絶対者への認識 追記その1:

絶対者に人間のように知性があるかなどという問いは馬鹿げている。善悪等という人間レベルの話の対象ではない。無限に広がる宇宙ができる前、物質と素粒子の世界が存在する前に関する話である。絶対者とはあらゆる生命体を超越した存在であり、生命体という表現さえ適切ではないように思われる。

無限と有限の差は絶えず無限大である。人間がどれほど進歩しても、その差を縮めることはできない。永久にわかり得ない、理解できない、人間の知性を超越した存在である。
絶対者を受け入れるかどうかという質問自体、馬鹿げていて、意味はないだろう。なぜなら無限は現実であり、人間に影響されることはないからだ。

宇宙の存在、素粒子等の世界の存在に対して、人間はそこに見られる秩序とその背後にある知性を認めることができる、そして美しさを感じることさえできる。
それは人間が無限の存在に対して、限りなく無いに等しい存在であるにもかかわらず、無限の一部を認識できるという自己満足に過ぎないのかもしれない。

わかりようのない存在を絶対者としてなぜ認めるのか。
確かに答えはないが、自然界に知性を認めることができる以上、人間が生きて行くための存在理由を追求し続けるためと考えることはできる。可能性を認めることは信じることではない。
永遠にわからない存在を認めることは人間だけではなくあらゆる生命体の存在理由を認めるためであると考える。

答はないからである。人類にとってそれが必要と考えられるからである。人間の考えで作り上げた神様では人間によって利用される。それが過去の歴史が示すことである。利用されることのないように、絶対者の存在は人類の手の届かないところに置いておくべきと考える。もちろんそれは人間の勝手であり、絶対者にとって全く関係のないこと、意味のないことである。

人間に知能があるという事実は、宇宙に人間以外の知的生命体の存在があることを示している。
永久にわかり得ない、理解できない、人間を含む知的生命体すべてを超越した存在があることを認識するだけですべての存在の理由、その答えを得ることができる。自己満足に思えるとしても、答えは永久にわかり得ないのであるから、それで十分であるように思える。


2018年10月 マイケル アレフ



絶対者への認識

     絶対者(神)の存在だけを肯定する理由

個人的な認識、独断と偏見と思われるかもしれないが、参考までに書いてみた。

科学は恐ろしいほどの速さで世の中を変えていく。世の中が大変な速さで変わっていく。追いついていけないほどの速さだ。そのもとになる基本的な考え方は数学、物理学、化学、医学などに多くを依存している。 その考えは真実を明らかにしていく。そして新しい認識が創られる。

昔の神様は全知全能、無限の存在、絶対者ではなかったが、科学の進歩と共にそのように考えるようになった。知らないうちに、昔の神々は今どきの神の考え方に置き換えられてきた。しかし、昔の神々の中に現在の認識に耐えられるものはない。昔の神はその当時に人々がそう考えていた存在だからだ。 では、現在あるべき神様の存在はとは何か。信じるに値する神とは何か。


それは科学が明らかにしてきた事実から生まれてくる認識と合致するもので、素粒子の世界から全宇宙の創造者、すべての命の源、すべての次元を超え、時間を超越し、どこにでも存在可能な無限の存在、絶対者のことである。  


人間の存在は無限の存在と比較すれば“無い”に限りなく等しい。それ故、無限の存在、絶対者のことを理解することはできないに限りなく近い。絶対者が人間に、人類に影響されることは全くない。絶対者は人間の理解を超越した存在である。

しかし、人間は有限であっても、無限の一部に見られる秩序、調和、知恵、美しさ等から多くのことを学び、科学の分野では進歩し続けてきた。無限と比べれば限りなく無に等しい人間の存在であっても、進歩は可能であり、それを実証してきた。それ故、人間の考えだから駄目だと否定することはない。


「神をほめたたえよ」などと様々な宗教が教えてきたが、絶対者は、ほめたたえられることなど全く望まない。絶対者にとって全く無意味なことである。神をほめたたえることは人間並み、実に次元の低い人間レベルの話である。もしほめたたえられることを願う神であれば、それは明らかに人間並みの存在であり、無限の神、絶対者などではない。  


人間が絶対者のことを限りなく理解できないのであれば、絶対者は存在していないのと同じと言えるのではないか  ・ ・ ・  部分的にその通りであると言えるかもしれない。

しかし、人間にそれを言う能力も資格もない。言い換えるなら、全くわからないに近い存在を肯定も、否定もすることもできない。人間が無限の一部に見られる秩序、調和、知恵、美しさ等を認識できる以上、無限の存在、創造者を否定することはできない。



では、今までの神様とどこが違うのか。

大多数の神々はそれぞれの時代に生まれた人間の想像物の神であり、有限のものであると考えられる。現在の科学により全能の神、無限の神、絶対者と認められるに値しないものである。絶対者は科学が明らかにしてきた事実から生まれてくる認識と合致するもので、理解も及ばない無限の存在である。

それでは、神に導きを願うことさえできないではないか。

いいえ。導きを願い祈ることはできる。しかし、答えを得られると期待することはできない。無限の存在は人類に介入することはない。個人的な祈りに答えることはない。

無限の存在を前に、人間は謙虚になれるだけである。


それでは、絶対者も今までの神々と同様に人間の想像によるものではないか。

そう思える部分はあるかもしれない。しかし、現在の科学により認められるに値するものである。

昔の神々と違い、信じるに値する神であるとは言える。なぜか?

なぜなら絶対者に裏切られる心配はない。絶対者に間違いはない。人間に依存することは全くない。人間が依存するとしても、無限の存在である神は、存在が大きすぎて、人間には想像を絶する、分かりようがない存在である。


絶対者の前では、人間は謙虚になり、無いに等しい存在として自分の存在を認めることができる。絶対者に対して祈ることはできる。導きを願うこともできる。感謝することもできる。すべてを任せて、信頼し、安心することもできる。しかし、それに対する単純な見返りは全くないと認識する必要がある。  

結果がどうであっても、神の意志が関係しているとか介入しているとかと理解すべきではない。神を知っているなどと宗教指導者が介入する余地は全くない。全能の神、無限の神、絶対者を知っていて、人間にその教えと導きを与えると言える者などいない。


人間が介入すると、神さまを信じないと罰が与えられる。信じないから悪いことが起きる等と恐怖を与えられてきた。言うことを聞かないと、呪われる、罰が当たるなど、様々な脅しと恐怖が与えられてきた。そして、それから解放される手立てとして、罰せられたくなかったら、神さまにお祈りし、寄付しなさいなどとお金を要求されてきた。

多くの人を恐れさせ、騙し、扇動し、恐怖心を植え付け、それを癒す代わりにお金を巻き上げることまでしてきた。  

人間は実に巧妙に、もっともらしく、これを人々がわからないように数千年にわたり行ってきた。多くの人々はそれに感謝さえしてきた。これが今までの歴史が示す人間が介在する場合にあった問題である。人類は今までの誤りに気付き、真実に目覚めるべきである。 時代は大きく変わっている。認識は変わるべきである。

 絶対者(神)は、人が何か悪いことをすると罰するという次元の低い存在ではない。絶対者の前では、すべては明らかなのであるから、隠すことにも意味がない。誠実に生きれば恐怖はない。人間として謙虚に、安心して生きていくことができる。悩む必要もない。死を恐れる必要もない。すべてを感謝することができる。最善を尽くして自分の命を全うするだけで十分である。

現実にある素粒子の極微の世界から2兆の銀河が存在する想像を絶する宇宙の創造者、すべての命、エネルギーの源、すべての次元を超え、時間を超越し、どこにでも存在可能な無限の存在、絶対者は全宇宙に存在する知的生命体にとって唯一の神として受け入れられる存在である。  

マイケル アレフ