

![]() 再現フィルムで自分の役を自ら演じるマルコメ ―レコード会社関係者編― 1.EMI---Leslie Hill LH:「ピストルズと契約した時は、社の人間は皆興奮していた(Leslie Hillは当事EMIのMD)。エキサイティングなニュー・アーティストを見つけたって」 LH:「それがビル・グランディの番組で全てが変わった」 当事のEMI会長:「歌詞の内容があまりにも過激だったので、様々な抗議運動が始まった」 EMIプレス工場長:「工場で働く主婦たちは、抗議運動などはしなかったが、作業を拒否した。ピストルズのレコードとは一切関わりたくないと言い出したんだ」 (EMIはレコード会社だが、エレクトロニクス部門でも大手であり、同部門は兵器の電子部品も生産している) ジョン:「それについては、いろんな噂があるよな。上院議員が役員にいたとか。(EMIのような会社は)極端に権威主義的だよ。守られた塹壕のようなもんさ」 LH:「エレクトロニクス部門の従業員たちが、セックスピストルズのレコードを作っているような会社の系列企業では働きたくないと言い出し、レコード部門の従業員たちは、兵器を作っているような会社の系列企業では働きたくないと言い出して大騒ぎになった」 ジョン:「もう大混乱さ。なのに、マルコムは、どうなっているのか、これからどうなるのか、ちっとも俺たちに説明してくれなかった。彼は自分自身のことにばかりかまけていて。あいつはほら、自分のことアート・オブジェか何かだと思ってるから」 当事のEMI会長:「そうこうしているうちに、飛行機の中で、ピストルズのメンバーがクルーを暴行したという報道があった」 LH:「グランドホステスに向かってピストルズのメンバーが嘔吐したと云う記事が出たんだ」 当事のEMI会長:「いったいこれは真実なのかと思って英国航空に電話してみると、全て本当だと言う」 LH:「八方手を尽くしていろんな人間に記事は本当だったのか調べたが、あの記事はまったく事実無根だった」 ジョン:「契約を解除する理由が欲しかったのさ。怖かったんだろ」 当事のEMI会長:「毒は取り除かねばならなかった」 LH:「あれが、僕の音楽業界でのキャリアの終わりの始まりだった。結局、マルコムは違約金も貰ったし、いいバンドの宣伝にもなったし、彼があの件で失ったものは何もなかったんだよ。だが、僕は全てを失くしてしまった」 マルコム:「彼は、その後西部の田舎で、カーペットのセールスマンになってるよ」 (この発言の後、カーペット・ショップに立っているLeslie Hillが、キッツイ冗談として映し出される。彼はその後英国屈指の民放テレビ局ITVの会長にまでなった人物であり、カーペットを売ったことは一度もない。今年始めジョンの再ブレイクのきっかけとなったI’m A Celebrity Get Me Out Of HereがITVの番組であったことを考えれば、因縁を感じずにはいられない) 2.A&M Derek Green DG:「ピストルズの契約は、個人的な苦闘であり、契約解除はさらに辛い苦闘だった」 DG:「デモテープを聴いただけでサインすることに同意したんだ。ところが、その後になってマルコムが、マトロックは脱退したと言うんだ。こちらはもう寝耳に水さ。シドという新メンバーがすでにいるというから、彼はどの程度弾けるんだいと訊くと、全然弾けないというじゃないか」 DG:「それで嫌な予感がしていると、週末に電話がかかってきて、今度はBob Harris(英国で大人気だったBBCの音楽番組The Old Grey Whistle Testのプレゼンター)と、ピストルズのメンバーが小競り合いを起こしたって云うんだよ。嫌な気がした。とてつもなく嫌な気が」 DG:「月曜日の朝、僕は車で職場に向かう途中で、友人でもあったA&R(Artist and Repertoire)の責任者を拾って、そのまま二人でオフィスではなくブライトンに行ったんだ。ブライトンの石の海岸に彼と並んで座って、僕は海を見ていた。そして、海に石を投げ入れながら、言ったんだ。僕はとんだ間違いを犯したって。個人的な失敗だったと。そして上司に電話をしたんだ。責任を取って辞職します、と」 (しかし、長年A&Mに貢献してきた彼の手腕は高く評価されていたので、彼の辞表は受け入れられず、代わりにA&Mとピストルズとの契約が解除されることになる) ジョン:「契約は7日で終わったんだっけ。そんなに悪くねえじゃん」 3.Rick Wakeman RW:「A&Mがピストルズと契約した日に、テレックスでDerek Greenにメッセージを送ったんだよ。『ピストルズと契約おめでとう。今度会う時には、君も体の様々な穴から20個の安全ピンをぶら下げていることでしょう』ってね」 RW:「そしたら、そのメッセージを何処かで誰かが見たんだな。A&Mがピストルズとの契約を解除した直後、新聞に出たんだよ。A&Mがピストルズとの契約を解除した理由は、アメリカのカーペンターズのリチャード、そしてイギリスの僕が、ピストルズとの契約を解除しなければ僕たちが移籍すると言ったからだって。僕は急いでDerek Greenに電話したよ。そしたら、秘書が出てきて彼は旅行しております、と言うから、いつ帰ってくるの、と訊いたら、6ヵ月後と言うのさ」 DG:「ピストルズ側との契約解除のミーティングから出て来たその瞬間に、僕は逃げた。隠れる場所を決めていたわけではないけれど」 4.そして、ヴァージンとブランソン ジョン:「ヴァージンは笑えたよな。ヒッピー・シタデル(ヒッピー城)No.1って感じでさ」(おかしそうに目を輝かせて) マルコム:「僕は決してヒッピーを信用しなかった。最悪のタイプのパブリックスクール(私立の金持ち学校)・ボーイ」(眉をひそめて) ジョン:「ブランソンはいいじゃないか。俺たちを引き取るつもりだったんだから。彼はOKさ」(まだおかしそう) マルコム:「一緒に仕事はしたけれども、ずっと彼は好きじゃなかった。僕は彼の全てが好きじゃなかった」(本気で嫌そうに) ジョン:「権力狂さ、権力狂。ブランソンはちょっとMalcolmy(マルコムちっく)だな」 (あるヴァージンの店のマネージャーが、店の窓にNever Mind The Bollocksのポスターを貼ったため、1889 Indecency Law(1889年制定猥褻物取締法)に違反したとして逮捕され、裁判になった事件について。マルコムは、これはあくまでも政府とヴァージンとの間の問題であって、自分やピストルズには全く関係ないと云う立場を貫いた) ジョン:「マルコムは裁判所に姿を現さなかったんだよ。それで裁判の後、ノッティンガムのラジオ局で、マルコムに捧げる歌をかけてやったのさ。クリフ・リチャードの(突然歌い出す)It’s not funny how we don’t talk anymoooooore。エクセレント!(上機嫌で目をきらきらさせて)。この曲かけろよ。今でも俺のフェイヴァリットの一つなんだから(嬉しそうに。そしてクリフ・リチャードが同曲を歌う映像が流れる)」 ―そして再び、J&M死闘編― ![]() 流し目のマルコメ (隠し撮り事件について) マルコム:「(脱退後)ロットンが、自分が貰うべき報酬として、75,000ポンド要求してきたんだよ。僕は一回限りで、その額で済むなら安いものだと思ったんだが、僕の弁護士が高すぎると言うのさ。弁護士は、それなら、ロットンを無理矢理にでも映画(「ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル」)に出演させろと言うんだよ」 ジョン:(この部分、BGMはピンクパンサーのテーマ)「隠し撮りしていやがるんだよ、あの映画のカメラクルーが、俺を。奴らはもう俺を要らない、俺を認めない、俺もあいつらとはもう一切関わりたくない。なのに、なんであいつら俺の許可もなしに、こっそり俺をカメラで撮ってやがるんだ?相変わらずあの厚かましい態度を続けていやがるのさ」 (ジョン脱退後、ピストルズは空中分解して行く。そしてジョンは、マルコムへの訴訟の準備を進めていた。最初の聴聞が始まったのは、シドの死後わずか5日目のことだった) (裁判の泥沼・罵り合い一本勝負) ジョン:「あれは金、腐敗、音楽とは関係ないプロジェクトに流れて行った巨額の収益、に関するシリアスな訴訟だった」 マルコム:「僕達は、充分な裁判への準備をしていなかったんだよ。その点では怠慢だった」 ジョン:「マルコム側の言い分は、気違いみたいに幼稚だったよ、まず個人攻撃から始まるんだ。ヴィヴィアン・ウエストウッドみたいな輩が『あたしは最初から彼は嫌いだった』なんて。アホか。何の関係があるんだ。てめえが俺を嫌っているのは一向に構わんが、だからと言って、俺が受取るはずのものをネコババすんな。曲を書いたのは俺だ。おまえじゃない。俺は全力をあげて戦うつもりだった。こちとら隠すことは何もないんだから。俺はすでに財布を盗まれてたんだから、ただそれを取り戻したかった」 マルコム:「僕は、なんとなく起きている事全体を面白がっていた。ワンダフルな冗談として始まった事が、裁判沙汰にまでなるなんて」 マルコム:「一方で、ロットン側の弁護士は、彼を白馬の騎士のように描き出すんだ。この哀れな栄養失調の少年は、邪悪な男に騙されて音楽業界に引き入れられ、利用されて搾取された、という風に」 ジョン:「俺に、物凄い額の未納税金の請求書が来たんだよ。びっくり仰天したよ。いったいこれから、俺が貰ってもない金に対する税金がいくら来るのかと思うとゾッとした」 裁判官は、The Great Rock’ n’ Roll Swindleの脚本も証拠として読んだ。マルコム側の形勢不利が明らかになってくる。 マルコム:「マスコミがこぞって僕のダークな面を書きたて始めた。人類史上最も邪悪な男がその全貌を表しはじめた、といった具合にね(半ば熱狂して)。そして思った。こんな感じで去るのは、悪いものではないと(うっとりと、陶酔の表情)」 ジョン:「俺はいつでも証言台に立って、必要とあらば何でも証言するつもりだったよ。でも、誰かさんはそうじゃなかった」 マルコム:「裁判の結果が出ることになっていた日、僕はタクシーを呼んで、口座のあったオックスフォード・ストリートのミッドランド銀行へ行き、いくらかの金を引き出して、それを自分のポケットやソックスや全身に突っ込んで、僕はまるで歩く紙幣のようだった。体中、女王の顔のついた紙切れだらけになって・・・(熱っぽく興奮)。この腐った国を去る最高の方法だと思ったね」 (そして8年に及ぶ法的バトルの末、漸くピストルズの金と資産は、ピストルズの元へ戻されることになった) ジョン「あの裁判について、あいつはこれまで(インタビューなどで)まともに尋ねられたことはないだろう?あいつがあの裁判について説明を要求されたことは一度もない」 マルコム:「僕はあの時点で、本物の悪魔、精神異常者にされてしまっていたんだ。実際はそうではないのに」 ジョン:「(煙草を吹かしつつ)あれは、あいつの人生の中で、最も注目に値する、重要な時期だと思うけどなあ」 マルコム:「あれは甚だしい誤審だった」 ジョン:「奴の名前はあれ以降、出てくるべきじゃなかったんだよ。あいつは消えて行くべきだった。ふん。もはや君の存在には、何の意味も重要性もない。お前の負けだよ、BAST**D(アップでカメラに向かって凄む)」 マルコム:「彼は、一生懸命に悪くなろうとしている善人なんだ」 ジョン:「俺は人のものを借りたり、ネコババしたり、盗んだりして、それに勝手に自分の名前をつけて自分の所有物にしたりしない」 マルコム:「彼は、基本的に善良な、ナイス・ボーイなんだよ」 ジョン:「だから、俺と一緒に仕事するのは難しいかもしれないな。(きりっと)それが俺のスタンダードだ」 マルコム:「悪人であることは大変なんだ。僕は悪くあるために、もがき苦しんでいる(感極まって涙ぐんでいる)。とても大変なんだよ。とても。だが、最後には報われるんだ(遠くを見てうっとり)」 では、長い年月が流れても、マルコムとあなたが和解することはないのですか?とインタビュアーに訊かれて、 ジョン:「和解っつったって、俺たちの間には、最初からフレンドシップなんかなかったから(キュートな笑顔でニコリ)」 ![]() ジョン:「(悪戯っぽくニヤリ)Business as usual(業務平常通り)ってこったな」 |
![]() BBC3が製作したピストルズのドキュメンタリーBlood On The Turntables:SEX PISTOLSは、基本的にはこれまで幾度も語られてきたピストルズの伝説の語り直しに過ぎなかったが、現在のジョン、マルコム、そしてグレンのインタビューが見られた点で貴重な番組だったと言えるだろう。特にジョンとマルコムのインタビューが交互に流され、同じ出来事に対して語る二人の見解の相違が興味深く、一部では、喧嘩の花道的な罵り合いも見られた。 さらに、EMI, A&Mのピストルズとの契約を進めた担当者たちの、当事を振り返る証言などもあり、今ではいいおっさんになった方々が、若き日の情熱と失態に関して率直に語る姿には感慨深いものがあった。 以下は、番組の中から抜粋。 (ピストルズについて) ジョン:「俺たちは岩のように堅固なユニットだった。ソリッドな小戦隊だった。俺たちは戦っていたんだよ」 マルコム:「求心力のない、リーダー不在のバンドだった。あのバンドの真のリーダーは、SEXというショップであり、そのオーナーである僕だったんだ」 ジョン:「マルコムが君を創造したんだろ、なんて言われる度に血がたぎるね。フッフッフッ。素晴らしい目的意識を与えてくれるよ」 マルコム:「僕は、彼らを素材として用いた事をオープンに認めている。彫刻家が粘土を使い、画家が絵の具を使うように」 ジョン:「曲もつくらねえ、レコーディングもしねえ、ギグもやんねえ、インタビューもしねえ。何ひとつしたわけじゃねえじゃないか、あの男は」 マルコム:「僕は、スヴェンガーリだとか、ペテン師だとか、詐欺師だとか言われて責められるが、ある程度、それは全て真実なんだよ」 ジョン:「俺の自尊心。それは誰にも傷つけられない。これからも、断じて。これは俺の戦争なんだ」 (互いの第一印象について)
ジョン:「本当に気が合ったことは一度もない。親しくしたこともない。なんか気色の悪い男だったよ。だって、レースだぜ。それも、黒レース。ああ色っぽい。けっ」マルコム:「ジョンと云う名の凄い奴がいるというから、とりあえず彼が店に来た時にじっと観察してたんだ。それで、唐突にシャワーヘッドを握らせ、店の隅に立たせて、歌え! 大声で。ステージに立っているつもりで。さもないと、そこにいるスティーヴ・ジョーンズって男が、お前をボコボコに殴るからな。と威嚇したんだよ。すると、彼は脅えて歌いだした。それがアリス・クーパーのEighteenだったのさ。彼の、どこか片輪のように見える無防備さが、凄く気に入った」 (バンド加入後) ジョン:「俺はみんなと仲良くして打ち解けてやりたかったよ。ふん。でも、そうはならなかったのさ」 マルコム:「彼はグループにいることが嫌いで、グループが嫌いで、誰もかも全員がとにかく嫌いだった」 ジョン:「ありゃあ妙だったな。誰も俺の相手をしようとしないのさ。それに、みんな頭が悪そうだった」 マルコム:「ロットンと僕の最大の悲劇は、ヴィヴィアンが彼を見た時さ。『あの子をバンドに入れたの?なんてバカなことを!私が言っていたのは、別のジョンのことよ。あれじゃない』と騒ぐんだよ。僕は『OH MY GOD!!なんて間違いを犯したんだ』と思ったよ。そして、本当にもう一人のジョンがいたんだ。そのジョンは、ロットンの友達だった。それが、シドことジョン・サイモン・リッチーだったのさ」 (SEXの服について) マルコム:「鞭、鎖、ペニスリング、僕達はポルノグラフィーを売っていた。店全体をセックス中毒者たちのアサイラムにしたのさ」(熱っぽく) ジョン:「あんなもん売ってたのは、セックス・ショップだけだよ。変態の行く」 (グレン脱退の経緯) マルコム:「グレン・マトロックは、ビートルズやアバのファンだった」 グレン:「いや、ファンと云うわけではないけど、どっちもいいと思うよ。特にアバ」 ジョン:「グレンは、幾つかのピストルズの曲の内容は過激過ぎると思ったんだな」 グレン:「(バンド内部で)緊張感が高まっていた」 ジョン:「十代の怒り、みたいなものが炸裂してたな」 マルコム:「グレンは、基本的に、ナイス過ぎたんだ。いつもママの事ばかり心配して」 グレン:「マルコムは決して満足しないんだ。物事が平穏にいってると、わざと引っ掻き回したくなるタイプで」 ジョン:「そういう風になると、もう伝言ゲームみたいなもんさ。しまいには誰が何を言ったのかわからなくなって」 マルコム:「誰もグレンと争ったわけじゃない。グレンはなんとなく隅に押しやられて行って、メンバーは皆、彼が自分から出て行くかどうか見ていた」 グレン:「ジョンと仲良くしろって言われたけれど、そんなフリをするのは嫌だったし」 マルコム:「グレンは他のメンバーとはちょっと違う考えを持っていたんだよ。曲を作ったのは俺じゃないかって。そして、それは真実だ。まともに働いているメンバーは彼しかいなかったんだから。ロットンも幾つか詞を書いたし、それらは素晴らしかった。だが、ピストルズがグレン脱退後、あまり曲をつくってないのは、その辺りが原因なのさ」 ジョン:「グレンの立場は、良くなかったよな。何故なら、彼は去り、その後に入って来たのがシドだろう。考えてもみなよ。シドの才能は(皮肉っぽく目を剥いて)無限だったからな」 (注記:グレンが、ピストルズが最初のギグを行ったセント・マーチン・アートスクール(グレンの母校でもある)や、暫くメンバーが住んでいたデンマーク・ストリートのアジトを訪ねるシーンもあり) ![]() (シドについて) ジョン:「彼はベースを習う必要もなかったし、弾けなくてもよかった。そんな事は問題じゃなかった。ただ、わざと弾こうとしない、その姿勢が問題だったんだ」 (元MI5スパイの証言) 元スパイ:「94年から96年まで自分が勤務したミルバンクのMI5(英国機密情報局)本部の、テロリスト、諜報部員などの監視を行う部署には、『1977年コンテンポラリーミュージック破壊活動分子』と云うタイトルの付いた膨大な量の資料の入ったファイルがあった」 マルコム:「実際、パリのハードコア・アナキスト・グループの多くが、GOD SAVE THE QUEENは自分たちの歌だと言って称賛したんだよ」 ジョン「英国政府がどれほど国民の税金を無駄にしているかと思うと、呆れるな、俺は。ポップ・バンドの監視なんて、幼稚でアホみたいじゃないか。他にやらなきゃならない事は沢山あるだろうに。この国は、何処かが基本的に間違っているって事がよくわかるってもんだ」 元スパイ:「中の書類は、全てセックスピストルズに関するものだった。殆どが新聞や雑誌記事の切り抜きだったが、中には、機密文書もあり、電話の盗聴記録なども収められていた」 マルコム:「一度、パブでロシア人ジャーナリストの取材に答えていたんだが、そのジャーナリストが連れていたのは、間違いなくKGBのメンバーだった」 ジョン:「そういう事になると、あんまりハッピーで明るい生活は送れなくなるよ、言っとくけど。俺は気にしねえから、俺を監視したいんだったらしたいようにすればいい。自分たちにはそうする権利があると思ってるんだったら、好きなだけ俺の尻を見ていたらいいんだ。でも、いいか、いくら見ていたところで、俺の尻からは屁ぐらいしか出てきやしねえぜ。アホくさい。 他にもっとやるべきことが沢山あるだろう、バカなポップ・バンドなんか監視するよりも。いや、待てよ、・・・と云うことは、俺たちはバカじゃなかったのかなあ。ふーむ。(片眉を上げてニヤリ)きっと俺はいいとこ突いてたんだなあ」 (The Great Rock’n Roll Swindleについて) ジョン:「マルコムが操作して大失敗したな。ピストルズから鋭いエッジを取り払って、質を落として、軟弱にしてしまいやがった。睾丸がないんだよ。(ピストルズを)シュークリーム(注:おかまの意でも使われる)にして世界に見せやがった」 |
![]() ノーラとジョンの生活には、これと云ったルーティーンは無い。ノーラは世界中を飛び回っているし、それぞれ別の関心や興味を持っているから、うまく行っているんだ、とジョンは言う。現在、ノーラは音楽に熱中していて、近くに住むジョンの弟マーティン(サウンドエンジニア)と一緒に、自宅でラップの曲をレコーディングしている。「あんな速いラップ聞いたこともねえ。ドイツ語訛りの英語でさ、ぎょっとするよ」と、ジョンが嫉妬を覚えるほどの強烈な作品らしいが、ノーラはCDのリリースなどは一切していない。 「そこら辺は俺と同じなんだよ。音楽は、自分のためにやるものだから」とジョンは言う。 ジョンはノーラを誇りに思っている。今でも、ぞっこん惚れ込んでいるらしいのである。 ジョンも現在自分のアルバムを仕上げているところであり、出来には満足している。すでにレコード会社数社からリリースのオファーがきているらしいが、ジョンはまず自分が納得できるアルバムを完成させたいと考えている。中途半端なところで契約してしまうとレコード会社に干渉される可能性があるからだ。「俺にブリトニー・スピアーズみたいな事をさせようと思っているのなら、彼らは見当違いをしている」 ジョンは、自分自身がやったこととしてはセックスピストルズよりもPILを誇りに思っている。英国よりPILを評価する人々の多い米国にジョンが居住しているのも、偶然ではないだろう。ジョンは、ピストルズの曲についてはあまり積極的に語りたがらない。 ジョンは、ステージに立つことに対する恐怖感について描写された、Alec Guinnessなどのような俳優の伝記を読むのが好きだ。何故なら、ピストルズ以来ずっと、ジョンもステージに立つことに恐怖感を覚えてきたからである。ピストルズ再結成ツアーで、英国のクリスタル・パレスで演奏したときに聞いた観客の怒号は「魂を鼓舞する」と云うよりは「獰猛で恐怖感を覚えた」とジョンは言う。 ジョンはステージ上ではあぶなっかしかった。ワイヤーがあれば転ぶし、マイクスタンドの鋳鉄の支えの部分に飛び乗った拍子にマイクが倒れ、それが口を直撃して歯を折ったこともある。歯がボロボロに腐っていたので、スティーブに「Rotten」とあだ名をつけられてから3回目のギグでの出来事だった。 ジョンは数年前、米国の歯医者にかかってやっと本格的に歯を治してもらったらしいが、それ以降すでに腐った歯があり、それに関しては抜いてもらったようだ。 ジョンは、ジョニー・ロットンはいい奴だったと思っている。ジョンはジョニーが大好きだった。しかし、ジョニーでいることはあまり楽しいことではなかった。世界中が彼を嫌っているような気がした。一度、エジンバラでギグをしていた時、女性客がスティレットヒールを投げつけてきて、ヒールの部分がジョンの額を直撃したらしいが、その女性客はギグの後でバックステージにやってきて、自分の靴を返せと要求したらしい。「とんでもねえ女だ」とジョン。 今でも、ジョンは周期的に鬱になる。6ヶ月に一度ぐらい、憔悴して、もうこれ以上ハイテンションを保てないという状態になるらしい。「躁鬱みたいなもんだ」とジョンは言っている。ジョンはとことん鬱に浸ることができる。「苦悩こそが俺なんだ」。けれども、ジョンは決して、自分中心的な考えや自己破壊のルートには進まない。過度なアルコールや麻薬に溺れることはしない。それはジョンのやり方ではないからだ。 ジョンの腕には、煙草で焦がした跡が複数残っている。「一回5ポンドで、いろんな奴に焼かせてやったんだよ」とジョンは言う。泥酔した時には、焼かれても痛みを感じなかった。いや、実は痛かったのだ。猛烈に痛かったのだが、ジョンはその痛みが好きだった。「今になって考えれば、必死で他人に注目されようとしてたんだろうな」。あの頃、ジョンと云う名の男たちは皆そうだった。ジョン・ライドン、ジョン・スティーブンズ(ランボー)、ジョン・ウォードル(PILのJah Wobble)、そして、ジョン・サイモン・リッチー/ビヴァリー(シド・ヴィシャス)。 シドは、ナイフやその他手に入るありとあらゆる凶器を使って自分のからだを傷つけた。そしてそれがいつしか麻薬への依存になり、1979年、ヘロインのオーバードーズで死亡した。ジョンは、彼の死が今でも理解できない。時代は変わり、現在人気のある麻薬はヘロインではなく、スピードだ。ジョンは、ヘロインは「自己憐憫型の、馬鹿らしい、ネガティブなドラッグだ」と言い、やった事があるとは認めないが、「どんなものだかよく知っている」と言う。 人々は、シドは短い生涯を送る運命だった(彼は21歳で死亡した)と言うが、ジョンは全くそうは思わない。「シドは、長生きしたいと思っていたさ」。ジョンは今でも彼の喪失感を抱いている。彼の死後暫くは、もっと彼を守るために行動すべきだったのではないか、と自分を責めた。 ジョンは、一部シドのためもあり、ピストルズのメンバーが受け取るべき金銭を要求すべく、マルコム・マクラレンに対する訴訟を起こした。その事で彼が感謝されたか?全く感謝されなかった。けれども、ジョンはその事に驚きはしなかった。バンドの他のメンバーは、あの頃何が起こっていたのか、よく理解していなかったからである。彼らは、ピストルズの曲が何に関するものかでさえ、理解していなかった。 ジョンは、マルコムについて「俺のやることにいちいち脇から悪意のこもった野次を飛ばさずにはいられない、哀しい老人」だと言う。 ジョンは、自伝の映画化をWAYNE’S WORLDのPenelope Spheeris監督と共に進めている。ジャスティン・ティンバーレイクに主演させたいなどと単なる冗談で言いふらしているが、ティンバーレイクがその噂を何処かで聞いたらしく、興味を示したらしい。「ティンバーレイクを主演させて何かメリットがあるとすれば、それはルックスだけだろう」とジョンは語る。 Rottenと云う呼び名は、もう子供っぽ過ぎるのではないかとジョンは考えているようだ。しかし、同時に、誰がジョンに大人になれと言ったのだ? ジョンは子供の頃から誕生日など祝ったこともないし、それは今でも変わらない。自分が何歳になるのか、思い出さされるのが嫌なのだ。しかし、その一方で、もうすぐ50歳になることを誇りにも感じている。車の運転(ジョンは免許を持っていない)を学ぼうかとさえ思っている。現在、ジョンはもっぱらノーラの運転するVolvoで移動しており、二人のセカンドハウスのあるMalibuにも、いつもノーラの車で行く。 「1975年にキングスロードをうろついていなかったら、そして、マルコムに見出されてピストルズのリードシンガーになってなかったとしたら、あなたはどのような人生を歩んでいたと思いますか」と記者に尋ねられると、ジョンは「別の人生は想像できない」と答えている。 クレーン・ドライバーだったジョンの父親は、(ジョンもずいぶん後になって知ったことだが)若かりし日、アイリッシュ・ショーバンドでアコーディオンを演奏していたらしい。 病弱だったジョンの子供時代に、自分の子供の病気や父親としての自分の責任を怖れ、ジョンとは親密な関係を築けなかった父親とジョンとの関係も、現在はすこぶる良好である。 ![]() ノーラ、ジョンパパと共に ジョンは、彼の怒りの原点は、自らが生まれ育った階級にあると言う。ロンドン北部のみすぼらしい公営住宅は「怒れる人間」を育む場所だと言う。同じ環境で育ったジョンの弟たちも、現在はそれぞれの人生を送っている。ジミーはロンドン北部で塗装業を営み、ボビーは北アイルランドでキャラバンパークを運営し、マーティンはカリフォルニアで主夫(兼サウンドエンジニア)をして暮らしている。 ジョンは、The Sunday Timesの記者に、描きかけの壁画を見せている。それは、弟の家のバスルームに飾って、弟の子供たちを喜ばせるために描いている魚の絵だ。「ラッカースプレーを使うんだ。魚がゆらめいて、まるで動いてるように見えるようにするつもりなんだ」とジョンは楽しそうに記者に語っている。奥の部屋には、ゴールドディスクが一枚だけ飾ってある。「ピストルズ・メモラビリアの最後の生き残り」とジョンは言う。その他のものは全てチャリティーに寄付した。 I’m A Celebrity…の出演料も、シエラレオネの猿(ジョンはディスカバリー・チャンネルでこの猿に関するドキュメンタリー番組を観たらしい)を保護するチャリティーに寄付した。チャリティー団体からシエラレオネに招待されたが、同国は内戦状態にあることがわかり、紛争が落ち着くまで待とうと考えている。それ以外にも様々のチャリティーの話が出ていたらしいが、ジョンは「あまりこのことについては記事にしないでくれ」と言ったらしく、記者は最後にこう結んでいる。 “ジョンは、まだ完全に「ジョニー・ロットン」でいるのを止めるつもりはないらしい。でも、それはいいことじゃないかい?” |
The Sunday Timesの記者は、LAのジョンを訪ねた初日、ジョンとその「スーパー・マネージャー(ジョン曰く)」ランボーと共にジョンの自宅近くのMercedes Bar &Grillに出かけたらしい。ジョンは店内で、トイレから帰ってくるなり「パンツのゴムが切れた」と宣言し、気さくにその切れ具合を記者に見せ、「今日は俺は見栄えがよくないから」と写真撮影を断っている。ジョンとランボーは店にいる間中ウォッカベースのカクテルを飲み続け、伝票が来た時にはシー・ブリーズが16杯と記載されており、記者は、自分は2,3杯しか飲んでいないと書いている。 翌日の昼過ぎ、記者がジョンの自宅に向かうと、ジョンとランボーはチャンピオンリーグのアースナル(ジョンの贔屓チーム)対チェルシーの試合を観ていたらしい。試合後、カメラマンと相談して写真撮影に入ったジョンは、「家に近過ぎる」としてカメラマンの提案した撮影場所を断っている。そして自ら別の撮影場所を提案し、「俺のアイディアだったらいいんだよ」と言って、協力的にかつひょうきんに撮影に応じた。 “ジョンは「theatricalな」歌っているような調子で喋り続けた。彼との会話では通常の意味でのQ&Aは成立しない。ジョンは質問を聞き、それに答えはしない。彼は猛スピードでころころ話題を変えながら、ひたすら独白のように語り続ける。”、“彼の語彙は豊富でユーモアに溢れ、風刺がきいている。”と記者は書いている。しかしながら、ジョンはやはり放送禁止用語又は猥雑な言葉を多用する。それについてジョンは、「俺は自分らしく、正直に喋っているだけだ。俺はリアルな人間が好きなんだ」と語っている。さらにジョンは、エルトン・ジョンは会ってみるとリアルな人間だったので気に入った、とも言っている。 放送禁止用語に関し、ジョンはこう語っている。「俺たち自身の言葉を取り去られてしまったら、俺たちに何が残るんだ?何も残らない。何もだ。世の中には“Fucking Cunts”が存在していて、その言葉よりも正確にそいつらを表現できる言葉はない」。 ジョンが喫煙している煙草の銘柄はマルボロ(あくまでも赤)。ジョンは、「俺は物凄く神経質だから、気分を柔らげるために煙草を吸う」と語り、たて続けに煙草を吸う。「俺には二つのモードしかないんだよ。Flat out(くたくた)か、FLAT OUT(ギンギン)か」。 ジョンはジッパーがあちこちについた20ドルのSamsoniteのパンツに、メタリック・ブルーのトウ・キャップを露出させた黄ステッチのDr Martensを履いており、撮影用にジョンのヘアをセットしたのはヘアスタイリストではなくランボー(!)だったらしい。パンクのDo It Yourselfの精神はいまだ健在と云ったところか。(ジョンとランボーは、「ベッカムその他のサッカー選手たちは、ジョンのヘアスタイルに多大な影響を受けている」と考えているらしい) ジョンの自宅の漆喰の外壁は、アーノルド・シュワルツェネッガーが、ハリウッドに来た当初、臨時雇いの建築現場作業員をしていた頃に建てたものだとジョンは語っている。さらに、1996年頃のある日曜日の午後、ジョンが二日酔いで自宅で休んでいると、シュワルツェネッガーが突然自転車に乗って訪ねて来て、家の内部を見せてくれと言ったらしい。ジョン曰く、「ターミネーターとその嫁が、いきなり俺の家に入って中を見たいなんていうんだよ。ふざけんな。俺は奴らを入れなかったよ。俺の日曜日だぞ、まったく」。 現在シュワルツェネッガーは、ジョンが居住する地域の半分近くの不動産を所有しているらしい。 ジョンとノーラは現在住んでいる家を17年前に購入しており、当時の購入価格は現在に比べるとかなり安かったらしい。LA郊外の静かな住宅地Marina del Reyの中心地にあるジョンの自宅は、1910年に建てられ、女優Mae Westが海辺の別荘として使っていたもの。ジョンは、「洒落たレストランやショップが出来るずっと前から、俺はここに住んでいたんだ」と主張している。観光客が増え、のどかな周囲の環境が変わって行くことにジョンは不安を抱いており、静かな生活を守るための活動に積極的に参加したいとも考えている。 当然ながら、インタビューではI’m A Celebrity Get Me Out Of Here出演にも話が及び、ジョンが同番組に出演中には、英国のタブロイド紙の記者たちがMarina del Reyを訪れ、ジョンについて嗅ぎまわったらしい。ジョン曰く、「やましいことは何もないから、探したところで何も見つからなかったのさ」。 ジョンは女癖が悪いわけでもなく、不動産開発業者でさえなかった。この噂は、ジョンが英国のタブロイド紙The Sunの記者に「俺は不動産開発業者だ」と以前冗談で語ったところ、それがまことしやかに広がって行ったものらしく、本人は結構それを面白がっているようだ。 ITVは昨年もジョンにI’m A Celebrity…出演を打診していた。その時はあまりにも急な話だったので断ったが、今回は、ソロアルバムの発表を控えていたこともあり、タイミングがいいと云うことでジョンは出演を決めた。出演前、本人は様々な不安を抱いていたらしい。カメラの前で自分がコントロールできなくなり気違いみたいになるかもしれない(実際、時々なったけれども)、激怒するかもしれない、案外ハッピーになったりするかもしれない、何もかも台無しにしてしまうかもしれない・・・。しかし、最終的にジョンは考えた。 でも、それが何だって云うんだ?俺は何にでも挑戦できるし、その責任は自分で負う。 だが、ジャングルに向かう前、ジョンはなぜか他の出演者と同じホテルに宿泊させてもらえなかったらしい。「ホテルがいっぱいだったから」とテレビ局は言い訳したが、ジョンはひとりだけ仲間外れにされたようで怒りを覚えた。しかし、結局は他の出演者に煩わされることなく、快適だったのでよかったらしい。リハーサルでは火をおこす練習をしていて髪を燃やしてしまったりいろいろあったらしく、ジャングルに向かう前夜、日焼けしたように見せかけるために他の出演者たちはフェイク・タンを施したらしいが、ジョンは断った。他の出演者たちはフェイク・タンがとれるのを恐れて、なかなか体を洗わなかったらしいが、その傾向はジョンにとっては都合が良かった。なぜなら、そもそもジョンは体を洗ったり歯を磨いたりするのが嫌いだからだ。ピストルズでもPILでも、ツアーに出かける時は、石鹸や歯ブラシの入った彼のバッグは一度も使用されることがないらしい。 ジョンはジャングル滞在中、他の出演者たちを誘って暴動を起こそうと試みたらしい。視聴者投票で追放になっても、出演者たちが全員ジャングルから出て行くことを拒否したら面白い、といった具合に。しかし、他の出演者たちはのってこなかった。それで、ジョンは一人で、番組がセットした、いかにもジャングルっぽい効果音を流すスピーカーに悪戯してみたり、逃亡の企てを起こしてみたりしたのだが、最終的には、ジャングルにいることが退屈で退屈でたまらなくなった。本当に危険なことや困難なこともなかったし、番組スタッフが、ノーラが無事にオーストラリアに到着したかどうか教えてくれないのにも腹が立った。 そんなわけで番組を早期リタイアし、ジョンがジャングルの外に出てみると、ノーラはやっぱり無事ではなかった。ジョンがジャングルに滞在していた間に、ノーラは海で泳いでいて目に砂が入り、感染症にかかっていたのだった。実際にジャングルにいたジョンのほうはと云えば、体調異常といっても虫さされぐらいしかなく、ただし、ジョンはかいてかいてかきまくる(瘡蓋になって、かき破ると血が出てきて、と云うプロセスを楽しんでいるらしい)タイプのようなので、まだ虫さされのあとがくっきり残っているようだ。「俺はニキビを潰すのも大好きだ」とジョンは語っている。 ![]() ![]() 番組終了直後、ジョンが恐れていた通り、くだらない仕事のオファーが次から次へと舞い込んできたらしい。中には、ジョンの自宅の掃除人に一週間暇を出し、掃除や皿洗いなどをジョンが自分でやると云う番組の企画もあった。“彼らはジョンを誰だと思っているのだ。彼は掃除などしないし、クリーナーも雇っていなかった”(本文より)。しかし、ジョンは、今回のTV出演は、メインコースの前のスターターみたいなものだったと云う。そして、ジョンがメインコースと呼ぶところの、次なるジョンの野望とは「ホオジロザメと一緒に泳ぐこと」。ジョンは米国に渡った当初、海洋生物学のコースを取り、鮫の生態について真剣に学んだ。で、海中でホオジロザメの檻に入り、檻を開けてホオジロザメを放ち、一緒に泳ぎたいらしいのである。TVカメラでその様子を撮影するかどうかとは関係なく、とにかくやりたいと本人は言っている。 ジョンは、海に深い興味を持っており、泳ぐのが得意らしい(だが、スタミナには欠けるらしい)。ジョンとノーラは全長17フィートの中古ヨットを所有しており、たまに航海に出たりするらしく、「イメージに合わない」と記者が言うと、ジョンはこう答えている。「アイルランドの祖父は漁師だったんだが、一度ローボートに乗せてくれた。怖かったけど、あの体験は凄く印象的だった」。 さらに、ジョンは、ノーラとは法的には結婚していないことを明らかにしている。また、ノーラが「ドイツの大手出版業者の跡継ぎ」と報道されていることに関しても、ノーラが後継したのは単に新聞を発行していた会社に過ぎず、ノーラが受けついだ遺産の金額は、タブロイド紙が書きたてているような金額にはとても及ばないと言う。また、ノーラの資産はノーラの資産であり、自分は一切その恩恵は蒙っていない、とジョンは主張する。 「“ジョンは資産目当てで彼女と結婚した”なんて言う奴いるけど、そもそも、俺たち結婚してねえもん。結婚なんかする必要なかった。俺たちはここで(自分の頭をポンポンッと叩く)結婚しているんだ。頭の中で、心の中で結婚しているんだよ。他の人々が忘れちまってるらしい場所でね」 ジョンは、1976年だったか1977年だったか、ノーラに初めて会った年を覚えていないと言う。一目惚れではなかったが、周囲が皆ヒッピーファッションに身を包んでいる中で、一人だけローレン・バコールばりにエレガントにキメていたノーラに、純粋に興味を持った。何だあの女は。スゲエなあ。といった具合に。ノーラには既に十代の娘、アリアップがいた。他のパンクシンガー同様、アリもレゲエやカリビアン・カルチャーに傾倒して行き、黒人男性との間にパブロとペドロと云う双子の子供をもうけることになる。「彼女は自分のことをジャマイカ人だと思っている」とジョンは語っている。 ジョンは双子が小さかった頃の写真を記者に見せる。写真の中のパブロとペドロは髪をドレッドロックにしていた(「アリがさせてたんだよ。彼女はラスタファリアンだから」とジョン)。その写真が撮られて間もなく、双子はLAのジョンとノーラの家で暮らし始める。LAに来て双子が最初にしたことは、自分たちの髪の毛を剃ることだった。ロンドンでさんざん他の子供たちにドレッドヘアをからかわれたり、引っ張られたりして飽き飽きしていたのである。 それ以降、双子はジョンとノーラに育てられる。アリはまだミュージシャンとして活動しており、しょっちゅうツアーや旅行に出かけていたし、その後もう一人子供を出産したりしたからである。ジョンとノーラは、双子に安定した生活の基盤を与え、きちんと学校に通わせたかった。ノーラは70年代にジョンの子供を流産しており、それ以来二人は子供には恵まれなかった。それ故、二人の生活には「隙間」のようなものがあったとジョンは言う。 しかしながら、ジョンは「父親」を通り越していきなり「おじいちゃん」になった。最初はそんなことに耐えられるわけがないと考えていた。「おじいちゃん」という言葉も気に入らなかった。だが、双子を育てるのは素晴らしい経験だった、とジョンは言う。ジョンは双子の学校のPTAのミーティングにも行き、米国人教師たちに本家本元の正しいイングリッシュの使い方を教えたりもしたらしい。 パブロとペドロは現在21歳になり、二人ともノーラとジョンの家を出て、別々に暮らしている。二人は音楽には興味はなく、ショービズの世界、特にタブロイド新聞の報道を極端に嫌っているらしい。最近、ノーラがパブロのところに訪ねて行ったら、早速「ノーラが浅黒い肌の年下の恋人と密会」などと報じた記者がおり、パブロは傷つき涙をためていたという。「どうしたらそこまで卑劣な、陰険なことができるんだろうな」とジョンは言う。 |
![]() ジョン・ライドンがI’m A Celebrity Get Me Out Of Here出演で残した物は、超一級コメディアンとしての彼の伝説だけではない。ジョンが超高視聴率の番組出演中に、夜9時以降でもアンタッチャブルとされてきた放送禁止用語「CUNT」を気持ち良さそうにぶちかましたことにより、さらに、英国の人口の約5分の1が同番組を観ていたにも拘らず、ITVや英国のメディア規制当局に寄せられた「CUNT」発言への苦情の数はわずか96件だったことにより、英国では現在、放送禁止用語の崩壊現象が起きている。 チャンネル4は、ニュースキャスターを含む看板番組の出演者たちがお気に入りの放送禁止用語を連発しまくると云う、同局の宣伝コマーシャルの放送を、3月半ばから始めている。放送はインターネット先行で始まり、テレビでも、同局の映画専門チャンネル・フィルム4で試験放送が始まった。このコマーシャルの中では、ジョンがI’m A Celebrity・・・でぶっ放した「CUNT」も9回発言されており、音声を消したり誤魔化したりする処理は一切行われていない。 ジョンはセックスピストルズ時代にも、ITVのThames Todayに出演中、放送禁止用語を発言したことは有名だが、このシーンは現在でもTVハプニング集やおもしろNG集(!)と云った趣向の番組で頻繁に使われており、今見てみると結構ジョンはしっかりしており、泥酔して放送禁止用語を連発していたのはスティーブだったと云うことがわかる。しかも、放送禁止用語が噴出して手がつけられなくなったのは、司会者の中年男性がピストルズと一緒に出演していた初々しいスージー・スーに「後で会おうか」などと言った後であり、これを観れば、昔から民放のTV関係者は、いかにも言いそうな出演者から放送禁止用語を引き出して視聴率を稼ごうとしていたのが一目瞭然である。 この事件に関する新聞記事では、「The Filth and the Fury」のヘッドラインを掲げたデイリー・ミラー紙のものが有名だが、Guardian紙の1976年12月3日付の記事によれば、番組放送後、ITVには抗議の電話が殺到し、局の12本の電話線が一時的に不通になったらしい。又、ある男性は、「ピストルズの発言に激怒したあまり、380ポンドで購入したテレビに蹴りを入れて壊してしまった。どうしてくれるのだ」と抗議してきたらしい。 又、BBCは「我々は、自分たちの局が放送するに相応しいと判断する曲しか放送しない」と云う声明文を発表して、「専門的な音楽を流すジョン・ピールの深夜番組で放送されたことはある」と認めながらも、ピストルズの曲のラジオ放送を全面的に禁止した、と同記事には書かれている。 さらに、同記事の中では、若き日のヴィヴィアン・ウェストウッドも威勢のよい発言を聞かせており、「無作法になること。猥褻な言葉を吐くこと。それがパンクの哲学よ。そうすることで周囲の人々の反応を引き出し、それが解放に繫がるの。偽善や抑制によって閉ざされた状態を終わりにするのよ。私は自分の子供とも猥褻な言葉でコミュニケーションしているわ」と語っている。 だが、あれから約30年がたとうとしている現在、当時ピストルズがテレビ出演中に使った放送禁止用語なんて言葉はもう、バラエティー番組で、コメディー番組で、ドラマで、クイズ番組で、何処ででも耳にできる普通の言葉になってしまった。ヴィヴィアンのように猥雑な言葉で子供とコミュニケートしている母親にも、(ワーキングクラス地区の)スーパーマーケットに行けば至る所でお目にかかることができる。 ジョンが今回I’m A Celebrity…で使ったCUNTにしても、他の言葉よりは若干強烈な感じがするとは云え、パブで飲んだりしていれば、一晩に数回は必ず耳にする言葉である。CUNTは直訳すれば女性性器のことであるが、実はI’m A Celebrity…出演中、リバプール出身のセレブリティーが、TWAT(CUNTの北部方言ヴァージョン)と云う言葉を使った。しかし、彼女の発言は何の話題にもならず、謝罪の必要もなく、ロンドンを含む南部ヴァージョンのCUNTを発言したジョンだけが大騒ぎされるのはどうしてなのかと云う議論もあった。 しかし、TWATの方は、数年前、マンチェスターのゲイコミュニティーを舞台にしたドラマ「Queer As Folk」で連発され、すでに話題になっていたので、「今さら」と云う感じで騒がれなかったに違いない。と云うことはCUNTも、今回のジョンの発言で話題になったので、今後誰かが発言しても、「今さら」と云う受け取り方をされ、徐々に風化して行く可能性が非常に高い。 ちなみに現在、英国でTV放送には不適当と考えられている言葉のワースト10は以下の通りだ。 1. Cunt 2. Motherfucker 3.Fuck 4. Wanker 5.Nigger 6. Bastard 7. Prick 8.Bollocks 9. Arsehole 10.Paki (出典:MediaGuardian.co.uk) しかし、これらの言葉を発したからと云って、当局がテレビ局やその言葉を発した本人に何の譴責処分も行わないのであれば、これらはちっとも放送禁止用語ではない。つまり、これらは「適当でないと考えられている言葉」の範疇を出ないのであって、発したからと云ってどうなるものでもないと云うことは、生放送中に堂々No.1の「CUNT」をぶちかましたジョンにも、番組を放映したITVにも、当局からの譴責処分が取られなかったことを見ても明らかである。 さらに、1991年以降英国のテレビで放送された番組で、最も多い件数の苦情が寄せられたのは、キリストのセックスシーンで問題になった映画「最後の誘惑」(95年放送、苦情件数1,554件)であり、上記のドラマ「Queer As Folk」も放送禁止用語だけでなくゲイのセックスシーンなどで163件の苦情を集め、7番目に苦情件数の多かった番組となっている。しかし、今回のジョンのCUNT発言は、苦情の多かった番組ワースト10にも入っていない。 ジョンは、I’m A Celebrity・・・出演中、CUNTを発言した翌日に、実は司会者のコメディアンたちに対し「ごめんなあ。あんなこと言って。ポロッと無意識に出ちゃったんだよな」としおらしく謝罪している。しかし、それを言っている時のジョンの目はどこか嬉しそうに輝いて見えた。 あの発言は、けっして無意識に出た言葉ではない。案外ジョンは、英国の放送禁止用語の最後の砦「CUNT」のバリアを外すのは俺だ、と決めていたのではないだろうか。酔ってとろんとした目で放送禁止用語を吐いた30年前とは違い、今回のジョンは素面で、落ち着き払って、うっすら笑みさえ浮かべながら放送禁止用語をぶっ放した。 そして、最後の砦はもう、わずか2ヶ月のうちに崩壊したも同然である。 |
![]() ジョン・ライドン人気、BUSTEDなどのパンクもどきアイドルバンドの台頭など、昨今の英国の状況を見て、口惜しがってるおっさんがいるだろうなあ、と思っていると、口惜しがっているどころか、彼はすでに行動を起こしていたのであった。 3月21日付のオブザーバー紙に掲載された記事によれば、マルコム・マクラレンは、彼自身が「The New Punk」と呼ぶところの中国人女性バンドWild Strawberriesを擁して、ミュージックシーンにカムバックを図っておられるらしい。 先日、フィレンツェのPritti Art Galleryで、同バンドのお披露目イベントが行われたらしいのだが、その日演奏された曲の中には、昔ブリジット・バルドーが歌ったセルジュ・ゲンスブールの曲や、ジミ・ヘンドリックスのFOXY LADYなども含まれていたそうな。 しかしながら、このバンド、単なるギターサウンドだけのオーソドックスなパンクバンドではなく、昔のビデオゲームの電子音を思い出させる「チップチューン」と、所謂伝統的パンクバンドの音とが、結合したようなサウンドを売りにしているらしい。それ故、当日のイベントでも、スタイリッシュな音楽関係者・ファッション関係者だけではなく、いかにもコンピューターおたくっぽい青少年の姿が多く見られたと書かれている。 マクラレンは、近年、米国のヒップホップレーベルTommy Boyと組んで、「バスタードポップ」(2種類の違う楽曲を合体させてリミックスしたまがい物ポップ)のアルバムを出そうとしていたらしい。ジミヘンとミック・ジャガーの合体、ウィリアム・バロウズが電話で喋っている声とマンボの合体等々、アイディアには事欠かなかったが、あまりにも金がかかるのと、マクラレンの妥協を許さぬ頑固な性格のため、Tommy BoyのTom Silvermanがしびれを切らし、アルバム実現には至らなかったらしい。 しかし、マクラレン本人は、彼がこの頃準備していたトラックの中から、タランティーノ監督が「Kill Bill2」で一曲使うことになっている、と主張している。 その後、マクラレンは、Glomag, Bit Shifter, Adlib Sinner Forks等の「ゲームボーイ・ミュージシャン」たちの存在を知り、深い興味を持つようになる。マクラレンは、彼らは全く新しい「デジタル世代のための真のフォークミュージック」を作っていると主張する。「彼らは、8bitゲーム機や旧型パソコンの内蔵音源だけで曲を作っている。これこそ、パンクのDo It Yourselfの精神を継承する音楽だよ。どこかレトロでかつ未来的な、8bitのエレクトリック・パンクは、楽器などなくとも、ゲームボーイが一つあれば演奏できる」とマクラレンは語る。 「我々は、96bitのデジタルワールドに住んでいて、現代音楽はどれもこれも同じに聴こえる。チップチューンは、デジタル文化のルーツと、‘本物’の概念に戻ろうとするムーヴメントではなかろうか」と感じたマクラレンは、チップチューンのイベントを観に行くうちに、このアイディアの商業化について考え始めた。 ―こうしたミュージシャンたちのアイディアは斬新で素晴らしいが、いかんせん雰囲気がオタク過ぎる。ヴィジュアル面を含めた派手さがなければ、単にマニアックなジャンルで終わってしまう可能性が高いー そう思っていたところに、北京のバンドWild Strawberriesが、マクラレンに連絡を取って来た。そこで、マクラレンは、この「キュート」な中国人女性たちのスラッシュなギターサウンドと、チップミュージックを合体させることを思いついたらしいのである。 さらに、この記事を読むまでわたしは知らなかったが、マルコム・マクラレンはLAに在住していた頃、CBSに雇用されていた時期があり、その後はスティーブン・スピルバーグにお抱えのアイディアマンとしても雇われていたらしい。1880年代に米国深南部に講演旅行に出かけたオスカー・ワイルドが、偶然ロックンロールを発見する、という奇抜な映画のアイディアをマクラレンが思いつき、スピルバーグもそのストーリーに興奮していたらしいのだが、映画化には至らなかった。「彼には、やっぱりホモセクシャルがロックンロールを発見するなどと云う映画はつくれなかったのさ」とマクラレンは言っている。 ロックンロールの起源は、19世紀後半の米国だと言われている。イモ飢饉で大挙して米国に移住したアイルランド人たちは、自由と食料を求めて渡った新天地で、黒人同様に虐げられ、生来音楽好きの民族だけに、ジグなどのアイリッシュ・ミュージックを演奏しては踊り狂い、歌い狂って日々うさを晴らしていた。そして、それがだんだん黒人音楽と混ざり合って行ったのがロックンロールの起源だと考えられている。つまり、虐げられた黒人の音楽と虐げられた白人の音楽を最初に結びつけた人物がオスカー・ワイルド(注:彼もジョンと同じくアイリッシュ)だった、と云う映画のストーリーを、マクラレンは考えていたらしいのである。 また、同記事によれば、マクラレンは現在、「Fast Food Nation」に基づくフィルムだけではなく、どうもサッカー・フーリガニズムに関する映画を製作する準備も行っているらしい。もうお気づきかもしれないが、オスカー・ワイルドと云い、サッカー・フーリガンと云い、ジョン・ライドンが多大な影響を受けたと言っているものに、マルコム・マクラレンもやはり拘り続けているのである。 この記事を書いたジャーナリストはマルコム・マクラレンの旧友であり、彼によれば、マクラレンは18歳の時にアートスクールの講師から言われた言葉を、現在でも座右の銘にしているのだと言う。その講師はこう言ったらしい。 「君たちは将来みんなルーザーになるんだ。でも、どうせ失敗するなら、せめて派手で壮大な失敗をしろ。失敗すると云うのは気高い目標だ。無害な成功者にはどんな馬鹿でもなれる」 この記事の中で、マクラレンがジョン・ライドンについて語った箇所は二箇所しかない。最初の部分は、セックスピストルズに関するもので、マクラレンは、ジョニー・ロットン脱退後も、セックスピストルズは十分に活動して行けると考えていたらしい。「セックスピストルズの曲の中で一番いいのはC'mon Everybodyのような、ジョンが歌っていない曲だ。シド・ヴィシャスは歌唱力があったし、ジョンより遥かにビッグなスターになる可能性を秘めていた」とマクラレンは語っている。 もう一箇所は、ジョンがI’m A Celebrity・・・をリタイアした直後、なんとITVが、ジョンの穴埋めとして同番組に出演しないか(!)とマクラレンにアプローチしていたと云うくだりである。この記事の筆者は、「ジョン・ライドンとマルコム・マクラレンは、激しく憎悪し合っているが、実はその一方で、互いに対して奇妙な尊敬の念を抱いている」と書いている。マクラレンは、この筆者に、「ジョン・ライドンは、俺の好きなタイプの(!)ウルトラ級のルーザーだった」と言ったことがあるらしい。 筆者は又、英国の政治・文化が著しく保守派に傾いている現在ほど、マルコム・マクラレンのカムバックに相応しいタイミングはないだろう、と続ける。マクラレン自身も、現在の英国の状況は「パンクが登場した時代よりもひどい」と嘆いており、ラディカルなオルターナティブムーヴメントが起こるとすれば、それは今しかない、と主張しているらしい。 もしかすると今年は、チップチューン・エレクトロニック・チャイニーズ・パンクバンド(妙にややこしいバンドやけども)で、マクラレンまでカムバックしちゃったりなんかするのだろうか? 或いは、あんだけ派手に語ったわりには、何だったんだろうねえ、ってな具合で、またもや壮大な失敗に終わってしまうのだろうか? いずれにせよ、わたしはこの記事を読みながら、ジョン・ライドンもどこかで必ずこの記事を読んでいるに違いない、と思った。 |
![]() 昨夜10時35分から、BBC1の人気番組(昨年度のNo.1お笑いバラエティー番組に選ばれている)Friday Night With Jonathan Rossに、ジョン・ライドンがゲストとして出演。わが家でもビール、ジン、日本酒等のアルコールを揃え、いい歳をした大人たちとティーンエイジャーの少年一人が、BBC Newsの時点からすでに「Come on, Johnny!!」と叫んどる奴はおるわ、ビデオのセッティングをしていて誤ってケーブルを外してしまい、テレビが映らなくなったために「F*** off」と罵声を浴びせられとる奴はおるはの大騒ぎで、胸をときめかせつつジョンの登場を待っていた。 番組が始まり、ゲスト控え室の模様にカメラが切り替わると、ジョンは紫紺色のジャケットに白いシャツ、きりっとネクタイなど締めて煙草を吹かしている。音楽のゲストとして招かれていたSTARSAILORのメンバーの隣に座っていたので、カメラが切り替わるまでは彼らと談笑していたのかもしれない。 ジョンの登場前には、「God Save the Queen」(ゆうてもこれ、国営放送のメインチャンネルの番組ですよ。この選曲にも時代の変遷を実感いたしました)の調べにのせて、往年のピストルズの演奏シーンと「I’m A Celebrity….」でジョンが駝鳥と戦った時の姿が、スクリーンに交互に映し出された。 「以前出演してもらった際には、偉大なイングリッシュマンと言ってしまったが、今日は偉大なアイリッシュマンと訂正します(ここでうちの連合いの拍手が入る)。最初のゲストはジョン・ライドン!」と云うジョナサンの紹介と共に、いよいよジョン・ライドン登場。「ハロー、イングランド」と、あの鼻にかかった声で挨拶し、小首を傾げて目を剥いてから、ソファに腰掛ける。 以下はジョナサンとジョンの会話から抜粋: ジョナサン:「‘スタスキー&ハッチ’(英国で今週末から公開の映画。70年代に大人気だったTVシリーズのリメイク)の主演スター二人に、ジョン・ライドン。控え室の顔ぶれを見てると、今日はなんか、70年代のインタビュー番組みたいだなあ」 ジョン:「で、おめえはスーツ着てるんだな」 ジョナサン:「昔は襲われたりもしたもんだが、すっかり国民的人気者になっちゃって。いまや主婦たちのアイドルじゃないか」 ジョン:「いや、主婦たちは、昔から俺には弱かった」 ジョナサン:「ははは。BAD BOYのアピールってやつだな」 (I’m A Celebrity Get ME Out Of Hereについて) 「あんなバカバカしいショーに出たところで、どうなる事でもないと思ってたんだがなあ。あんなくだらないショー・・・・って、勿論、俺は素晴らしかったが」 「視聴者投票でセレブが追い出されるって形式じゃなくて、俺たち10人が殺し合うようにすれば面白かったんだよな」 「ジョーダンのベストシーンは、あいつが脂肪吸引手術の傷跡を見せた時だな。(皮肉っぽく目を剥いて)あれにはそそられたよ。あいつ、尻の肉なんか吸い取って貰ってんだぜ」 「ジャングルは素晴らしかったよ。俺は一人なら一カ月でもいれた」 ジョン:「24時間テレビカメラで監視されてるっていうのが苛立たしいから、俺は、最初の晩から、マスタベイトしてやったぜ!」 ジョナサン:「それ、僕達見なかったよ」 ジョン:「だろう? 編集だよ。編集されちまって」 「あの番組でわかったのは、今でも俺たちが使っている言葉の中に、適切でないと見なされ、使用が禁止されている言葉もあるっていうことだな・・・。F***ing C***」(編集でジョンの声は消されていた。客席から歓声があがる) (I’m A Celebrity…のキャンプに、ジョナサンがシガー、ポート酒などを差し入れた時、他のセレブが「食い物が欲しい」「こんなのいらない」と激怒した件について) ジョナサン:「あの後、みんなで僕の写真燃やしたりしてただろう?」 ジョン:「ああ、だから俺があいつらを困らせてやったんだ」 ジョナサン:「(観客に向かって)ほらね、彼は僕のために戦ってくれたんだ」 ジョン:「友達だからな」 ジョナサン:「・・・実は美しいシーンだったんだな。You, c***。(こちらも音が消されていた)」 ジョン:(親指を上げてウケる) (パンナム航空103便爆破事件―John関連Media/Pressページ2月23日参照―の後、ジョンと妻ノーラが航空機での移動に関して神経質になっていることに関して) ジョン:「だから、I’m A Celebrity…出演中も、ノーラが無事に着いたか教えてくれっていうのに、誰も教えてくれないから・・・」 ジョナサン:「でも、何かあったらスタッフが教えてくれたはずじゃないか」 ジョン:「それじゃいかんだろう。悪いニュースを教えてくれるだけじゃ。‘彼女、33の破片になって到着しました。全部回収されましたから’って言われたところでどうなる」(ノーラ、ゲスト控え室で爆笑) (ジョンがITVへの文句を言い始めてから、シーンとおとなしくなった観客を見て) ジョナサン:「ほら、観客が君を怖がってるじゃないか」 ジョン:「見ろ、これがトニー・ブレアが君達にした事なんだ。労働党政権のおかげで、君達は戦争をさせられたんだぞ。俺は暴動が見たい」 追記:昨夜のジョンの発言によると、映画「Rotten」制作の話は、やはり'Wayne's World' の Penelope Spheeris監督と一緒に進めているようだ。尚、英国のジョン及びピストルズのファンサイトが、番組収録の際に、ジョンはPILや映画、今後の活動について語っていた、と報じていたが、テレビではほんの一言「ピストルズだけでなく、俺にはPILという重要なバンドがある。ソロアルバムの予定もあるし。‘No Irish・・・’の映画化も進めている。ジョニー・ロットン役はジャスティン・ティンバーレイク、なんてことにならなきゃいいな。(収録時には、ジャスティン・ティンバーレイクの事をけなしまくっていたらしいが、その部分も放映されず)」と軽く触れただけだったので、編集で大幅にカットされたのだろう。 |
![]() パンクもどきのアイドルバンドBUSTEDが、また今週ヒットチャートで1位を獲得した。今回はTHE UNDERTONESの『TEENAGE KICKS』という往年のパンクの名曲をカバーしているから、曲自体にパワーがあるのは否めないが、彼らはこれまでにもどうでもいいような曲で何度も1位になっており、隣家の息子なども「学校の女どもの90%があいつらのファン」と言うぐらいの売れようだ。 「あいつらがいつもパンクについて語るから、俺パンクってあんなもんかと思ってたんだけど、ピストルズは全然違うじゃん。ダムドもいいね」って隣家の息子は早くも当該分野の探求を始めたようなんだけれども、一般的には、姑息にマーケティングされたプチパンクが大流行している昨今の英国なのである。 かかる世間の動向もあり、ジョン・ライドンがI’m A Celebrity Get Me Out Of Hereに出演すると決まった時には、「パンクは終わったのか」「パンクとは何だったのか」というようなテーマを総括したマスコミ報道が多く見られた。BBC NEWSのようなお堅い番組までそうしたテーマを扱っていたりしたのだが、BBC NEWSのウェブサイト(http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/3412619.stm)に、視聴者からのメッセージが掲載されているので、以下幾つか抜粋してみる。 ―「シアトル暴動」とNation Of Fast Food(管理人記:これはマルコム・マクラレンが現在フィルム化準備中、と本サイトにも訳を掲載したマクラレンのインタビュー記事にあった)やNo Logoのような書物、そしてパンクから派生したアンダーグラウンド・ミュージックが、当時のムーブメントよりも真正なパンクの伝説である。 ―セックスピストルズは、最初の男性アイドルバンドではなかったのか。 ―こむずかしい話になり過ぎている。パンクは、自分の親や周囲の老いぼれどもを驚愕させることに喜びを見出す若者文化の一つに過ぎなかった。・・・そしてジョン・ライドンも、今はその老いぼれどもの一人に過ぎない。 一方、ジョンがI’m A Celebrity Get Me Out Of Hereに出演し、英国のお茶の間を爆笑させていた頃、労働党寄りの新聞と言われるGuardianの日曜版、Observer紙は「Death and Glory」(2月1日付)と題された記事を発表。ニルヴァーナのカート・コバーンとセックスピストルズのシド・ヴィシャスの死を比較検証した。 コバーンの持病の胃痛の話に始まり、コバーンがコートニー・ラヴとシド&ナンシーごっこをしていた話、コバーンの生い立ちとセックス・ピストルズに対する憧れ、などが語られた後で、記事はシド・ヴィシャスの生涯、セックスピストルズの台頭と没落、シドとナンシーとの関係などを追いながら、二人の死がいかに伝説化されてきたかということに言及した後、同記事は、The Filth and the Fury中の、ジョン・ライドンのコメントの引用で終わる。 「He died, for fuck sake」 しかし、シド・ヴィシャスという人は、今見ても本当に完璧なピンナップボーイである。マルコムがこういう青年を4人集めることができれば、セックスピストルズは史上最強のアイドルバンドになっていたに違いない。 しかし、現実にはマルコムのバンドのリードシンガーは、何かにつけて理屈っぽくて時々気違いみたいになる青年だった。しかもこれが、とてもピンナップにはなりそうもない洟を垂らした青年なんだけど、人前に立たせると物凄い瞬発力で輝く、コックニーのお笑い芸人にも似た稀有のエンターテイナーだったのである。 マルコムはピストルズ以降もバウ・ワウ・ワウとか、美形東洋人女性を集めたアイドルバンドとか、いろいろクリエイトしてはみたけれど、あの洟垂れコックニー芸人の瞬発力だけはどうにも創造できなかった。なぜなら、そうした才能はある人間にはあるが、ない人間にはないからである。彼がジョンを憎悪する理由のかなりの部分が、この辺にあるはずだ。 しかし、今頃になってBUSTEDのような平凡きわまりないパンクもどきのアイドルバンドが大売れしている英国の状況を見て、「やられた、タイミングは今だったのか」とMM氏は密かに思っているかもしれない。 一方では、こういうプチパンクが世間に蔓延してくると、「ほんとのパンクはシドだ、カートだ」などと主張する輩もでてきて、ラジオでも反BUSTED派のリクエストにより頻繁にニルヴァーナがかかったりしているのだが、BBC NEWSのウェブサイトに寄せられた視聴者のメッセージの中には以下のようなものもあった。 パンクとは、心のあり方であり、生き方だ。 ほらね。パンクは生き方なのよ。死に方じゃなくて。 「WARだよ、WAR。I’m still at WAR !!」と、ジャングルで尻出しながらジョン・ライドンが叫んでいたように。 |
![]() 「なんであいつは白人のくせに一生懸命黒人の真似して喋ってるんだ。聞いてるこっちの方が疲れてくる」とうちの連合いにぼやかせていた隣家の十代の息子(ヒップ・ホップに影響を受けている最中らしい)が、ジョン・ライドンに興味を持ったと言うので、セックスピストルズのビデオを貸したところ、「すげえ。ジョン・ライドンって実は滅茶苦茶格好よかったんだねえ。ぶっ飛んだ」と興奮してビデオを返しに来た。だろう?なんて、どうして私が自慢しとるのかはわからんが、なんとなしPROUDな心持になっていると、「あいつ、本来の喋り方に戻っとったやないか」と、うちの連合いも安堵していた。多感な年頃っていうのは、フレキシブルでいいね、ほんと。 と、前置きが長くなったが、その滅茶苦茶格好よかったこともあるジョンが米国で製作したというテレビ番組ROTTEN TVについて。英国ではVH1とVH Classicで再放送されたのだが、わが家とケーブル会社との契約には入っていないチャンネルであり、周囲にもVH1を視聴できる人がいない。それ故、番組そのものは観ていないのだが、とあるサイトから内容に関する情報を入手。以下要点のみ抜粋。 *ROTTEN TVは、3回目の放送分まで製作されたが、ジョンがVH1と悶着を起こしたために打切りとなった(番組が放映されたのは2000年)。 *1回目の放送の内容・・・ジョンがRosie O'Donnellのショーに忍び込み、追い出されるシーンから始まる。その後、ジョンは高価な値段のついたパンク・メモラビリアを買い漁り、水槽に沈める(燃やすという説もある)。そして、「残ったものはどうでもいい。何がなされたかという事が重要なのだ」とぶちかます。 馬鹿馬鹿しさと風刺と、悪戯っぽい遊びに満ちた内容。古き良き(アナーキーな)英国風の笑いと、マイケル・ムーアのTVシリーズ「The Awful Truth」、シュールリアリスティックなMTVのスラップスティック「The Tom Greene Show」をミックスしたような感じ。 架空の仕事をでっち上げ、ジョンが面接官となって応募者たちの面接を行うシーンや、ジョンがOzzy Osbourne、Axl Rose、Courtney Loveなどのスターの悪口を言いまくるシーンもある(これは結構退屈とのこと)。これらのスターは全て出演依頼を断ってきたらしい。 ニール・ヤングも「知っている人の番組にしか出ない」とマネジメントを通して出演依頼を断って来たらしく、怒り心頭のジョンは、帽子とグランジじじいのようなカツラを被ってニール・ヤングの真似をして「The King is gone but he's not forgotten/This is the story of Johnny Rotten(ニール・ヤングの曲MY MY HEY HEY(Out Of The Blue)の実際の歌詞。俺のことを歌詞にして歌っておきながら俺を知らないっていうのはどういう了見だ、とジョンが激怒している当時のインタビュー記事あり)」と歌いあげる(これがかなりおかしいらしい)。 第一回目は、放送前に番組のビデオを観た人々の「きわめてネガティブな」コメントで終わる。 *二回目の放送・・・サンダンス・フィルムフェスティバルでセックスピストルズのドキュメンタリー映画「The Filth and the Fury」が上映されたときの模様。ジョンが、クリストファー・ウォーケン、ダニー・デヴィート、ネーヴ・キャンベルにインタビューしているらしい。ジョンは意外に礼儀正しかったとのこと。 ジョンのパートナーとなってこの番組をプロデュースし、脚本も書いているのは、George Gimarc(「パンクダイアリー1970-1979」「ポストパンクダイアリー1980-1983」の著者)。 抜粋させていただいたサイト:http://www.fastnbulbous.com/rotten.htm 個人的には、英国で、(特に今)メジャーのチャンネルでやったらかなりウケそうな内容だと思うのだが。 ジョンがテレビ局と悶着さえ起こさなければ。 |
![]() ブリット・アワードに、ジョン・ライドンの姿は無かった。昨日ロンドンに所要で出掛けていたわたしは、連合いにITVでの中継をビデオに録画してもらい、帰宅後即チェックしてみたが、そこにはジョンの姿は影も形も映っておらず、何故か会場にシャンペンなど飲みながら座っていたのは、I'm A Celebrity...で巨乳タレントのジョーダンと恋仲になり、最近新聞・雑誌を騒がせているポップ・シンガーのピーター・アンドレ(キャンプ・ファイアーのそばで歌ってはジョンを絶句させた男)。 ジョンはステージにジャングルの絵の描かれた垂れ幕を張ってその前でMY WAYを歌うらしい、というような情報もショービズ情報サイトに載っていたりしたので、結構わたしの周囲にもワクワクして「火曜日の夜は絶対外出しない」などと言っている人がいたのだが、ブリット・アワードにはなぜかジョンの姿はなく、そのかわりにパンクもどきのアイドル・バンドBUSTEDが、嬉しそうにニコニコしながら往年のアイリッシュ・パンクバンドTHE UNDERTONESの'Teenage Kicks'など披露していたのが妙に象徴的。 (話はそれるが、Outkastのステージにはふっと心が和んだ。あの人たちはいいなあ。馬鹿馬鹿しくて) 先週、I'm A Celebrity・・・の出演者が英国に帰国してきたとき、巨乳タレントのジョーダンが「ジョン・ライドンと一緒の飛行機は絶対にイヤ」と騒ぎ、航空会社に「ジョン・ライドンの乗る便を教えろ」と詰め寄ったという記事も出ていたので、ジョンはLAではなく、ロンドンに帰って来てはいるらしいのだが、今週に入ってからI'm A Celebrity・・・に出演したセレブたちがうんざりするぐらいテレビや雑誌のインタビューなどに登場しているというのに、ジョンはひっそりと静かである。英国のジョン・ライドン関連スレッドでも、「Whhhhhere's Johnnie?」なんて書き込みがやたらと目につく。 いったいジョンは何をたくらんでいるのか。それとも、もう露出には飽きたのか。 ひっそり潜伏中のジョン・ライドンとは対照的に、なぜに今更出て来て反逆者ぶりをアピールしているのか、マルコム・マクラレンのロング・インタビュー(ライドン関連PRESS/MEDIAページ参照)なんていうのも、ちょっと侘しい感じが拭い去れませんでした。誰が善良で誰が邪悪かっていうのはあまりにもつまらないので、誰がおかしいか、その一点のみを争点にして戦って欲しいものである。 思うに、昔からMM氏はユーモアのセンスに欠ける。というかユーモアのセンスももしかしたらあるのかもしれんが、あまりにブルジョアジー過ぎて、生まれも育ちも労働者階級のわたしのような低脳な人間にはちょっとわからないって感じ。 |
![]() お祭り騒ぎは終わった。ジョン自らが「メインストリームの屑番組」と呼んだ超高視聴率のB級セレブサバイバル番組は終了し、ジョンがジャングルから出て来た後のインタビューで「この娘を勝たせたい」と言ったアウトサイダーがあっけなく優勝した。 さて、これからジョンは何処に行くのだろう? 今回のテレビ番組出演で得た国民的ポピュラリティーを利用して、彼はもう一花咲かすつもりがあるのか、それともないのか。 デイリー・ミラー紙の日曜版が、ジョン・ライドンは来週火曜日ロンドンで開催されるブリット・アワード(英国版グラミー賞)に出演し、ジャングル・ビートでアレンジしたシド・ヴィシャス(と勿論フランク・シナトラ)のMY WAYを演奏するらしいと報じている。 この情報が正確であればいい、と私は期待している。あまりにタイムリーで個人的には笑ってしまった。 「シドが生きていたら、こんなバカな番組に出たりしません」「やっぱり本当にパンクなのはシドだけだった」というようなメールを結構戴いているからである。 かくいう私も、十代の頃は白いジャケットに黒のスリムで大階段から降りてきてMY WAYをぶちかますシドには魅せられたものだった。あの姿は、永遠の青春のイメージと言ってもいいだろう。それもかなりわかりやすい形の。 しかし、英国に8年住んでみて、英語を喋って生活するようになってわかったことがある。 シド・ヴィシャスって、実は喋り方がデイビッド・ベッカムにそっくりだったのだ。 ファンの方には申し訳ないが、ベッカムと云えば、英国のコメディーでは常に「白痴」として登場する。白痴と云えばベッカム。ベッカムと云えば白痴なのだ。チャンネル4のBo Selectaのベッカムなどはその典型だ。涎掛けをかけて登場したりする(ここはまた嫁も似たような感じなので、夫婦でパロディーのネタにされることが多いのだが)。 その原因は、ベッカムの話し方にある。イングランドのキャプテンになってから、随分インタビューのトレーニングを受けたようで、言うこともきちんと暗記できるようになったようだが、若い頃のインタビューなど見ると、これは、はっきり言ってシド・ヴィシャスである。 つまり、何も考えておらんのである。 ジョン・ライドンは、今回の「屑番組」に出演中、英国の現代の文化を「忌まわしきベッカムカルチャー」と呼んだ。「生命のない、魂もない、綺麗なイメージだけの世界」だと言って地面に唾を吐いた。 しかしその後で、「ブレア首相なんていうのは存在しない。大量破壊兵器なんていうのも存在しない。俺の靴下を匂ったことがあるか。あれこそが大量破壊兵器だ」と、照れたのかちょっと脱線してみせていたが。 この言葉だけを聞いても、誰がピストルズのエンジンだったのかは明らかだ。その証拠に、英国のピストルズファンのサイトの殆どが、番組が進むと共にジョン・ライドンを支持し始め、ジョンの今後の動向を暖かく見守っている。 Qマガジンの3月号の表紙はシド・ヴィシャスだし、V&A博物館では、4−7月までVivienne Westwoodシーズンが開催される。なんだか、ピストルズ周辺が慌しくなってきた。 |