

ラ・コルメナ移住地
ラ・コルメナ移住地は1936年、日本では二二六事件が勃発し、戦争への足音が急速に高まって行った時期に創設されたパラグアイで最初の日本人移住地です。場所はアスンシオンから自動車で一時間半、パラガリ県の中程にあります。他の移住地は戦後移住が中心であるのに対してここは戦前移住が多くを占め、作物も果実や蔬菜が中心になっています。現在コルメナ市の人口は約5千人、その中で日本人・日系人は約350人との事で住民の大半はパラグアイ人という事になります。
ラ・コルメナ (2004年12月26日)
ラ・コルメナまではアスンシオンからバスは一時間おきでターミナルから頻繁に出ており、約2時間で行く事が出来ます。旅行者でも割合簡単に訪問する事が可能です。アスンシオンから1泊2日で訪問されては如何でしょうか?(バス代は片道2ドル程度です)
問合せ先:コルメナ農協 0537-223-203
ラ・コルメナはコルメナ市として独立した行政単位になっており、中心には市役所があります。街は多くのパラグアイの町と変わる事は無く、ピラポなどのように日本語の看板が目立つこともありません。静かな落ち着いたどこにでもあるパラグアイの地方という印象です。

(写真:市役所)

(写真:市内の様子-01)

(写真:市内の様子-02)
さすがに日本人が多いのか、手入れはよく行き届いており、花が綺麗に咲いています。

(写真:市内の様子-03)

(写真:市内の様子-04)
市内公園には記念碑や石像がありました。石像はこのラ・コルメナ移住地を創設する際に尽力された宮坂国人さんです。

(写真:宮坂国人さんの石像)

(写真:石碑)

(写真:慰霊碑)
文化協会の敷地には86年に行なわれた「50周年」の記念碑が建っています。

(写真:50周年記念碑)
文化協会に併設されている公民館には日本語の看板がありました。

(写真:公民館)

(写真:コルメナ文化協会)
子供達が日本語を勉強する「日本語学校」もあります。

(写真:日本語学校)
市内には立派な病院や学校があります。

(写真:日本の援助もあり、建てられた病院)

(写真:学校)
また市内にはこの地の発展に尽力された方の名前を冠した道路があります。下の「A・KASAMATSU」通りは笠松尚一さんの名前に由来しています。最初の「A」は笠松さんが生前通称として用いていた「アントニオ」の頭文字なのでしょう。

(写真:A・笠松通り)
中心部を取り囲むように農家が点在しています。日系の農家は規模も大きく手入れも行き届いています。

(写真:ある農家)

(写真:貯水池では釣りも)

(写真:牧場)

(写真:コルメナから見える山)
ぶどう祭り-02(2006年01月08日)
ブドウ祭りの第二回が行なわれました。今年は生育が遅いようで年が明けてからの実施となりました。今年は前回の成功を受けて約倍の人数137人が参加しました。アスンシオンだけではなく、ピラポからは貸切バスで50人ほどがやって来ました。

(写真:食事の風景)
即売会も行なわれました。

(写真:即売会)
大きなマンゴーも売り出されています。1個1000グアラニ(約20円)です。小さいものは半額(約10円)と手頃なお値段です。

(写真:大きなマンゴー)
さて、ぶどう畑に行きました。鈴なりに見事になっています。

(写真:鈴なりのぶどう)
大粒で色も綺麗ですね。

(写真:ぶどう)
ぶどう狩りでは思い思いに挟みを入れてぶどうを取って行きます。

(写真:ぶどう狩りの様子)
収穫されたぶどうは鮮やかですね。

(写真:収穫されたぶどう)
ぶどう祭り(2004年12月26日)
ラ・コルメナでブドウ栽培そして「町起し」をしている国際協力機構シニアボランティアの米田七郎さんを中心として年末、クリスマスの翌日の日曜日に「ぶどう祭り」が「富士見旅館」を会場に開催されました。

(写真:ぶどう祭り、担当の米田さん:富士見旅館)

(写真:ぶどう祭りについて説明を行なう)

(写真:説明を行なう米田さん)

(写真:ぶどう園)

(写真:鈴なりのぶどう)

(写真:取れたてのぶどうと李)
またぶどう以外の名産に関しても即売が行なわれました。せんべい、梅干などの特産品が販売されていました。

(写真:名産の即売)
富士見旅館(2004年12月26日)
コルメナを訪問する際には富士見旅館を利用しましょう。インターネットはありませんので、電話での予約となります。

(写真:富士見旅館の中庭)

(写真:富士見旅館の室内)
富士見旅館
パラガリ県・ラ・コルメナ市
電話:0537-223-238 国外からですと 595-537-223-238
12室
値段:10ドル〜15ドル