ことばの不思議な世界
ここで言う“ことば”は日本語、英語、フランス語、ヘブライ語、アラビア語
などの言語の意味ではない。言語は違っても、ことばは同じ働きをしている。
ことばは学習する、考える、意思の疎通をするなど、
その働きは、少なくとも10あることを示した。
考えることはことばによる。
ことばは思考の基礎であり、中心であり、重要な要素である。


ことばの不思議


花そのものは、自分が美しいとの意識はない。
受け継いだ遺伝子によって花を咲かせるだけである。
人はそれを見て、美しいと思う。
自分から見て、自分は美しいと思うのは、人間だけだろうか。


美しさの中に醜さもある。醜さの中に美しさもある。見る人が見ればそう見える。
見えない人には見えないものである。


アゲハ蝶が舞っている様子は美しいと思う人でも、蝶になる前の芋虫は気持ち悪い、嫌いだ
と言う人もいるだろう。アゲハや芋虫の立場からすれば、
「勝手に判断するな。いい迷惑だ。」 になるのだろうか。


美しいものはある。それは見る人の感情としてある。
そう感じる人には、感情から人の思い込みとなって美しさは作られるからだ。
思い込みとして実体である美しい花、景色、人、絵などが存在する。


物であれば五感を通して認識し、ことばに置き換えて使うことができる。
しかし、抽象的なことばや概念であれば、五感でその実体を認識することはできない。
実体はないからだ。 
ことばとして実体のないものを使うのであるから、
わかっているつもりでも、本当はわかっていないのかもしれない。


探しても無いのかもしれない。無いものを探しているのかもしれない。
感情が思い込みを作り、無いものをあるかのように創りあげる。


人生は自分の愚かさとの闘いでもある。


人の命は存在だけでは意味はない。人の命は活かして初めて意味を持つ。
人の命を活かすとは他人のために役立てることである。

人は、自分に与えられた命で、自分の未来を切り開き、
自分の人生を作り上げていく。
自由があることにより、自分の意思次第で、
未来をどのようにでも作ることができる。


何が起きても、どう捉えるかで、物事は変わってくる。主体性が関係する。
単に期待して生きるのではなく、成し遂げる気持ちをもって生きれば、
わるいことでもいいことに変えることさえできる。
本質的にはいいこと、わるいことはなく、現実があるだけである。


ユダヤ人のイエスはそれまでになかった「敵を愛しなさい」という教えを説いた。
しかし、敵とは「昨日の敵は今日の友」ということばがあるように、
敵は人間であり、人間は変わる存在である。良い人にもなれば、悪い人にもなる。
今日の友でさえ、明日は敵になることも考えられる。
過去においては、神により善悪が決められた。
しかし、悪人と決めつけ、敵にしてよいものか。
その人の考え、価値観、状況で敵が作られる。悪人が作られる。
敵も悪人も本来いない。敵は自分の中にある。それは人間の心にある。
人間の想像力が勝手に理由を見つけ敵を作り出す。
法律違反、ルール違反の人、犯罪者はいる。しかし、悪人はいない。


・ ・ ・  マイケル アレフ  ・ ・ ・