photo by Hideo Tan>

      小浜田知子さんへの長い長い長〜いリクエスト

  たなか秀郎(脚本・演出・美術家)


   小浜田知子さんは篠崎早苗のヴォイストレーナーであり、篠崎の所属する「人形劇団ひとみ座」の歌 
    唱指導、年一回行われる「ひとみ座音楽会」の企画・指導をされています。

 2011年8月6日、杉並公会堂小ホールSummer Bright concertwで、五人のクラシック歌手の
うち、三番目が小浜田知子さんでした。休憩前のトリです。
 全八曲すべてが自作。作詞・作曲とも小浜田さん自身の作品でした。
 最初の日本語ソネット「三つの禁止」は、以前、横浜美術館のホールで聴いたことがありまし
た。そのときが初演だったと思います。
 日本語のソネット「恋する焼酎」四作と最後のイタリア語のソネット「チョコレート」は、今回のコ
ンサートの為に作った新作だそうです。

 ソネット=十四行詩という短い形式によって日常的なさまざまな場面を素材にした、小さな絵
画のような作品は、変化に富んでどれも面白く楽しめるものでした。

 クラシックの歌曲でありながら親しみが持てる、構えずに聴ける。理解出来る。
 「あなた・わたし」という定型を踏みながら、内容がそれぞれ個性的。
 八つの歌は、丁寧に描かれた小さな絵画を見るようでした。
 画家が小さな額縁を「世界に開かれた小窓」として絵の具を重ねていくように、小浜田さんは
外的世界をソネットを通して描き歌う。私はこの「日本語のソネット」という形式がとても気に入
りました。
    
 そこで、ここからが私の小浜田知子さんへのリクエストです。
「これからもどうか、ソネットを作り続けて下さい。日本中いや世界中のいろいろな物事を小浜
田知子さんの眼・身体を通してソネットに仕立てて下さい。ソネットという〈外界への小窓〉を、せ
っかく手に入れたのですから。これまでの作品はもちろん、もっともっと私はいろんなソネットを
聴かせて頂きたいのです。しまいに壁が全部、小窓だらけになるくらい風穴が開いたら、素敵
ですね」

 私のリクエストはこれだけです。はい、少しも長くはありません。
 でも、私がなぜそんなふうに思うのか、説明しなければなりません。それにはやはりそれなり
の歴史(笑)があるから、です。


Summer Bright cocert
2011年8月6日/杉並公会堂小ホール/岩井奈美(ソプラノ)葛西みな子(ソプラノ)
小浜田知子(ソプラノ)飯島正広(テノール)武井凉子(ソプラノ)
    小浜田知子さんの伴奏は岡田ジョージさん(pf)でした。
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 クラシックのコンサートで、自分の作詞・作曲した曲を歌う人は、かなり珍しいだろう。
 それもSummer Bright concertでは、8曲全部が、小浜田知子さんのオリジナルである。7曲
が自作の日本語のソネット。最後に歌われた「チョコレート」という楽しい一曲は、やはりご自身
で作詞作曲されたイタリア語のソネット。「著作権対策」と、ご本人は謙遜するが、そればかりで
これだけの創作は出来ない。
  ☆
 その題材がユニークだ。いわくソネット「三つの禁止」そして「恋する焼酎」(四連作)。

三つの禁止
「禁煙」「禁酒」まではふつうかも知れない。次が「禁ズボン」とくる。着眼点の独自さとユーモア
が感じられる。
 ふとした日常的な場面を歌にすることはj-popと呼ばれているジャンルや和製ロックで、以前
からさまざまに行われてきている。
 歌というものが素直な感情の吐露に発しているとするなら、日常的心情・場面を歌った歌が
多いのは当然であり、ほとんどは男女の愛や別れを謳う歌である。
             ☆ 
 しかし、それをクラシック歌曲の分野でやってしまおう、というところに小浜田知子さんの勇敢
さがある、と私は思った。

禁煙   「火をつけない煙草」をくわえて「あなた」の仕草を真似る「私」。
禁酒   「お酒をやめる」と言う「あなた」に「やめるなんて言わないで、またワインを飲みまし
       ょう」と誘う歌。「ボルドー、シェリー、シャンパーニュ、トスカーナ」とワイン名が羅列
       されるのが粋だ。
禁ズボン 「ズボンは履くな」と禁止した「あなた」に隠れてズボンを履く、「スカートの様に単純
      なあなた」と「ズボンのように少し複雑なわたし」のユーモラスな対比。「一本の筒に両
      方の足を入れて履く/単純なスカートとは大違いの/二本に分かれたその筒に片方
      ずつ足を入れて履く少し複雑なズボン」という出だしが、とても面白い。
             ☆
 人が他者を支配しようとするとき「禁止」事項を設けるのは、常套的な手段である。男女の仲
でも、それは行われがちだ。
 しかし「禁煙」は、「わたし」が、実際には立ちのぼっていない煙の向こうに「あなた」のまぼろし
を見る歌だ。不在の煙が不在の「あなた」を見せる。「わたし」は、けっして誰からも禁煙を強い
られている訳ではない。
「禁酒」も「やめる」と言っているのは「あなた」の方で、それを「わたし」がやんわり止めようとし
ている。
「禁ズボン」に至って、初めて「男から女への禁止」が示されるが、「少し複雑」な「わたし」は、
「あなたの知らないところで」「いつもズボンを履いているの」だ。                 ☆
  
 したがって、三作の頭に冠されている「禁」の意味あいは三つとも違う。「禁煙」の「禁」は「煙
が無い」の意、「禁酒」の禁は「禁・禁酒」、最後の「禁ズボン」だけが本来の意味での「禁」だろ
う。そして「あなた」と「わたし」のスタンス・関わり方も、三作それぞれ違っている。
 つまり「禁止」を軸に採っても「わたし/あなた」を軸に採っても、三つの短詩の構成はそれぞ
れ全く違う。
 この事は、三つの作品が、ただの日常的私的描写ではなく、かなり知的に操作され「創られ
た」ものであることを示しているだろう。煙草・酒・ズボンというイメージしやすいモチーフを扱っ
て、それぞれ違う味わいに仕上げられてもいた。

  ☆
「三つの禁止」は、たしかに日常的な場面や心情を描いたソネットに違いない。けれども、演歌
やポップスによく見られる「感情・心情の私的垂れ流し」には終わらず、抑制の利いた独自の
様式美を作り出している。彩色石版画やミニアチュール絵画のような世界と言えば良いか。 詩
の言葉がイメージを作り出し、小さなシャボン玉のような虚構空間を形作る。ソネットという短詩
形式に着目した小浜田知子さんの手柄だろう。
  ☆

 もうひとつの連作「恋する焼酎」は、市販されている焼酎の銘柄をひとつひとつの作品名に冠
した、意表を突く作品群。

恋する焼酎

花恋慕  「あじさいの咲く頃に」「コスモスの散る頃に」「プリムラの咲く頃に」と、長い別離を置 
      いて再会を約束する「あなた」と「私」。「骨せんべいを食べながら」「入浴剤を買いな
      がら」「黒糖焼酎飲みながら」という日常的描写が微笑ましい。


    種類/黒糖焼酎
     銘柄/花恋慕(はなれんぼ)
     alc.25°
     製造元/沖永良部酒造    
  音楽を聴かせながら熟成させる「音響熟成」


魔王   幻の魔王を「一度だけでも見てみたい」。シューベルトの「魔王」と「幻の焼酎」(を、擬
     人化したもの)のダブルイメージがユニーク。それに対する「私」の反応は「高い空から
     聞こえてくるような/不思議な音色」「私をどこかに誘っている様な/そんな気がして」
     と、恐怖ではなく艶っぽい。


  種類/芋焼酎
  銘柄/魔王
  alc.25°
  製造元/鹿児島県白玉醸造
                            
  米麹を加えたすっきりとした飲み口だそうです。




晴耕雨読  「あなた」から距離を置き「心静かに過ごしましょう」そして「時々/都合      
が合えば/一緒に過ごしましょう」大人っぽい穏やかな女性の心情。


  種類/芋焼酎
  銘柄/晴耕雨読
  alc.25°
  蔵元/鹿児島県南九州市佐多宗二商店

  薩摩芋・米麹・米で創られた焼酎。


猿川    「さるこう」と読みます。「流れて行く猿に恋をしたわたし」という破天荒な詩。「川に 
       揺られ 海に揺られ 酔いしれて さるこう」急流を示すような テンポの速い曲。「猿
        が手放せないビン ビンにつかまり ドンブラコ」と、酔いの廻りの速さと 、水の流
       れの速さがシンクロする。「猿がつかんでいるビン 一緒につかまり ドンブラコ」 
       「猿川は恋の川」


  種類/麦焼酎
  銘柄/猿川(さるこう)
  alc.25°35°40°
  醸造元/長崎県壱岐市猿川伊豆酒造
     
  「猿川」は、酒蔵の敷地内を流れる清流の名前。
 
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 最後から二番目の「猿川」という曲を歌い終わって、小浜田知子さんは突然、客席に向かって
語り始めた。
 歌っていたときとは違う、低い掠れたようなトーンで。
 「猿川」と書いて「さるこう」と読むこと。それが焼酎の名前であること。「猿に恋した女」の伝説
があること。

 2011年8月6日、杉並公会堂小ホールSummer Bright concert。客席数三百ほどの小綺麗な
音楽ホールである。
 客席が小さく動揺した。

 小浜田さん自身は、そのブログにこう書いている。

☆ぼんやりして、気が付いたら口が勝手に動いていたのです。

会場全体が、「しゃ、しゃべった!」という感じでザワザワし、後ろでピアノのジョージィくんがギョ
ッとしていました。

でもね、口が止まらなかったのさ〜。☆

  一般的なクラシックのコンサートでは、
 ○歌手が舞台下手からもさもさと登場する。
 ○ピアニストが楽譜を持って続き、歌手が立ち位置に立つ。
 ○ピアニストは椅子の具合を確かめたりして着席し楽譜の用意をする。
 ○歌手が深呼吸したり準備体操(笑)したり、衣装のボタンが外れていないか確かめたり(冗 
   談です)前髪を整えたりした後、ピアニストとアイコンタクトして、 曲が始まる。

 曲と曲の間も、居ずまいを正したりするだけで、客席に対してはとくに注意を払っていないよう
に見える。
 歌い終われば、客席に礼をして拍手を浴び、ピアニストに身振りで感謝して、もさもさと退場。

 登場から退場までの間、「歌」以外で、歌手は客席と交流することがない。曲目もその内容
も、パンフレットに記載されているだけで、舞台上で読み上げられることはない。
 この日のコンサートでも、五人の歌い手のうち、小浜田さん以外の四人は、この様式を踏んで
いた。

 小浜田知子さんが「しゃべった」ことに対する反応は、クラシックコンサートのしきたりに慣れ
た人たちの、意表を突かれた驚きだったのだろう。そのあとに続いた小さな笑いは、緊密で高
度な音楽世界にとつぜん現れたナマの人間、素顔の小浜田知子さんに触れての親しみ、共感
だろうか。

 小浜田さんは、こうも書いている。

☆クラシックは特にそうですが、どうしても自己満足になる事が多いし、一般のお客様は「長い
よ〜、飽きるよ〜、こんなダルいの聞きたくね〜よ〜」と思う人が多い気が します。

 そこで、トークが必要なんだなと。
 その、つまんないと思われている曲に、興味を持たせるトークはすごい力を発揮するのだ!
 と知ったのです。☆


                          
 ウェブ上で「日本歌曲」をひもとくと意外に曲目が多いのに驚かされる。けれども、それだけ
作品が多いにも拘わらず、わたしたちが耳にするのは、限られた数曲に過ぎない。
 上野の「奏楽堂」で、日本歌曲草創期からの歌を、かなりたくさん聴いたことがある。それも、
往事活躍されていた50〜70代の方たちの歌で聴くことが出来た。そのときの感想は「日本歌曲
は意外に面白いな」というものだった。
  ☆
 それまでの私は、日本歌曲と言えば、一生懸命西洋音楽の真似をして、無理矢理日本語に
当てはめようとしている。無理がある。そう、思っていた。
 小浜田知子さんの仰る通り「長いよ〜、飽きるよ〜、こんなダルいの聞きたくね〜よ〜」だっ
たのである。
 ll、ar、to、ttl、vi、ingなどの美しい発音がなく子音+母音で一文字ずつ区切るように発音する
日本語に、西洋的なクラシックのメロデイーは相容れないのではないのか。五・七でまとまりや
すいリズムも、いったい何分の何拍子というリズムに乗せられるのだろうか、と。
            ☆  
  たとえば「キラキラ星」という曲がある。これは元はフランスの歌なのだが、英語版の"The 
star"という替え歌の方がよく知られている。
 
 Twinkle, twinkle, little star…

 日本語訳はいくつかあるらしいが、一番よく歌われているのが、

 キラキラ星よ 夜空の星よ

というものである。
 両者の音の内容を比べてみれば、日本語の発音の平板さは明らかだ。「Twinkle」という視覚
的なイメージを伴う音、星の瞬くリズムまでを一単語で表現した音と、「き」「ら」という独立した
五十音の組み合わせに過ぎない単語では、その表現力は、まるで違う。
 キラを漢字で「綺羅」と表せばまだ英語Twinkleの語感に近くなるかも知れないが。
 しかしTwinkleの語尾のleと次のlittleが符合して星たちのかすかな光の呼応をイメージさせる
ような「言葉の響き合い」までは、日本語では難しい。
  ☆
 英語ではtwinまでを一音符、-kleを次の一音符と、発音の方が音符からはみ出している。逆
に言えば、音符から音符への音楽的繋がりを、詩の音が、ちゃんと埋めている。曲想と詩想が
一体になっているのだ。
 日本語の曲では、一つの音符にひとつの音(子音+母音)を割り当てることが多い。一音ごと
に区切りが出来てしまい、音楽的な繋がりが作りづらい。
 日本語の歌曲には、以上のような制約が、どうしても付きまとう。
          ☆
 ところが、「奏楽堂」で聴いてみれば、日本歌曲草創期の作曲家たちは、勇ましかった。
 和製歌曲を創ることの困難さにたじろぐどころではない。
 日本語の詩を求めて小倉百人一首・万葉集・源氏物語までも歌曲に仕立ててしまっていた。
西洋の歌曲をそのまま輸入するだけで飽きたらず、どうしても日本独自の歌曲を作りたかった
らしい。(もっとも「現代詩」自体、まだ模索を始めたばかりだった)
  琴や三味線曲のような旋律、越天楽のようなメロディーも、西洋楽器と西洋音階の歌曲に
組み込んでいる。実際、琴や尺八を伴奏に取り入れた曲もあった。
 まるで薬品の順列組み合わせ的実験のような荒技を、草創期の日本歌曲は試みていたこと
になる。
 「この道」「からたちの花」など、ありきたりの曲しか知らなかった(すみません)私は、仰天させ
られた。その意味で奏楽堂の日本歌曲特集は「面白かった」のだ。
  ☆
 西洋文明に憧れ貪欲に吸収しながら、日本独自、あるいは土着の文化を創造しようとした近
代日本の諸ジャンルの先駆者、作家、画家、彫刻家、演劇家などとも共通する姿勢と言えるの
だろう。
 異文化との出会い・羨望、相克を、この国の歌曲の先輩たちも、体験し、葛藤し、臆すること
なく果敢に吸収し肉体化しようと立ち向かっていた。
 しかしそれは「芸術」という見たことのない化け物への挑戦であり、無力さに打ちひしがれるこ
とも多かったと察する。
           ☆
 ほとんど八方破れのその試みは、おそらく99%失敗と言えるものだったろう。それらの作品
が現代にまで受け継がれたのは、音楽大学を始めとする日本の音楽教育の特殊な環境に依
るものではないか。
 奏楽堂でのコンサートは、戦っては破れ試みては砕けた「意志と挑戦」の見本市のようだっ
た。累々たる残骸。晦渋で学究的、真面目で高度に音楽的なのではあろうがあまりにストイッ
クで専門的な作品の数々。しかし、中にはこの特殊な環境だからこそ奇跡的に花開いたと思
われる作品もあった。「サルビア」は、そんな曲のひとつだ。
  ☆
 堀内幸枝/詩。中田喜直/曲の「サルビア」は、良く知られまた歌われている。その歌を初
めて聴いたときの衝撃を、私は忘れられない。上野奏楽堂のコンサートの二年くらい前のこ
と。
 2006年4月10日、八王子の龍谷寺というお寺のホールでのコンサート。円形の天井を持つ石
造りの小さいが立派なホールだった。
 歌ったのは、他ならぬ小浜田知子さん。
 高 紅実(ko-hong-shil)さんの伴奏(pf.)だった。
 小浜田さんは黒いワンピースのような衣装を着ていた。細身で小柄な小浜田さんから発せら
れる圧倒的な声の伸びに驚かされた。良く響くホールなので、一度高い天井に反響した声が、
質量を持ったように少し遅れて落ち掛かって来る。
 驚きは、それだけではなかった。初めて聴くその「サルビア」の詩が、ひとつひとつの言葉が、
明瞭に「聞き取れた」のである。
  ☆
 歌詞が「聞き取れた」とて当たり前ではないか、と思われるかも知れない。しかし、反響の強
いホールで、聴いたことのない曲の詩を聞き分けるのは、そう簡単なことではない。
 まして「サルビア」のように癖の強い詩は。
 それまで私が見聞きしてきたテレビ・レコード(古い!)などでの例えば「からたちの花」とか「早
春賦」「この道」「花」などの歌は、必ずしも、言葉として明確には発音されていなかった。著名
な歌い手によって歌われているのにも拘わらず、である。
 歌い手によっては、aの母音とoの母音を、ほとんど同じように発音してさえいた。h行の子音
など、ほとんど聞こえなかったりした。「はひふへほ」と「あいうえお」の区別が付かない。

          ☆
 声を口腔の中で共鳴させはするが、それを唇によって明確に制御しているようには見えなか
った。クラシックの歌い方、発声とはそんなものなのか、と素人の私は漠然と思っていた。特殊
なジャンルなのだな、と。
 さして特徴もないような詩の言葉を、重々しくもっともらしく歌うのが、歌曲なのか、と。
          ☆
 小浜田さんの「サルビア」は、言葉にくっきりとした輪郭があった。紛れもない日本語。それ
も、現代の日常的な話し言葉に近い発音。

   その花は血の色だわ

 言葉が直接、こちらの身体に飛び込んでくる。
 その詩の斬新さにも、びっくりした。
 詩もすごいが、曲も小浜田さんの歌も、ピアノ伴奏も、すごかった。
 会場の反響の強さも相俟って、ほとんど狂気・凶器のような世界だ。ムンクの渦巻き状の雲
を真っ赤に塗り替え、ゴッホのひまわりをネガフィルム(色相反転)にしたような。
 これは、「道成寺」の清姫が激情のあまり蛇身に変身したまさにその瞬間を捉えたような詩で
はないか。
 詩の感情など分からない。名付けようのないほどの感情=エネルギーなのだろう。
 イメージと音としての言葉は、ビンビン伝わってくる。ひとつひとつは明瞭で冷静な言葉が、極
彩色の狂気を描き出す。

    サルビアの花びらを
    いっぱいふりかけてちょうだい

 まるで、日常的な感覚世界から切り離されたタブロー(油絵・作品)のような、独立宇宙だ。
           ☆
 そのときはまだ日本歌曲を聞き慣れていなかったから、強烈な印象だけが残って、「ヘンな
詩だし、やたらエキセントリックな曲だけど、日本歌曲の中にはこんな曲もあるんだな」くらいに
しか、感想を持てなかった。
 それより、「クラシックの発声と現代的な日本語の発音は両立し得るものなのだ」、というの
は、発見だった。当時、日本語の話し言葉、語り、朗読、に関心を抱き始めていた私は「歌に
よって語ることが可能」という小浜田知子さんによって示された具体的見本は、貴重であり、あ
りがたいものだった。
  ☆
 けれど、また違う場でベテランの歌手が歌った「サルビア」)は、まるで別物だった。数少ない
既知の曲であったし、龍谷寺での印象が強烈だったので、期待していたのだが。他の曲と同じ
くらい落ち着いた調子で歌われ、聴く方として特に際だった感慨の残らないものだった。詩や言
葉は、ソプラノの発声を動機付ける為の道具立てに過ぎないように扱われていた。

あの浮揚感は、ついに、訪れなかった。宙に浮かされてしまうようなあの高揚感は。
 
 ふたつの「サルビア」の、この違いは、何なのだろう。
 歌は、スコアではなく歌い手の身体に在る、ということだろうか。
  ☆
「サルビア」は、小浜田さん作詞作曲のソネットにも登場する。

 また、涙は見せられないとお酒飲む男の歌
 歌ってよ  
  また、サルビアは血の色だと叫ぶ女の歌
 歌うから

 (「ソネット三つの禁止」より「禁酒」)
 小浜田知子さんにとっても「サルビア」は特別な作品なのだろう。
あるいは、ソネット創作のきっかけのひとつになった曲なのかもしれない。
  ☆
「サルビア」の原詩の行分けは十二行になっている。ソネット=十四行詩とは違う。ただ、九行
目に、

  サルビアの花びらを
  いっぱいふりかけてちょうだい

 と、「転」あるいは「反・主題」が来て調子が変わるのは、ソネットの形式に従っている。後半
四行のやや長いフレーズは、六行に置き換えられなくはない。
 日本語で厳密なソネットが書き得るのか、という問題は別にして、「韻を踏んだ短詩形式」と
捉えれば、「サルビア」は、紛れもないソネットではないか。
  
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  クラシックの発声、表現力は、その豊かさと多様性において演歌やポップスとはまるで格が
違う。しかしその表現力に拮抗するほどの詩は、日本語では難しい。
 日本語のオペラというものを私は観たことがあるが、その大げさな表現、メロディーと言葉の
乖離に、どうしても違和感を感じてしまうものだった。
 また、原語のイタリア語で歌われれば抵抗なく聞けるアリアが、日本語訳で歌われると「なん
だ、こんな詰まらない歌だったのか」と、がっかりしてしまったこともあった。
  ☆
 小浜田知子さんの創るソネットには、日本歌曲あるいはクラシックの声楽特有の難解さ晦渋
さ、大げさな表現がない。歌曲を聞き慣れない人間にも言葉とその意味・イメージが伝わってく
る。
 題材の親しみやすさ、具象性のあるイメージ、紛れもない「現代」を描いてること、面白く美し
く、そして可愛らしい。ちょっとした棘もある。
 こんな作品を創り出せるのも、クラシックのソプラノ歌手でありながら

☆クラシックは特にそうですが、どうしても自己満足になる事が多いし、一般のお客様 は「長
いよ〜、飽きるよ〜、こんなダルいの聞きたくね〜よ〜」と思う人が多い気が します。☆

 という客観的自覚を持てる人だから、なのだろう。

             ☆
 音楽の専門家ではない私には、小浜田知子さんがどのような魔術を使ってこんな作品群を
生み出せたのか、技術の具体的な言葉で言い表すことは出来ません。
ただ言えるのは、
 声の美しさとテクニックだけではなく、こんな道具 =日本語ソネットまで手に入れた小浜田知
子さんの、今後の活動が、楽しみです。(2011年8月15日)


■小浜田知子 Tomoko Kohamada(ソプラノ)

東京コンセルヴァトワール尚美(現・東京メディア&アーツ尚美)、ミュージカル科を経て声楽科
ディプロマコースを卒業。

声楽を島津勲、身体表現を桐山良子、ピアノを磯貝のり子、演技を露川冴の各氏に師事。第
10回市川市新人演奏会に出演。

7才よりピアノを始め、10才でNACタレントセンターに所属。舞台を中心に活動。
高校卒業後声楽を始める。
在学時より様々な演奏活動を行う。

現在、東京、埼玉など関東を中心にボイストレーナーとして活動。クラシック、ミュージカルナン
バー、歌謡曲、Jポップまで様々なジャンルを基礎から教えられる事に定評がある。

その他に、企画、演出、演奏、ステージ出演など幅広く精力的に活動。パフォーマンスグルー
プ座☆覚人、小浜田組、主宰。
(以上、ボイストレーナー小浜田知子オフィシャルサイトより、抜粋)