天正大判金

 


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天正大判金


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天正大判金について

サイズ 5mm方眼紙の画像でご確認下さい。
材質
重量 162g
備考

「幻」の大判金、門外不出の誰も見た事の無い大判、そんな大判有るはずがないと、古銭愛好者は言うだろう、現大判の元祖でしょう、マア大判の官本銭と云う存在であろう、大判の歴史に新しい事柄が加わるだろう、ある有名な大名家に伝わり長く秘蔵されていた古銭の一部です「大判の出来た歴史に付いては」古代よりわが国では「砂金で高額な取引なぞに使用」奉書紙に包み、又竹筒に入れて使用、だが不便な為に溶かして形に入れた「竹流金、ヒルモ金」などの金魂を石面打「石の平らな面」で打ち伸ばした、金板状にして大判の型にした大判を、無紋大判と言う、其の大判を量目を統一し漆墨で拾両、製造責任者の後藤「サイン」花押、 「室町幕府お抱え御用彫金師、後藤家に信長が考案した大判に、量目の拾両、後藤、花押、年号を書き、上下左右に丸極印内に五三の桐極印を、入れるよう命じて鋳造したのが、織田信長が最初で有ります、 「参考に天正初期の大判は40匁目ぐらいであったようで、 44匁目に確定した時期は不明、 「金一匁目は3、 73g後3, 75gJ大判に埋金の大判は以前に造られた大判であろう、織田信長が造らせた大判は武勲を挙げた家臣-の恩賞用に又朝廷公家など-の贈答用に鋳造させた特別の貨幣で有ります、天下統一を夢に見ていた織田信長が、明智光秀の謀判にて天正拾年六月京都本能寺にて死す、信長が考案し造らせた天正大判に天正拾年の年号のある、幻の大判が幸運にも長年秘蔵下された収集家の賜ものであります、「織田信長が鋳造させた大判⊥枚が東京博物館に一枚保存されているそうです、極めて珍品、日本の資です、秀吉は信長亡き後を引き継ぎ多くの貨幣を鋳造されました、秀吉も亡き後徳川家康が武田信玄の四進法方式の形式を採用し江戸時代より明治に至る迄鋳造されていました。