越路銅山 日光市

 

    

      松平坑内部(水没している)

 

 

採掘時期は不明だが、山中にある神社に残る奉納札によると、昭和33年(1958年)の『朝日化学肥料株式會社・

越路鑛業所』の札がある。その頃までは、何らかの形で操業していたものと思われるが詳しいことは分からない。 

地元の人が山菜採りに着ていたので聞いてみると、坑口は解らなくなっている、露天掘りにちかい感じで採掘され

ていたとの事。林道の両脇がチョットした広場になっている。この近辺に採掘の跡があると思われ、車を止め探して

みる。沢は赤褐色で銅山が近辺にあった事を明示していた。左岸に坑口を見つける。坑道は完全に水没していた。

その手前にズリがあり、黄銅鉱の結晶がたくさんあり、2cmの結晶を見つける。林道の反対側(右岸)は崖の所に

坑口を見つける。大きな岩がゴロゴロしているが登り口に古い石積みの階段があるが10段位でその先はゴロゴロ

した岩があるだけで、上に登ると中腹に坑口があった。5m位で行き止まり。ためし掘りか?その下の面に人口的

掘られた思われる沢の様になって所が上流に向かい延びている。坑口からの崖を回りこむと銅の鉱脈がある。

チョット手を加えられた感じもするが、黄鉄鉱(?)が光っている。林道に戻り100mも行かない道の脇に崩れた坑口

があった。入口は土砂で埋まっているが、その先の上部が口を開けているので、そこから内部に入るが、3m位のと

ころで水没、竪穴に水がたっぷり入り込んでいた。さらにその坑道上には大きく陥没したところがあり、自然陥没か人

工的に掘り下げたのかは不明だが、下部の坑道と思われるところは水没していた。ここにも鉱脈がある。陥没したと

ころをのぼり先に行くとチョットした平地があり、回り込んで降りると、なんと坑口あり、ここも土砂で埋まり上の方から

内部を見ることできる。水没していない感じだが、内部に入ることは出来ない。

 

日本地方鉱山誌によると…

坑口は、平松坑、朝日坑、鷹羽坑などがあり、明治・大正時代銅山として稼行されていた。鉱床は流紋岩の珪化帯中

の石英細脈よりなる網状鉱床と粘土化凝灰岩、流紋岩中の鉱染塊状黄鉄鉱鉱床である。銅鉱脈としてはいずれも細

脈であるが、脈品位が高い。

 

 

越路沢左岸にある平松坑                       越路沢右岸山中にある階段 この上に坑口あり

 

  

階段を登っていくと坑口がある                     山中の鉱脈 露天掘り跡

 

 

 

山神社 鳥居と祠                                 奉納札

 

 

越路鉱山地形および地質図 (地質調査所月報・昭和25年 栃木県越路鉱山における電気探鉱について)より