ことばの認識は世界を変える シリーズ 8 「命」についての考察の中で.
若者の自殺に対する以下の考えを引用した。

(大人は)言葉では綺麗なことを並べる。
・ 「命は大切なものだ」
・ 「せっかく生きていたのにもったいない」
・ 「生きていればきっといいことがある」
・ 「生きたくても生きられなかった人がいる」
・ これらは全て詭弁であり建前である。
・ 人は生きるのも自由。死ぬのも自由であるべき。

これらの考えに何と答えることができるだろうかと、自分の考えについて書いた。
その初めに書かれている「命は大切なものだ」とは大半の人がそう思い、またその思いついて書いている。

思い付きのその6に、「なぜ人を殺してはいけないのか」に対して「誰も答えられない」のはその理由がわかっていないということなのだろうと気づき、その説明を書いたが、「命は大切なもの」と誰もがそう思っていることも、同じように本当はわかっていないのではないか。

・ 「命は大切なもの」

命の大切さについては誰もがそう思っているし、大切なことはわかっているつもりでいる。しかし、命が何かについては実際には分かっていないのではないか。自分の命は実感していても、自分の命の意味も、自分の存在の意味も目的もわかっていないのではないか。命の意味が解っていないと、なぜ命が大切なのかがわからないはずだ。にもかかわらず、人の命の大切さだけが強調されているように思える。

(大人は)ことばでは綺麗なことを並べる。
「命は大切なものだ」

若者がなぜ「命は大切なものだ」という点を初めにあげ、「ことばでは綺麗なことを並べる」と書いたのかはわからない。それが詭弁であると言っていることから、「命は大切なものだ」と人はもっともらしく言うが、「間違っていることを、正しいと思わせるようにしむけた議論」だと考えているようだ。

命は大切なものである。しかし、命が大切だと言う人が、「自分は死にたくない。生きていたい。」という意味であるなら、実にばかげたことを言っていることになる。命のことをわかっていないのに、死にたくないだけになり、自分は利己的だと言っていることと同じになる。

人は死にたくないから「命は大切だ」と思っているのだろうか。
もしそうなら、命に対するはなはだしい認識不足であると考えられる。

自殺希望者には死にたいと思っている理由がある。大人が「命が大切なものだ」と思い込みを言っても、何の励みにもならないだろう。相手の身になって考えていないからである。死にたい人に、命の意味がわからない人が、命が大切だと言っても、その言葉に心が動かされることはないだろう。

死にたいと思う人で、すでに助けを必要としていないと思う人でも、人間には反省する余地、改善する道はあるはずである。どんな人でも謙虚になり、自分に間違いがあることを認め、反省できるなら、道は開けるものである。人類はそうやって進歩してきた。
しかし、限界を超えている場合もあるだろう。すべて考えることも嫌になり、生きることをあきらめ、ただ死ぬことだけを考える人を助ける方法は無いのだろうか。


命の考察の中に書いてあることであるが、
命は食べ物のことでもある。すべての生き物は命を食べて生きている。人間が食べているものは命である。どんな生物も命を食べて生きている。
ヒトゲノムとしての人間の誕生からの成長過程を考えれば、自分だけの命という考えは間違っている。自分だけの命と考える理由はない。命は自分のものではない。

「自分は死にたくないから」を理由に、「命は大切だ」という人は、命の意味がわかっていない。利己的な動機はすぐに相手に見破られ、綺麗ごとを言っていることに気づかれてしまう。

弱者を「かわいそう」と思うことは間違いである。「かわいそう」は上からの目線で見下げているように思える。そこには人間の高慢さがあるように感じる。現実を理解せず相手のために考えていないから、もっともらしく「かわいそう」ということばを使っているように思える。「命は大切なものだ」という表現も同様に、実際には自分に都合のよい利己的な「自分の感情が大切だ」に基づいているのかもしれない。 ・ ・ ・ それが若者が言う詭弁の意味ではないか。

弱者ではあっても当人は決して「かわいそう」な存在ではなく、自分と戦っている。誰でも同じである。
思いやる気持ちは大切であるが、見下げることは間違いである。弱者でも健常者以上に人間として立派な人はたくさんいる。思いあがることは間違いであり、避けなければならない。

自分が恵まれていることに気づくことは大切だ。その恵みに気付けば、感謝の思いを強くすることができる。その恵みとは親が育ててくれたこと、親族が支えてくれたこと、学校の先生や友達が励ましてくれたことなど多くの人達、人間のことである。実はその一人ひとりはみな弱い存在でもあり、生きることに悩み、苦しみ、励ましを必要としている。

命は大自然の前にはすべて平等である。すべての人は死ぬことが定められている。どんな善人であれ、どんなに偉い人であれ、幼い命であれ、いずれ死ぬことに変わりはない。死を前にして、人は何もできない。その現実は受け入れるしかない。

初めから「死に急ぐ」ことに大きな意味は無いように思える。人の命は完全に燃え尽きたと自分が思えるまで他人のために役立てることができる。。
命は自分のものではない。自分のことしか考えないことに誤りがある。命は他人のために役立てるためにある。

愛する人の死はつらく悲しいものである。
どんな人間であるにしても死という定めからは逃れられない。どんなに願っても命は永遠ではない。永遠の命は存在しない。勝手に無いものをあると信じること、そう思い込むことは間違いである。無いものをあると勝手に思い込むことを止めることは、人類に課せられている重要な課題の一つであると考える。

米国のテレビドラマシリーズのER、緊急救命室などに示されている命の現実を見れば、
死んでいく命を現実として受け止めることが、全ての人の考えの基本であるべきことがわかるのではないだろうか。


マイケルアレフ 2018年3月