マイケル アレフのことばの不思議な世界




1.創世記の記録から読み解く神の真実の姿

天地の創造者が全能の神であったなら、アダムが罪を犯すことはなかった。罪を創ったのは天地の創造者である。罪を作ったという意味は、善悪を知る木の実を食べてはいけないという命令のことである。こんな命令を与えたから、アダムは罪を犯したことになった。食べてはいけないという命令を与えなければ、罪はなかったのである。当然別の方法をいくらでも考えることができたはずである。



2.聖書に見られる永遠の命と贖いという考えについて

絶対者なる神にとって人間に永遠の命を与えること自体には何の問題もない。問題は全知全能の神、永遠の神、絶対者なる神がそれを約束していないのに、多くの人がそれを信じていることにある。どこにその約束の事実があると言うのだろうか。
人類がアダムによって特別な死を受け継いだという考えを書いたのは誰だろうか。旧約聖書にそう書いてあるのだろうか。いいえ。それはキリスト以降の考えである。それは、使徒パウロがローマ人へ宛てた手紙5章から8章の中で彼の考えを書いたものに基づいている。



3.アブラハムの子イサクを犠牲として捧げなさいという命令について

アダムの時は木の実を取って食べてはならないという簡単な命令だった。アブラハムの時は自分の愛する子を犠牲として殺しなさいという難しい命令である。この難しい命令でもアブラハムは忠誠心を示した。どうしたら自分の子供さえ犠牲にするほどの忠誠心を人間に持たせることができるのかという質問に対する答えがここにある。



ことばの認識は世界を変える シリーズ 12 より

愛するということばの意味を考える  Part 1    

     古代 イスラエルの歴史から愛について考える
ユダヤ人のイエスは「神は愛である。敵を愛しなさい」と教え始めたが、そのイスラエルの神は過去においておびただしい数の敵を殺すことを奨励し、実際殺戮した。これはイエスの教えに矛盾があることを示している。
イエスの新たな教えは、それ以前の神の責任を全く無視したものである。神が昔行った人類の大量殺戮は許さるのか。過去の清算はなされないでよいのか。そんな矛盾を受け入れてよいものか。
イエスは自分が語る内容がユダヤの歴史にも道理にも合わないことに気付いていたのか、いなかったのか。気付いていたのならなぜそうしたのか。
・・・ 神の真実の姿 続編へ
 イエスはなぜそう教えたのか。



絶対者(神)の存在だけを肯定する理由  

絶対者には、ほめたたえられることなど全く無意味なことである。もしほめたたえられることを願う神であれば、それは明らかに人間並みの存在であり、全知全能の神、無限の神、絶対者などではありえない。人が何か悪いことをすると罰するという次元の低い神様ではない。絶対者(神)の前では、すべては明らかであり隠すことにも意味がない。誠実に生きれば恐怖はない。




信じる、信頼する」ということばの新しい定義について


宇宙の広がりを表す写真を見ていると
「地球が宇宙の中心」と信じていた頃の人類の考えが遠い昔のことのように思われる。
しかし、それはわずか400年程前までのことで、それ以前の数千年もの間、
人類はそう信じてきた。
人類の多くが今も当時と同じ神を信じていることを考えると、
人類の多くは信じるという間違いに気づきたくないのだと改めて思う