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Battlestar Galactica 鑑賞日記 旧作のリメイクは大人向けを謳って大変身! 序章(ミニシリーズ)はなかなか面白かった。第一シーズンはほとんどボトルショー? スーパードラマTVで放送中の旧作も、どうしてなかなか面白いよ、字幕だけってのが残念だけど。そういえば、4月には日本でもSci-Fiチャンネルが開局するらしいね。FOX MOVIESのように、ほとんど名義貸し状態かもしれんけど。将来、スターゲイトやギャラクティカの放送権が移るのかどうか、気がかりだよね。 8話。密室劇タイプの究極のボトルショーにして、今までで最高に興味深いエピソード。 元教育長官にして現大統領ローラ・ロズリンは月夜の森の中に居た。辺りは幻想的だが、何者かの気配を感じる。見覚えのある男の顔が彼女を認め、迫る追っ手からかばってくれた。その男はいきなり吸い込まれるように吹っ飛んだかと思うと、耳元で囁く。寝汗をかいて起きあがったロズリンは、民間人に紛れていたサイロンが見つかったとの報を受ける。そのサイロンこそ、夢の中でみたあの男・・・ラグナー補給基地でアダマ司令官とやりあったレオーベンであった。ロズリンは神秘的な啓示を感じ、尋問を主張。アダマ司令は松葉杖のカーラ・スレイス(スターバック)をその任に当てる。ほどなく、レオーベンは時限式核爆弾をしかけたと言い張る。残り時間は8時間40分。カーラの狡知に長ける拷問が、逆にレオーベンの原理主義でありながら、魂の救済を信じる人間っぽさを際立たせていく。予告時間が迫り、とうとうロズリン自らが面会に現れる。人間として扱い、解放を約束する事で、自白を促すロズリン。破壊工作は嘘であった。ところが、レオーベンはロズリンの耳元で不穏な事を囁く--「アダマはサイロンだ」と。攪乱が目的だと知ったロズリンは扱いを一転、レオーベンをエアロックに閉じこめ、外扉を開放するよう命じる。あたかも夢で見たシーンのように吹っ飛んでいくレオーベン。感化されたカーラは密かにロッカールームでレオーベンの魂の救済をコボルの神々に祈るのだった。 伏線もターニングポイントばかり。ブーマーことシャロンが、ガイアス・バルター博士のサイロン発見器の被験者第一号に立候補する。結果は見事に陽性反応。だが、「凶暴化するんじゃない?」というナンバー・シックスの閑言で怖気付いたガイアスはそれを陰性だと誤魔化す。一方、カプリカ上では、別のナンバー・シックスとシャロンの確執がはっきりとしてくる。シャロンは演技をする内にヒロの事を愛するようになっている。ヒロことカール・アガソンは、そんなシャロンに促され、サイロンから逃げるべく急かされる。 トリヴィアも多い。コボルの神々というのは、レオーベンのセリフから判断するに、ギリシャ・ローマ神話の神々をも含むようだ。サイロンは惑星コボルで誕生した。カーラの少女時代は惨憺たるもので、「自分はガン細胞、周りを不幸にする」と半ば母親に信じ込まされていた。 キーワードの使われ方が興味深い。「神」は人間に失望してサイロンを作ったとレオーベンは言う。サイロンに魂は無く、ハードドライブ上のソフトウェアに過ぎない、とカーラ。意識が転送されなければ、それっきりの存在。 人間を模した機械と向き合って談義をすると、「結局、人間とは何なのか? 何が我々を人間たらしめるのか?」という命題が見えてくる。バトルスター・ギャラクティカはこの突き詰めると深そうな宗教観と哲学を、分かりやすく且つドラマ的に表現しており、しかも見どころで楽しませるという、高尚な事をやってのけている。大人向けを謳ったSFの面目躍如だ。多分にP.K.ディックっぽいとも言えそうである(*)。今回の出来はその意味で素晴らしかった。 * レオーベンが手錠を引きちぎってカーラを壁際に追いつめる様は、またもや「ブレード・ランナー」のネクサス6ばりに超人的だ。ゆえに、PKD御大ならこう宣われるだろう。「アンドロイドは飛べないスーパーマンじゃないんだ!!」と。 [3月13日] 7話は「バルター博士大ピンチ!」の巻。・・・これで全部言い表してます。冒頭の掴みはOKなんだが・・・結末に近づくにつれて、もう少し拡がりが欲しかった。登場人物を軸にした面白味は前回と同じくらいあるけれど、答と謎が両方提示された風で、「それだけ?もっと先を見せてくれるんじゃないの?」的に、出し惜しみ気味。CGショットも限られ、セットも有り物で済んでいるようなので、きっと今回も予算的にボトルショー。 今回最も面白い点は、ガイアス・バルター博士の妄想の中だけに存在していると思われていたナンバー・シックスが、博士の下を去ったかと思うや現実世界にシェリー・ゴッドフリーとして現れるというところ。ゴッド=フリー(*)という苗字を使っている点も洒落ている。初対面のシェリーを虚像として扱うガイアスの滑稽さはなかなか見物。 * このサイトによると、Godfreyとは、本来ドイツ人の名前で、意味はGod's peaceという事だ 更に、シェリーはアダマ司令にも誘惑らしき甘い言葉で迫る(しかし、アダマは騙せない)。ロズリン大統領は直感的にガイアスを怪しいと感じていた(!)。ゲイターはガイアスを信頼している。トイレのシーンもまた滑稽だ(本国では、さぞやウケたことだろう)。 サイロンは(互いに疎遠の)科学者一人につきナンバー・シックス一体を接触させていた?!・・・と考えてみるのも面白い。まぁ、今回はナンバー・シックスの頭脳戦らしかったが。サイロンは一神教、人類側は多神教だという事がはっきりしてきた。しかもサイロンの一神教は、サイロン自らも神の子というニュアンスであるところが皮肉。バルターがその真なる唯一神を(監房内で)認めると、ナンバー・シックスが妄想として再臨する・・・つまり、(人間の為に)サイロン・ディテクターなる「踏み絵」を作らされているバルターへの(サイロン教の)「洗礼式」だったのだ! 一方、またもや占領下のカプリカではヒロがとうとうシャロンと肉体関係を持ってしまう(!)。これがサイロンのPlanなのかも。人類のオスから提供された生のDNAを何かに使うつもりなのか? 人類とサイロンの合の子を作ろうとしているのか? いずれにしろ、伏線ばっかりだ。 [3月5日] 6話。邦題は「魔女狩り」。実は、これで全部説明され尽くしている・・・とはいえ、結末がどうなるのだろうかと、これまでで一番興味をかき立てられた。 ギャラクティカ船内で自爆テロが起きる。その場に居合わせたタイ大佐とアダマ司令は見覚えのある顔から、以前潜入していたのと同モデルのヒト型サイロンが実行犯だと知る。警備担当の女性軍曹ヘイドリアンには独立権が与えられ、すぐさま捜査が開始された。まずい立場になっていく整備班長チロルとシャロン(ブーマー)。なぜなら、タイ大佐の訓戒に反して、まだ密会を続けていたからだ。一方、サイロンが人間の振りをして紛れ込んでいる事実を公表しようと考えるアダマ司令。責任の追及に終始する事になるから、賢明ではないと応えるロズリン大統領。それでもアダマの号令下、公表がなされる。チロルは審問で自爆テロと同時だった情事を隠そうとする。アリバイはあっさりとバレてしまうが、信望の厚い彼は部下から・・・。 エピソードの半分は、サイロン占領下のカプリカの出来事、すなわち、「ヒロとブーマー」が同時進行する。相変わらず大きな進展は見せないが、ヒロがシャロンをどう想っているかに、サイロン達の関心があることが判明する。トリシア・ヘルファー演ずるナンバー・シックス(いつもバルター博士の側にいるが、これはまた別の個体)が、シャロンを痛めつける様子には、嫉妬のような感情を臭わせているようだ(以前、ヒロは別のナンバー・シックス型を撃退して、シャロンと共に逃げた)。サイロンは、人間の愛情行動をヒロから読み解こうとしているのだろうか。 ヒロがセンチュリオンを倒すシーンと、冒頭の自爆シーン以外に派手な立ち回りはなく、宇宙船のCGも数カットしか出てこない。しかしながら、アダマ対ヘイドリアン、アダマ対チロル、チロル対シャロン、という見応えのあるドラマが出色。ヘイドリアンの職務熱心さ、チロルの人柄、シャロンの女らしい自己本位、アダマの強い指導者ぶり・・・。登場人物が水を得た魚のように際立っていた。強引に見えつつも、個性のぶつかり合いで押し切った作りは見事だ。ありふれた予定調和は感じさせず、一定の現実味も外す事はなかった。いつもこんな風にやってくれるなら、次回がとても楽しみになる。 捜査の独立性と民間への真相公表というヘイドリアンの意見がすぐに実行に移されたことから、アダマはこの女軍曹を高く評価してはいたのだろう。ところが、チロルとシャロンの服務規程を逸脱する肉体関係を指摘するに至り、越権で常道を外れていると感じたに違いない。シャロンへの追求は遠からずいいセンを突いている事が、視聴者にはわかるのだが・・・。審問を終了させようとするアダマが、その権限が無い事を指摘され、警備兵に通せんぼされるシーンが見物だ。いくら、「自分で考えなさい」と言われても、アダマ司令官を演じる強面のエドワード・ジェイムズ・オルモスに睨まれたら、誰しも咄嗟にあの警備兵のように振る舞ってしまうに違いない。 アダマが自室で帆船模型を組み立てているのは、理性的であることの唐突な説明に見えた(アダマにはああいう趣味があるように見えない)が、今にも手元のパーツを(憤りの表現の為に)ポキッとやるんじゃないか、とヒヤヒヤして見ていた(笑)。格納庫の整備員の面々には、見慣れない顔が居るな、と思ったら・・・案の定、本エピソードのキーパーソンだった。リーは今回出番無し。チロルとシャロンの関係も今後は修羅場になる事だろう。予算的にはボトルショーだったかもしれないが、演出と脚本がキラリと光るエピソードだった。 [3月1日] 5話は前回の続き。脱出した「スターバック」ことカーラは地表に降り立つが負傷し、ボンベのエアーも残りわずかになっていく。アダマ司令とその息子リー(アポロ)は船団を危険にさらしても彼女の捜索を続行。そんな彼らをロズリン大統領は、人類全体を窮地に追いやっている、と打ち切りを指示。やむなく、応じるアダマとリー。そこへ・・・。 前回、ザックの真相を聞かされ、抑えるのが難しい憤りをカーラにぶつけてしまったアダマ。今回はそんなアダマの自責の念とも受け取れる執着ぶりが描かれる。一方、吸える空気もない無人の衛星で、カーラがどのように生き抜いたかも興味深く描かれるが、SF黎明期のレンズマンのような、スペースオペラ顔負けの展開には、失笑か絶勝か(私は前者)。 トリビアとしては・・・サイロンの技術はバイオとメカのハイブリッド、つまりサイボーグで成り立っているらしい。ヴァイパーはあの小さなデルタ翼で大気圏内を飛行できるらしい(!)。サイロン・センチュリオンVSトースターの夢の共演!! これまで優等生として描かれてきたリーにも、見どころが二カ所出てくる。カーラとよく衝突していたタイ大佐に、「(捜索に消極的なのは)厄介払いしたい為だろう!」と、食ってかかるシーン。そして、「(捜索打ち切りの場で)もし僕が行方不明だったら?」と父に問うシーン。青くて若さたぎる熱血漢ぶりと、父親の愛を確かめずにはいられない弱さ。年上の女性ファンはさぞや惹きつけられた事だろう。 ロズリン大統領はこれまで同様、冷静な判断を下せる人間として冷徹に描かれている。多数の為に一人を切り捨てる、という厳しい選択を視聴者が納得できる理由付けとして、前回の医者の挿話が挙げられるだろう(医者「それから、考えておいてくれ。祈ることも」)。片や、カプリカ上の「ヒロ」と「ブーマー」の挿話は、今回もずるずると引っ張るばかりで、何ら焦点が見えてこず(サイロンの実験動物というところか)。 生還できたカーラを病室で迎えるアダマに、視聴者もホッと共感してお終い。・・・でも、厳しい目で見ると、あまり出来のよいドラマじゃない。「ER」や「ザ・ホワイトハウス」の良くできた、ハーモニーのようなエピソードを知っている目には、この脚本や演出では「まだまだ」。冗長さを厚みとして使いこなせるようでないと辛い。ついでにいうと、字幕にセリフの機微をとらえた軽妙さが不足してきたようなので、そろそろ吹き替えで見たいところでもある。 [2月21日] 4話。今回も小規模(だが沈痛)な事件から始まる。人類の存亡をかけた難民船団という柱はとりあえず脇へ除けられた格好だ。煉瓦をひとつずつ積んで、大きな楼閣を想像させる構成、とでも言おうか。 主役は"スターバック"ことカーラ・スレイス中尉。彼女はヴァイパーの訓練教官を引き受ける事になるが、アダマ司令官のもう一人の息子ザックが事故死するきっかけを作ったのが自分である事を言い出せずにいた。焦点は・・・過去の後悔と向き合って己を取り戻すという、よくあるお話のパターンには違いない。ただし、この一話限りでは完結しないので、続きがどうなるか。 植民惑星カプリカ上に取り残されたヒロと、ロズリン大統領の病状という、全く関係ない二つの伏線が挿入されるが、これは省くべきだったと思う。せっかくのカーラの進行が阻害されてしまう上に、ヒロとブーマーを使って一体何を見せたいのか、いまだにハッキリしてこないのだから。二話にまたがったゆえの穴埋めにしか見えない。 物語の流れはいつもより凝っている。まずはカーラの乗機が炎上して回転している。そして、時間を遡っていきさつが始まり、そこへザックの一件がカーラの脳裏にフラッシュバックする。登場人物の役割と、その過去に絡めた作りであることから、これまでよりも人物描写が深くなっている。・・・新谷かおるの漫画「エリア88」の初期を彷彿とさせるような雰囲気だ。 今回の45分でカーラの変化にある程度の決着はついていた。続く45分で何を見せてくれるのか。生還劇を挟んで人間が一回り成長する展開は、比較的、よく見る手法だが。まだ、「見事にしてやられた!」というドラマが出てこない。過去にどこかで見た代物の焼き直しに写る。[2月15日] 3話を見た。囚人とくれば、暴動や脱走騒ぎが頭に浮かぶ。今回も大方の予想は裏切らず、平凡な展開を見せる。少し興味深いのは、政治犯が監房を仕切っているという辺りだろうか。随分と品行方正な囚人達だ(「プリズン・ブレイク」のアブルッチのような手合いとは大違い)。・・・耳を噛み切られた男以外は、であるが。ロズリン大統領はテロリストとは取り引きをしないと断固たる姿勢を見せる(いかにもアメリカらしい)。アダマ司令官も突入部隊で解決を図ろうとする。 今回の焦点は、臨時政府の民主主義とリー・アダマ大尉の立脚点が定まるまでのいきさつだ。最後の10分に、ようやく見応えのある駆け引きが出てくる。政治犯の主張から「法に従って民主主義を問おうではないか」というのは、冷静に考えると、何だか陳腐ではあるが・・・主人公は開眼されたらしい。少なくとも、第1話、第2話よりは魅せてくれた。ポリティカルなエッセンスを盛り込んではきたが、上出来の脚本とはまだ言えないだろう。 力でねじ伏せようという行為は、政権の維持に自殺的なものであることを、ロズリン大統領は理解している。政治犯ザレックの意図もそこだ。現代でもメディア戦略は確かに侮れない。ただ、ドラマの中で、そのセリフがリアリティのあるものに受け取られるには、何かを省略し過ぎているような気がする。ここは「抑え気味な演出」というよりも、「ギャラクティカ船団という難民社会を描いていないじゃないか」という感が強かった。米国大統領の例を思い出せば・・・なんとかなるような、ならないような。 冒頭から個性的な展開を見せつつ、登場人物同士の関わりで質が深まっていくような、そんなドラマを期待したい。例えば、タイ大佐とカーラ「スターバック」の間柄には、そういった描かれ方が積み重ねられている最中ではあるのだが・・・いずれも、まだ熟成には至っておらず、エピソードのキーに成り得ていない。せいぜい「つなぎ」止まりなのである。 ところで、
A. たぶん、檜山支庁(ひやましちょう)くらい 2話まで放送された。率直な感想を言うと、ン?という感じだ。ミニシリーズ、つまり「序章」ほど面白くない。登場人物が直面する「さほど長くない」体験が約45分のエピソードにまとまっている。その為、大筋はあまり進展をみせず、登場人物の葛藤が主として描かれる。その葛藤が視聴者に強く訴えるものでなかったりするので、好奇心を刺激されないまま一エピソードが終了している。 第1話は、サイロンが33分おきに攻撃をしかけてくる理由を巡るエピソードだった。ちょっとしたミステリー仕立ての雰囲気だが、物語の焦点は少し違うところにある。ガイアス・バルター博士は裏切りの張本人であり無神論者である。今回も、保身の為に民間船が事故にあえばいいとさえ願っている。博士の頭の中にいるサイロン・エージェントのナンバー6はその背信行為を咎め、興味深い事に、神に赦しを乞うように諭すのだ。まるでサタンが人間の弱みを攻めて籠絡させようとしているかのようだ。人間に作られたサイロンが、人間という造物主に、神という造物主への崇拝を強要するという、面白い構図も読みとれる。 そして、それにキーワードとして呼応させようとしているのが、全なる父と息子の構図だろう。民間船を撃墜するという過酷な任務を終えた「アポロ」は、ゼウスのような司令官アダマのところに出頭する。すると、実の父でもある司令官は"Son"と呼びかけるのだ。・・・こんな具合で、読み解ける暗喩が入っているのは理解できるのだが、エピソードとしてはパンチに欠けている。 第2話は、「ブーマー」ことシャロンが自らをサイロンではないかと疑心暗鬼に陥るという主旨のエピソードだ。シャロンの恋人である整備班長チロルはそれを隠す方を選ぶ。一方、サイロンの核攻撃で廃墟と化した植民星カプリカでは、シャロンとコンビを組んでいた副操縦士ヒロ(序章で自ら「置き去り」を選んだ)が生き残っており、サイロンの人型モデルであるシャロンを、救いに来てくれた本物だと思いこむ、という伏線が展開する。 シャロンの葛藤の描き方はいたって健全であり、「まさか、そんなはずがない」 「どうしよう」 「もし本当なら、とりあえず隠蔽したい」という方向に、渦中の恋人も含め、感情面がゆれ動いていく。視聴者には、彼女が夢遊病患者のように、自らの意思に反して破壊活動を行える事がわかる。とはいえ、シャロンが精神的に抵抗することで、もしかすると、サイロンのコントロールから自由になれるのかもしれない、という淡い希望が提示される。この部分を除けば、かなり平凡なので、興味を覚えるのは難しい。こうした主題を得意としたP.K.ディックがものした主人公達ならば、どんな反応をしてくれた事だろうか。 [2008年2月5日] 序章をスカパーで観る。おそらく、既発売のDVDでも鑑賞できると思うが、シリーズを来年から放送してくれるというので観た。確かに評判通り、悪くない。抑え気味の演出が功を奏していて、視聴者が自らの感覚で主人公達の一瞬一瞬を読みとる事ができる。SFというTVドラマのジャンルも、ようやっと次世代に進化してくれたらしい。温故知新のように古い物を再利用ではあるが。「スタートレック エンタープライズ」や「スターゲイト」シリーズとも違う、人間の存在と関係性に重きを置いたドラマがこうして観られるのは嬉しい。 いくつか興味深い要素も感じ取れた。まずは人間の皮を被ったサイロンが登場したこと。非常にP・K・ディック的だ。折しも「メイキング・オブ・ブレードランナー ファイナル・カット」の加筆部分で製作陣も認めている(416〜417頁)。私なりに突っ込んで指摘すれば、「バトルスター〜」で骨子に組み入れられているのは、PKDが"Imposter"や「変種第二号」を筆頭に、さんざ使っていたプロットと同じものだ。「自分がサイロンとは知らないでいるかもしれない」、「モデルは12種」という伏線がそれである。蛇足ながら、(「メイキング・オブ〜」にあるように)出演者という意味でもブレランと繋がりがあり、ガフを演じたエドワード・ジェイムズ・オルモスがアダマ司令官を演じている。それから、なんとなくではあるが、打楽器とシンセみたいな響きの管楽器で不安定なニュアンスを増幅していく音楽の付け方も、ブレランにおけるヴァンゲリスに近いものを感じた(ただし、音楽は別人)。悪夢的なディストピアとそれを印象づける音楽が、不思議に似ているのだ。 また、断片から、富野アニメを連想できなくもない。宇宙植民地が攻撃を受け、民間人が軍船にかくまわれることになる、というシチュエーションに、オリジナルの「機動戦士ガンダム」や亜流としていくつも作られた映画「ガンダムF91」等の冒頭シーンが思い出された。アニメでは多くの場合、避難する人々、壊される建物が直接的に描かれる。2008年放送予定の「マクロスF」もそうだった。「バトルスター ギャラクティカ」では、表現は閃光とキノコ雲に留められている(ナンバー6とバルター博士が爆風に消えるシーンと焼け出された人々が軟着陸したブーマー達の元へ来る描写はあるが)。上手く使えば、間接的でも心象表現として訴えかけてくる。全部見せる事が必ずしも効果的とは限らないわけで・・・。この辺りのさじ加減と構成は、日本の主力輸出品目であるアニメが学ぶべきところだと感じた。日本製アニメでは破壊シーンは、あくまで、お芝居的。CGを駆使して如何に精緻に作ったとしても、それ以上にはならない。「バトルスター〜」のレベルになると、貿易センタービルのテロを思い起こさせるといった具合に、視聴者が主体的に受け取れる作りになっている。 今回のギャラクティカも、メインの船に主人公達が乗り、世界をあちらこちらと放浪する事になるらしい・・・そういえば、ホワイトベースや「イデオン」のソロシップも、こういう話運びだった。富野アニメとの意外な共通項かも? いや、宇宙船団なのだから、「マクロス7」か? これで、主人公がロボットに乗れば、見事、新ジャンルの開拓になるのでは? 「ロボットは操縦すべき物であるどころか敵だ」という欧米人らしい捉え方のおかげで、我々日本人の大事な資産は侵略されずに済んでいるのかも。でも、いつかは人が操縦するロボットモノという固定ジャンルがドラマとして発明されてしまいそう。 俳優のライブアクションもいい出来だと思う。SFっぽいというよりも、「ER」といった職業モノの海外ドラマのようなノリで見ることが可能だった。調和の取れたCGも強みを見せている。「バビロン5」から比べると随分と進化したものだ。F1レーシングカーのような滑らかなフォルムのヴァイパー マーク2や、台形型のアーチを生かしたギャラクティカ船内の廊下など、大道具にも単なるリメイクではないという努力がみられる。相変わらず戦闘機が(スターウォーズのX-Wingみたいに)小型過ぎるとか、宇宙船内の廊下と壁との接地面がいかにも「移動できる壁」に見えるとか、セットにところどころ陳腐ギリギリな雰囲気を感じるとか、予算の都合だろうと邪推できる部分はもちろんある。SFジャンルの宿命だろう。この部分をうまくカバーしたいなら、莫大な予算を獲得するか、リドリー・スコット監督でも喚んでこない限りは無理だ。 [2007年12月23日] |