解剖実習

 僕ら医学生には死体解剖実習の時間が割り振られている。一年に三体の死体が与えられ、教授指導のもと、三回の実習を経て全身を解剖し終わる仕組みになっている。
 僕はもともと気が弱く、解剖授業が嫌だった。案の定一回目の解剖実習では、その場にへたり込んでしまい、失神寸前状態だった。後で分かったことだが、こうしただらしない学生の殆どは男性であるらしい。
 その時は、となりで実習を受けていた山城マリに励まされて、何とか嘔吐をこらえながらも続けることができた。僕は医師には不向きなようだ。
 しかし、それ以来マリとの付き合いが始まったのだが、全てにおいてずっと彼女にリードされ通しである。どうも彼女は僕に対して母性本能を抱いているようだ。
 十月の末、二体目として僕たちの実習グループに与えられた死体は若い女性だった。幾日もの間ホルマリンに浸けられていた死体は、生気が失せた土気色の肌でむくみが出ている。やはりこの女性の死体も例外ではなかったが、それなりに皮膚には張りがあり、まだ若い女性であることが見てとれた。目元に一円硬貨大の痣があった。
 二回目の実習とはいえ僕はやはりビビっていた。再びマリと組めたのがせめてもの救いで、なるべく手を出さずにいた。すると教授はすぐにそれを見咎めて、僕に腹部の解剖を言いつけた。
 教授の指示に従い、胃を切り開き胃壁のひだを調べていると、となりでマリが僕をつついた。胃壁に十粒ぐらいの小さな種らしきものが付着している。とりあえず取り出して水洗いをし、シャーレーに入れて保管した。
 苦手な実習が終わり、僕は神経がへとへとだった。
「きょうは頑張ったわね。夕食ごちそうしてあげる」
 マリはケロッとして食欲をみなぎらせている。僕とは大きな違いだ。
 料理をむりやりのどに押し込んでいると、マリが言った。
「きょうの献体は湖への投身自殺だったようね。それにしてもなぜザクロの種が胃に残っていたのかしら……」
 もうすっかり調べがついていて、マリは死者の身元や死因などを聞き出し、種の調査も完璧に済んでいた。やはり頼りになる女性だ。
 解剖実習に回される死体の多くは、身寄りのない高齢者で若い女性の死体が来ることは稀だった。僕は若くして自殺した女性の孤独な気持ちを考えると、解剖実習とはいえ、それを切り刻む行為が許されないような気がした。
 胃の中に食物が残るのは三時間が限度だ。女性は死に際にザクロを種ごと食べたことになる。よほど口が渇いていたのだろう、死を前にして独りザクロの実を種ごと飲みほす姿を想像するだけで、僕は辛くやりきれない気持ちになった。
「あの女性が亡くなった現場にお花を供えたいんだけど、付き合ってくれるかな」
 マリはあまり関心がなさそうな顔をして、それでも「いいわよ」と言ってくれた。
 実習合間の休日をつかい、自殺現場の所轄派出所の巡査に案内されて、僕たちは晩秋の湖に来た。優に三十メートルはある崖上に立ち、真下の湖面を覗き込むと思わず足がすくんだ。ここに女性の履物と数点の遺品があったという。
 マリが僕を呼んだ。すぐ近くにザクロの木があったのだ。実の多くは熟して落ちている。女性が食べた実は、まだ酸っぱかっただろう。
 僕は木から実をひとつもぎ、遺品があったという場所に花と一緒に供え、線香をあげて手を合わせると、悲しみが込み上げてきて涙が流れた。マリはそんな僕を不思議そうに見ている。
 数日後解剖実習が完了し、最終グループだった僕らのテストが終わったのは、夜九時を回っていた。解剖されてバラバラになった若い女性の骨や内臓などを収納缶に納めて、医学研究棟の地下にある解剖遺体安置室に運ばなければならない。
 その日は僕が収納缶を運ぶ当番だった。薄暗く天井の低い地下回廊は何度通っても気味が悪い。マリに頼み込んで一緒に来てもらった。
 遺体安置室の所定の棚に収納缶を置き、隣接する管理室の職員に報告しようとすると、ドアが自然に開いた。
 暗い管理室の奥まったあたりに、濡れた髪を肩まで垂らした面長の女が佇んでいた。目元には、はっきり痣が見えた。唇がゆっくり動き「あ・り・が・と……」と、幽かな透き通った声がした。僕は思わず瞑目して合掌した。
 しばらくして目を開けると、そこに女性の姿はなく、照明がついた部屋に職員が座っていた。
「ヒェーーーーー」
 張り裂けそうな声をあげ、マリが僕にしがみついてきた。僕には全く恐怖感などなかった。
 その日からだ、マリが僕を頼るようになったのは。


               《 完 》

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