2004年11月30日
ネストル・ヘルギアニ

アテネ・オリンピック
柔道60kg級の銀メダリスト
ネストル・ヘルギアニ選手の
インタヴュー

ネストル・ヘルギアニ選手
1975年生まれ (7月20日 かに座)
身長162センチ
体重 65キロ
血液型 A+

柔道のネストル・ヘルギアニ選手は、2004年のアテネオリンピックで銀メダルを獲得した。その決勝での対戦相手は、日本人の野村忠宏選手だった。今年の9月にトビリシでヘルギアニ選手にインタビューをした。

どうして柔道の練習を始めたのですか?

子供の頃は、スワネティ地方のメスティア(グルジアの西北部)に住んでいました。7歳のとき、牛を連れて父と歩いていると、たまたま近所の人に呼び止められて、同じ年の男の子とレスリングをさせられました。そうしたら、私が勝ってしまいました。それで、「強い選手になれるから練習してみなさい」と言われました。それをきっかけに、最初はサンボの稽古に参加しました。すぐに強くなって、学校を卒業してからは、柔道に転向しました。

コーチはどなたでしたか?

スワネティではロビンゾン・ジャパリゼコーチ、トビリシではアンゾル・マルグヴェラニコーチとショタ・ハバレリコーチの指導を受けました。アンゾル・マルグヴェラニコーチは残念ながら去年亡くなりました。

柔道は伝統的なグルジアのレスリングと似ていると言われていますが、どう思いますか?

グルジアのレスリングの技はみんな柔道でも使えます。柔道にある上半身を使う技は、グルジアのレスリングの技とほとんど同じです。アテネオリンピックで金メダルを獲得したズヴィアダウリ選手は、グルジアのレスリングでも、柔道でも強い選手です。

オリンピックのためにどんな準備をしましたか?

私は真面目に準備しなかったので、アテネオリンピックの前のヨーロッパ大会、世界大会では成功を収めることができませんでした。それで、アテネオリンピックのためには、十分に準備をしなければいけないと考えていました。もう年なので、今頑張らなければスポーツをやめるしかないと思いました。妻と子供を田舎に送って、2、3ヶ月間稽古に集中しました。

グルジア柔道チームは、18日間の稽古を3回バクリアニ(グルジアの中央部)で行いました。私はコーチに課されたよりもたくさんの練習をこなしました。「頑張りすぎないように」と言われたくらいです。18日間の稽古のあいだ、休みが4、5日ありました。休みの日には充分にリラックスして、稽古には集中して取り組みました。最後の稽古は、これまでやってきたことのまとめと精神的な準備でした。

試合の前は緊張を感じますか?

少しだけ。あまり怖くはないです。怖くなったら負けてしまいます。怖がるのはだめです。誰にも負けないという気持ちを持たなければいけません。相手がどんな有名人であっても構いません。勝つことは可能です。

銀メダルを獲得したときどんな感じでしたか?

オリンピックに向かうときは、決勝にさえ進むことができれば、その後は頭から転んでも構わないと思っていました。ヨーロッパ大会や世界大会ではメダルを取ってきたので、今度はオリンピックのメダルもという気持ちで試合に臨みました。このような結果を出せて満足しています。山下先生は「おめでとう」と言って、握手してくださいました。日本人はみんな私をとても親切に扱ってくれます。彼らはみんな柔道の伝説的な存在だから、私に対してそんな態度をとってくれることを嬉しく思います。

野村選手についてどう思いますか?

柔道を始めて間もないとき、モスクワでの大会の決勝で野村選手と戦いました。野村選手に負けたことのある先輩から、野村はとても強い選手だと言われていました。わたしはそのときまだ新人でしたので、何も知りませんでした。できるだけ頑張りましたが、やはり野村選手に一本を取られて負けました。そのあと、パリ大会でも戦いましたが、そのときも彼に負けました。

野村は本当に強い選手です。オリンピックの金メダルを三回も獲得しています。経験も豊富です。たいてい彼は試合が始まってすぐに一本で勝ちます。ほとんど負けたことがない選手です。今度のオリンピックで、三度目に彼と戦いました。私は野村選手に手足を止められて動けなくなり、技ができなくなりました。試合の最後まで頑張りましたが、結局、彼の技ではなく、注意で負けてしまいました。

日本へ何回行ったことがありますか。日本はどうでしたか?

日本へは三回も行ったことがあります。日本人は心温かく、とても親切です。道場や設備をきれいにしたり、大切にしたりします。日本人のそのような性格が好きです。

世界大会のときには大阪に行きました。泊まったのは、靴を脱いで布団を床に敷くようなホテルでした。きれいでしたが、床で寝ることに慣れていないので、肺が痛くて困りました。外は暑かったのに、建物の中はエアコンが効いていたので、体調を崩してしまいました。そのせいかもしれませんが、その大会では勝てませんでした。

でも、やはり日本へ行くのは好きです。日本では、私はあまり背が低く見えないから(笑)。

日本料理はどうでしたか?

何か食べましたが、名前は覚えていません。あまり食べられませんでした。

世界大会のときには、2週間も日本に滞在しました。稽古もあったからです。スーパーマーケットで食料品を買って、自分で料理をつくりました。パンを買うのも難しかったです。たまにおいしいパンが手に入ることもありましたが、食べられないようなパンもありました。

ホテルの人はとても親切に扱ってくれました。料理を手伝ってくれたり、私たちを応援してくれたりしました。帰るときは涙を流して見送りに来てくれて、私はとても感動しました。

ネストル・ヘルギアニ

奥さんとはどこで出会って、どのように結婚しましたか?

グワンツァ(奥さん): 最初は道場で出会いました。私の近所の女の子が柔道の稽古に通っていたので、私も連れて行ってもらいました。

ネストル: グワンツァは何回か稽古に来ました。私は彼女が気に入って、技を教えたりしました。彼女はすぐに転んだり、気分が悪くなったりしていました。

グワンツァ: しばらくすると、彼から「道場に来るな」と言われました。

ネストル: 私は彼女に「君のことを真剣に思っているから、柔道をやめてほしい」と言いました。

グワンツァ: それから1年半年付き合って、結婚しました。

ネストル: モスクワ大会に行くときに、グワンツァが見送ってくれました。1998年に結婚して、その一週間後にヨーロッパチャンピオンになりました。結婚して良かったです。その前はあちこちうろうろしたりしていましたが、結婚して目的がはっきりしたことで、成功できたと思います。

お子さんはいますか?

グワンツァ: 6歳の男の子と4歳の女の子がいます。男の子は「将来、野村選手の息子と試合して、勝つ」と言っています(笑)。

家族について何か話してください。

祖父はレスリングをやっていました。スワネティ地方では「肩が地につかない人(=負けない人)」と呼ばれていました。背の高い人でしたが、自分よりずっと背の低い女性と結婚しました。私の父や兄弟は祖母に似ていますから、みんな背が低いです。

父もレスリングをしていました。よく、友人たちに祭りに連れて行かれて、レスリングの試合に参加して、勝った褒美に羊をもらって帰ってきました。すると、みんなで一緒に羊の料理をつくって食べるのです。そのときの写真が家に何枚もあります。父は今も強いですよ。

私たちは男ばかりの5人兄弟で、私は上から2番目です。子供の頃、私たちの遊びはレスリングでした。レスリングをしながら育ちました。祭りのレスリング試合に参加したことも何回もあります。今、兄弟のうち二人はレスリングのトレーナーをしています。

将来はどんな計画ですか?

私は今29歳です。今年のオリンピックでいい刺激を受けました。また次のオリンピックにも出場したいです。

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