ポール・マッカートニー

2002年11月11日・14日 東京ドーム

ポールはスゴい
 
60歳にもなって、ギターもベースもピアノもガンガン演奏して、強力なシャウトを交えた歌で3時間にも及ぶ1ステージをこなしてしまうからポールはスゴい。 ビートルズ〜ウイングス〜ソロ期のヒット楽曲&名曲がこんなにも沢山あるのだからポールはスゴい。個人的にはセットリストの3倍以上ものポール楽曲が僕のお気に入りだ。ビートルズ時代の楽曲をセットから外しても、きっとポールのステージはスゴいに決まっている。 しかも、ツアーの度に新曲が演奏されるのだからポールはスゴい。その新曲は「当たり前だ」と言わんばかりにクオリティが高い。そして、それは、実際に当たり前のことだ。 スゴい。ポールはスゴい
 
3度目の単独来日公演。過去2回の公演に比べ、最も「音楽的に充実したライヴ」だったと僕は感じた。過去の公演に僕が薄く感じていた「お祭り気分」が僕から抜け落ちたおかげで純粋に音楽が聴こえてきた、というのが真相なのかも知れない。言い換えれば、過去のライブでは随分とポールの音楽に対して寛容な接し方をしていたような気がする。例えば、『エリナー・リグビー』の不細工なアレンジにも関わらず、僕は目の前のポールが“かの名曲”を歌っている事実だけで、感激を底上げしてはいなかっただろうか。 今回の『エリナー・リグビー』はアコースティックギターとサンプラーシンセのストリングスが抜群のアンサンブルを紡ぎ出していた。掛け値無しに! つまり、あながち、僕の「脱お祭り気分」だけが、今回の公演の「音楽的充実」の要因とも言い切れないわけでさ。
 
今回の公演でポールをバックアップしたバンドは若く、力強かった。 思えば、デニー・レーンの例を出すまでもなく、ポールのバックバンドとして有能な人材とは、極端なまでにポールに気を使い、「飼い犬」としての責務をまっとう出来る音楽家ではなかったか。レコードに記録された音楽を忠実に再現できる能力だけを要求されていた、と言うか。 今回のメンバーは大雑把に原曲を再現するが、決して“コピーバンド”ではなかった。ジョージやリンゴのフレーズを逸脱したプレイが、明らかに“古典楽曲”を若返らせていた。幾分荒っぽい演奏は、ディナーショー的な指向ではなく、(ダサい言い方をしてしまうけれど)ロックショー(!)的な魅力に溢れていた。「今の音楽」を聴かせてもらった。 過去のライヴの主旨を「60〜70年代の楽曲を出来得る限り忠実な形で90年代にプレゼンテーションする」と見立てるならば、今回は「60〜70年代の楽曲を“21世紀のモード”でリメイクして適応させる」という主旨に思える。 そして、そんな主旨を完全に現実化出来る音楽家はポール・マッカートニーしかいない。瑞々しくリメイクされるクオリティの名曲を数多く持ち、現代のモードを的確に認識し、実現する能力を持ち続ける音楽家は条件的にも希有だからね。 やっぱり、ポールってスゴい
 
相変わらずサービス精神に満ちた構成のライヴではあった。しかし、今回のサービスは過剰ではなかった。むしろ、明確な意思と決意によって「最大公約数的なサービス」は抑制されていたと僕は思う。 '01年の傑作アルバム『ドラヴィン・レイン』の収録楽曲3連発〈!〉から、ポールの弾き語りに連なる時間が予想以上に長く、ビートルズの超有名楽曲の忠実再生を期待していた観客の大半がこの時間帯に集中力を欠いたのではないか? この時間帯の楽曲を全体の構成の中に分散させることは充分に可能だったはずだし、『恋を抱きしめよう』『ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー〜キャリー・ザット・ウェイト』といった楽曲では、せっかくの素晴らしいバックバンドを排して完全なソロスタイルを貫いた。 つまり、これこそがポールの決意だと僕は思う。60年代自作曲の強靭さ(つまり、21世紀に通用するかという命題)をポール自身が試しているかのようだった。21世紀向けに楽曲を鍛え直していた、とも言える。 『ミッシェル』に薄く込められた解釈の新しさは、そんなポールの意識がフィードバックされた成果と言えるだろう。 
 
つまり、ポールは一人でガンガン先に進んでしまっているわけさ。「60年代型のアレンジを期待していた観客」が味わった退屈とは、彼等がポールに取り残された証拠だと僕は思う。 ポール(ビートルズも含む)の音楽に付き合うという行為は、ポールの変化に取り残されずにリスナーも前進するということではなかったのか? 皆、ビートルズから一体何を学んだって言うんだっ? 客席の1人1人には過去にポールとの素敵な出会いがあり、今日に至る期間の変化・成長があり、僕達とポールはライヴの場で再会を果すわけでしょ? ポールは過去を懐古したいんじゃない。「僕達は成長したよね」って確認し合いたいのさ。だから、楽曲を成長させているのさ。ポールは成長する音楽家なのさ。 昨日は確かに在ったけれど、もっと大事な今日はまた確かに在るのさ。そのことをポールは『イエスタディ』『アナザデイ』『ヒア・トゥデイ』って歌うのさ。 ポールとの再会に幸福感を味わったアナタはポールと共に成長していることを素直に喜んで良いと思うよ。
 
だから、僕は思った。ポールは今も生きているからスゴい、と。 盟友が次々に死んでいく年齢を迎えながら、現役で弾き語りをし、目の前の何万人もの人間を酔わせ続けるポール(しかも、「死亡説」を乗り越えて!)。 不特定の人間と過去の一点(つまり無数の点)で接点を持ち、その継続によって歴史を構築し、再会し続けるポール。音楽を成長させ続けるポール。 生きているってことが、それだけでスゴい人物なんだね、ポールは。
 
ポールが過去の作品をたった1人で解体していくソロコーナーこそが、今回のライヴのハイライトだったと僕は強く信じる。 初公開の『ヒア・トゥデイ』がハイライトであったこととは別の次元で、ね。(僕には展開部で、1本のマイクにポールと向かい合うジョンの姿が見えた気がした。だから、スクリーンにはジョン・レノンを映し出す必要が無かったのだろう) さて、その中盤のソロコーナーで、僕は単純な事実に驚き、感激してしまった。 そうか、ポールって「演奏する人」なんだな、と。 当たり前だ! ポールはバンドの中でギターもベースも鍵盤も担当し、その音は実際に聴こえているんだからさ。演奏しているってばさ! でも、アコースティックギターやピアノの腕前は、年齢に似合わない若々しい声(時々、高音のシャウトが怪しかったけれど…)と同じくらい達者で、ポールが“現場意識”を放棄せずに精進しているのだと実感。これって、スゴいでしょ? スゴいよっ!
 
終盤戦のビートルズ楽曲を中心とした盛り上げフルコースは、もはやお馴染みの展開ではある。しかし、ポールの決意とバックバンドの熱意で若返った楽曲は僕の胸を打った。 僕の中では価値の低かった『レット・イット・ビー』も『イエスタデイ』も充分に名曲だった。 僕はウットリした。
 
ポールはスゴい
僕をこんなにも幸福にしてくれるから、ポールはスゴい
 
僕を成長させてくれるから、ポールはスゴい
 
貴方には、ずっと生きていて欲しい。

【メレンゲでGo!! home】