徳川吉宗
〜近代社会への布石〜@

 
 
260年続いた江戸幕府のちょうど真ん中で将軍を務めた8代将軍
徳川吉宗。彼は江戸幕府の「中興の祖」と言われ、現代でもドラ
マで取り上げられ、人気があります。

彼の功績は、その当時の国家財政の建て直しにとどまらず、日本
が近代国家へ脱皮する際の布石も用意されていました。

今回は異色の治世者、徳川吉宗について考えてみます。

吉宗は1684年紀州藩主徳川光貞の四男として誕生しました。
四男であることと、母の出自の身分が低かったことから、一生部屋住み
で生涯を終えるものと思われていました。

ところが1705年、兄達が続々と亡くなったため、思いがけず5代紀州藩
主に就任することになります。22歳の時でした。
当時紀州藩は将軍家との婚姻、火災で焼けた江戸屋敷の再建、そし
て相次いで死んだ兄達の葬儀費用などがかさみ、幕府から10万両も
の借金がありました。

これに対して、吉宗は藩政改革に取り組みます。まず藩士達への減俸
、また領民への増税も実施します。一方で質素倹約を実施し、支出
を減らしました。

さらに、庄屋大畑才蔵、地方巧者(今風に言うと土木技師でしょうか)
井沢為永を採用して新田開発に取り組み、藩への収入を増やします。
こうした努力が報われて、11年後には幕府からの借入金も返済し、
家臣の減俸も元通りとし、藩庫には余裕の金銀や米穀が備蓄される
までになりました。

1716年、7代将軍徳川家継が死去すると、幕閣や大奥の後押しを受
けて8代将軍に就任します。

以後、1744年に長男の家重に将軍職を譲るまで、元禄バブルがはじけ
て課題山積の幕政に取り組みます(享保の改革)。

1751年に死去。上野寛永寺に葬られました。
ライン 猫
吉宗は非常に庶民的で、文武両道に優れた魅力的な人間だったと言われ
ます。その彼の功績を全て取り上げるのは、紙幅の関係上難しいのですが、
次の4点を次から見てみたいと思います。

@国家財政の再建
A物価問題の対応
B官僚制度・法治主義の整備
C教育の振興

 

 
 

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