ほぼまま


「あら、篤志くん。どうしたの?お手洗い?」
沙織の母は洗濯を終え、居間のソファで一息ついている所だった。
篤志に気付き、持っていたティーカップを皿の上に戻す。
「篤志くんもどう?おばさんと一緒に紅茶。美味しいのがあるのよー。」
「いや、いいです・・・。それよりーーーーーー」
立ち上がろうとした沙織の母を制止する。
「おばさんに・・・お話があります。」
「お話・・・?何かしら。内緒話?」
「昨日の・・・、塀の落書きの件で。」
瞬間、沙織の母の顔が少しだけ険しくなる。
これだけの会話で、篤志が何を言おうとしているかがわかったのだろうか。
「どうやらホントに内緒のお話みたいね。向こうのお部屋、いきましょうか。」
促されるままに、居間を出る。
階段の裏手にある、少し影の挿したドア。
玄関から入った時は、死角になっててわからなかった。
多分、まだ一度も入った事がない・・・と思う。
沙織の母が、ドアノブに手をかける。ゴクリと唾を飲む篤志。
緊張しながら踏み込む。
未知の扉の向こうには・・・何も、なかった。
・・・本当に、何も無い部屋。
一面に薄く敷かれた絨毯と一枠の窓以外は本当に何も無い、隔離されたかのような空間。
物置って感じはしないし、肝心の物が何一つ無い。一体、何の部屋だろう?
「おばさん・・・ここは?」
恐る恐る聞いてみる。沙織の母は優しく微笑み、答える。
「ここはね、ゆっくりお話する部屋なの。沙織と私の部屋、かな?
 そういえば、あの子のお友達が入るのは初めてね。」
沙織ちゃんと沙織ちゃんのママが、二人っきりでお話する場所。それって、つまり・・・。
「お仕置き部屋、ですか・・・?」
「あら、そうとも言うわね。いつもここでこうやって、ペン!ペン!ペン!・・・ってね。」
沙織の母はその場に座り込むと、ジェスチャーを交えて説明する。
その仕草が自分に向けられているようで、体の芯がぼっと熱くなった。
「それじゃ篤志くん、そこに座って。」
「あっ・・・、はい。」
反射的に正座する。
これから怒られるとわかっているからだろうか。体が勝手にこの座り方を選んだ。
「さっきのお話だけど・・・。篤志くんが、やったの?」
単刀直入に来た。回りくどいのは嫌いらしい。
ここへ来て逃げる訳にもいかない。
篤志は、先ほど預かった赤いチョークを見せる。
「僕がやりました。・・・ごめんなさい!」
沙織の母が、真っ直ぐに篤志の目を見据える。
思わず目を逸らしたくなるが、真っ直ぐに見つめ返す。
どれくらいの時間だったろう。恐らく数秒の間を置いて、沙織の母が口を開く。
「・・・わかりました。」
深い溜め息の後、続ける。
「自分から正直に名乗り出たのは、偉かったね。なかなか出来ないよ。
 自分から叱られに来る、っていうのは。」
褒められても、心が痛い。
自分は、この瞬間も嘘をついている。
「でも、あの塀の落書きは、いろんな人を嫌な気持ちにさせたんだよ。
 落書きを落とした先生達だけじゃない。あの道を通る人や、保育園のみんなにもごめんなさいと思わなきゃダメ。」
落書きの事は、身に覚えがない。
でも、目の前の人を騙しているという罪悪感。
「だから、私は・・・保育園の先生として、篤志くんにお仕置きをしなくちゃいけない。・・・わかるね?」
叱られるのは、当然だ。
何だか変に納得し、コクリと深く頷く。
「お尻、いっぱい叩くけど・・・頑張れるね?」
コクリ。
再度、頷く。いっぱい叩くという表現に、臆病な心臓がやかましくなる。
でももう、後には引けない。
「それじゃ、しばらくこの部屋で待ってて。」
沙織の母はそう言うとスッと立ち上がり、ゆっくりと部屋を出て行った。
すぐにこの場でお尻を叩かれると思っていた篤志は、キョトンとした顔で部屋のドアを見つめる。
少しだけ寿命が延びた、のかな・・・?
しかし、そんな気持ちはすぐに消える。
お尻を叩く、とだけ告げられ、一人残された部屋。
しかも自分の家ではなく、友達の家の知らない部屋。
長い。・・・時間にすればほんの数分。
でも、長い。臆病な心臓は、この部屋に居れば容易に聞こえそうなくらいに高鳴る。
ただ待つのがこんなに辛いとは。いっそあの場で有無を言わさず叩かれた方が楽だったかもしれない。
額の汗が鼻の辺りを伝おうとした頃、部屋のドアが開いた。
「お待たせ、篤志くん。」
そこに立っていたのは、エプロンを身に着けた沙織ちゃんのママ。
いや、違う。紛れもない、保育園の先生だった。
「先生としてお仕置きします、って言ったでしょ?
 だから、先生にヘンシンしてきたの。」
保育園で悪さをした子には、保育園の先生としてお仕置きする。
今から始まるのは、先生のお仕置き。お尻叩きだ。



「さて、それじゃ篤志くん。ペンペンの準備しよっか。」
じゅ、準備・・・?
準備と言われても、生まれてこのかたお尻ペンペンなどされた事がない。
どうしたらいいかわからずまごまごしていると、先生が声を掛けてきた。
「あれ・・・?ひょっとして篤志くん、ペンペンされるの初めて・・・?」
小さく、頷く。
そっかー、と呟きながら先生は篤志の隣に正座する。
「最初なら、先生がやってあげるね。お腹を下にして、ここに寝転んで。」
先生は、言いながら自らの膝をパンッと叩く。
言われるがままに、膝の上に乗る。
何だかいい匂いがして、すごくあったかい。
これからお尻を叩かれるはずなのに、なんだか心地良い場所。
お仕置きがなければ、ずっとこうしていたい気がしてくる。
「さーて、わーるい子のお尻、出ておいで♪」
ペロンッ。
一瞬のうちに、篤志のお尻がぷりん、と丸出しになる。
お尻を叩き慣れている、というのは本当のようだ。初めてでも、わかる。
「これから、わるい子になっちゃった篤志くんのお尻を、先生がいっぱいペンペンします。
 がんばって、いい子に戻ろうね!」
保育園の先生として、とは言ったけど・・・僕も完全に保育園児扱いされてる気がする。
お尻を叩かれるだけでも恥ずかしいのに、これは・・・辛い。

パチィーン!
「いっ・・・!」
心の準備が終わる前に、予想外の一発が飛んでくる。
「おへんじは?」
「は、はい!」
「よろしい。」
まっさらのお尻をぶたれた時の、このカンジ。
一瞬だけヒリヒリした後、じーんと沁みるような。きっと叩かれた人にしかわからない、変なカンジ。

「はーい、それじゃペンペンしようねー。」
ピシャッ! ピシャッ!
・・・っ!
二発目、三発目。
口調は軽いのに、お尻に振り下ろされる平手はすごく重い。
お尻のヒリヒリが、さっきみたいに飛んでいってくれない。

「わるい子、わるい子っ。」
ペチーン! ペチーン! ペチーン!
痛い、痛い、痛い!
声にならない声が出る。叩くたびに痛くなってるのは僕の気のせいだろうか。
まだ始まったばかりのお尻ペンペンを受けながら、篤志は小さな拳をぎゅっと握る。

「あんな所に落書きなんかしたら、めーでしょー!」
パチィーン! パチィーン! パチィーン!
「あ・・・ぐぅ、うっ・・・!」
我慢できず、声が漏れる。
保育園の子供達は、こんなお仕置きに耐えているのか。
恥ずかしさとお尻の痛みで、泣きそうになる。まだ十発も叩かれていないのに。



「どーして、そんなわるい子になっちゃったの!」
パシィーン! パシィーン! パシィーン!
「いっ・・・、ヒック、・・・グスッ。」
必死にこらえていた涙が、こらえきれずにこぼれてくる。
一度流れ始めた涙は、止めようとするほどに溢れ出る。
「うわぁぁーん!ごめんなさい、ごめんなさいー!」

何も無い部屋の真ん中で、篤志は顔とお尻を真っ赤にしながら泣き叫んでいた。
泣いても、叫んでも、打ち下ろされる先生の平手が止まる事もなければ、弱まる事もなかった。
パシン、パシン、パシン。
泣き声、叱責、お尻を叩く音。
その三重奏だけが、この部屋から生まれる全てだった。
何度も何度も、繰り返しぶたれるお尻。
四十回は叩かれただろうか。真っ白だった篤志のお尻は、ふくらみの一面全てが真っ赤に染められている。

「篤志くん、ちゃんといい子になれる!?」
パシィッ! パシィッ! パシィッ!
「あぃ・・・!なりまず・・・えぐっ!」
完全な鼻声で、既に自分でもはっきり聞き取れない。

「よし、もう・・・しないね?」
パッシィィィン!
「いっ・・・あぁい!」
とびっきり痛いのが落ちてきた。
自分でははいと言ったつもりが、痛いと混ざってやっぱり聞き取れない。
・・・それでも、先生には伝わったみたい。
「よし、ペンペンしゅーりょー。がんばったね、篤志くん。」
抱き上げて、ぎゅっと抱きしめてくれた。
お尻はすんごく痛いけど、ぎゅってされるのはすごく気持ちいい。
僕は友達のママだって事をすっかり忘れて、先生にたっぷり甘えた。
「篤志くん、ペンペン痛かった?」
「すっごく・・・。」
「そう。でも、ちゃんといい子になれたね。」
そう言いながら頭を撫でられる。さっきまでの怖かった手じゃない、優しい手。
僕のお尻と同じくらい真っ赤になってる。でもそれは、僕をいい子にしてくれた先生の優しい手だ。
「でね、篤志くん。」
膝の上に抱かれたまま、声を掛けられる。
篤志は真っ赤になった目で、先生の顔を見る。
「先生、いろんな子にペンペンしてきたせいか、ペンペンすればその子の事、大体わかっちゃうんだけど・・・。」
優しい中にも、ちょっとだけ凄みを感じる。
何だろう、お仕置きされる前みたいな、この感じ・・・。
「あの落書き書いたの、篤志くんじゃないでしょ?」
ピシッ。
時が止まった。
ど、どう答えればいいんだろう。正直に答えれば、沙織ちゃんが怒られる。
かといって、違いますって言ったら、また・・・お尻ペンペンに逆戻り!?
「いいのよ、篤志くんを見てたら大体わかったわ。
 あれを書いたのは・・・ウチの沙織ね?」
「あ・・・。」
もはや言い逃れはできそうにない。
「篤志くんをペンペンしたのは、沙織の悪事に協力して、嘘までついた分。
 あの子は確かに強引だけど、ちゃんと断る事も大事よ?」
言われるがままに、騙すようなことを仕掛けた。
それに対してのお仕置きだったらしい。
あれ?
と、いう事は・・・。

「沙織っ!!!」

家全体に響きわたるくらいの怒鳴り声。
ガタン、バタン!
ドアの向こうで、派手な音がした。
「あいたたた・・・。」
「さ、沙織ちゃん!?」
「あ、篤志くん・・・。こ、ここに居たのね。探しちゃったー。」
何やら不自然な棒読み。
「篤志くん、痛いかもしれないけど、ズボン上げて。ちょっとだけ、横にどいててくれるかな。」
はい、と返事をしようと振り向いた瞬間、さっきまでの優しい先生は消えていた。
確かな怒りを秘めた、平静を装った顔、とでも言うべきか。
口元が引きつっているのがわかりやすい。・・・嵐の予感。
「さて、沙織。ママに何か言うことは?」
「え、何?何の話?」
あくまでシラを切り通すつもりらしい。さすが沙織ちゃん。
この絶体絶命の状況になっても諦めないとは!
・・・でも、相手が悪い。
「・・・もう駄目ね。沙織、お尻出しなさい。」
「え・・・えぇ!?なんで!沙織、悪くないもん!」
ブチッ。
不思議な効果音が聞こえた気がした。
「あんたって子はぁーーーっ!!」
一瞬の出来事だった。
沙織の母は左腕で沙織をがっしり捕まえると、そのまま軽々と持ち上げてしまった。
「いやーーっ!離してーーっ!」
手足をばたつかせて暴れる沙織。

「静かに・・・しなさいっ!!」
パァァーーーーン!
「ひぅっ!」
スカートの上からなのに、篤志が叩かれた時のどの一発よりも大きな音。
どうやらこれは先生のお仕置きではなく、完全に沙織ママのお仕置きらしい。
見た感じだけでもわかる。・・・痛みの次元が違う、と。
「あぁーん、沙織悪くないのにぃ。」
篤志の手前もあってか、沙織は全く罪を認めようとしない。
「はぁ・・・。反省の色ナシ、か。これは久しぶりに百叩きコースかなぁ。」
「ひゃ・・・百!?ちょっと待ってママ、それだけは!」
懲りずに毎日悪さを繰り返す沙織も、さすがに百叩きは御免らしい。
「どうかしらねぇ・・・。あんたの場合、四十五十叩いてもケロッとしてるんだろうし。」
「あぁーん、篤志くんには手加減してたくせにーーーーーー」
言いかけて、沙織は口を押さえる。
「ふーん、・・・そう。沙織、篤志くんのお仕置き覗いてたの。」
沙織ちゃんと目があう。泣きそうな目で何かを訴えている。誤解だよ、とでも言いたげだ。
・・・まぁ、ドアの前で派手な音が鳴った時、そんな気はしていたけれど。
「篤志くんの前でお尻を出すのは可哀想かなーって、ちょーっとだけ気を遣ってあげたんだけどねー。
 沙織も見てたんなら、おあいこだね。」
「ま、ママッ!?」
ペロンッ。
篤志の時と同じように、沙織のお尻はあっさりと丸出しになる。
「いやーーっ!」
再びバタバタと暴れ始める沙織。
一緒にお風呂とか一緒に寝ようとかは自分から言ってくるのに、お仕置きでお尻を見られるのには抵抗するんだなぁ・・・。
自分のお仕置きが終わり、モヤモヤも晴れたせいか。随分冷静に見ている自分がいた。

「はい、静かにするっ!!」
パッシィィィン!
「ったぁぁーい!」
今度は剥き出しのお尻に、さっき以上の一発が炸裂する。
「これ以上暴れるなら、ホントに百叩きだからね!」
「うぅ・・・。」
「お返事!」
パッチィィィン!
「ひ、ひゃいっ!!」

・・・僕だったら今ので泣いてるかもしれない。それくらい、厳しい。
これを、毎日のように・・・!?
あらためて、沙織ちゃんの強さ(?)を実感する。

「篤志くんも、よーく見ててね。元はといえば、この子が元凶みたいだし。」
「うぅ・・・こんなの不公平だよぅ。」
パッシィィィィィン!!
「いぃったぁ!!」
「沙織は、百叩きがいいのかなぁ?」
「あぁーん、もうイヤぁぁーっ!」



結局、沙織が反省の言葉を口にしたのは、お尻六十発を過ぎた頃だった。
もちろんそれで即お許しが出るわけもない。
結局、暴れに暴れた分も含めて、宣言通りにお尻百叩きが遂行された。
たっぷり泣いて、たっぷり抱きしめられて。
沙織もようやく「お仕置き」を終えた。
「ううぅ・・・、ヒリヒリするよぅ・・・。」
膝から下ろされた沙織は、お尻を出したまま絨毯に突っ伏していた。
今は、恥ずかしいよりただ痛いらしい。
「僕もまだヒリヒリする・・・。痛かったぁー。」
言いながらお尻をさするのを見て、沙織の母がフフフと笑う。
「また悪い子になっちゃったら、いつでもここにいらっしゃいな。いくらでもペンペンしてあげるわよ?
 何なら、保育園の方に来てもいいわ。子供達で周りをぐるーっと囲んで、真ん中でペーン!ペーン!ペーン!ってね。」
「え、遠慮します!」
またも登場したジェスチャーに、全身で大きく拒否を示す。
「ふんだ・・・。篤志くんのされたのなんて、ホントにただのペンペンじゃないの。やっぱり不公平ーーーーーー」
「さ・お・り!?」
沙織がビクッと跳び起きる。
「あんたって子は、まだ叩かれ足りないのかな?とびっきりのを何発かお見舞いしようか?」
沙織の母が、右手にハァーッと息を吹き掛ける。
「い、いいですいいです反省しました。ほら、この通り!」
沙織はペコッと軽く頭を下げると、出していたお尻をしまって走り出した。
「コラッ!家の中で走るんじゃないの!」
「はーい!」
バタバタバタ・・・。
懲りない、ってのは本当のようだ。
「まったく・・・。篤志くん、あの子の面倒お願いね。」
「はい・・・。できるだけ、頑張ります。」
その答えがおかしかったのか、二人でプッと噴き出す。
ひとしきり笑い終わった後、二階から篤志を呼ぶ声。
篤志は沙織の母へ向き直り、ぺこりと一礼をしながら言った。

「先生、ありがとうございました!」

そのまま頭を上げ、顔を見ないようにして廊下に出る。
見なくてもわかる。先生は、きっと微笑んでくれたに違いない。
友達のママだけど、僕にとってはずっと大事な先生だ。
ずっと・・・ずっと。