて、ついでに「私の夫は弁護士だ、私は大学での教員だ、これ以上何か知りたければ弁護士と話をしてほしい」と別にハッタリではなくて本当のことを言うと、恐れを為して退散したらしい。なんだかねえ、最初にどちらが有利な位置を取るかの勝負みたいだ。その後秘書のところに行って、B日程の試験問題やら成績表やら必要な書類を渡し、さあ引き上げようかと思ったら、7月末までに現在の教員室を明け渡し、別の部屋、しかも中国語の教員と共通の部屋に移れと言われているのだ、と告げられる。ええっである。秘書は各部門と既にバトルを繰り広げて、なんとかこの事態を打開しようとしたのだが、今日学部長から如何ともしがたし、という最終回答を得たのだとか。まあ困ったわねえ。どんどん悪くなる条件。ない袖はふれぬ、と言われておとなしく引き下がったらいつまでたっても何ももらえない。しかし今現在秘書による壮大なバトルの末、ないという最終回答がなされたということは、出てくるまでアピールを続けなければならないという大層めんどくさい事態である。だれの机を引っくり返すべきなのか? 学部長のところに行ってとにかくアピールを続ける(つまりうるさいヤツだ、黙らせるために何かせねば、と思わせる)のが得策であると秘書に言われる。来週引越しのための箱詰作業をすることにする。
昼に解雇された同僚の先生の奥さんと待ち合わせて、現同僚の先生と3人でヘルツェリアのインド料理店にお昼ご飯を食べに行く。解雇された先生本人はドイツの学会に行ってしまった。ここでもええっという話を聞くが、こちらはよい知らせである。バイキング形式だけれど、ホウレン草とトウモロコシのカレー(?)が美味。話題は、どうすればダンナさんに一刻も早く博士論文を書いてもらえるか、という周囲をめぐる。私も、奥さんが、博論が書けなければ戻って来ませんと子どもを連れて実家に帰ってしまったら、今まで書けなかったのがなんでか書けたという知人の例などを披露(皆さん、真似しないでくださいね)。その後、現同僚の先生と二人で、テルアビブ海岸沿いのホテルに向かう。ドイツに移住してしまったモト同僚の先生が、昨年生まれた赤ちゃん連れで、ダンナさんの出張のついでに1週間だけテルアビブに滞在するというので、会いに行ったのです。五つ星のホテルなのに、ロビーのトイレの紙が切れているのに仰天というか、イスラエルだからと納得というか。かわいい赤ちゃん。うちがハマっているビーズの指輪、親子ペアで作ったものをさしあげる。ドイツ人気質とイスラエル人気質の大いなる相違についてうかがう。なんでイスラエル人は、こんなに無闇と意味なくフレンドリーというかおせっかいというか、そしてまたやたらいい加減なのか? ヨーロッパと東地中海は、やはり全然違う世界なのです。
帰宅後、息子の通知表を見る。歴史、文学、聖書などはまずまず、C言語、エレクトロニクス、ロボット、英語、体育なんかはきわめて高得点。抽象性よりも現実的な事柄に親和性があるというのは、いやもう実に寿ぐべきことだ。担任の先生が書いた、「あなたの賢いまなざし、もの悲しい微笑みがどうした云々」というコメントに笑う。こういうのをひとりひとり書くのは、たいへんでしょうねえ。
6月19日(日)
昨夜は、ネゲブから戻った夫と二人で、夫のWebsiteを管理してくれている人夫妻の家にお茶を飲みに行く。息子は学校の、何と言えばいいのか義務ボランティアの下の学年の子を指導するグループのパーティに。学年末になると、なんだかもうやたらパーティがあるのがこの辺りの常である。娘だって、学年のパーティ、クラスのパーティ、6年生のパーティ(これには5年生が呼ばれる)、体操クラブのパーティなどがある。学年全体のパーティなんて、夜8時から10時までで会場は学校の体育館、それで、がんがん音楽をかけて踊りまくるのだから、日本ではちょっと考えられない。それでも10時終了なんてこの辺りではかわいいもんです。たとえ相手が5年生であっても。子どもの学年が低いときはやむをえなかったが、今年から私はもう、一切そういうのに付き添っていくのをやめた。だいたい大人どうしの付き合いの結婚式だって、途中からうるさいのが耐えられなくなって中座するぐらいなのだから。行きたければ自分で行けばよいのである。
B日程のテストを編集したり、地味な仕事続行。ハアーレツ英語電子版で、イスラエルにおける求人が最近増えたというニュースを読む。2005年4月の求人数は、2004年5月に比して54%増なんだそうだ。とりわけ学位を持っている人向けの求人増加が著しいというが、そうなんでしょうか。夫の仕事仲間の編集やっている人の奥さんが南アメリカ出身で、その従兄弟がイスラエルに2年ほど前に移民してきたのだけれど、生物学でMA持っていたけれど仕事がなく、ラボの助手などでかつかつ食べるだけの収入しかなくて、もうこれで限界というときに、友人知人一同にSOSが回った。で、うちの夫が知人の大学関係者や医者に話を持っていったら、1ヶ月しないうちに就職が決まったことがあって、やはりコネというか、すがるべき最初の糸口にどう辿りつくかがとても大事なのだというのがよく分かったことでした。だからエチオピア系は、その糸口に辿りつけないまま、能力がある人が出て来られないのだろう。ま、日本でも、以前フリーターのドキュメンタリー番組を見たときに、最初の芋づるの芋というリソースをもたない人というのは、実にたいへんだとつくづく思ったのだけれど。
6月18日(土)
息子とその友人は数学続行で、サイン、コサイン三昧。娘は、同級生の母親がビーズ細工を生業にしているということでその工房を訪れていたく感銘を受け、「私、将来はビーズで生計を立てる」と宣言。そ、そんなことを今決めなくても。。。また別のお母さんから、自宅を開放するから子どもたちを集めて参加費を取って1、2度教えたら、という提案が娘に為される。まあねえ、なんにしろ自分が知っていることを他人に分かりやすく伝えようとする経験というのは大事なもんですが。とりあえずこの夏は、そうやって稼いだお金で、ほしがっていたコンピュータで絵を描くためのマウスペンと、簡単なデジカメが買えればもうそれで目的達成ということで。
私は朝から採点されてきた諸データを基に、ダブルスタンダード(つまり下には甘く、上はそのまま)で最終点を決定して、書類に記入していくという地味な作業。大学に出す夏の渡航費申請書類を埋めたり。私の指導教授のN先生がやっている恒例の夏合宿。今年で先生が退職されるということで、私も数年ぶりに参加することにしたのだが、えっそういう題で私が話すの? という題で私が発題することになっていて、おもしろいというかなんというか。また今はハワイで牧師をしているという、学部時代にいっしょに聖書ヘブライ語のクラスを取った人が開設したブログにちょっとコメントつけたり。なんでも私のサイトを発見したのがきっかけでブログ開設されたそうで、恐縮です。他の大学のヘブライ語のクラスはどうか知らないが、私の出身校の場合は卒業後神学校に進む人がちらほらいて(まあヘブライ語のクラスを取ってその後バリバリの商社マンにな るという人も少ないのかもしれないが)、なんというか、そういう雰囲気、つまり例えばお隣の神学大学に入りなおして牧師になるという進路がかなり現実的な選択肢としてあった。で、一般的に言って神学校に行くような人というのはかなり善意とマジメさが溢れかえっていてそれを他人にも期待する人が多く、フツウの人は閉口することがままあるのだけれど(いや別に私がフツウの人だと言っているわけじゃないですが)、私の出身校の先生たちは大学の雇用条件にクリスチャンコードがあるため基本的には全員クリスチャンなのだが、かなりヒトが悪いというか、人間の悪意の存在を前提している場合が多く、神学校に行った人たちもそのようなヒトの悪さというか、多層性を感得しておられたのは、今思っても得がたいことであった。(神学校に直接行ったような神学生は、いわゆる平信徒で聖書学志向の人に対して、「ボクたちは神の召命を受けて聖書を学んでいるんだけれど、キミたちはいわば趣味でやっているんだからボクの解釈のほうが正当性がある 」、みたいなアホウなことを、まあいくらなんでもそうはっきりとは口には出さないけれど態度で示したりしたのです。でもどう考えたって、牧師になる適性と聖書学者になる適性は同じものではない)。そしてまあそれにも関わらず、世俗志向の学生と、聖職志向の学生が共にいることによって醸し出される微妙な対立、というのが言いすぎなのであれば、立ち位置に関する差異の感覚というのは、それはそれでなかなかよかったと今にして思う。
6月17日(金)
息子たちは、もうテスト以外はほぼ授業がなく、今日も10時ごろ息子が友人(農園の子)を伴って帰って来る。帰るなり、「忙しい」と言って二人で数学の問題を解き始めるので、何をそんなに焦っているのよと聞いたら、夏休みの宿題なのだそうだ。ということは9月1日までに出来ていればよいものでしょう。何でも、去年みたいに夏休みで日本にいる間中数学の問題を解いて、互いに国際ファクスしあって答え合わせするという事態を避けたいのだそうだ。いやそれは分かりますが、日本に行くのは7月末だよ。6月17日から必死になるべきものか? あんたたち、本当に明日できることは今日しないイスラエル人なのか? 結局この二人はサロンのソファに寝そべって終日数学をやっている。それだけ一生懸命勉強していて、人生のいつの時点においてか報われればいいけれどねえ。まあでも勉強というのは、現実的に何か報われるためにやるもんじゃないですが。そういうことを期待してやると、ロクな結果にならない。もちろん資格試験とか何とか短期的目標を設定して勉強する技術も必要だけれど、それはそれだけのもんだということを分かっていてください。 しかし話を聞いていると、この子たちの高校でも成績のダブルスタンダードが行われているもよう。数学は5単位、4単位、3単位のコースがあるのだが(彼らは5単位)、3単位のコースの試験では、ボーナス問題とかいろいろあって、どんなに出来ない子でも何とかマトモな点が取れるように工夫されているけれど、5単位のコースの試験はどんなにがんばっても85点以上 取るのはとても難しいように設定されているのだそうだ。大学でだって、本来は30点の学生には落とすわけにはいかないからという理由で70点をあげ、その基準から見たら100点の子たちが95点以上の1点争いにしのぎを削っている。
12時ごろ、外を「断水のお知らせ、この地域は1時から断水します」とスピーカーで言いながらクルマが巡回しているのに気づく。そうか、1時から断水か、金曜日なんてどこの家も掃除と調理にあてている日に断水するなんて、と思ってペットボトル3本に水を詰め、試しに1時20分にカランをひねると蛇口から水が出る。うーん、1時に始まって20分以内に終わる断水だったのか。予定がキャンセルになったのか。地域を間違えたのか。フェイントで 、たとえば3時からということはないでしょうね。 この手のこと、事前に知らされないと知らされないで腹が立つのだけれど、通知があればあったでこれだからねえ。知らないほうがよいのかも。
6月16日(木)
朝から部屋の片付けを続行。今日は引き出し。要らないものをどんどん捨てる。イスラエルはペットボトルは分別できるけれど、燃えるゴミも燃えないゴミも基本的には区別しないので(同僚の先生によると、土葬の墓地とゴミ捨て場が和平なった後のイスラエルにおける二大課題)、日本ではとても考えられないような速度で要らないものを袋に詰めていく。
昨日誤ってズボンといっしょに洗濯してしまった娘の「てくてくエンジェル」(万歩計式電子ペット)が生き返る。すごいなあ、日本の(といっても製造は中国ですが)電子玩具は。ディスカウントになっていて、わずか700円でネットで買ったものなのに、洗濯機にも耐えるなんて。
図書週間が始まり、その関係のイベント(よく分からないが対談と即売)のため夫がネゲブに3日間行く。ハアーレツ英語電子版で、労働党党員の世論調査の結果、党首戦でペレツ(ヒスタドルートのひげのおじさん)が、ペレスと一位を競っているという記事を読む。バラクはかなり水を開けられた3位。それからヴィルナイ、そしてベン=エリエゼル。決選投票は避けられず、そうなったらペレツが有利だろうと。フタを開けたらどうなりますか。オカシかったのは、それとは別に"Who in your opinion is the most honest candidate?"という質問に対しては、一位がダントツでヴィルナイ、かなり離れてペレス、ペレツ、またかなり離れてベン=エリエゼル、そしてバラク。バラクの信用度は最下位。でもイスラエル人は左派でも、いい人がいい政治家、いい指導者ではないことを知っているとも言える。バラクはいい人でもいい政治家でもないということですね。今昔の感ひとしお。
6月15日(水)
朝からラジオで、ルナパークとスーパーランドというイスラエルの有名な遊園地(テーマパークとはとても言えなかろう)が、この夏から障害をもった子どもたちのサマーキャンプの入場を制限すると決めたというハアーレツの記事を受け、それを撤回させようとするキャンペーンのような番組を聞く。去年までは問題なく入場できたのが、今年は総勢550人の障害をもった子どものサマーキャンプが、最初打診したときは適当な日がない、次には安全上の理由でパーク側から断られたと。それでキャンプの責任者がパーク側責任者と事態の改善に向けて話をしようとしたのだがパーク側からは音沙汰なしで4日間を無駄に費やし、結局メディアに乗せたもよう。最初にキャンプ主催者と親の一人が出てきて事情を述べる。次に、パークの責任者が出てきて、昨年障害を持った子どもが遊具に乗ったときに事故寸前までいった出来事があったために、今年からは入場を断ることにしたのだ、と言う。事故が起こった暁にはメディアがパークを激しく責めるのは間違いなく、事故が起きる前に阻止しようとするパークの姿勢を冷静に理解してほしいと。それだけ聞くとなかなか尤もな意見ではあるのだが、その以前の段階で電話がたらいまわしにされたりしてキャンプ側、親の側に不信感が溜まっているため、パークは車椅子の子どもたちを敷地に入れたくないないのだろう、といった意見が述べられる。遊具の中には障害をもった子どもが乗れるものもいくつもあるのだ、と。それに対してパーク側は、今までがん患者の団体もパークは問題なく受け入れてきた、来週専門家(遊具の技術者たち)や責任者が会議を開いて、どの遊具になら障害をもった子どもを乗せても安全かを決定することになったので、それを待ってほしい、という。そこでやめておけばまあ双方ご意見ご尤もというブナンな展開だったのだろうが、キャスターは個人的に怒っているので、あるいは運動の戦略としてか、そのパーク側の人に「来週まで待てない、今ここで、条件なしに子どもたちを受け入れると言いなさい、これはあなたにとってまたとない機会だ」と畳み掛ける。そ、そんなことをラジオで一介の雇われ人に言われても。。。結局どっちの側からどれだけの介助あるいは補助人員を配置できるか、という現実的な着地点が示される必要があるのでは。さらにまたキャスターからは、「子どもたちを受け入れないのであれば、我々はボイコットキャンペーンを張って、この夏だれもパークに行かないようにする」との発言も。圧力か脅迫かぎりぎりの線ですね。ボイコットにはボイコットをもって対抗するという論理だ。パーク側は「お願いだから冷静になって安全性という面からも考えてほしい」というのだが、キャスターは「この種の事柄について冷静に論理的に考えられる人なんていない、イスラエル中が怒っている、この夏あなたたちのパークには閑古鳥が鳴くだろう」とまで言う。そ、そんなにたやすくラジオのキャスターが論理性を放棄してしまっていいのか? リスナーからの反響も多く、キリヤト・モツキンの市長が、イスラエル中のすべての障害をもった子どもをこの木曜日に自分の市のパークに無料招待するというファクスを送ってくる。議会とかの承認を経ないで言ってるんだろうか。イスラエルだなあ。またこれはユダヤ性に照らして許せないと言う意見を述べる国会議員もいるが、祭司や献げ物の犠牲の身体の完全性を求めるユダヤ性というのはどう説明するのだろう。なんだかもう話が拡散してしまって、パークは入口と出口が別々で、出口の前には土産物屋があって金を使わせようとしているのがケシカランとか言っている人もいるけど、それって世界中の遊園地が取っているシステムじゃないでしょうか。私たちは資本制社会に生きているんだし、キブツは失敗したんだし。とりあえず、パーク側に圧力をかけて再考せざるを得ない状況に追い込んだ、というのは勝利なのだろうが、そして パーク側が最初から安全性をテーマに掲げたのでなく日程がどうこうと逃げを打っている以上、理は障害をもった子どもの親の側に全面的にあるのだけれど、圧力をかけるキャンペーンの仕方というのが、イスラエル世論及びメディアが今まで何度も世界に向けて、「冷静に判断してほしい。感情的にパレスチナ側の言うことをそのまま受け入れないで欲しい」と言い続けてきたのと照らし合わせると、なかなか複雑なものがあります。
6月14日(火)
シャブオットは明けたのだけれど、子どもたちは学校がお休み。注文リストを片手にしている娘と、近所の文具店に行ってビーズや部品を物色。これでキーホルダーを作れ、とかいろいろ注文があるのだそうだ。交通費をかけて安い店に行くか、近所のちょっと高めの店で済ませるか、という選択。そのうち原価計算して値段を付けるようになってくれれば嬉しいのだが。でも私、だんだん相場が分かってきたので、日本とイスラエル、どこでどの種類を買えばお得なのか、見当がつきます。息子は、朝から友だちが3人来ると言う。ドイツで育った子と、農園の子と、ロシア人音楽一家の子。また夫の従姉妹がハイファからコンピュータによる描画を 夫のところに習いに来る。仕方がないので、ご飯5合を炊き、コーンスープ、冷凍タラのフライ、サラダなどで昼食にする。まあこういう展開になるので、金曜日にシューク(市場)で60kgの買物をしたのは正解だったのです。息子たちは、明日がロボット学のまとめレポート(最低90ページ書かなくてはならないのだそうだ)〆切り、かつ聖書のバグルート(大学入学資格試験)があるのだそうだ。明日で、聖書の試験とは未来永劫おさらばということで(もちろん大学でそういう学科に入るのなら別だが)、皆めでたいと喜んでいる。この子たちはどう見てもバルイラン大学に入るようなタイプでもなし、世俗派バリバリで行くことだろう。昼食のとき、ドイツで育った子の両親の職業がようやく判明。お父さんはドイツではアカデミアで芸術の先生だったけれど今は画家、お母さんはフリーのドキュメンタリーフィルムの監督で、今はウディ・アレンについての映画を撮っているのだそうだ。親の職業が説明しにくいのはウチだけじゃないじゃないか、と息子にジマン(いや、私のは明確この上ないですが)。午後夫が道で偶然会ったからと言って、既知の出版社経営者夫妻とその二人の娘さんを家に連れてくる。この人とは軍で同じだったのだけれど、後に彼が超正統派になってしまったという(そういう話、けっこうあるのです、もちろん逆も)。ローティーンの娘さん二人が鈎針でキッパを編んでいる。ようやくこの頃そういうことを始めたのだとか。うちはキッパ編んだって使う人がいないから、ビーズをやっているのです、とうちの娘とビーズ細工を見せる。さらに午後遅くなって、息子の友人がもう一人増える。紙コップと紙皿で生活できるとラクだろうねえ。
ヘブライ大学の日本文化センターの件について、今度は話し合いのためのブログができたというお知らせメールが反対グループから回ってくる。何語ででも(ヘブライ語ででも日本語でも)コメントをつけてください、ということだが、ヘブライ語と英語ベースのブログで、日本語でコメントをつける勇気のある人がいるのでしょうか。というより、コメントできるほど事情が分かっている人ならヘブライ語や英語が そのぐらいはできるわけで、敢えて日本語でコメントするとは考えられないのですが。。。
6月13日(月)
シャブオットの休みである。朝は、2軒隣のピアノの先生の家に朝ごはんに呼ばれる。夫と娘と3人で。ビニヤミナの中にあるチーズ店(牧場付属の工房で作ったチーズなどを販売)で買ったというヤギのチーズなどをいただく。シャブオットですね。うちは子どもたちがさほどチーズ好きではないので、その店ではほとんど買わない。値段も高いし。でもビニヤミナの外からも買いに来る人がたくさんいるほど有名なところなのです。先週の発表会で見た、娘とモト同級だったけれど宗教派になってしまった男の子(ってなってしまったのはお母さんなので、させられたと言うべきか)の話を聞く。毎日バッハを繰り返し聞いているほど音楽好きの子で、我流でピアノを始めてしまい、子どもに教えてくれる男の先生をさがしたけれど近所ではどうしても見つからず、我流で続けるよりはと、2軒隣のピアノの先生で妥協したのだそうです。男の先生が見つかるまでのツナギだと。いやそれを面と向かって言うところが宗教派の宗教派たる所以なのだけれど(男の子だから男の先生につかせなければならないという点において、論理は完璧)、確かにそう言われてしまったら議論にはならないから苦笑するしかない。 女の子には女の先生だ。医者も同様。いやもうこういう状況において(ムスリムのイスラエリ・アラブもたくさんいるわけだし)、先日の世界経済フォーラムによる男女格差調査で日本とイスラエルが同程度(日本38位、イスラエル37位)というのはかなりの健闘、いかにユダヤ人世俗派の世界においては女性が進出しているのかが分かるというもんです。(同調査における 58カ国中最下位はエジプト、下位はイスラム圏で占められている)。
原稿の初校やりとり。PDFにするときに、ヘブライ語フォントが化ける。それをアウトライン化したものだとフォント自体は化けないのだが、符号が微妙に化ける(シェヴァが横側に出てコロンのようになる)、という問題があることが判明。
ハアーレツ英語電子版で、インティファーダの初めからパレスチナ過激派が子どもたちを軍事作戦に用いることが批判されてきたが、それを昨今の入植地からの撤退に反対するユダヤ人たちの子ども(12歳)が道路封鎖などの違法行為を為して拘束され、身元の同定を否認して何週間も釈放されずにいることと比した記事を読む。読者コメントは。。。少なくとも最初のいくつかはかなりピントがずれた、というか教条的、スローガン的なものが多い。まあ外国からだからねえ。でもこれから撤退まで、入植者たちが、子どもを人間の楯に使うケースは増えると思います。
6月12日(日)
昨夜は、結局水泳の先生夫妻、ジフロンの和紙工房をやっている夫妻(ダンナさんがオーボエ吹く人)、銀行支店長夫妻とその友人夫妻、2軒となりのピアノの先生、そしてお隣の奥さん(セラピスト)が来る。ま、それはよいのですが恒例の夫のヘタなフルートに私が伴奏つけるついでに、息子がギターを弾いて歌をうたうことに。。。それも別によいのですが、息子が歌うのは日本のポップだけ。で、私もいっしょに歌えるのと言い始めたのだが、ガクトもオレンジレンジも私は知らず(私が日本のポップスを聴いた記憶は1986年で止まっている)、最終的にコードが簡単で歌いやすいということで、「この空を飛べたら」が候補に残る。そうでなければ「神田川」なんだそうだ。「神田川」!? なんでもSMAPが歌ったバージョンがあるんだそうで、どうでもいいけどちょっとミスマッチじゃないでしょうか。SMAPもだけど、うちの息子だって、とても四畳半下宿という風情ではない。それにしても、いやあ、私、息子といっしょにイスラエル人たちの前で「この空を飛べたら」を歌う日が来るとは思いませんでした。そうと決まったら根がマジメな息子はかなりいっしょうけんめい練習を始めたのだが、あんた、音程がハズれているよ。それじゃ日本で芸能人にはなれない(ああよかった)。で、夏休みの課題として音程をハズさず歌えるようになることを決定する。最終的に私たちのヘタな音楽だけでなく、和紙工房の人がきちんとオーボエを吹いてくれてよかった。世の中の人たちは、私たちはノーテンキだと思っているんでしょうねえ。別にいいのですが(人に何と思われるかを気にしていたらここでは生きていけない)。
今日は夫の母の家に昼ごはんを食べに行く。手作りのクナッフェ(そうめんみたいなものがのっているアラブの菓子)があって、それをもらって帰る。今晩からシャブオットの祭で、本来なら乳製品を食べる習慣なのだけれど、うちの子たちは今ひとつチーズが好きではないので、ふだんどおりだと思います。
6月11日(土)
昨夜は、うちから歩いても行けるシュニという公園施設にあるローマ時代の野外劇場跡(って公園が遺跡のあるところに作られたのですが)で開かれたクラシックコンサートに行く。よく分からないが、夫がこのシュニ主催の何だかのイベント企画を手伝って、そのお礼にと行って広報の人がチケット(といっても席が指定されているわけじゃないですが)を4枚くれたのだそうだ。現物支給方式。私たちで2枚消費。他の二人を昨日さんざん捜したのだが希望者なしだった。子どもには遅すぎる時間帯。で、この野外劇場、星空の下でのコンサートは涼しくて気持ちよく、コーヒーやソフトドリンクだけでなくグラスワインなども売っていてまことにけっこうな雰囲気 なのだけれど、何せ野外なもので蚊の襲来が。。。また席は、かつての石段をコンクリートで固めた上にプラスチックのイスの上部(つまり足なし)だけを置いてあり、これがぐらぐらしてなかなか座りにくい(上でリンクをかけたサイトのヴァーチャルツアーに入るとこのイス状のものが見られます)。Myクッションなどを持参している人もいるけれど。でもコンサートそのものは、イスラエル室内楽団をちょっと拡張して、最初はメンデルスゾーンのクラリネットの室内楽、次にベートーベンの第七、最後がラフマニノフのピアノ協奏曲第三で、とてもよかったです。ベートーベンは、野外はやはり音が拡散してしまって今ひとつだったけれど(ティンパニーなんかがおなかに響いてこない)、ラフマニノフのピアノはよかった。私たち、ケチなのでプログラムを買わなかったのだけれど、このピアニスト(女の人)と指揮者(男の人)の体形がやたら似ているなあ(とてつもなく幅広)と思っていたら、後で Oxana and Dmitry Yablonsky 母子であることが判明。そうかあ。母子だったのか。飛行機で並んで座ったりできるんだろうか。ネットにはロシア生まれで1997年にアメリカに移民と書いてあるが、ユダヤ人なでしょうねえ。夜9時半開演で、そのころは半袖に持参の肩掛けでちょうどよかったんだけれど、終演の12時近くなってきたら寒いぐらいで、私毛布を持ってくればよかったと本気で思ってしまいました。帰ってからホットミルクに蜂蜜を入れて、真冬のような飲み物を飲む。
今夜は夫が友人を何組か招待したので、せっせとブドウの葉を解凍して詰め物をしたものを作る。他にはケーキ4種、パシュティダー(キッシュのようなもんです)2種、ピーマンの中にチーズと香草を詰めたもの。誰が来るの?と夫に聞いてもそのたびに参加者が変わっている。ま、どうでもいいけれど。以前アラブの村Fの銀行支店長をしていた人と統計学でドクター持っている人の夫妻は果物を持ってくるのだそうだ。ここのダンナさんがアラブの村の支店長時代に助けられたというアラブ人たちから、もう職場を移って何年にもなるのに食べきれないほど届けられるものなのだそうで。話を聞いてみると、アラブ人の習慣(ってユダヤ人でも近所の店はそうだけれど)では掛買いで商品を持っていって払わない人が多いので(でも村の付き合いでノーとは言えない)商店主はかなりの借金を抱えることがよくある。うちがよくお米を買うその村の店の店主は、そのため銀行から多大な借金をしてしまい、それを返すためにバゲットを焼く商売(それまでその村にはピタのベーカリーはあったけれどバゲットのはなかった)を始めようとし、そのときその支店長が彼を信用して借金があったのに開店資金を融資して、商売が軌道に乗ったのだそうです。そのようなデータとかによらないカンのようなものがモノを言うビジネスというのはそれ はそれでよいですね(って失敗したら言い訳がききませんが)。まあこういう個人の裁量の余地がかなり多いというのがイスラエル社会のよいところでもあるのですが、悪いほうに出ると正当な理由なく断られたりするので目 も当てられない。それでもって、なりふりかまわぬお願いお願い、コネや圧力、ときには賄賂、ということになるのです。
6月10日(金)
朝から私の仕事部屋の片付けに着手。古い書類その他をゴミ袋3つ分捨て、床の上に積みあがっていた本を本棚に収める。これ、収めただけじゃだめで、分類しなきゃいけないのだけれど、それはまた後日。使いそうな料理の本を取り出して、キッチン脇の本立てに入れたり。私が愛用しているのは、昔なつかしいマドモワゼルいくこシリーズと、婦人之友社の毎日のお惣菜シリーズ、それに丸本淑生先生です。でもお菓子は量を4倍ぐらいにしなければならないので、日本のレシピはあんまり使わなくなった。
考えてみたら、来週の日曜から火曜まではシャブオットの祭で子どもたちは学校がお休み。昼過ぎに夫と娘と3人でオール・アキバのシューク(市場)に行く。子どもたちが家にいるからたくさん果物を買わなければ、ということで、スイカ4玉、アンズ、スモモ、モモなどをどしどし袋に入れ、またトマトやキュウリ、ピーマンなんかもどっさり買う。今日はすべて1kg1,5シェケル(40円ぐらい)。最後にレジで支払ったのが95シェケル。ということは、私たちは今回60kg以上の野菜と果物を買ったことになる。ちょっとオソロシイものがあるが、スイカなんて2日で1玉なくなるのだから仕方がない。一玉5kgとして、スイカだけで20kgだ。しかもたくさん買ったから、長ネギなどおまけしてもらった。それにしても市場で、ロシア語で悪態をつくおばちゃんたちと押し合いながら袋に果物をひとつひとつ選り分けて詰めていると、私はいったいどこにいるのだろう、と思ってしまいますね。運べないので、アラブ人の少年(店の経営者はユダヤ人だけれど、アラブの少年がそうじや運搬などを担当している)にお金をちょっとあげてクルマまで運んでもらう。それからロシア人の店に行き、シャブオット(乳製品を食べる)用のクリームチーズ半キロ、白いチーズ半キロなどを買う。
6月9日(木)
朝から喉が痛くてごろごろする(あー、ごろごろしているのは喉ではなくて私の身体であります、日本語は難しい)。夕方七時から娘のピアノの学年末コンサートがジフロン・ヤコブであるので行く。娘は友だちのフルートに伴奏付ける予定だったのだけれど、その友だち一家が休みを取ってエイラットに行くことになってしまったので、急遽うちの夫が代演。どうでもいいけど、イスラエル人の家庭は子どもに学校を休ませて旅行に行くことを全く躊躇しない。特に小学校はそう。小学校低学年から高3まで総勢20人ぐらい。見慣れないキッパ、しかもニットではなくて黒い布のキッパをかぶった男の子がいてびっくり。彼は小学校1年まではうちの娘と同じクラスで勉強していたけれど、突然お母さんが宗教派になってしまって、学校も宗教派の学校に転校した(させられた)ことが判明。一家のうちで突然宗教派になったのがお母さんだけなので、お母さん(頭に布を巻いて長袖長スカートに靴下)と小学校の男の子二人(布キッパに白シャツ黒ズボン)はどこから見ても宗教派の格好をしているが、お父さんはジーンズにポロシャツ、上の中学生ぐらいの女の子もジーンズにTシャツを着ていて、うーん、これで一つ屋根の下で家族として生活していくのはかなり大変じゃないか、と思われる。(うちの子たちに、今日からお母さんはユダヤ教正統派になったからラーメンもエビの天麩羅も食べちゃだめだよ、などと言ったら猛反発が予想される。自分はともかく子どもを途中から巻き込むのはどういうものか)。また、ビニヤミナ在住のお母さんがタイ人の女の子が新たに加わっている。このタイ人のお母さん(今日は来ていなかったけど)とは、うちの娘がまだ小さかったときに公園で声をかけられて知り合った。うちの娘もだけれどその女の子も見るからにアジア系の血が入っている外見で、アジア系住民の少ないビニヤミナにおいてピアノ学習者に占めるアジア系の割合がかなり高いことが見てとれる(サンプル数が少なすぎますが)。まあ小さいときからピアノを始めた場合、たいがいの場合はエリーゼのためにで終わるか(小学校で打ち止め)、ショパンぐらいまで行って終わりにするか(中学校で打ち止め)のどちらかでしょうねえ。無事に終わって、先生が生徒たちを壇上に上げてひとりずつ紹介。そして「私はきびしい先生だと言われているけれど、本当に本当にあなたたちを愛しているのよ。私があなたたちを愛していること、知ってるでしょ?」と聞かれたときに大声で「ハイ」と答えたのが、最年少の女の子ひとりだけだったので、大爆笑になる。外で持ち寄りのお菓子を食べているとき、息子と同じ学校に通っている高3の女の子(音楽でバグルート[大学入学資格試験]をやった)と話す。うちの子たちのロボット、設備が貧弱なため思うように製作ができなかった、という話をすると、彼女が選択した化学は実験室がないため、授業では先生が「では皆さん、これから私たちが実験しているところを想像してください」と冗談のようなことを言って理論のみで凌いでいるのだそうだ。それに比べれば、ロボットはまだ予算があるほうなのだそうです。すごいなあ。予算緊縮の波。
6月8日(水)
内職ビーズ指輪細工続行。って本質的に好きだからやっているわけですが。こういう手作業モノを売るというのは、私が1986年に初めてヘブライ大学に来たときからやっていた。最初は和紙人形。栞みたいなのではなく立体的なもので、紙はその辺の紙をそれらしく染めて、後には日本から和紙を送ってもらって使った。着物モノだけでなく、アラブ人の女性の衣装なども工夫して作り、最初は寮に住む学生たちが、友だちの誕生日プレゼントに、と言って買いにきた。こんなもん誕生日にもらって嬉しいか?と思ったけれど、結構売れた。それから若くて怖いもの知らずだったので、ヘブライ大学東アジア学科の学生だった友人のイスラエル人と、エルサレム中心部に路上販売しに行った。彼女は自作の洋服を売っていた(つまり私は日本で路上販売しているイスラエル人のことをどうこう言えた立場ではないわけですが、いちおう売っていたのはイスラエル人だということで。またエルサレムの場合は、日時と場所をかぎってエルサレム市当局が観光客誘致のため許可を出していたはず)。結婚して、上の息子が生まれたぐらいの時期は、グリーティングカードに小さい折り紙を貼り付けたもの、モビールなども加わり、夫が夜エルサレム中心街に売りに行って(その当時は観光客などもおおぜい夜そぞろ歩いていたのです。最も買ってくれたのがアメリカ人観光客。エルサレムの中心で和紙を買ってどうするんだ? まあグリーティングカードには夫が金色のペンか何かできれいに書いたヘブライ語が書いてあったわけですが)、生活費のかなりの部分がそれで賄われた。でもいくら好きなことでも商売となるとだんだんイヤになってくるもので、しまいにはすっかり嫌気がさして足を洗ったのでした。イスラエル人の処世訓の最たるものが、いかなる環境に置かれても自分のできることをやって経済的に何とかやっていく、というものなので、まあ娘も芸はないよりかはあったほうがよかろう。でも私、学校で「もうビーズを持ってくるのは禁止」と言われやしないかと思っていたけれど、校長先生も買いたいと言っているのだそうで、その辺の学校の判断というのがよく分からないものがあります。ま、今月末までで夏休みに入るので、そうしたらイヤでも沈静化ですが。
6月7日(火)
昨夜はオール・アキバのショッピングセンターのビーズ屋に娘と行く。うちの近所の文房具屋や荒物屋には、0.3mmのテグスが売ってないのです。ビーズ屋にはさすがに0.25mmのテグスがあったが、値段は荒物屋の2倍以上。ビーズを物色。その店で、60−90シェケルのビーズの指輪を見るが、これって材料が手作りのガラスビーズとかだからそういう値段が付けられるのだと思う。その後、うちの夫のWebsiteを管理してくれている夫妻に家で巻き寿司を食べる。ラー油を入れてぴりっとさせたものなどの新機軸もあり。日本でラー油を入れている巻き寿司ってあるんでしょうか。テレビで天麩羅にしているのは見たことがあるけれど(それもすごいが)。
今日は朝から大学に行く。9時からは3年生の、12時半からは1年生の、4時からは2年生のテストがある。秘書によると、手違いでこういう時間割になってしまったんだそうだ。これだと私は9時から7時まで大学にはりついていなければならないことになるのです。年々、できる学生とできない学生の格差が開いていくような気がする。また日本語の高度な選択クラスを取るのは、とてもできる学生か、はたまた自分の能力の限界を自覚できないほどにできない学生のどちらかの傾向強し。必修ならともかく、選択クラスの場合はレベルが上の学生の照準を合わせるのが筋だと思うのだけれど。解雇になった先生と会って昼食。夏の予定などをうかがう。昼からは他の同僚の先生たちも来て、近況報告のようなグチのような。まあ近況報告というものはだいたいグチと重なるものですが。また学科長から携帯に電話。直後にご本人を見かけたので走り寄って来年の話など。この学科長、若いのに成り行きで学科長という中間管理職になってしまって、実に気の毒。中国文学の研究に没頭できていればよかったのにねえ。7時までいる予定だったけれど、同僚の先生が、もういいから帰ってと言ってくれたので、途中で帰宅。帰ったら娘が、ビーズの指輪の注文が来たから作れと言う。あのう、これって私の内職なんでしょうか。
6月6日(月)
休み2日目。って明日は試験があるから大学に行くのですが。原稿書き続行。たいした分量じゃありませんが某所新連載用。
以前ここでかなり好き勝手なことを書いた前参議院議員の宮本岳志氏からメールをいただく。検索でたどりついたんだそうです。私も検索をかけてみましたが、出てくるのは皆さんマジメな社会運動系サイトばかりで、私みたいにしょうもないことを書いている人はまずいない。すいません すいません状態。十代の頃に知り合った人なもんで、つい気安くあれこれ書いてしまって(一応年上なので先輩でありサン付けしている立場なのです)。私もタマに自分の名前で検索かけて、思いもよらないところにたどりついたりしますが。私、18歳のとき以来会ってないんですけど、お元気そうでなによりです。 なんだかんだ言ってスナオにうれしい。それで、2004年8月31日の記述で現在は南海岸和田駅にほど近い、という箇所は、南海和泉大宮駅にほど近い、というのが正しいのだそうです(わたしたちの岸和田市シリーズ)。 さらにまた、同年7月12日の記述で、私が結婚したと思い込んでいた人とは結婚してないんだそうで、結婚した人はこれまた私と中学が同じで、新聞部に入部しにきて私に会ったことのある中学の後輩なのだそうだ。えええーっと50回ぐらい言う私。早速訂正。それだけでなく重要な指摘、「 自分は当然無神論者であるが、土着的感性は日本共産党にあっては当然のこと」なのだそうです。そうなの? 知らなかった。でもそれで、中国型ともソ連型とも距離を取ってやって来たんだとしたら、けっこうご本人はたいへんだったんじゃないでしょうか。まただんじりは「氏子に認定したから寄付金を集めているのではなく、寄付するのも寄付しないのも自由で、寄付したからといって氏子と認めているわけじゃない」んだそうです。私が子どものときに寄付金集めに来た人は「氏子だから出してください」って言っていたのだけれど、あれは個人の見解だったのね。いずれにしても、あまりにもマジメかつトンガッテいるところが高校時代と全然変わっておらず、時間が25年ぐらいワープする。近いうちの再会を約する。あー驚いた。
6月5日(日)
学期が終わったので、今週から休みです。試験や成績付けはあるけれど、早朝から大学に行かなくてもよい。うれしいなあ。で、ちょっと原稿を書いたり。この夏は、仕事部屋の大掃除もしたい。
ハアーレツ英語電子版で、労働党員の中に占めるアラブ人の数が増え、キブツのメンバーの数が著しく減ったという記事を読む。かつては、キブツメンバーがイスラエル左派の主要な担い手だったけれど、これでバラクが労働党首に返り咲く目はなくなったか。またエチオピアからの移民の子弟が直面しているのは、教育の機会ではなく就職問題だという記事も。今イスラエルには訳10万5千人のエチオピアからの移民がいるのだが、その中でイスラエル生まれの人は3万人。エチオピア系の若者の犯罪率は、そうではないイスラエル人の約3倍(ほら、やっぱりユダヤ人か 非ユダヤ人かは犯罪率とは関係ないじゃないか。それともエチオピア系はユダヤ人じゃないと言うのか? だったら何で連れてきたんだ)。その一方で、大学入学資格を取る若者の数は増加しており、1995年には30%だったのが今では42%に増えている(エチオピアではない若者の場合は60%)。今では1500人のエチオピア系若者が高等教育を受けており、学位を持っているのは3000人。で、問題は教育の機会ではなく、その後の就職ができないということ。エチオピア系に押し付けられたネガティブなイメージのため、持っている学位にふさわしい職のオファーがないのに加え、エチオピア人自身が親戚友人知人が既に就職している業界に職を求めるため、コネが同じところをぐるぐる回るという悪循環。いずれの社会においても、同じ条件であれば、コネがある人物を採るのが世の習い。アシュケナジとスファラディの間の差別は、まずまず妥当なところまで解決されたけれど、ロシア系 はともかく(こちらは数が多いし高学歴の人には事欠かないし社会の中枢に食い込んでいる人材多し)、エチオピア系に対するイスラエル社会の受け入れは前途多難の感あり。
日本のニュースで、JR西日本が事故時に電車が突っ込んだ尼崎のマンションを、購入時の価格で買い取るというのにびっくり。これ、事故当初住民が「JRに買い取ってもらいたい」と言っていたのを、そんなの簡単に買い取るわけないじゃない、とついイスラエル感覚で思ってしまっていた自分に思い至る。いや当然と言えば至極当然のことなのだろうけれど、イスラエルだったら、金がないとか何とかぐずぐず言って引き伸ばしに引き伸ばされるんじゃないかと。。。この種の感覚の変化というのはオソロシイもんです。
6月4日(土)
昨夜は、夫のWebsiteを管理していくれている人がジャム用のアンズを2kgばかりくれたので、ジャムにする。息子が試験勉強のためにと友人を二人呼んだため、大鍋いっぱいのカレーが瞬時にしてなくなる。でもまあそんなのは大した頭痛の種じゃないというのは私はよく分かっております。うちの知人でビニヤミナ在住の、テクニオンの先生一家の女の子は息子と同学年の高校2年で、数学と物理中心のバグルート(大学入学資格試験)をやっている才媛なのだが、連れてくるボーイフレンドというのがどれもかなり年上、つまり22歳の男の子とかで、それを軽々と手玉に取っているので見ていてかなりスリリングなのだそうだ。
朝から、クファル・カラのユダヤ・アラブ共存学校に子どもをやっているモト豆腐屋さんがビデオと翻訳を取りに来る。この人、豆腐ビジネスを辞めてから、自宅に投入製造機を購入し、タマに豆腐を作っているということでそれを持ってきてくれた。うちの夫が、その共存学校といっしょにアラビア語、ヘブライ語の本を出そうとしたのだけれどうまくいかなかったこと、その種の運動には様々な政治、即ち人間関係が絡まっていること、ボランティア活動というものに対するユダヤ人とアラブ人の考え方が決定的に異なっているため、ユダヤ人側の負担が増えすぎて結局ぎくしゃくすることなどを話す。さらに、日本の宗教団体からお金を引っ張ってくるのであれば、その団体の性格によくよく注意したほうがよいことも。ナイーブな人が傷つく結果に終わることが往々としてある業界なので。だからといってシニカルになる必要もないわけですが。
昼はハイファの夫の母の家にご飯を食べに行く。息子は5年生のときの同窓会があると行って出かけ、娘は友だちと海に行ってしまったので私と夫の二人だけ。今は老人介護施設に入っている夫の母の妹さんが、先週うちで出したブドウの葉でご飯と挽肉をくるんだものがたいへんおいしかったと繰り返し言っているという話を聞く。うれしい。この季節のあいだにまた作らねば。
6月3日(金)
昨夕は、娘の小学校の学年末の催しに行く。運動場で、子どもたちの歌や劇を見たあと、教室に展示されている作品を見る。歌はねえ、ちょっとシオニズムが優勢だった。5年〜10年前の「シャローム」「共存」一色のプロジェクトと比べるからなのだろうけれど、娘がソロを歌った「ヘルツェル」という歌も、まあ何というかどうしようもなくヘルツェルの歌であります。あと、言語学の授業が始まった子どもたちによる「ヘブライ語は難しい」という劇、ロシアからの新移民の子どもたちがヘブライ語の難しさに遭遇するという話なのだけれど、演じている子どもたちが全員生粋のイスラエル人なのにロシア語訛りのヘブライ語を無理して話している。それは別に笑いものにしているわけではなし、全然いいのだけれど、娘たちの小学校には、ここ15年ほどのあいだに急激にやってきてイスラエル人口の5分の1を占めるようになったロシア系移民が、ほとんどと言っていいほどいないんだそうだ(もっと以前に移民してきたロシア系の人はいるけれど)。だからロシア系移民問題は、うちの娘たちにとってはあくまで頭で知っている問題であって、身近ではない。温室なのです。昨日ラジオを聞いていたら、ロシア系移民、とりわけ非ユダヤ人における犯罪率の高さが論じられていた。統計的にロシア系ユダヤ人と非ユダヤ人の間には犯罪率に優位な差があるのだそうだ。だから非ユダヤ人の家族には移民に制限をかけようという方向。でもそれって、就職のチャンスなどに由来する貧困レベルの差じゃないの? 非ユダヤ人移民制限と犯罪率は別の問題として考えないとまずいと思います。
昨夜8時半からは、ジフロン・ヤコブ在住のイスラエル自然協会で仕事をしている鳥の鳴き声の専門家(夫の友人)の話を、ビニヤミナ公会堂に聞きに行く。夫たちがやっているビニヤミナのフクロウ・ミミズク再導入プロジェクトの一貫。そのレクチャーに続いて、今日の朝4時から6時まで、ビニヤミナのあちこちを歩いて鳥の声を聞き分けようというツアーが組まれている。で、今日は3時半に起きてコーヒーを飲み、夫、娘ともどもそのツアーに参加。金曜日の朝4時に、大人子ども合わせて20人以上の人がビニヤミナのシナゴーグ前に集まってちょっとびっくり。知人関係だけじゃなくて、新聞に出したお知らせを見て来た人もいる。最初はまだ暗くて夜の範疇なので、ミミズク、フクロウ系の声を聞きに回る。古い家の屋根から屋根へ、フクロウが4羽飛び移るのが見えたりして、ちょっと感動。それにしてもこの鳥の鳴き声の専門家氏、夫によると自然保護協会からもらっている給与は私の半分ぐらいなのだそうだ。何かが間違っているような気がするが。色々な町ではこういうツアーが、参加費100シェケルぐらいを取って行われているそうだが、うちらはもちろんボランティアで無料なのです。朝の鳥たちが鳴き始めるのは5時10分前と聞いていたが、確かにその時刻からヒヨドリ、コキジバトなどが鳴き始め、空が白む頃には鳥たちの姿もはっきり見える。庭木を植えるときには、鳥の食料になるような木(オリーブ、ざくろ、いちじく、松など)を選び、実を少し残しておくと秋から冬にかけて鳥が来るのだ、といった話なども伺う。なるほどねえ。でも私、6時過ぎに解散したときは近所なのだけれどぐるぐる歩き回ったせいでけっこう疲れており、再度ベッドに潜り込んで8時まで寝る。娘もソファに倒れこんで寝ており、結果的に今日は学校はお休み。息子ひとり、7時半に家を出て行った。息子はロボット学のバグルート(大学入学資格試験)が近いので、たいへんなのです。
午前中は、ブドウの若葉摘みやらクッキー作りやらの金曜日のルーティン家事。お隣の奥さんがコーヒーを飲みに来る。撤退賛成の青いリボン運動、列車で配っている人がいたそうだ。以前であればこういうのは、労働党のような政党が中心となって配布したのだろうが、今は労働党は瓦解寸前だし、リクードは仲間割れしているし、で組織的な配布がしにくいらしい。また子ども(幼稚園ぐらい)に、「撤退したら平和が来るの?」と聞かれて、答えに窮した話とか。以前であれば、オスロ合意、撤退、パレスチナへの治安維持権の委譲はそのまま直接的に平和をもたらすと自信をもって言えたけれど、今となっては「うーん、そうかもしれないがあまりにもいろいろな条件に依拠しているので。。。」と口ごもるしかない、と。でも幼稚園の子ども相手に口ごもっていてもねえ、理解してもらえないしねえ。
6月2日(木)
先日いただいた知人からのメールに導かれて、エルサレムポスト紙のYes to the yen?という問題のヘブライ大学日本文化センターに関する記事を読んでみる。私、あまり発言したくはないのだけれど、メジャーな英語紙2つのネットでも読める記事になっちゃったことだし、ヘブライ大学には自分のテニュア取得を危険に晒して反対活動をしている先生もいらっしゃることだし、日本のトンデモさんに対するイスラエル人ジャパノロジストの取るべき態度に関わることなので、ちょっと感想めいたことを書きます。要は日ユ同祖論を含むかなり習合的な教義をもつ日本のある宗教団体が1200万円(けっこうセコイ額)の資金を出して、そのお金でヘブライ大学トルーマン研究所内に日本文化センター(JCCI)が設立され、そのヘッドに著名なイスラエル人ジャパノロジスト(彼がその資金を引っ張ってきた)が就いたということが問題になっているわけです。その団体にはアンティセミティズム的要素があるらしいということが問題にされているのに対して、その著名なジャパノロジストは、新聞記事を読むかぎり、「第二次大戦後日本に設立された多くの宗教の教義は、西洋人(クリスチャンとユダヤ人)の目にはきわめて奇妙に映るものである。私は当該教団の本部で例祭に出たとき、彼らがユダヤ的要素を用いているのに感銘を受けた。彼らはユダヤ人は日本人の子孫だと信じている。また日本では多くのresponsibleな人々がシオンの議定書を信じており、それをユダヤ人に対するコンプリメントだと思っている 。日本にはユダヤ人は力ある民であるがゆえにユダヤ人と仲良くしなければならないという考え方があり、故にアンティセミティズムとフィロセミティズムはしばしば提携している」と述べている。で、話は このセンター設立に加わったモト駐日大使の、この団体はプロユダヤ、プロイスラエルだからオッケーなんだもん、という無邪気な発言につながる。もちろん新聞記事だからそのとおりのやりとりではなかったのかもしれないけれど、ここには、当該団体の教義や資金の合法性云々、あるいはジャパノロジスト同士の私怨確執とは別の問題があると思う。ユダヤ人には理解しがたい日本に特有のシオンの議定書の理解、及びアンティセミティズムとフィロセミティズムの提携があるのであれば、ユダヤ人ジャパノロジストの役割というのはそれを研究、理解しようと 努めることであって、そこから資金をもらうことではないのではないでしょうか。 それはもちろん、イスラエル世論が往々にして陥りがちな、○○にはアンティセミティズム的要素があるからブラックリスト入りね、というレッテル貼りをしていくことでもない。さらにまた日本においてアンティセミティズムとフィロセミティズムがコインの裏表であるならば、そのマズさというのは双方同質同程度のマズさである。それとも政治的判断として、フィロやプロと手を携えてくるならばある種のアンティセミティズムもまたオッケーだと言うのだろうか (いや思い切って言うという選択肢もアリだと思うけど、そう言ってしまったらイスラエル世論の総スカンをくうだろう)。また日本人とユダヤ人の二民族のみが選ばれた民だという思想もオッケーなのだろうか。政治の世界においては「利用できるものは何でも利用する」という論理が横行するのは日常茶飯事だし、日本語も分からないモト駐日大使が乗せられちゃったのは多少仕方がないところもあるけれど、若き学究を指導すべき立場にあるイスラエルのジャパノロジストの第一人者と目されている大学人がそのような発言をメディアで行うのは自らの責任を十全には果たしていないと思います。 日本の多くの人々がユダヤ、イスラエルに何らかの魔術的なものを見ているのであれば、その非魔術化に尽力するのがアカデミズムじゃないですか。それにこれじゃあ、日本ではきわめてマトモな人々が大挙してシオンの議定書やら日ユ同祖説を信じているみたいじゃないの。そうなの?
6月1日(水)
朝から大学に行く。毎日大学に行っていますね。でも私にとっては今日が今学年最後の授業日。うれしい。来年度用の教科書の注文書作成といった書類仕事を少し。1、2、3年と授業。3年生はねえ、すごくできる学生とできない学生との格差がありすぎて、双方に気の毒だった。でも如何ともしがたい。とにかく終わってめでたいことだ。帰宅して、学年末祝いにヘナで髪を染める。夫の携帯に電話しても出ないなと思っていたら、夕方夫から電話。テルアビブにクルマを止めて「私の一品」とかいう雑誌の料理コーナーの取材と絵の展示のための搬入をしている最中に、クルマの窓ガラスを割られて携帯を盗られたのだそうです。何度もモノを運ぶのだけれどその度にロックはしており、クルマからのわずか20mのところにいてアラームが聞こえて戻ったらガラスがぐしゃぐしゃだったとか。近所の方たちが見ていて、最初子どもが自転車に乗っていてクルマのほうに転んだのかと思ったら、その子が逃走用の自転車を用意して盗みを犯したことが判明。やれやれやれやれ。被害はわずかに携帯電話1機。なんでも電話は250シェケルぐらいの相場で売れるから、1日に5件それをやったら1000シェケルの儲けになるのだそうだ。皆さん経済状況が厳しいからねえ。昨日さんざん宣伝した明るくて自由で住みやすいテルアビブはどうしたんでしょうねえ。近所の人たちがとても親切で、掃除機を貸してくれてそうじを手伝ってくれたんだそうです。搬入先の担当者は気の毒がって、著書をお買い上げくださったとか。警察に行ってもみんな慣れっこになっているから、やあやあおめでとう、という感じで、その後ガラスを入れ、携帯の会社で新しい携帯に変えて戻ってきたらしい。ガラスは保険があったので、被害総額はとりあえず250シェケル。
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