音韻学上より見たる日本語の音声と正字法

 

1936年[昭和11]4月28日,日佛会館における講演 “La Phonétique Japonaise au point de vue Phonologique et son Application à l’Orthographe Nationale” の日本語訳.田中舘愛橘論文抜「Kuzu no Ne」収録のものを現代風に少し改めた.田中舘愛橘は,1885年の「理学協会雑誌」に,「本会雑誌ヲ羅馬字ニテ発兌スルノ発議及ヒ羅馬字用法意見」と「発音考」を発表したが,これが日本式ローマ字の原典とされている.前者は,田丸卓郎によって「ローマ字国字論」「ローマ字文の研究」で完成された.この論文は「発音考」を発展させたものと見ることができる.「発音考」が発表された時代は,音韻学はもちろん,実験音声学もできていない時代であったから,「将来,こういう方法で研究すればこうなるであろう」という推測や予想も多い.51年後に発表されたこの論文が,この見通しの正しさを見事に示している. Simizu-Masayuki

     

   ,      緒      言

 会長および諸君! 今日,音韻学上より見たる日本語の音声と正字法の問題を講演致しますことは私の深き感想を呼び起す所であります.顧みますれば1885年(明治18年)日本語の「ローマ」字書きが社会問題として初めて公衆に呼びかけられました.当時私は音声の研究に用いる機械を改良し,これによって音声感覚が国語の異りたる民族間に特殊の差異を現わす原因を客観的に解明したき希望を述べ一論文を発表致しました.この違いの起るのは聴音機関の特徴に帰すべきことは動物の発音の表わし方が各国語において異なることに顧みて明かであります.しかし1885年には「ヨーロッパ」においてもまだ音韻学が生れて居りません.また実験音声学においても,やつと原始的の不完仝なる蓄音記録に数理的解析の適用を試み初めた時代であります.

 然るに現代においては理学及び工芸科学,ことに電話,「ラヂオ」放送,また高速度の早取り写真の驚くべき近年の進歩により,この問題の研究が当時とはとても比較にならぬ程進歩致しました.私はここに少壮同僚の小幡教授,田ロ理研所員の最新の研究の結果をご紹介致すことを喜ぶものであります.また千葉勉教授の音声実験についても同様であります.これらの諸君は観測機械の構造及び観測法を改善せられ私の述べておきました問題の大部分を解決せられました.これよりそれらについてお話致します.

 人間の発する音声の研究は二つの方面より考えることができます.その一つは音声学方面,他は音韻学方面であります.私は今この二つの術語の定義を提供するものではありません.ただ音声学は音声それ自身の性質を取調べるもので,音韻学はこの音声の国語における活用上の体系を研究するのであると言うに止めましょう.言ひ換えれは,一は記述的解析で,他は有機的綜合であります.この二つの学問は互に相対立するものでなく言語学なる一つの母体科学の家の内における仲よき兄弟でありまして,両方とも正字法の研究には欠くべからざるものであります.日本語の音素の歴史的発達の細目を知らんとする方には有力な音韻学者菊沢季生氏の近頃出版されたる「国語音韻論」を推奨致します.

         母      音

 人間の発する音声は一般に母音,子音の二つに大別します.まず母音の性質を研究して見ましょう.それには本居宜長が考え出した図解をご紹介致します.本居は我々の前世紀における国語学者でありますが,私は同時に彼を音韻学者と呼びたいのであります.本居は「アワヤ三行弁」と言う諭文を書きましたがこれは百年間それが受くべき正当の注意を受けずに埋れて見捨てられて居りました.私はこの論文が著わされてから,百一年日にいささかこの図を書き改めこれに注釈を加えましたが,百五十二年目の今日更にこの注釈を拡張致します.

第1図

 

 第1図において,中心をずらして書いたふたつの円の間は,そこに書いてある母音をそれぞれ発音する時の口の広がりを表わします.右の方の矢は口の広がって行く順序,左の方のはそれがしぼまっていく順序を示します.すなわち,イ(I)から始まってエ(E)ア(A)オ(O)ウ(U)と続け,更にそれを続けて,イ,エ,ア,オ,ウと順繰りに循環して発音されます.私はこの図を「本居の母音循環図」(Cycle Motoori)と名づけます.第二図はこれらの母音を発音するときの日本語における口内の有様と英語における口内の有様を示したものであります.

 

第2図

 さて各々の母音はそれぞれに割当てられた場所の中に,国際間の国境の如く厳密なる境界を守って居りません.口は勝手な位置において発音ができますから母音の数は無限にあるわけであります.でありますが,しかし,音声を言葉の相互区別に利用するために各国語はある一定の数を取り定めて標準化致します.例えば,日本語のア,イ,ウ,エ,オの母音の如きはそれであります.もちろん標準と言ってもある範囲の拡がりを認めてこれを許容することは言うまでもありません.表音字系「アルフファベット」の如きものの各々の文字の音価,むしろ音素価は決して絶対的のものではありません.歴史的に見ましても,地理的に見ましても,これらは単に各言語においてある時代に基準化されて居るに過ぎません.あたかも各国における貨幣の価値の如きものであります.しかし,音素価は一旦基準化されれば貨幣の両替の如く容易に変えることはできません.音韻学の応用はかようなる基準化を国語の内容機構に適するように導き,その文法及び正字法を簡便にすることであります.

 本居の循環図を他の方面より考察すれば,重要な点に立ち至ります.この図の内にある小さな円をだんだん下の方へ引き下げ外の円との間をできるだけ狭くしたと考える.すなわち口がほとんど閉じ切らんとする点に達したと考えるのです.この位置において発せらるる母音の性質は通常の母音の性質と違わなければなりません,ここにおいて我々の発音は半母音,あるいは「フレー」博士の論ずる「緩衡母音」(Voyelle-tampon)というものになってきます.これは「ヨーロッパ」語においては多くの場合に書き表わされません.しかし,日本語においては,かようにして発せられる.イ(I)またはウ(H)またはオ(O)のようなどっちともつかない,あるいはこれらを混同したような音を場合に応じてそれぞれに言いもすれば書きもします.日本の辞書を見ますと,英語の Ink を日本語化して「インキ」(Inki)または「インク」(Inku)として二つの言葉ができております.上の表における言葉の比較をご覧下さい!

日本語において

Ink( ) を       Inki または Inku

Cook( ) 〃       Kokku

Guid(e)               Gaido

S( )tick( )              Sutekki

                               フランス語において

Coq( )          または   Coque

Lac( )                       Laque

Mer( )                       Mère

Bull( )dog( )         を     Bouledogue

 以上の日本語における例は日本人の耳に感じた所を表わしたものであります.そうして日本人はまた,そう感じた如く発音します.日本の教育ある人々でもしばしば英語の but, and 等を buto, ando等と発音するのはまことに耳ざわりであります.余程やかましく教育を受けた者でなければ本当の英語風の発音はできません.上の「フランス」語の例は,上は字典上の区別で,終りのものは,日本語におけるも同様に,英語のフランス語化であります.

 本居は上のように口が狭くなればア・オ・ウはワ行子音に近づき,エ,イは,ヤ行子音に近づくと考えて居ります.すなわち母音が子音になり掛るのであります.      

 

第3図

 そこで,今,第3図の内側の小円を,も少し引き下げて,二つの円が互に切り合うとすれば循環の系路が全く遮断され,イ(I)とウ(U)は完仝に別れて,半月形の両端にYWの半母音が残ります.ここにおいて,この半月形の円弧を直線に変形すれば,「トルベツコイ」氏の基礎母音を表わす三角形となることは直ちにわかります.

 この三角は「ニュートン」の基礎色彩の赤,緑,すみれを頂角に置ける三角形との比較を思い起こさせます.この三つの基礎色彩によって三角の面における一点で任意の色彩を表わすことは既によく知られて居ります.この本居の循環図を見てア(A)なる母音を発音し,直ちにこれに引き続き,ウの音を発音すれば,口はどうしてもオ(O)の発音に割りつけた位置を,どんなに短い時間であろうとも,通らなければならないから,かような慣例が引き続けばアウ(au)が遂にオー(ô)になります.日本語の「会う」(au)という動詞が遂に「オー」(ô)となり,両方とも現在使われて居る.同じ傾向が「ドイツ」語の「ファウスト」(Faust)がフランス語化されて「フォースト」になります.同様にア(A)イ(I)を続けて言えば,エ(E)の口の位置を通りますからアイがエになります.すなわち日本の俗語において「いけない」が「いけねー」と発音されます(Ikenai→ Ikenê).同様に「フランス」語にておいても j’aimai jémé となる.こういう具合でこの三つの基礎母音を適当に調合し,すべての母音を編み出すことは,あだかも赤,黄,青の三色版ですべての色彩を現わし得る如くです.ただしこれには黄と青は緑とすみれの代りに用いられて色の感覚を調和しておりますが,これまた聴覚現象においても似よった現象であります.(第4図)

第4図

 

 ここで考うべきことは二つの母音が完全に融け合つて一つの新しい母音を作り上げたか,または二つの接近したる母音の寄合として存在するかの問題ですがこれは後に述ぶる如く「フィルム」の逆送りの実験によつて明確に解決されます.

       母 音 系 統         ’`

 「トルベツコイ」氏は「母音系の音韻論」において更にこの考えを進め母音の二つの形態に到達しました.一つは三角型,,他は四辺型であります.母音に特有の音調は左方より右方にはかり,その声の強さは水準的に下方より上方に計ります.この二つの型は国語中に別々に,或は同時に存在し得るものであって,例えば次の「ポラベー」語と「マルヒフェルド」語の如き他にもたくさんの例があります.

       フオルマント 

 母音は一般に多数の倍音でできていますが,その中に低調と高調の二つの特殊の音調があり,それで母音の性質を成して居ります.この音調は発音の状況如何にかかわらず,不変なることは既知の事責でありまして,これを「フォルマント」と云います.そして聴覚の教育を受けた者は甚だしき困難なくこの二調を識別することができます.

「グロート」教授はこの前項の母音の並べ方を数量的に考えこの二つの「フォルマント」を目安にした直角座標で図表を作り幾何学的の一点の位置によってこれを表わすことにしました.低音調の「フォルマント」は声音の強き方ですからこれをY軸として上の方にはかり(ピアノでいえば鍵盤の左手),この水準において音調の高い方(鍵盤の右)をX軸にとり,XYの交わる点にそれ相当の母音を当てる方式にしました.「オランダ」語においては母音が音色によって次の第五図の様に明暗の二種に別たれます.

第5図

この図を見れは発音の明るい方の母音は三角型に属し,暗い方の母音は四辺型に属することがうかがわれます.

 英語においては長母音と短母音の二つの型に分れる.そして次の第6図に見る如く長音系は三角型に属し短音系は「パラボラ」に似た型をしております.

6

 

 小幡氏の研究によれば,日本語のAEOUの四母音の「フォルマント」は各三つづつあり,Iだけが二つの「フォルマント」を持つています.ただしこれの高調の方は語の中間にあると語の終りにあるとによって位置が違うというのであります.従つて「グロート」式に表わさんとすれば低音水準に点を二つ書かなければなりません,即ち第七図の如くであります.

      第7図

 

ここに表わした点は厳密な意味で,幾何学的な点でないことは勿論であります.これらの国語を話す国民の間に多少の開きがあるのですから,これは十分に多数のものについて平均をとらなけれはなりません.

 上の二つの例が示す如く各国語において母音系統を定めるには,各国語それぞれの特殊の規則に従うのであります.中国語においては,かの外国人がすこぶる困難を感ずる五声(陰平陽平上去入)の声に従うから一層複雑な形態を見るでありましょう.

 更に詳しい方法で小幡氏は日本語ならびに近接諸国の国語,地方訛等を入れて研究し,これを平均して次の図の如く日本語の「フォルマント」を表わしております.

 この方法は「フーリエ」式により音波を倍音に分解しその中から「フォルマント」を選み出すのです.この分析の例として第8図に尺八の「ロの音」を分析した倍音を第九図にそれから得た「スペクトル」を示します.これで見る通り原音の波形は前後違つて居るに関わらず,分音は皆前後対照的に揃つています.これは後で説明する如く,「トーキー・フィルム」を逆に回しても音素の性質が変わらない事を証明します.実際耳に感ずるのはこの倍音で,曲線の形はその重ね合わせを示すに過ぎないからむしろ第15図の如き濃淡縞の方が実況を好く表わします.

第8図

第9図

第10図

 

        聴 音 器 官

 子音の性質を研究する前に聴音器官の働く範園の限界を簡単に見渡すことが便宜と思います.目の視覚器官に対しては,これの生理的および解剖的欠陥,例えば色盲あるいは乱視の如きものの特性を調査する機械が早くからできていました.しかし,聴覚に對してはたしかな力学的基礎に基いて作られたる「オージオメートル」が実際に応用されるようにたつたのは最近の事で,この機械を用いて音調の高低に従つて聴覚の最小と最大の限界を

第11図

 

たしかめることができる様になりました.上の第11図で見る通りこの限度は音調の高さで違いますが,一番耳に感じの良いところはCあたりの音でその強さは千分の一「バリ」すなわち1気圧の約十億分の一でそれ以下の強さのものは人間の耳には感じません.これが録音機の記録に現われて居ても言葉の音に聞えないのです.また,強さの方はCのあたりが一万「バリ」位,すなわち一気圧の1「パーセント」くらい以上になればただ耳に痛みを感ずるだけで音としての感じを与えません.

  註 米国ではC,GS,の圧力単位を「バール」と称しますが,国際的にはこれは「バリ」(Barye)で,「バール」(Bar)はその百万倍すなわち約一気圧です.

 音は各個人に対し感覚の度に著しき違いがあり,一般に言って,標準的の聴覚を持っておる者は,かろうじて40%位しかないということが分かりました.第12図は6%,26%,36%,42%聴感の欠陥を計った結果を表わす図表です.更に音階の細かな差別を聞き分ける能力および多種の音の混合を聞き分ける能力にはなお甚しい個人間の差別があります.ですから,ただ聴覚にのみ依頼しておる音声研究家はよろしくその聴覚の感度を測定する必要もありましょう.

第12図

 

 

        子      音

         一般の性質

 子音も母音と同様の方法によって研究され得るのであります.ただしその構成ははなはだ複雑であって,しかもその継続時間が極めて短い,1秒の1000分の1を単位として計る程度であり,その上個人的差異は母音に比してより多い.従ってこれらに対する「フォルマント」は母音のそれの如く確かめられ難いのであります.しかし小幡氏は日本語における主要なる子音の「スペクトル」を測定しました.ただし母音の如く平均数を与うるには至つて居りません.

 思うに,子音の性質が各個人によって聞き取りの差の著しいのは,短時間の間における「フォルマント」の変化に加うるに相互間の音調隠蔽作用のため音響型式を歪めるによるものでありましょう.小幡氏はDz子者の1000分の50秒間における発生状態を研究し,倍音の種類によりその成長の状況に著しき変化あることをたしかめて居ります.

        トーキー・フィルム

 他の方面において田口君は「トーキー・フィルム」の録音機を改良し「フィルム」の任意の部分に消した加えた上,これを復音せしめ,また「フィルム」の濃淡縞を光度計で曲線に直して解析し著しき効果を挙げられました.同君の好意によりこれらのデータに恵まれましたから,これによって日本語における音素構成の一般状況を理解することができます.この第13図にある12の子音はこれに5つの母音および2つの半母音を加え,19の音素で本来の日本語を書く正字法には必要にして且つ十分なるものであります.今これらの子音を発音器官の部分に従って分類することを止めて,これを有声子音,無声子音の2種に大別し,まず無声子音を論じ,しかる後有声子音に及び,続いて半母音に及びましょう.

第13図

 

       無 声 子 音

 日本語の無声子音は清音と呼ばれるK,S,T,Hの4つですが,これにHの半濁音と呼ばれるPをくわえて5であります.これらの図表は第13図の左上にあります.

第14図

 

 無声子音は母音を伴なわなければ聞くことのできないものですから,まず第14図に示す如く「ク」「ケ」の如き発音を「フィルム」に写しとってみますと各々明瞭に区別される3つの部分が現れます始めのきわめて短い時間に起こる子音「K」に相当する部分,終わりの比較的長い部分の母音「U」に相当する部分,この2つの中間にもう1つきわめて振幅が小さくなって居る部分があります.この中間の部分は全く音声の性質に関係しない部分でありますからこれを潜音部と名附けます.すなわち,この部分を切り取って縮めても,またそれと反対に人工的に引きのばして機械にかけて復音させてみても,やはり「ク」という音が聞えるのであります,然らばどれ位に「K」と「U」の間の時間を離しても発音が変らないかといえば,この「K」に当たる部分を「U」に当たる郁分から0.3秒以上離せば子音が全く聞えなくなって只「U」「ウ」という母音だけが聞えるのであります.「ヨーローパ」語では子音を,”Consonne”といい,母音を件なわなければ音を発しないものとしてありますが,この共響きは0.3秒以上離れれば無くなるのでありますから,そうなれば,Consonne”Con”は意味を失ってNonsonne(ノンソンヌ)になります.そこで,今度はこの「フィルム」を逆送りにして聞きますと,像想通りやはり「U」のみが聞えて,終りの「K」の部分は聞えません.ただし,これは日本人のふつうの人の耳に対してであります.これですから本来の日本語には無声子音で終る言葉がないことになります.「U」の代りに,他の母音をつけて試みても同じ結果を得ます.

 自然界の物体をたたいてみて,その音を聞いても同様な現象が現われます.例えば,楽隊で使うトライアングルをを叩く鎚をきれで包んで叩いた時と,包まないで叩いた時とは違った昔が聞えますが,この二つの昔を「フィルム」に記してみれは,ほとんど区別がつきません.ただ極く始めのおよそ1秒の百分の一位のところに違いが現われて居ります.ここが,すなわち,人問の発音の子音に相当するのであります.そこで,この二つのフィルムを逆送りにして聞いてみると双方共同じ音に聞えて,すなわち始めの子音に当たるような部分は聞えません.以上の結果はまったく意外の新事責であります.それゆえ,田口氏は発音者も聞き手もいろいろと変えて実験を行なってみましたが,当り前の日本人には一般の事実なることがたしかめられました.

 そこで,更に「ク」と「ケ」と続けていつて,「フィルム」に写して復音させれば予想通り「クケ」といいます.ところが,これを逆送りして聞きますと「エク」と言って,終りにあるべき子音「K」は聞えません.そして,ここに「ク」と聞える音の「K」は前の綴りの「ケ」に付いて居った「K」であったのであります.これでみますと,子音と母音の独立して存在して居ることは明らかに分ります.すなわち物理的に音声の音素が証明されたわけであります.

 上の如く[フィルム]を逆回しすることによって前に述べました二つの母音の接近したるものと一つの新しい母音に成上ったものとを区別することができます.

        有 声 子 音

 有声子音は三種となります.

  (1)濁 音  G Z D B

 これらはそれぞれの清音と同列に第13図の右上に出してあります.

  (2)鼻 音  M N

  (3)流 音  R                ・

 この(2)(3)のデータは同図の下方に見られます.清音と濁音の関係は少くとも日本語においては(K:G)/(S:Z)/(T:D)であり,Hの濁音はBで,半濁音はPなりと考えられて居ります.思うにこの概念は(H:W)/(P:B)/の相互関係より由来するものでありましょう.それはとも角,G・Z・Dの波形の中にKSTの波形がそれぞれの潜音部に現われ,Bのデータの中にはH・P・W・Mの波形が含まれて居て,これらの大抵のものは任意の一部を残して他を塗り消すことによつて,濁音の「フィルム」からそれぞれの清音を引出して発生させることができます.

 無声子音の濁音化は無意識に行なわれることが多く,これは一方において音声の角立って聞えるのをやわらげるためと,“他方においは語意を強めるために勝手に話手の気持次第で行われるようであるが,しかし,まったく音韻の拘束を受けないことはない.上の四つの清音は主音素(Archiphonème)と称せられるものに当たり,それらの濁音は倍音素とでもいうべきでありましょう,

たとえば

  任意的のもの :  Yamakawa --- Yamagawa ;  Tuitate --- Tuidate

   拘束的のもの :   ippa --- niwa --- sanba ;  ippon --- nihon --- sanbon ;

                   ikken --- niken --- sangen

   意味を強めるもの :  mohara --- moppara ;  yohodo --- yoppodo

 

          拗    音

 子音と半母音と母音と三つの音素の続きによって現れる特殊の音は拗音と名付けられています.この子音と母音の間に挟まる半母音がその前後の音素の聞き取りに変化を与え,自然の声をもじった感覚を与えるのでこれを外来音と考えた人もありますが,実は国語の進化によっても自然に発生し得るものであることは下の図の例で明らかに分かります.

 拗音はYWの2つの半母音でできる二種ですがYの法は広く用いられ,Wの方はKとGに伴いその行われる範囲は現代語においては地域的に限定されています.東北地方で桑,鍬をKwaと略言するのをみてもこれが必ずしも外来音でないことが分かります.

第15図

 

 これを「トーキー・フィルム」の実験にかけてみれば,これらは国語の「フォネーム」の集合に他ならないことが明らかに分かります.例えば,英語における”Japan””Ja”(ヂャ)を「フィルム」に写してみますと,第15図に示す如く,三つの部分から成り立っておりまして,始めのごく短い部分は「D」に当たり,つぎの少し長いところは「Y」に当たり,その終わり,もっとも長いところは[A]に当たります.そこで,おもしろいことには,始めの部分を墨で塗り消して復音機にかければ「ヤ」といいます.また,つぎの「Y」に当たる部分を塗り消して復音機にかければ「ダ」といいます.また,始めの2つを塗り消せば「ア」というように,各部が日本語の「音素」に当たるのです.よって,「フィルム」に写された母音子音の音素を一字一字に相当するように切り離してこれを適当に継ぎ合わせて,任意の言葉を発音させることができるわけであります.このように組み立てた言葉のつづり方は今広く知れ渡っておる日本式というつづり方によってのみ行われるのであります.すなわち,一字一音素という正しい組み立てになっているからであります.日本式の簡単な説明は,1931年パリーに開かれた万国地理学会に出しました説明書に書いてありますから,これもお手許に差し上げてあります.実際,日本の古い伝来の歌集の中にある一首の歌をこの日本式で書き,これを逆に読んで「フィルム」に写し,そうしてこれを逆送りにすれば,その元の歌を正しく朗読しました.たとえば,”Ezakutama”と言ったのが “Amatukaze”となって聞えます.それですからそれぞれの音素に応じて,自動的に働くタイプライターが作り得られ,これで当たり前に話した話が直ちに印刷され得る機械が考へに浮んで来ました.(今これの実現に向って研究を進めて居るものも有ります.かの英語の発音習慣に従つて綴つた「ヘboン」式では,到底こんな事はできません.)

        音素の聞き分け

 音声は言語における音の続き工合によつて変化を受けますけれども,通常その特徴の要素を保存して,状況の変化で起る多少の差引きはその国民には大抵無意識であります.けれども外国人には大概聞き分けられるのであります.また,これと反對にこれを使う人には区別の必要があっても外国人にはほとんど分らないものもあります.

 たとえば,RLは日本語の音素の「バリアント」で無差別に使われますけれども外国人は明瞭に聞き分け,全く違った音素となって語意の差別に使われます.「ポリワノフ」は日本の子供はHAKULANKAIといってHAKURANKAIとは言わないことを注意して居ります.日本語で区別しなければならない直音と促音,長音と短音の区別をしない外国人が少くありません.

第16図

 田口君はKIE,A,OUの母音を付けてキケカコクと呼べばその母音の影響で「K」の性質が5種に変わって現われることを第16図に示しました.その主な波の振り数はIの前で3000Eの前で2100,Aの前で1400,Oの前で900,Uの前で1120となることを確かめました.しかし,これらは日本語においても「ヨーロッパ」語の多くにおいても,ただ1種の音素Kと認識されております.しかし,「アラビア」語においてはこれをKとQの2音素に区別されることになっております.

 「ブューレル」(Bühler)は次の驚くべき例を与えております.すなわち「キャッチ,チェルケッシュ」の国語においてはこの音を6種の音素に区別して用いられ,それぞれの符号によって書けば  に対応した音で,これらは,ドイツ語ではただ2種の音素にまとめてあるといっておます.今この田口君の実験の結果で見ればこの6種も実際であろうことがうなずかれます.

 母音を論じた時にもその組織は各国語において特殊の規則に従って類別される如く「ローマ」字なる文字は各国語のすべての音素を表わすようにでき上つていませんから,概括的にそれぞれの音價に馴染み,広く使われて居る處にそのうまみがあります.近年,中国語においてもこの研究が深く国語の内容に遡って進められ,いよいよ音韻学の効果が現れております.

音      便

 語路の好調,あるいは発音節約のために起る音韻の進化は本居の母音循環図に照らし合わせて見れば良く分かります.第17図においてweyの両側にありますからこの二つは中間のyになりdewadyaとなることがよく分かります.またebaがどうしてyaになるかと言えばBなる有声子音の波形図を見ればその中にmpの特にwの波形が現われていて,eからこのwを伝わってebaewaとなり,前例の如くyaとなってtorebatoryatatebatatyaとなることが分ります.

第17図

 

 かくの如き言語における音声の生きた働きの研究によって音素と言う概念が発生して,音韻学が生れでたのであります.それの応用は国語正字法に驚くべき光明を与えました.従前は「ローマ」字で音声を精密に写そうと試みた写音式正字法が唱えられたこともあったのですが,これらは既に過去の歴史となりました.パリの国際知的協力院が編成した報告を見れは,この旧式に従った正字法には1音素を表わすのに子音を7つも並べ立てたものがあります.先頃まで日本に居られた「ドイツ」大使「フォレッチ」博士の「チ」もztschと5つの子音を重ねて一つの音素を表わします.

        日本語の正字法と日本式つづり方

 日本式正字法においては26のローマ字の中,19字を用い,他の残りは外国語を記載する必要に充てます.単音を現わす3つの種類は,次の表の如く

 (1) 母 音  A I U E O  長める時は∧を上に書き,もしくは2字続ける.

 (2)子 音

(A)無声子音 K S T H P

   (B)有声子音 G Z D B M N R W Y

(3)拗 晋  子音と母音の間にWYの半母音ある時はそれぞれの拗音を作る.

        Nのはねる音の次ぎに母音,半母音YのくるときはNの肩に

(ポストロ)を付け拗音と区別する.

IUの前におけるSTの口蓋化および軟口蓋化は必要に応じてそれぞれの記号を付けることがある.DI,DUはその近似音ZI,ZUを使うことを許容してある.                            ,

 他に,C,F,J,L,Q,V,Xは外国語の記載に用いる.

 

日本式ローマ字つづり方

 

I・ はねる音にはすべてnを使う,例 AnmaKanban

2.つまる音には次に来るkstpをニッ重ねて書く. 

例 Sekkei, RessyaTeppôIttyômesappari

3.引く音には母音aiueoに∧をつけ,または(特に大文字の時は)母音を二っ重ねて書く,

例 KôbeOosakaTôkyô  大文字のみならはTOOKYOO.

4,ャ行のイエ,ワ行のウはア行のイエウと同じこと.

       発     音

日本語の発音においてはその1音素に対する時間の単位に注意することが大切であります.これは単に歌においてのみならず,通常の談話においても注意しなければなりません.

 長母音には2個の時間単位をあてる.

 撥音Nは1単位をとる.

 3音素より成る拗音は1単位をとる.

 重子音 kk, ss, tt, pp の次に母音のあるものは2単位をとる.この二つの子音の前のものは休息時間と称すべき単位があると見てもよい.

 例 Kandankei は3音節Kan-dan-keiであるが言う時間は6単位になる.すなわちKa-n-da-n-ke-i.(沸騰)Huttô Hu-t’-to-o の4単位.(不図)Huto Hu-to の2単位である.

         結      語

 国語の正字法は各国語の音系内容の概念に基くもので,単に外部より聞き取りたる音声のみに拘束さるべきものではない.音声には辞に必要な部分と不必要でも出る部分とある.「サー・リチャード・パジェット」は,言語は口を動かす「ジェスチュア」に意義があるもので音声は偶然に発する副作用であると極言し正字法の基礎は,その話し手の音系意識に重点を置くべきことを主張しています.中国語の「ローマ」字化はこれまで,いろいろの「ヨーロッパ」式によって試みられましたが,これらはすべて模音式で音系意識に基づかないもので,国民の音系意識にかなわないことがわかり,十数年来まったく新規のつづり字法を作成し,これを本年7月より公式に励行せんとしております.欧米人はこの式で「ペキン」を Beeijing と書くのを見てまったく驚いていますが,しかし Peking では

中国人の音調「アクセント」には適わないのであります.この Beeijing に比べれば,「ヘボン」式の Fuji Huzi と書き直す如きはまるで問題とするに足りません.

 我々は国語正字法の問題を過去五年間あまり,官設の委員会において慎重に論議し音韻学の原理に基いた大体上の如き正字法に達しました.願わくば最近に催さるる委員総会においてこれを確認せられんことを希望するのであります.これが一定すれば,我々の国語国文の整理改良に一大進歩を加え,各国民の間に我が文化を伝え,以て国際親睦を増進するであろうことは疑う余地がありません.〔註昭和11年6月26日委員総会において大多数で上の案が決せられた.〕

 諸君,終に臨み長き静聴を賜りたるご辛抱を感謝致します.ただ不幸にして私の「フランス」語ははなはだ不十分で申上げた事を十分に理解されたかどうかと心配致します.どうぞこの拙たない講演中いずれの点に関わらずご遠慮なきご批評またはご意見をお漏らし下されば有難き仕合わせに存じます.