1.創世記の記録から読み解く神の真実の姿

天地の創造者が全能の神であったなら、アダムが罪を犯すことはなかった。罪を創ったのは天地の創造者である。罪を作ったという意味は、善悪を知る木の実を食べてはいけないという命令のことである。こんな命令を与えたから、アダムは罪を犯したことになった。食べてはいけないという命令を与えなければ、罪はなかったのである。当然別の方法をいくらでも考えることができたはずである。



2.聖書に見られる永遠の命と贖いという考えについて

絶対者なる神にとって人間に永遠の命を与えること自体には何の問題もない。問題は全知全能の神、永遠の神、絶対者なる神がそれを約束していないのに、多くの人がそれを信じていることにある。どこにその約束の事実があると言うのだろうか。
人類がアダムによって特別な死を受け継いだという考えを書いたのは誰だろうか。旧約聖書にそう書いてあるのだろうか。いいえ。それはキリスト以降の考えである。それは、使徒パウロがローマ人へ宛てた手紙5章から8章の中で彼の考えを書いたものに基づいている。



3.アブラハムの子イサクを犠牲として捧げなさいという命令について

アダムの時は木の実を取って食べてはならないという簡単な命令だった。アブラハムの時は自分の愛する子を犠牲として殺しなさいという難しい命令である。この難しい命令でもアブラハムは忠誠心を示した。どうしたら自分の子供さえ犠牲にするほどの忠誠心を人間に持たせることができるのかという質問に対する答えがここにある。



☆ ことばの認識は世界を変える シリーズ 12より

     愛するということばの意味を考える  Part 1 

    古代 イスラエルの歴史から愛について考える
 ユダヤ人であったイエスはそれ以前にはない新しい考えを伝え始めた。 敵を愛しなさい。あなたを迫害する人のために祈りなさい。
  本来、敵とは「昨日の敵は今日の友」ということばがあるように、敵は人間であり、人間は変わる存在である。良い人にもなれば、悪い人にもなる。今日の友でさえ、明日は敵になることも考えられる。
 神により善悪が決められた。しかし、悪人と決めつけ、敵にしてよいものか。その人の考え、価値観、状況で敵が作られる。
 敵は本来いない。敵は自分の中にある。それは人間の心にある。人間の想像力が勝手に理由を見つけ敵を作り出す。
 敵はいない。一時的な意味で使われるとしても、敵がいるという考え自体は間違いである。



☆ 絶対者(神)の存在だけを肯定する理由

絶対者には、ほめたたえられることなど全く無意味なことである。もしほめたたえられることを願う神であれば、それは明らかに人間並みの存在であり、全知全能の神、無限の神、絶対者などではありえない。人が何か悪いことをすると罰するという次元の低い神様ではない。絶対者(神)の前では、すべては明らかであり隠すことにも意味がない。誠実に生きれば恐怖はない。




☆「信じる、信頼する」ということばの新しい定義について





宇宙の広がりを表す写真を見ていると
「地球が宇宙の中心」と信じていた頃の人類の考えが遠い昔のことのように思われる。
しかし、それはわずか400年程前までのことで、それ以前の数千年もの間、
人類はそう信じてきた。
 人類の多くが今も当時と同じ神を信じていることを考えると、
人類の多くは信じるという間違いに気づきたくないのだと改めて思う