「朋美! 朋美! 早く起きなさい!」

「もう起きてるわよぅ!」

 鏡の前でねぐせのチェックをしながら、一階のお父さんに向かって大声で返事する。今日から中学生になるんだから、いつまでも寝坊なんてしてらんない。うん、大丈夫。真新しい制服に着替え、くるっとその場で回ってみる。上着は少し大きめだったりするので、腕を伸ばすと袖からは指の先しか出ない。

「おはよう。お婆ちゃん、お父さん」

 一階に下りて台所に入ると、割烹着をはおったお婆ちゃんと、ワイシャツの上からエプロンをつけたお父さんが朝食の支度をしているところだった。二人は揃って振り向いてあたしを見て、ぱっと笑顔になった。

「おはようさん、朋美」

「おはよう、朋美。制服姿、なかなかサマになってるじゃないか」

「エヘ、ありがとう! あ、手伝うね!」

 あたしがご飯やお味噌汁をよそったり、冷蔵庫からお漬物を出してテーブルに並べている間に、他の料理もできあがった。三人でテーブルについて、「いただきます」。これがウチ、仙堂家のいつもの食卓。お母さんはあたしがまだ覚えてない小さい時に、死んじゃったらしい。お父さんは『ムコようし』っていって、お婆ちゃんとは血がつながっていない。でも二人でいつも協力して家事をしたり、とても仲が良くて息があってる。怒られるときはその分二倍怖いけど、でも優しいときも二倍で、あたしは二人とも大好き。

「いってきまーす!」

「おう、入学式、ちゃんと出席するからな!」

 保護者より生徒のほうが集合時間が早いから、ひと足先に家を出る。地元の公立中学だから、歩いてもそんなにかからない。卒業した小学校の校門の前をとおりすぎ、隣の中学校の校門をくぐる。と、後ろからいきなり背中を強く叩かれた。

「ふっ……げほっ」いきなりのことで息がつまってむせる。

「よーうトロ美、相変わらずボンヤリしてやがんなっ」

「もー! けーすけ、その呼び方やめてって言ってるじゃないっ!」

 背中をさすりながら、涙目で抗議してみる。ムダだとわかってるんだけど。犯人はヘラヘラ笑いながらあたしの前を走り去っていく。幼稚園、小学校低学年の頃から、あたしのことを『トロ美』なんてあだ名で呼んでからかってきたムカつくやつ。これでずうーっと同じクラスだったんだから嫌になっちゃう。まさか、中学でまで一緒なんてことは……

……
11 須藤 順子
12 関根 圭介
13 仙堂 朋美
……

 クラス発表の掲示板の前でがっくりうなだれるあたし。

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「もー、最悪ーっ!! またアイツと一緒なんてっ」

「まあまあ、とろりん、抑えて抑えて」

 入学式の後で、体育館から校舎に移動する最中。やはり同じ小学校出身のマイちゃんにグチをもらす。彼女は彼女であたしのことを『とろりん』とか呼ぶのはちょっと気になるんだけど。ちなみに、「アイツ」は入学式が終わった瞬間に体育館を飛び出した。どうやらトイレをずっと我慢してたみたい。

「でも、関根くんとあんな風に喋れるの、私はちょっとうらやましいかナ」

「えー? アレのドコがいいのよう。ちょっとばっかりサッカー上手いだけで、あとはホントどうしようもないヤツだよ」

「そうやって、遠慮しないで話したりできるのがいいのよ」

「そんなもんかなあ……あれ?」

 通用口のところで、他のクラスの人たちが校舎に入らずに人だまりになってる。みんな、校庭の方を見て口々になにか言っている。つられて、あたしもそちらに目を向ける。

――なに、あれ――

 校庭の真ん中に、全身黒ずくめの人が立ってる。いや、あれはホントに人なんだろうか? なんか、少し離れてるのに妙に大きいような……あ……

 ぐりん、と首だけをまわして。

 顔と思えたところには何もなくて。

 でも、あたしにはそれが笑ったように見えた。

 ここまでが、あたしの『日常』だった。耳障りな、へんな発音の声が聞こえてきた。

《ココガ人間界カ。かすノヨウナ魔力バカリダロウガ、多少ノハラノ足シニハナルカ》

 そのとたん、まわりが一瞬暗くなって、体から急に力が抜けた。立ちくらみしそうになって、でも慌てて頭を振って踏みとどまる。でも、周りにいた生徒たちは、みんな倒れてしまっていた。隣にいたマイちゃんも。慌てて彼女を抱き起そうとして気づいた。

「死んで……うそ、そんな……」

 なんで? ついさっきまで一緒に話してたのに。マイちゃんの体は、あたしの手の中でどんどん冷たくなっていって。

「……え、なに、コレ……?」

 あたしの目の前で、マイちゃんは、そして他の生徒たちもどんどん透き通っていって、まるでガラスの像みたいになってしまった。服はそのままだから、それはよけいに奇妙な光景だった。

《ホウ。人間ニシテハ食イデノアルノモイルヨウダナ》

 また、あの声が響いてきた。わけが、わからない。でも、きっと、あの黒い何かが、みんなをこんな風にしちゃったんだ。そして。

 次は、あたしだ。

 そう思ったとたん、今までこわばっていた体が急に動くようになった。とにかく、アイツから離れようと走り始める。校内には生徒、先生たち、まだ無事な人もたくさんいて、すでにパニック状態になりはじめていた。その中から大柄な男の人が飛び出してきて、あたしとアイツの間に割り込んできた。手には長い棒――先がふたつにわかれている、さすまたっていう道具だ――を手にしている。今朝初めて会ったばっかりの、あたしのクラスの担任の先生だ。

「下がれッ!!」

 さすまたを構え、先生はじりじりとアイツに近づいていく。やっぱり大きい。先生も大柄だったはずなのに、それよりずっと……先生の頭はアイツの胸のあたりぐらいまでしかない。その体格差をものともせず立ち向かう先生を、アイツはまるで気にしてないようにゆっくりとこちらに近づいてくる。そして、いつのまにか。

――せんせいも、たったまま、ガラスのぞうになっちゃった――

 頭がからっぽになった。目の前で、アイツがどんどん近づいてくる。そのとき。

「バカヤロウ! トロ美、逃げろッ」

 聞きなれた声が、あたしを現実に引き戻してくれた。次の瞬間、アイツの顔面に何かが勢いよくぶつかった。いや、わかる。サッカーボールにまちがいない。

 たぶん、あたしは泣いていたんだろう。あのいじわるな言葉が、もう聞けないってことが直観でわかった。それでも足だけは勝手に動いて、学校の裏門まで逃げてくることができた。

「朋美、無事だったかッ!」

「お父さん!」

 入学式の後一緒に帰るつもりで、待っていてくれたんだろう、その姿をみた瞬間、一気に力が抜けてあたしはその場でへたり込んでしまった。お父さんは、そんなあたしに駆け寄ると、肩を強くゆさぶった。

「えぐっ、お、父さん、なんか、黒いへんなのが、みんなを……」

「朋美、しっかりしろ! 家で、清美さんが待ってる!」

「え……? お婆ちゃんが?」

「いいか、よく聞け朋美。仙堂家の血を引く、お前にしかできない使命があるんだ」

「な、なによそれ! そんなのあたし知らない!」

「さあ、ここは私に任せて急いで家に帰るんだ。うまくいけば、みんなを助けることもできるはずだ」

「あたしが……みんなを?」

 マイちゃんや他の生徒たち、先生、そしてあのろくでもない幼なじみの顔がまぶたの奥に浮かんだ。お父さんは、力づよくうなずく。

「ああ、それがお前の使命だ。ホントなら歩美の番だった筈、だがな……」

「あゆみ……お母さん……?」

 お父さんは少しだけ寂しそうな顔をすると、私の手を引いて立たせて、トンと背中を押した。うしろから、誰かの悲鳴と、またあの耳ざわりな声が聞こえてきた。

《ヤレヤレ、コンナ所ニイタカ。サッサト魔力ヲ喰ワセロヨ》

「走れッ! 朋美ッ!」

 振り返りたいのをぐっとこらえて、あたしは走り出した。

「朋美! 帰ったら、入学祝のパーティだからな!」

 涙で前がうまく見えない。わけがわからない。でも、あたしにできることがあるって。だから、あたしは、走りつづけたんだ。

(つづく)