原註
1
オットー・ノイラート「百科全書的統合としての統一科学」『統一科学の国際百科全書 第1巻第1号 ―― 百科全書と統一科学』, シカゴ, 1938. p.25.
2
ルイージ・ガルバーニ生誕200年記念科学会議におけるニールス・ボーアの講演「生物学と原子物理学」を参照。 (物理学会議長講演, 1938年10月19日。ボローニャ, p.13. 「身体器官をよく定義されたシステムと見なすことの不可能性は …… 」
3
様々な科学から例を挙げることができる。この問題に関しては、ヘルマン・ワイルの「エミー・ネーターの思い出」『スクリプタ・マテマティカ』(第3巻第3号, 1935)における興味深いコメントを参照。彼はそこで、ゴルダンの「数学的化学」のアイデアと論理的同型性が持つ可能性のある科学的重要性に言及している。
4
オットー・ノイラート「プロトコル命題」『認識』(第3号, 1932/33)。
5
科学統一の進展は、「条件的定義」の体系的導入によって本質的に促進される。ルドルフ・カルナップ「科学統一の論理的基礎」『統一科学の国際百科全書 第1巻第1号 ―― 百科全書と統一科学』p.49 を参照。カルナップは、私が上で行なった押し付けがましい科学の序列に反対はしていない。しかしこの序列も、還元可能性と科学統一の他の諸問題についての彼の説明に影響はない。
6
オットー・ノイラート「モデルとしての百科全書」『レビュー・ド・ジンテーゼ』(1936年10月)。
7
ヴィルヘルム・オストワルト『科学のピラミッド」(シュトゥットガルト, ベルリン, 1929)。彼はコントらの影響を受けている。スペンサー、ヴントなども似たような体系を作った。
8
ロバート・フリント『科学の科学としての哲学および諸科学の分類の歴史』(エディンバラ, ロンドン, 1904)p.3, 4, 6 を見よ。「諸科学は巨大な全体の一部であり、壮大な体系の一員である …… (そしてその体系は)それ自身、知識の対象である。 …… 諸科学の科学がなくてはならない …… そしてその科学こそ哲学である ……。哲学は、科学同士がどのような関係を持ち、どのような点で接し、どのような仕方で結びついているかを示さなくてはならない。そうすることで、全ての科学は対称的で輝かしい、人間の知識の大建築を構成することができる。 …… この世には、一つの科学が存在するのみである。しかし、その科学は多様な部門を持ち、その各部門内において、自然の通訳不可能性は私たちの能力でも理解できるものになる。そして諸部門の間には、席次と従属関係、秩序と調和が存在する。」 統一科学を百科全書的に統合しようとする現代の努力は、こんな崇高な聖歌の中にも見出せる。しかしまた、人はここに全ての「ピラミッド主義」に共通の早まった思い込みの危険性をも見るであろう。「科学の科学」が、現代的な経験主義においてどのように復活しているかは、チャールズ・モリス「科学的経験主義」『統一科学の国際百科全書 第1巻第1号 ―― 百科全書と統一科学』, シカゴ, 1938. p.69. を参照。
9
ヘンリー・イヴリン・ブリス『知識の組織化と諸科学の体系』(ニューヨーク, 1929)p.73。「科学は他の科学と明確な関係を持っている。科学のグループ、または科学の集合というものが存在するのだ。これらの科学および関係が、科学体系を構成するのであり、その体系は一貫性もしくは統一性を持つ。」 また、彼の『図書館における知識の組織化』(ニューヨーク, 1934)および『書誌学的分類法の体系』(ニューヨーク, 1935)も参照。ブリスは幾つかの書誌学的体系を分析しており、その中には有名な
メルヴィル・デューイの体系と、『書誌学の国際機構の10進分類法』(
ポール・オトレ, ブリュッセル)で詳述された拡張版も含まれている。同書では、一部では科学体系の観念について分析され、一部では司書が直面している非常に具体的な技術上の問題が分析されている。デューイとブリスの第2版は、「唯一の体系」という観念を除けば有用である。ポール・オッペンハイムが『諸科学の自然な秩序』(イェーナ, 1926)で行なっている多くの価値ある提案に対しても、同じことが言える。他の論者同様、オッペンハイムもまた、伝統的な科学の境界線は科学の論理化が進む現代の要求を満足させられると信じている。ウィリアム・マリア・マリソフの興味深い科学の記述(「科学を整理する」『科学哲学』Vol.IV, 1937, p.261)も、幾何学的に完璧すぎるきらいがあるが、どの科学分野が将来有望な開拓地になるかを見出したいときは役に立つかもしれない。
10
ここでは他の有名な科学体系(例えばベーコンのものやアンペールの奇妙な分類体系)の構造やファサードについて分析する余裕はない。
11
なかには、共同作業としての科学的統合の教育的重要性を強調する研究者もいる。例えば、ジョン・デューイが書いたブリスの『知識の組織化』の「序文」 IX ではこう述べられている。「これまでは、専門化が非常に進展してきた。そのため、今や統合のための努力が急を要する課題になった …… 現在においては、特別な教育的任務が緊急かつ優先度の高いものになった。」 またデューイ「社会問題としての科学統一」『統一科学の国際百科全書 第1巻第1号 ―― 百科全書と統一科学』p.29 も参照。
訳註
[1]
「交差関係」とは、書誌学や図書館学における「交差分類」のことです。例えば絵画を分類するとき、分類の基準とする特性を明確にしないまま、「1:油絵」、「2:風景画」、「3:水彩画」 ・・・・・・ などという分類を設けると、「油絵で、かつ、風景画」という絵画は1番と2番の両方のクラスに含まれてしまいます。このように、分類特性が排他的でない場合に生じる重複特性を持つ分類を交差分類と呼びます。
ノイラートも冗談半分に、「混合科学」という概念を導入すべきか、などと言うように(ちなみにディドロとダランベールの百科全書には「混合数学」という部門があります)、20世紀に入ると、「分子生物学」や「医療倫理学」のような複合主題の図書の刊行が増加します。このような状況を受けて、複合主題をどう処理するかが図書館学の主要な関心になり、S.R.ランガナタンの
コロン分類法(1933年成立)や、ノイラートも
原註9で触れている H.E.ブリスの
書誌分類法(1940年成立)など
分析合成型と呼ばれる分類法が考案されました。
[2]
なにやら怪しげな「科学」の名前が幾つも出てきます。
ビジネスサイクル理論は、別名、景気循環の理論とも呼ばれます。経済にはどうも周期的な波があるという経験的な観察をもとに、その変動を説明できそうな周期をあれこれ挙げてみるという、いかがわしい代物です。当時の代表的な理論家に、「太陽黒点説」のジェヴォンズや
シュンペーターがいます。
人体測定学は、人類学的な分類と比較のために人体の特徴を測定する研究です。20世紀初頭までは、主に犯罪学の方法論として使用されており、例えば「殺人者は顎が大きい」のような、今から見ると頭痛のするような一般化も平気で「定理」として認められていました。優生学と並んでナチスの人種政策に利用された悪名高い「科学」の一つです。
ヒストリオメトリーは、優生学の創始者として知られる F.ゴールトンが「天才はほとんど完全に遺伝する」ことを証明するために書いた『遺伝と天才』(むかし岩波文庫から甘粕石介訳で出ていた)で用いた方法論です。その内容は、紳士禄、海軍将校のリスト、ケンブリッジ大学の数学試験成績優等者の名簿など、「中立」のデータを用いて、そこから天才たちの家系的な相関関係を調べるという、今でいう回顧データ分析です。無理やり訳すなら「系譜測定学」とでもなるでしょうか。
しかしこうしてみると、犯罪学、人体測定学、ヒストリオメトリー、相関関係など、今では疑似科学の創始者として負のイメージの方が強いゴールトンに関係する単語が頻出することに驚かされます。ウィトゲンシュタインも
「倫理学講話」や
『青色本』でしばしばゴールトンに言及していたことを考えても、当時の彼の影響力がうかがえます。