
松下幸之助氏の瞑想法
幸之助氏は自宅での毎朝の瞑想に加えて、会社に出られて根源の社の
前で瞑想される習慣もあったそうです。
「今ここに生かされていることに対する感謝の気持ちを込めて」
「今日一日、素直な心で過ごせますように」と瞑想されたそうです。
松下幸之助氏の瞑想について、松下氏の近くにいて長く仕事をされた
江口氏の文章を紹介します。
(成功の法則 江口克彦著 PHP出版 260ページより引用)
※ 宇宙の根源 松下幸之助氏は自分の源をたどられて、宇宙の始まり
であると考えて、感謝のため、根源の社を作られた。
(以下引用)
私はあるとき、ひょいと「根源の社の前にお座りになって、そのあいだ
何を考えているのですか」と尋ねたことがある。
「うん、今日ここに生かされていることを、宇宙の根源さんに感謝しと
るんや。ありがとうございます、とな。それから、今日一日、どうぞ素直
な心ですごせますように、すごすようにと念じ、決意をしとるわけや。こ
こはわしが感謝の意を表し、素直を誓う場所やな」
読者に根源の社を押しつける気持ちはまったくない。ただ、自分がそう
いう宇宙根源から、そして人間の始祖から連綿とつながっていると思えば、
おのずと自分の値打ちの重さを感じる。そう感じれば、おのずと自分の人
間としての重さを自覚する。そして、感謝の念が湧いてくる。
この感謝の気持ちを持ちながら、日々を過ごすことが大切だと思うので
ある。
松下の毎日は感謝の日々であったといっても言い過ぎではない。それで
もなお、感謝の思いが足らないと言って反省することが多かった。
(引用終わり)
わたくし的理解と応用
松下幸之助氏の著書「素直な心になるために」では、素直な心を育てる
ために、「毎朝、強く願う」ことが大切だと書かれています。
強く願うというと、頑張って力を込めて、願うというように、考えがちだ
と思われますが。私は、肩に力が入ったような願い方ではないと考えています。
というのは催眠術などでよく言われるように、ウトウトして、アルファー
波がでるような時に、願いが、心の奥深く、強く、刻まれるからです。
そのような状態での願いこそが、本当の強く願うを実現するのだと考えて
います。
そのような理由で、彼がいう「強く願う」というのは「素直な心の瞑想を
する」というように考えるべきだと思います。
ただ、この瞑想法は、あまりにも高度なもので、私たち未熟者にとって、
なじんで効果的なものにするのには、少々難しい面があります。
というのは私たちが「一日中素直な心で過ごせたこと」があるでしょうか。
そのような日が、今まで一日もなかったいということであれば、2行目の
願いを、瞑想して願うことには、少々無理があります。
このような無理があると、アルファー波が出ていても、心は受け付けない
と言われています。いうならば不合理なキーワードは受け付けてくれないのです。
わたくし的工夫
「もっと素直な心になれますように」
という程度の願いがいいのだと、私は考えています。
瞑想に取り組もうと思うほどの人は、結構素直な心の持ち主ですから、
さらに素直な心になりたいと強く願えばよいのだと考えているのです。
これはあまり無理のない願いだからです。
簡潔で、キーワードとしても優れています。
「もっと。・・もっと。」
定が深くなると、心で言うことばがうまく言えなくなります。
そのようなときには簡単なキーワードに変えるといいのです。
願いの感覚だけでいいといえるでしょう。
「素直な心になれますように」という長い言葉を無理に続けると、
せっかく深い定に入ろうとしているのに、さまたげになり、深い定に
入れなくなります。
(これは数息観にこだわりすぎるのと同じ弊害です)
「もっと早く、もっと深い定に入れるように」を目指して、の意味も
かねて、「もっと、・・もっと、」というキーワードを使っています。
坐禅でも瞑想でも、目指すのは「何も考えない状態」です。
坐禅では「考えないところを考える」(非思量中を思量する)といったり、
「想うのではなく、想わないでもない」(非想非非想)などと表現します。
誰でも神様になれる(夢と希望)
このようなことで素直な心が充分実現され、神様に近づければ、幸之助氏が
されていた教科書どおりの瞑想に移れます。
そこまで来れば、どんどん神様に近づけるのだと考えてよいでしょう。
事業の経営などされていなくても、いつかまわりの人に喜んでいただける
「仏様か、神様のような人」になれそうです。
つまり「人生の成功者」になれそうです。
私たちお互いの目標にしたいものです。
ちなみに松下幸之助氏は生前「素直な道の初段だ」とご自身のことを
言われていたそうです。
また「素直な道の名人達人ともなれば、もう神様みたいなものだ」とも
言われていたそうです。
大変謙虚な方だったようですから、謙遜して初段だと言われたかというと
そうでもないと私は考えています。
自分を厳しく見つめて、素直な道を極めようと。
「一生涯、精進の日々を送られていた」のだと思っています。
はじめに 入門書 瞑想の工夫 松下幸之助氏の瞑想法 あとがき リンク