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旅順の陥落〔*〕

〔*〕 旅順の陥落――旅順は一九〇五年一月一日に日本軍の手におちた。
 論文『旅順の陥落』にたいする予備的材料――論文のプランのいくつかの異文、外国新聞からの数多くの抜粋その他は、『レーニンスキー・ズボールニク』第五巻五七―五九ページ、第一六巻三七―四二ページ、第二六巻二四二―二五一ページにおさめられている。


 「旅順は降伏した。
 この事件は、現代史上のもっとも大きな事件の一つである。きのう電報で文明世界のすみずみにつたえられたこの数語は、圧倒的な印象、巨大で恐ろしい破局、言葉ではつたえがたい不幸の印象、を呼びおこす。強大な一帝国の精神的力が地に落ち、まだしかるべき発展を遂げることができなかった若い一人種の威信がうすれつつある。一個の政治体制全体に判決がくだされ、長々しい野心の連鎖が中断され、大きな努力がうちくだかれつつある。もちろん、旅順の陥落はすでにはやくから予見されていたし、人々はすでにはやくから口さきでごまかし、用意の文句で自分をなぐさめてきた。しかし、目に見えて明らかな、なまの事実が、因襲的な虚偽の全体をうちくだいている。いまでは、生じた崩壊の意義を緩和することはできない。ここにはじめて旧世界は取りかえしのつかない敗北ではずかしめられたが、この敗北は、あれほども神秘につつまれた、見たところ少年のように若い、きのう文明へ呼びだされたばかりの新世界によって、くわえられたのである」。
 ヨーロッパのある大ブルジョア新聞は、この事件の直接の印象のもとに、こう書いている。ところで、ここでみとめなければならないのは、この新聞はヨーロッパのブルジョアジー全体の気分をあざやかに表現することに成功したにとどまらないということである。新しいブルジョア世界の成功に不安を感じ、長いあいだヨーロッパの反動のもっとも頼りになる砦とみなされてきたロシアの軍事力の崩壊に肝をつぶした、旧世界のブルジョアジーの真の階級的本能が、この新聞の口を通じてかたっているのである。戦争に参加していないヨーロッパのブルジョアジーさえもが、やはりはずかしめられ圧倒されたように感じているのは、ふしぎなことではない。彼らは、ロシアの精神的力とヨーロッパの憲兵の軍事力とを同じものと見ることに、それほど慣れていたのである。彼らにとっては、若いロシア人種の威信は、現代の「秩序」をかたくまもっている、ゆるぎのない強力なツァーリ権力の威信と、切りはなしえないようにむすびついていた。だから、支配者、命令者たるロシアの破局が、ヨーロッパのブルジョアジー全体に「恐ろしいこと」とおもわれるのも、ふしぎなことではない。この破局は、全世界の資本主義的発展が異常に促進されること、歴史が促進されることを意味するが、ブルジョアジーは、このような促進がプロレタリアートの社会革命を促進するものであることを、非常によく、あまりにもよく知っており、苦い経験によって知っているからである。西ヨーロッパのブルジョアジーは、長いあいだの停滞の空気のなかで、「強大な帝国」の庇護のもとで、大いに身の安全を感じていた。ところがとつぜん、ある「神秘につつまれた、少年のように若い」力が、大胆にもこの停滞を打破し、この支柱を粉砕するのである。
 そうだ、ヨーロッパのブルジョアジーには、おそれるだけの理由がある。だが、プロレタリアートには、喜んでよい理由がある。われわれのもっとも兇悪な敵の破局は、ロシアの自由が近づいていることを意味するばかりではない。それは、ヨーロッパのプロレタリアートの新しい革命的高揚をも予告しているのである。
 しかし、なぜ、そしてどの程度に、旅順の陥落は真に歴史的な破局なのか?
 まず第一に目につくのは、戦争の経過におけるこの事件の意義である。日本人にとっての戦争のおもな目的は達成された。進歩的な、すすんだアジアは、おくれた、反動的なヨーロッパに、取りかえしのつかない打撃をあたえた。一〇年まえ、ロシアを先頭とするこの反動的ヨーロッパは、若い日本が中国を壊滅させたことに不安をいだき、日本から勝利の最良の果実を奪いとるために結束した。ヨーロッパは、旧世界の既成の諸関係と特権、その優先権、アジアの諸民族を搾取するという、長い年月によって神聖化された古来の権利を、まもった。日本が旅順をとりもどしたことは、反動的ヨーロッパ全体にくわえられた打撃である。ロシアは六年のあいだ旅順を領有し、幾億、幾十億ルーブリを費して、戦略的な鉄道をしき、港をつくり、新しい都市を建設し、要塞を強化した。 この要塞は、ロシアに買収され、ロシアに奴隷的につかえているヨーロッパの多数の新聞がみな、難攻不落だとしてほめたたえたものである。軍事評論家たちは、旅順の力は六つのセヴァストーポリに等しいと言っている。とごろが、イギリスとフランスがいっしょになってセヴァストーポリ一つの占領にまる一年もかかったのに、ちっぽけな、これまでだれからも軽蔑されていた日本が、八ヵ月でこの要塞を占領したのである。この軍事的打撃は取りかえしのつかないものである。制海権の問題も――これはこんどの戦争における主要で根本的な問題なのだが――決定された。はじめのうちは日本の艦隊にまさるともけっしておとらなかったロシアの太平洋艦隊は、決定的に壊滅させられた。艦隊の作戦基地そのものが奪いとられ、ロジヂェストヴェンスキー艦隊は、あらたに数百万ルーブリを空費したのち、イギリスの漁船にたいするいかめしい戦艦の大勝利〔*〕ののちに、すごすごとあとへひきかえすよりほかに仕方がなかったのである。艦隊だけでロシアのこうむった物質的損失だけでも、三億ルーブリの額に達するとみられている。しかし、さらに重大なのは、一万人もの優秀な海兵隊を失ったこと、一つの陸上軍をそっくり失ったことである。多くのヨーロッパの新聞は、いまではこれらの損失の意義をかるく見ることにつとめ、そのさい、こっけいなまでに熱を入れ、あげくのはては、クロパトキンは「重荷がおりた」、旅順についての配慮を「免除された]とまで言っている! ロシア軍は、一軍全体をも免除されたのだ。捕虜の数は、イギリスの最近の資料によれば、四万八千人に達し、さらに幾千人かが、金州付近の戦闘と要塞そのものの付近の戦闘でたおれている。日本軍は、遼東半島全体を完全に占領し、朝鮮、中国、満州に圧力をくわえるための測りしれない重要性をもつ拠点を獲得しようとしている。それはまた、八万―一○万の歴戦の一軍、しかも巨大な車砲力をもった一軍の手をあげて自由にクロパトキンとたたかいうるようにした。そして、この重砲力が沙河に到着すると、日本軍はロシア軍主力にたいして圧倒的に優勢となるであろう。

〔*〕  イギリスの漁船にたいするロシア戦艦の大勝利――バルト艦隊が極東遠征に出発してからまもなく、北大西洋でイギリスの漁船団を日本の艦隊とまちがえて攻撃して撃沈した事実をさす。

 外国新聞の報道によれば、専制政府は、ぜがひでも戦争を継続することにきめ、クロパトキンに二〇万人の軍隊をおくることに決したといわれる。戦争がまだ長くつづくことは大いにありうることだが、しかし勝利の見込みがないことはすでに明らかである。そして、およそ戦争が長びけば、ロシアの人民が専制のくびきをなおしのんでいることからこうむる測りしれない困苦は、つよまるばかりであろう。いままででも日本軍は、どの大会戦のあとでも、自己の軍事力をロシア軍よりすみやかに、豊富に補強してきた。ところで、完全に制海権をにぎり、ロシアの一軍を全滅させた今では、日本軍はロシア軍よりも二倍も大きな増援軍をおくりうるであろう。日本軍の優秀な砲兵力の全量は、要塞戦につかわれていたにもかかわらず、日本軍はいままでロシアの将軍たちをつづけざまにうちやぶってきた。日本軍はいまやその兵力の完全な集中をなしとげたが、ロシア軍はサハリン〔樺太〕ばかりでなく、ウラヂヴォストックにも気をくばらなければならない。日本軍は、満州の最良の、もっとも人口の多い部分を占領したのであって、彼らはここで、征服した国の資材で、しかも中国の援助を得て、軍隊を給養することができる。ところが、ロシア軍は、ますますロシアからはこばれてくる糧食だけにたよらなければならなくなり、隊をこれ以上増強することは、十分な量の糧食の輸送が不可能なため、クロパトキンにとってまもなく不可能となるであろう。
 しかし、専制がこうむった軍事的崩壊は、わが国の政治制度全体の破滅の兆候として、よりいっそう大きな意義を得ている。戦争が雇い兵か、もしくは人民からなかば切りはなされたカストの代表によって行われていた時期は、またとかえらぬ過去となった。戦争は、いまでは国民によって行われる。――ネミロヴィチ−ダンチェンコの証言によれば、クロパトキンでさえ、この真理が単なる飾り文句でないことを、いまでは理解しはじめているという。戦争は、いまでは国民によって行われるのであり、だから、現在では戦争のつぎのような大きな特性がとくにはっきりと現れてくる。それは、いままではごく少数の自覚した人々にしかわかっていなかった、人民と政府との不一致を、数千万の人々の月のまえに現実に暴露するということである。ロシアのすべての進歩的な人々が、ロシアの社会民主党が、ロシアのプロレタリアートが、専制にくわえている批判は、いまや日本の武器の批判によって裏書きされている。しかも、その裏書きの仕方は、専制がなにを意味するかを知らない人々でさえが、また、このことを知っていながらしかも全心をうちこんで専制をまもろうとしている人々でさえが、専制のもとで生きることの不可能なことをますます感じつつあるほどのものである。人民が実際に自分の血で専制の勘定を支払ってやらなければならなくなるやいなや、専制が社会発展全体の利益や全人民(ひとにぎりの官吏とかお歴々以外の)の利益と両立しないことが目に見えて明らかになった。専制は、ばかげた犯罪的な植民地冒険によって袋小路にはいりこんだのであって、この袋小路からは、人民自身だけが、しかもツァーリズムの破壊という代価をはらってはじめて、脱げだすことができるのである。
 旅順の陥落は、ツァーリズムのもろもろの罪悪にもっとも大きな歴史的総決算の一つをつけるものである。これらの罪悪は、戦争がはじまった当初から表面に出はじめたが、いまやますます広範に表面に出て、ますますおさえがたくなるであろう。わが亡きのちに洪水きたらばきたれ!――大小のアレクセーエフたちはみな、洪水がほんとうにやってくるとはおもいもしなければ信じもしないで、こう論じていた。だが、将軍や軍司令官たちが無能でくだらない連中であることがわかった。一九〇四年の戦役の全史は、イギリスのある軍事評論家の権威ある証言(『タイムス〔*〕』紙上の)によれば、「陸海戦略の初歩的原則を犯罪的なやり方でないがしろにしたもの」であった。 文武の官僚は、農奴制度の時代とまったく同じ、ごくつぶしの汚吏であることがわかった。将校は、無教育で、未熟で、訓練を欠き、兵士との緊密な結びつきをもたず、彼らの信頼を得ていないことがわかった。農民大衆の蒙昧《もうまい》、無知、無学、萎縮は、近代技術が要求すると同様の、高い質の人的材料を必然的に要求する近代戦において、進歩的な一国民とぶつかったとき、おそろしいほどあからさまに現れた。創意に富んだ意識的な兵士や水兵なしには、近代戦での成功は不可能である。小口径速射銃と機関銃の時代、艦船が複雑な技術的構造をもち、陸上の戦闘に散開隊形がとられる時代には、どんな忍耐強さも、どんな肉体力も、大衆闘争のどんな群衆心理や結束も、優越をあたえることはできない。専制ロシアの軍事的威力は見かけだおしのものであることがわかった。ッァーリズムは、最新の要求に応じうる近代的な軍事組織にとってじゃまものであることがわかった。――しかも、この軍事こそは、ツァーリズムが全心をうちこんできたものであり、なによりも誇りとしてきたものであり、また、人民のどんな反対をもおしきって測りしれない犠牲をはらってきたものである。塗りたる基〔**〕――専制は、対外防衛の分野で、すなわち、それにもっとも縁が深くて、もっとも身近な、いってみればその専門の分野で、まさにこういうものだったのである。もろもろの事件は、豪華な軍艦の購入と建造に何億ルーブリという金が投じられるのを見てわらって、現代の艦船をあやつる能力がないのだから、また、実際知識をもって軍事技術の最新の改善を利用することのできる人間がいないのだから、これらの出費は無益である、と言っていた外国人たちが正しかったことを確証した。艦隊も、要塞も、野戦堡塁も、陸上軍も、みな時代おくれでなんの役にもたたないことがわかった。

*〕 『タイムス』――一七八五年ロンドンで創刊された日刊紙。イギリス・ブルジョアジーの保守的な大新聞の一つ。
〔**〕 塗りたる墓――「汝らは白く塗りたる墓に似たり、そとは美しく見ゆれども、うちは死人の骨とさまざまの穢れとにて満つ」(マタイ伝)とあるように、表面は美しいが内実はよごれた「偽善」を現した言葉。

 国の軍事組織と、国の経済体制および文化制度とのあいだの関連が、現在ほど緊密であったことはかつてない。だから、軍事的崩壊は深刻な政治的危機の始まりとならずにはおかなかった。すすんだ国とおくれた国との戦争は、すでにいくたびか歴史上にあったように、こんども偉大な革命的役割を演じた。そして、戦争――あらゆる階級支配一般の必然的で取りのぞきえない同伴物――の仮借することのない敵である自覚したプロレタリアートは、専制を壊滅させた日本のブルジョアジーがはたしているこの革命的任務に、目をふさぐことはできない。プロレタリアートは、あらゆるブルジョアジーとブルジョア制度のあらゆる現れとに敵意をもつが、しかし、このように敵意をもつからといって、プロレタリアートは、ブルジョアジーの歴史的に進歩的な代表者と反動的な代表者とを区別する義務をまぬかれはしない。だから、革命的な国際社会民主主義のもっとも一貫した断固たる代表者であるフランスのジュール・ゲードとイギリスのハインドマンとが、ロシアの専制を粉砕しつつある日本にたいする同情を率直に表明したことは、まったく当然である。もちろん、わがロシアでは、この問題でも思想の混乱をしめした社会主義者があった。『レヴォリュツィオンナヤ・ロシア〔*〕』は、ゲードとハインドマンをしかりつけて、社会主義者が支持できるのは労働者の日本、人民の日本だけであって、ブルジョアジーの日本ではない、と声明した。この叱責がばかげているのは、ちょうど、保護関税派のブルジョアジーとくらべて自由貿易派のブルジョアジーのほうが進歩的であるとみとめたからといって、社会主義者を非難しようとするのと同じである。ゲードとハインドマンは、日本のブルジョアジーと日本の帝国主義を擁護したのではない。彼らは、二つのブルジョア国の衝突の問題で、両国のうちの一目の歴史的に進歩的な役割をただしく指摘したのである。「社会革命派《エス・エル》」の思想の混乱は、もちろん、わが国の急進的インテリゲンツィアに階級的見地と史的唯物論とが理解できないことの避けられない結果であった。新『イスクラ』も混乱をしめさずにいることはできなかった。同紙は、はじめのうちは、ぜがひでも平和だという空文句をすくなからずしゃべっていた。のちに、平和一般のためのえせ社会主義的な運動は、進歩的ブルジョアジーと反動的ブルジョアジーとのどちらかの利益にかならず奉仕することになるのを、ジョレースがはっきりとしめすというと、この新聞は「前言を訂正」しようともがいた。いまではこの新聞はついに、日本ブルジョアジーの勝利を「あてこむ」(!!?)ことは時宜をえたものでないとか、戦争は、それが専制の勝利におわろうと敗北におわろうと、「それにはかかわりなく」災厄であるとかいう、月なみの議論を吐くまでになっている。

〔*〕『レヴォリュツィオンナヤ・ロシア』(『革命ロシア』)――エス・エルの新聞。一九〇二年の終りから一九〇三年まで発行されていた。一九〇二年一月以後はエス・エル党の中央機関紙。

 そうではないのだ。ロシアの自由の大乗とロシア(および全世界)のプロレタリアートの社会主義のための闘争の大業は、専制の軍事的敗北に大いにかかっている。この大業は、ヨーロッパの現秩序守護者のすべてに恐怖の念をあたえている軍事的崩壊から、大きな利益を得た。革命的プロレタリアートは、戦争反対の煽動を倦むことなく行わなければならないが、そのさい、一般に階級支配が存続しているかぎり戦争は除去されえないことを、つねに記憶していなければならない。平和にかんするジョレース流の月なみ文句は、被抑圧階級には役にたたない。被抑圧階級は、二つのブルジョア民族のあいだのブルジョア的な戦争にたいしては責任がなく、あらゆるブルジョアジー一般を転覆するためにあらゆることを行っており、そして、「平和な」資本主義的搾取の時期にも人民の災厄が限りなく大きいことを知っている。しかし、自由競争に反対して戦争しながらも、われわれは、それが半農奴制度とくらべては、進歩的であることをわすれることはできない。あらゆる戦争とあらゆるブルジョアジーに反対して闘争しながらも、われわれは、煽動を行うさいには、進歩的ブルジョアジーと農奴制的専制とを厳格に区別しなければならず、また、ロシアの労働者が不本意ながらも参加者となっている歴史的戦争の偉大な革命的役割につねに注意しなければならない。
 古いブルジョア世界と新しいブルジョア世界との戦争に転化したこの植民地戦争をはじめたのは、ロシアの人民ではなく、ロシアの専制である。恥すべき敗北に陥ったのは、ロシアの人民ではなく、専制である。ロシアの人民は専制の敗北によって利益を得た。旅順の降伏はツァーリズムの降伏の序幕である。戦争はまだけっしておわっていないが、戦争が継続すれば、それだけロシアの人民のなかでの動揺と憤激はかぎりなく拡大し、新しい偉大な戦争、専制にたいする人民の戦争、自由のためのプロレタリアートの戦争の時機は近づいてくる。ヨーロッパのもっともおちついて冷静なブルジョアジーさえもがひどく狼狽《ろうばい》しているのも、理由のないことではない。彼らは、自由主義にたいするロシアの専制の譲歩には心から同感してはいるが、ヨーロッパ革命の序幕としてのロシア革命を火よりもおそれているのである。
 ドイツ・ブルジョアジーのこうした冷静な機関紙の一つは〔『フォシシェ・ツァイトゥング』、 一九○五年一月六日〕つぎのように書いている。「ロシアに革命が爆発するなどということはまったくありえない事がらだ、という意見が、かたく根をおろしていた。人々はこの意見を、ありとあらゆる論拠で擁護している。ロシアの農民の不動性とか、彼らはツァーリを信仰し、僧侶に依存しているとかいうことが、引合いに出される。不平分子のなかの極端な分子は一にぎりの人間にすぎず、盲動(小さな燃えあがり)とテロリスト的な暗殺を組織することはできても、全般的な蜂起を呼びおこすことはけっしてできないと人々は言う。不平分子の広範な大衆には、組織と武器がたりず、そしてこれが主要なことだが、危険をおかしてやってみる決意が欠けている、とわれわれは聞かされる。ロシアのインテリゲンツィアは、普通ほぼ三〇歳ぐらいまで革命的気分をもっているだけで、そのあとは、官職の居心地のよい巣にぐあいよく身をおちつけてしまう。こうして、熱狂家の大部分は平凡な役人への転化をなしとげるのである」。しかし――と、この新聞はつづけて言う、いまでは、いくたの兆候が一大変化を証拠だてている。ロシアの革命についてかたっているのは、もはや革命家ばかりではなく、〔イェ・エヌ・〕トルベツコイ公爵のような――内務大臣あての彼の手紙は、いま外国のあらゆる新聞に転戦されている――、「熱中」などとはまったく縁のない、秩序の堅実な支柱でさえも、それをかたっている。「ロシアで革命が懸念されているのには、あきらかに事実的な根拠がある。なるほど、ロシアの農民が熊手を手にとって憲法をたたかいとりにでかけるなどということは、だれも考えていない。しかし、革命ははたして農村でおこるのだろうか? 現代史における革命運動の担い手には、ずっとまえから大都市がなっている。ところが、ロシアでは、南から北まで、東から西まで、ほかならぬ都市に動揺がおこっている。この結末がどうなるかについては、だれも予言しようとするものはないが、しかし、ロシアでは革命はありえないと考えている人々の数か日一日と減少しつつあることは、疑いない事実である。そして、もし重大な革命的爆発があとにつづいてやってくるなら、極東の戦争でよわめられた専制がそれを制御できるかどうかは、まったく疑わしい」。
 そうだ。専制はよわめられた。いちばん信じようとしない人々までが、革命がおこることを信じはじめている。人々が全般的に革命を信じることは、すでに革命の始まりである。それの続きについては、政府自身がその軍事的冒険によって、配慮している。そして、重大な革命的攻撃を支持しそれを拡大させることについては、ロシアのプロレタリアートが配慮するであろう。

          『フペリョード』第二号、一九〇五年一月十四(一)日
          新聞『フペリョード』のテキストによって印刷