昭和六年六月三十日午後一時二十分文部大臣官邸に於て開會

 

 出 席 者

會 長   田 中 隆 三君

委 員   永 井 松 三君  潮 恵之輔君  小 林 躋 造君  植 村 茂 夫君

中 川 健 蔵君  篠原英太郎君  藤 岡 勝 二君  長 屋 順 耳君

松 村 真一郎君  田嶋勝太郎君  大 橋 八 郎君  堀 切 善次郎君 

櫻 井 錠 二君  錆田 柴吉君  田中館  愛橘君  中 目   覚君

  福 永 恭 助君  

臨時委員  神 保   格君  末弘厳太郎君  櫻根  孝之進肘  宮 崎 静 二君

      菊 澤 季 生君

幹事長   芝 田 徹 心君

幹 事   森 山 鋭 一君  菊澤 季 麿君  山 崎 犀 二君  保 科 孝 一君


○議長(田中隆三君) それでは是から開會致します。一寸幹事から御報告申上げます。

○幹事長(芝田徹心君) 最初に委員の任命がありまして以来、御職名が変りました為めに委員の資格がなくなられまして、其代り新たに御加はりになつた方、又臨時委員の任命がありましたので、大分異動がありますから、それを一括致しまして御報告申上げて置きます。海軍の米村さんが御罷めになりましたので、其代りに昭和五年十二月十日植村さんが委員に御成りになりました。それから外務次官の吉田さんが御変りになりまして、新たに外務次官の永井さんが同年十二月十五日委員に御成りになりました。拓務次官の小村さんが御亡りになりましたので、本年の一月十二日に堀切次官が委員に御成りになりました。本年四月十日に臨時委員と致しまして、二荒伯爵と神保さん、末弘さん、櫻根さん、宮崎さん、菊澤さん此六名の方が御這入りになりました。それから文部省の政務次官の野村さんと參与官の大麻さんが御罷めになりまして、其代り四月二十八日に松山さんと工藤參与官が御這入りになりました。内閣書記官長の鈴木さんが御罷めになりまして、其代りに五月五日に川崎さんが新たに書記官長として委員に御成りになりました。それから法制局長官の武内さんが御加はりになりました。逓信次官の今井田さんが御罷めになりまして、其代り大橋さんが六月二十九日に委員に御成りになりました。それだけの異動がありましたから報告申上げます。

 前回の即ち三回の議事録の表紙に、疎漏で間違ひまして、昭和六牟六月十五日とありますが、是は五月の誤りであります。中の頁には五月十五日となつて居りますが、表の書き方に六月とありますが、是は五月であります。それだけであります。

 

○議長(田中隆三君) 今日は松村君に御質問を願ふことになつて居りますが、一寸前回田丸君の御演説の中に簡単なことで洩れて居ることを補つて置きたいと云ふ只今御申出がございましたので、それを伺ふことに致します。

○委員(福永恭助君) 田丸委員に代つて私から申上げます。次に申上げますことは、前回の總倉に於きまして田丸委員が時間の関係上言ひ落された点でありますが、本日同委員病気欠席に付、私から皆様に御話して呉れとの同委員の希望でありましたから、其ことだけを申上げます。去る一月三十一日附で田丸委員から各委員に宛てゝ石版刷の書面が送られてあります。是は本調査會第二同總會に於ける桜井委員の発言に閻しまして、田丸委員が『事柄の性質上二ケ月以上待つことを苦痛に感ずる』と云ふ理由の下に、書面を以て皆様に釈明を為した所のものであります。でありますから、是は当然此会議の席上に於て述べるべき事柄に属しますので、同委員は之を此席で朗読の上議事録に掲載すべきことを求められたのであります。併ながら此書面は既に皆様の御手許に届いて居りますから、朗読を省略致しまして、其儘議事録に掲載すると云ふことに致しては如何と存じます。それを御諮り致します。

○議長(田中隆三君) それは其通り取計ひませう。書いておきます(本議事録末尾掲載)それでは松村君………                                           

○委員(宮崎静二君) 「ひろめ會」から、極めて総括的のことを簡単に質問致したいと云ふので、御願ひ致して承知を得て居ります。

○議長(田中隆三君) 何卒………

○委員(櫻根孝之進君) 二十分間ばかり時間を戴きたいと思ひます。私は此度圖らずも臨時委員として御召しを戴きましたことを先づ以て感謝致します。先輩を差措いて甚だ僣越でありますが、私は問題の根本に付て日本式の方々に御尋ね致したいと存じます。

 私は明治四十二年に「ローマ字ひろめ會」に這入りましてより此方、殆んど全くローマ字生活を致して參りましたから、ローマ字生活としましては先づ丁年以上に達した訳でございます。又実用方面に於きましては、大正六年此方毎年夏休みの間に三千乃至四千の小學生徒にローマ字講習會を開いて參りましたが、是まですべて「ローマ字ひろめ會」の標準式綴り方を用ひて參りまして、其間何ら差支へるところを見出し得ないのであります。前回に於ける田丸博土の御説明、第三ローマ字綴り方と國家社会との関係の「B」の「f」に日本式を以てすれば現在の小學教師が容易に教へることが出来る。標準式では外國音の講習を要し、而もその成績は不満足であることは十分想像出来る」とございまして、ローマ字の講習について大に御心配の御様子でございますが、私共の経験に依りますと、左程気遣つたこともないやうでございます。と申しますのは、実は私共の講習會に働いて居るものは、小學教師だけの教養あるものではございませぬ。大抵は只小學校を出ただけの者、中學校、商業學校、工業學校の生徒達、若くは商家の店員などでございます。さうしてそれが殆ど面白半分に働いて呉れまして、毎日二時間、一週間十二時間にして先づ一通りの講習を終ることが出来るのであります。それに付きまして御參考までに大阪に於ける日本式に付て私の存じて居りまする所を申述べますが、日本全国に亘る所の諸大學學生ローマ字會なるものゝ中で、只今大阪帝國大學医學部となつて居りまする、元の大阪医科大學に於ける日本式の方々は、幾らありましたかと申しまするに、私の在職中には確か二人であつたと記憶致して居ります。是は或は私に特に御遠慮下さつね為めであつたかも知れ

ませぬけれども、兎も角それは二人でありました。更に岡山医科大学の方々のことを聞いて見ますると、大阪よりは確かに多い。現在では或は尚ほ多くなつて居られるかも存じませぬが、昨年春私の友達より聞さました所では、先づ三人とのことでありました。講習會に付きましては、元の緒方病院に於きまして、緒方医学士が看護婦達にローマ字の講習をして居られたことを聞いて居りますが、看護帰達は是までの標準式よりも日本式が寧ろむづかしいので困ると云つて居ることを、其看護婦の一人より聞いて居ります。兎も角標準式が日本式よりもむづかしいと云ふことを、未だ曾て経験致したことがありませぬので、従つて其点だけから見ましても、標準式を殊更に日本式に変へるの必要を少しも感じたことがございませぬ。

 実は田九博士よりもつと能く研究すれば、きつと自分の日本式に賛成することになると云ふ御懇書を戴き、又色々とパンフレツトをも頂戴致しまして、若し日本式がより理想的のものであると致しますれば、それに変はることを私は敢て惜まないのみならず、更に他に御薦めも致したいと思ふものでありますけれども、遺憾ながら私にはどうも其御趣意が分り兼ねます。又前回に於きまして博士より縷々御説明を戴きましたが、総括的であつた為かも知れませぬけれども、其巨細の点に於きまして、どうも理解致し兼ねました。それで茲に其重なる点に付て改めて日本式の方々、殊に田丸博士に御尋ね致しまするが、どうか理学者ならざる私共にも能く分りまするやうに、抽象的でなく具体的に明快なる御説明を御願ひ致します。

 第一の問題は名前のことであります。日本式の方々は「ローマ字ひろめ會」の標準式を名付けるに、英語風、英語式或は英語本位なる言葉を用ひて御出でになります。是はほんの名前だけのことでありますけれども、日本式の方々は之につながつて極めて重大なる意義を有たせて御出でになるかのやうに見えるのであります。と申しますのは、田中舘博士より截いたパンフレット「日本式のローマ字綴り方公用に就き重なる内外諸名士の所見」と云ふものゝ九頁、學士會月報第五百四号の別冊「日本式ローマ字綴り方公用に就き」の三頁、井上鉄道大臣への建議文に曰く、「是は昔外國人を偏重した時代の遺物で、民族的に自覚した今日の日本人から見ますと、甚だ体面を傷ふものと云はねばなりませぬ。況んや現今國際思想の重んぜられる時に当つて、列國環視の下に、徒らに英米人に阿ねるが如き綴り方を公然の書き物に使用することは、國際的減情の上からも甚だ面白からぬものと云はなければならぬ」とございます。是は前同に於きまして田丸博士の御言葉の中にも伺つたかと存じて居ります。

 又稚尾Hitosi氏の論文、「私がローマ字を御薦めする理由」と云ふものゝ三頁の一節に日く、「勿論茲に私の言ふのはローマ字の日本式綴り方のことで、外國式(shi等とやるへボン式等)の綴り方を理由なく固執するものは、日本民族の発展を害する國賊である」と書いて居ります。是は或る名前だけに付きて言うたのではないかも知れませぬが、少くともそれにかゝはつて居るかのやうに推察出来るかと存じます。

 併ながら是は感情の問題でありまして、理論ではないと思ひます。感情のことは人々に依つて異るものでありまして、私共も民族意識のことも國際思想のことも、一通り辨へて居る積りでありますが、是まで標準式を用ひて参りまして、それで別段英米人に阿ねるものとも、亦日本民族の発展を害するものとも、曾て感じたことがございませぬ。それで斯様なことは敢て問題とするに足らないと存じて居ます。私共の只知らむと欲する要点は、此英語風、英語式、或は英語本位と申しますことが、果して何れを指して居るのであらうかと云ふことであります。元来綴りの問題に於きましては、綴り方其ものとシンボルとを区別すべきであらうかと考へます。是は丁度家の建築に於きまして、建築の方法其ものと、それに用ひる材料とを区別するのと同じ訳であらうと存じます。それで建築材料なるローマ字のシンボルに付て見ますと、例へばchの如き英語では「ジヤンペン」―――私は独學で発音が間違つて居るかも知れませぬが――「シヤンペン」、「シヤグレン」、「チヤンピオン」「チヤーチ」、「キヤラクター」、「コーラス」等に於ける様に三通りの音価を与へて居ります。其中で唯一つ「チヤ」行の音価のシンボルとして之を用ひて居るが故に標準式を英語風、或は英語式等と云ふことは、全く当らない言葉であるかのやうに思はれます。さうかと思ひますと、一方では又たtiを日本式に於ける如くchのやうに読ませることは、英語の中でも「クエステヨン」等に之を見るやうであり、又シンボルの問題を離れまして、綴り方其ものに付て見ますとシンボルの音價を区々にして居るところが英語の特徴でありまして、それが日本式綴り方と能く一致して居るかのやうにも思はれます。學者の説明は私に能く分りませぬが、日本式に依りますと特に夕行及びダ行等に於きまして、子音の音價が際立つて区々になるやうに思はれます。御手許に差上げました音価比較一覧を御覧戴けば能く分りますことゝ存じます。

 田九博士の御説明第二「綴り方の學問的評論」のb、「日本式綴りの音声的考察」のaに於きまして、「日本人の音は一種の自然現象である」とございまして、例へば「タ、テ、ト」と云へば、「チ、ツ」と自然に出て来る又「ダ,デ,ド」と云へば、「ヂ、ヅ」と自然に出て来る。それを標準式では揃はない表を使つて居る、と言はれたやうに記憶致して居ります。私は或は田舎に生れた為めであるかも知れませぬが、私にはどうもさう云ふやうに考へられませぬ。と申しますのは、私八歳の頃始めて小學校に參りまして、五十音圖を習ひました時の私の体験でございますが、どうも「タ、テ、ト」と云へば自ら「テイ、トウ」と出て来まして、「チ、ツ」とは出て来ませぬ。又「ダ、デ、ド」と云へぼ「デイ、ドウ」と出て參りまして、どうも「ヂ、ヅ」と出て參りませぬ。それで或は私の舌の運動に欠陥があるのではないかと非常に心配致しまして苦んで稽古を致しましたことを、今尚ほ其場所と共に能く記憶致して居るのであります。此事を田丸博士に御話申上げました所、それでは御前は生れながらの音声學者であるな、と御笑ひになられたことも御座いますが、私は決して斯様な天才でも何んでもないと信じて居ります。と申しますのは、其後幼い子供に付きまして、先づ「タ、テ、ト」と「ダ、デ、ド」との音を能く数へて置きまして、さうして其「イ」及び「ウ」の場合を言はせて見ますと、矢張「テイ、トウ、デイ、ドウ」と申しまして、「チ、ツ」、「ヂ、ヅ」と言はないのであります。是は理學的自然現象でないかも知れませぬが、寧ろ生理的の自然現象かも知れませぬ。斯様な訳

で學者の説明に依りますれば、或はむづかしいこともございませうが、どうも私共の常識判断に依りますれば、標準式では子音の音価には左程際立つて不揃ひの所を見ないやうでありますけれども、日本式では可なり際立つて不揃ひの音価を子音に有たせて御出でのやうでありますから、此点に於きましては、日本式が英語の綴りに能く似て居まするので、綴り方其ものに付きましては、日本式こそ寧ろ英語式であるかと思はれるのであります。是はシンボルの形に付てでなく、綴りの方法、即ち綴り方の内容に付てでありますから、若し第三回の議事録四十八頁に於ける田丸博士の御言葉を拝借致しますれば、所謂日本式は其形式に於ては、或は日本式であるかも知れませぬけれども、其内容に於きましては、実に英語式であると申すことが出来るかと思ふのであります。此事に付きましては、イギリスの有名な音声学者パーマー氏も能く之を証明して居るかのやうに思はれます。と申しますのは、田中舘博士より戴いたパンフレツトの中の井上鉄道大臣へのパーマー氏の申告書の一節に「是はヘボン博士の名に依つて世に知らるゝ綴り方に反して、英語に於ける子音の價値並に発音慣例を巧妙に適用したる云々」とございまして、英語の立場よりして、非常に日本式を礼讃して居るのであります。然るに尚ほ標準式を指して英語風或は英語式等と謂はれますのは、果して何を意味するものでありませうか,御説明を戴きたいものでありまず。

 第二の問題は綴り方の原則に付てヾあります。之に付きましては是まで雑誌或は書物の上に度々御説明を拝見致しましたけれども、除りに抽象的の言葉を多く用ひて御出でになりまする為めに、結局日本式の綴り方の拠り所が、果して何れにあるかを諒解するに苦しんで居る次第でございます。殊に今年の一月の日本式の雑誌ローマ字世界第二十一巻第一号に於ける「臨時ローマ字調査会の目的」と云ふ田丸博士の論文に、先づ官制第一條の「臨時ローマ字調査会は文部大臣の監督に属し國語のローマ字綴り方に関する事項を調査す」と云ふ個條を掲げた後に「問題は國語のローマ字書き方である。國語音のローマ字寫し方ではない。況んや人類音の寫し方では尚更ない」と云ふことを、委員の御資格を以て書いて御出になります。私共は人類でない日本人はなく、日本人の音声を現はさない國語が、吾國にあり得ない筈であると信じて居りますが故に、此田丸博士の論文を拝見致しまするに至つて、益々惑はざるを得ないのであります。又何事にも其法則の基準を定めますには其事件、或は人の大多数、或は大部分の利害関係を先づ考慮の内に置きまして、之を目当と致し、其一部分或は少数のものに付きましては、例外或は特殊の條件として之を扱ふのが順序であることゝ心得て居まするが、今日本式と標準式とを較べて見まするに、ローマ字綴りの全体より致しまして、其互ひの異なる所は、「ti. chi. tu. tsu, di. ji. du. zu. si. shi. hu. fu」等唯其一部分に過ぎないと申しても宜しいのであります。さうして是まで主に論議せられて居まする所を見ますると、寧ろ斯様な綴りの一部分に重きを置いて、而も残りの大部分に付きましては、不思議にも多く顧みられて居ないやうに見えますのは聊か主客転倒の嫌ひがあるかと思ひます。前回に於きまして、田丸博士は一字一音主義は既に頽れて、新しい音声學に依れば日本式が標準式よりも寧ろ合理的であるかのやうな意味のことぞ言はれたと記憶致して居りますが、其新しい音声学と思はれまするのは、どんなものでありますか。又其新しい音声學と日本式綴り方の基準とは如何なる間係を以て居まするか、それに付きましては何ら具体的の御説明を伺はなかつたかと存じます。それで此際日本式の綴り方の基準が果して何れにあるかを、はつきりと分りやすく具体的に御説明を御願ひ致します。

 尚ほ終りに成る可く誤解を避ける為めに、唯一言添へさせて戴きます。昭和五年十二月二十二目の帝國大学新聞に、「ローマ字綴りの統一」と云ふ田丸博士の論文が載つて居りますが、それには「明治十七、八年の頃には、欧米人が世界が欧米人の世界であるやうに振舞つて居た時代で、日本では何んでも欧米人に追従するのを能として居た時である。斯様な時に決めた所謂ヘボン式のローマ字綴りは、今日進んだ吾國には用ひることが出来ない」と言はれて居ります。此事に付きましては第三回の総会に於ける田丸博士の御言葉の中にも、同じことを伺つたと存じて居ります。又其際御配布を戴いて居りました刷物に拠るりまして、是は決して誇張或は煽動に類する御意思では毛頭之れなく、全く博士の真実と御信じになつてのことゝ承如して居りますが、私は博士とは全く立場を異に致しまして、今日の如く既に進んだ時代に於きましても、我々殆んど理想に近いものと思はれる所の標準式綴り方の土台が、未だ左程進んで居なかつた明治の始めに於きまして、能くも斯様に立派に出来て居たものであると思ひまして、今更ながら明治十八年のローマ字綴り方調査委員になられた四十人の先輩各位の勝れた御見識に敬服致して居るものであります。それで私は主義の為めに又國家の行末の為めに此四十人の先輩各位に對して、満腔の感謝の心を捧げる者であります。又田丸博士の御鞭撻の御蔭を以ちまして、私は実に標準式の有難味を悟り、先輩各位の御手柄を知ることが出来たかと思はれますので、此意味に於きまして、田丸博士にも亦衷心よりの敬意を表するものであります。皆様の御清聴を感謝致します。

○議長(田中隆三君) 田丸君は今日御病気で御欠席でございますが誰方か代つて御話が出来ますれば………

 

○委員(福永恭助君) それでは私が代つて答へられる範囲だけを申上げます。尚ほ外に我々仲問の委員が居りますから其方から答へて戴きます。

 第一に此ヘボン式と云ふ名前のことに付きましては、之は菊澤委員に御願ひ致します。完全な調査が届いて居りますから.....それから

 第二に、標準式のことを英語式と称する所以は何處にあるかと云ふやうな御質問でありましたが、是は旧ローマ字會の方針が、イングリツシユ・コンソナントを採ると云ふことにして居りますから、それから来て居りますのと、もう一つは「ローマ字ひろめ會」から出て居りまず『諸建白書及び參考書類』といふ本の中の櫻井委員の英文の御手紙、是が明かに説明して居るかと思ひます。櫻井委員はローマ字の綴方をきめる上に於て世界、ことに東洋及太平洋方面に於ける英語の勢力と云ふものを、無視することが出来ないと云ふやうな御説明でありましたから、是で能く御分りと思ひます。それから是は質問といふよりも寧ろ御意見かと存じますが、「大多数の利害を考慮せよ」と云ふことを仰せられたやうに承りました。が是は前回に田丸委員も言はれましたやうに、我々は大多数がどうかうと云ふよりも、正しい方を尊ぶ、和英辞書に幾らヘボン式が使つであるとか、中等學枚でヘボン式を習つた者が年々何萬人卒業するとか云ふことよりも、我々は正しいものに従ふといふ方針をとるべきものと考へて居ります。それから第四に、新しい音声學のプリンシプルは何んであるか、といふ御質問でありましたが、これは一音素一字主義、一字一音素主義であると御答へ致します。其次にそれならば日本式の拠り所は何んであるか、斯う云ふ御質問でありました。日本式の拠り所は、此前田丸委員の言はれたことで十分意を尽して居ると思ひますが、音声学的に精密に音を寫すと云ふことよりも、それは第二と致しまして、我が國語の音声組織を完仝に現はすといふことに重点を置いて居る。もとのとローマ字のことでありますから、世界共通のローマ字の音價と云ふものは勿論十分考慮してあります。ありますけれども、吾國語に於ける特殊の事情−−各國が各々自國語に於ける特殊の事情を考慮して居る如く考慮してあゝ云ふ風に纒つてあるのであります。

 それから尚ほ其外二、三ございましたやうでございますが、私の記憶洩れの所もありますから、外の委員から答へて戴きます。

○委員(田中館愛橘君) 一つ私の気付きましたことを申上げて見ますが、只今伺ひました本論の前に、日本式の講習を受けたものは、大阪には二人、岡山には三人と云ふやうな御報告でありましたが、現在の所は決してさうではないのであります。それの詳しい数は社団法人としての報告に出て居りますから、之を御覧になればよく分りますが、尚ほ念の為此次の會に数を調べて差出さうかと思ひます。只今では決して其位の数ではないと思つて居ります。名前のことは只今福永委員も御触れになりましたが、第二回の曾議の時でありましたか、私から大体の趣意を述べました時にも申上げましたが、ローマ字と云ふのは名の如くローマから起つた文学である。之を以て他の國語を書く為には、新う云ふローマの音と違つたものも書かなければならぬ。従つて二十六といふ限られた文字がどの國でも常に同じ音を現はすと云ふことは出来ないのである。音声学上の調査を致しますれば「カ,キ,ク,ケ,コ」の「カ、キ、ク」が既に子音が違つて居る。左程細かに行きませぬでも、音を現はすといはれるヘボン式に於きましても、例へば撥者、撥ねる音の書き方等に於ては、立派に日本人の区別し得る発音を区別してゐないのであります。是は過日皆様に差上げました菊澤君の「國字問題の研究」に詳しく論じてあります。音を寫すと云ふことゝ、國語を書くと云ふことは違つた問題であります。我々はローマ字を以て國語を書く。日本人の音に是々の音の一つの組織がある。簡単に云ひますれば、「カ」行なら「カ」行と云ふものを一つの音の体と見てゐる。動詞を取扱ふにも「カ」行の言葉、「サ」行の言葉、「夕」行の言葉と云ふやうに音を取纒めてありますから、さう云ふものにどう云ふローマ字を当嵌めるが宜いかと云ふ問題であります。それには日本式と云ふ名を以て近来呼ばれるやうになつた所のローマ字綴り方が適切である。否近来ではない、ローマ字といふものが日本に這入つた始りの頃から既に日本語の音の系統に依る所の日本式流のローマ字を用ひたものが現はれて居ります。最も近い所になりますと云ふと、黒川真頼さん、馬場辰猪、末松謙澄と云ふ諸君の書かれた物に、其傾向が十分現はれて居ります。今日の日本式の組織其儘だとは申しませぬが、其趣意に於てはそれと同様なものになつて居る。それから前後致して相済みませぬが、数育の難易と云ふことに付て、櫻根委員より御述べになつたのでありますが、是については第一回に小林海軍次官から「兵卒や水兵を教育するに、日本式綴り方が最も簡単で分り易い」と云ふ御説明がありました。是は櫻根さんの御経験になるやうな高等商業とか、専門学校とか、さう云ふ生徒に御教へになるには、相手が英語の知識のある者でありますから、英語に根拠を置いたヘボン式に類似した書き方が分り易いに違ひないけれども、さうでない無垢の日本人にローマ字を以て日本語を書くことを教へる時にはヘボン式では呑込み難い。彼等は自然的に日本式に書くのであります。我々の仲間の夥しい数が小學校生徒に教へた実地の経験によりますと、子供に學び易いことは日本式が一等である。尚ほ之に付て申して置きたいことは、近頃アメリカから子供の読む雑誌が届いて居ります。日本語をアメリカで生れた子供に数へる時に、片方には英語、片方には日本語、その日本語をローマ字と仮名で書いて居ります。そのローマ字には日本式が使つてあります。是らの人の経験に依れば、日本式の方は早く覚える。是は「ひろめ曾」の雑誌に現はれた報告に出て居りますが、メキシコの植民地で、日本式とヘボン式と二つに分けて子供に教へて見た。所が時間は三と二の比例で、ヘボン式を教へると云ふと、どうしても三の時間を要する所を、日本式で行けば二の時間で済む。このやうに我々の経験した所では櫻根委員の御経験とは全く反対の結果が現はれて居ります。是は陸地測量部長の石井少将が前の會にも御述べになりました。兵卒等に教へる時には最も簡単で學び易い。それで陸軍で之を採用した。それで大多数の者……今日大多教と云ふのは、多くは英語を學んだ者がローマ字を使つて居るのでありまして、ローマ字で真面目な研究を出すとか、本を書くとか、手紙を出すとか云ふ風な人の数を御覧になりますれば、斯う云ふやうな者は、日本式の方が多いと思ひます。今日大きな救科書の如きものを出して居るものを数へて見ましても、日本式で書いた物が多い。池野博士の実験遺伝學の如きは、第四版に及んで居ります。巳里の同じ専門のフランス人が是非読みたい、日本語の分る人でありますから、字引を引いて之を仕舞ひまで読んだ、分らぬ所は日本人に聞いて読んだと云ふことであります。又近頃は千葉の医學校あたりから出ます研究の結果を発表する論文にも、日本式で書いたものが現はれて居ります。それで勘定しますと、日本語を書かうと云ふ積りで本を書いて居る者には、日本式を使ふ者が多いと私共は考へて居ります。次に大多数と云ふことに付て注意を用しますことは、数と云ふものは時に依つて変るので、現在の大多数であるか、吾國家の将来に対して大多数の便利であるかと云ふことが大なる問題である。今日メートル法を行ふと云ふことは、吋、封度を使つて居る者と絞べたならば、極めて少数である。否、メートル法制定当時は今日よりも尚ほ尚ほ少なかつたのであります。然るに正しいものを使つて之を十分に拡めて、長く其影響を蒙らうと云ふ為めには、メートル法を用ふべしと決りました。故に法律に依つてメートル法を採用して、之を実行する手段に実はなつて居ります。英米は今までの旧来の吋、封度の用ひられます範囲が広く、其情勢の為めに之を一時に変へることが出来なくて、只今混用して居る。學問的の方面に於ては、成る可くメートル法を使つて居りますが、大多数の者は吋、封度を使つて居ります。併しそれだからというて、将来メートル法を使ふのはいけないと云ふ議論は成り立たない。否将来は必らずメートル法に統一すべきものと考へます。今日偶々ヘボンの辞書が出来た。統計上ヘボン式が澤山に行はれて居ると云ふことは、現代に於ける一時的の現象で、之に反して日本式の年々増して行くことは、是は「ひろめ會」の諸君から申されますと、日本式の者が悪宣伝をやるが為めに拡がる。熱心に悪宣伝をやると云ふことが、頂戴したパンフレツトに書いてあります。櫻根委員の御言葉にもありましたが、悪宣伝であるか善宣傅であるかは、是は公平な第三者の判断に委せることゝ致しまして、兎に角日本式なるものが宣伝だけで拡がるものでありませぬ。立派な本を書くと云ふ人は、唯宣伝に煽てられて書くと云ふ性質のものでない、更に第三者の立場に立つて居る外國人の批評したものを此前皆様に差上げましたが、之を見ましても、ローマ字を以て國語を書く書き方として日本式は合理的である。将来は必ず之にならうと云ふやうな意見が出て居ります。それでドイツ人のドクトル・グンデルトのドイツ語で書きました物を、日本文に翻訳して今日御覧に入れましたが、更に此翻訳文をグンデルトに見せまして、斯う云ふ翻訳を出したいが差支へないかと云ひましたら、大分翻訳の文句を直されまして、甚だ恥入つた次第でありました。茲に富山の日本ローマ字會支部が発行しまして出しましたから、御覧に入れますが、此結論を見ましても、外國人は今まではヘボン式で慣れて来た。之を変へると云ふことは聊か不便を感ずる。併ながら日本人がが日本語を書くとしては、是は将来に於ては決して見逃すべき問題ではない。故に此外國人としては一番終りに、「恐らくは近い将来に来るべき日本式ローマ字の勝利を予想し、日本式ローマ字を今から十分に能く研究して置く方が宜いと云ふことになるのである」と斯う云ふことを申して居ります。第三者の者が斯う言つて居るのであります。それで我々の日本将来に目指す所は−−櫻根博士は十数年前よりローマ字を自分で体験されて、博士御自身が教育をされたと云ふことでありますが、私はそれ程のことは出来ませんけれども兎に角此ローマ字に対しては明治十七、八年以来関係を致して居ります−−無論今日の数で云ひまして、多数に従ふと云ふことなら、全く問題にならないから、我が國民の将来の大多数に對して十分の利益を圖る。日本語を書く為めの利益を圖る。而して文法書を編集するとヱキセプションがやたらに出て来て小學の子供が苦しみ、英語だけに通ずる書き方をやつて、他の国語に通じない書き方ではいけない。是は英語の子音の用ひ方を採ると云ふことを、当時のローマ字會が言明して居りますが、英語の子音の用ひ方に従ふと云ふことも、厳密に申しますると、英語の子音の用ひ方がさうであるかないかゞ問題になりまして、厳密な意味では決してさうではありますまい。「ハヒ、フ、へ、ホ」のやうな所では、既に神保委員のやうな方でもhuの方が当つて居ると言はれる位でありますから、へボン氏自身もさう云ふやうな論を言つて居りますから、決して音を寫したものではない。音を寫したものでないとすれば、言葉を寫す便宜を取って言葉と云ふものが活用する。動詞になつたり、形容詞になつたり、名詞になつたり、皆舵の取り方で変る。其働き方を便宜にして置くと云ふことは、國語を書く上に於て最も注意すべき問題である。是が我々の主眼とする所であります。國語を書くのであると云ふ点でありまして、大多数と云つても、今眼の前の多くの者が斯うだとか、店の看板がヘボン式が多いとかと云ふことは、無論私共にも分ります。分りますけれども、大臣の御示しになつた所でも、将来の小学校の生徒に、國語の者き方を教へるのに如何にするかと云ふことは、重大問題であるので、慎重な調査を要すると云ふ思召しでありましたから、我々は此立場から日本式を御採用になることを、切に希望する次第であります。立つた序に申して置きますけれども、書き物の中に何時も修正があつたやうでありましたが、鎌田さんの御演説になつたものゝ中にも、我々の事実として覚えて居ることゝ違つたことがあります。さう云ふものはどうか御訂正を願つて置いた方が、後の調査を進める上に宜からうと思ひます。簡単でございますが、心付いた点を申上げて置きます。


○委員(福永恭助君) 今の田中館委員の御演説から思ひ出しまして、櫻根委員の御賀問に対する御答へ洩れを発見致しましたから只今申上げて置きます。櫻根委員はローマ字世界本年一月号の中に、田丸委員が「委員」の肩書付きで書いた文章の中に「問題は國語のローマ字書き方である。國語音のローマ字寫し方ではない。況んや人類音の寫し方では尚更ない。」と斯う言はれた。その國語音のローマ字寫し方とは何んであるかと云ふ御質問をなさいました。是は御当人の田丸博士から答ヘて戴いた方が適当かと思ひますが、私共の解釈では、國語音を音声學的に精密に寫すホネテック・トランスクリプション(
phonetic transcription)を指して田丸博士が「國語音のローマ字寫し方」と言はれたものと思ひます。此調査會で調査すべき問題は國語のローマ字綴り方であつて、ホネテック・トランスクリプションではないといふことを言はれたものと思ふのであります。

○議長(田中隆三君) 是は中々容易に何時まで経つても尽きない議論の多いことだらうと思ひますが、是は斯う云ふ訳に行かぬもんでせうか。議事の進行の為めに日本式とか標準式とか、雙方の旗印を立てゝいらつしやるから、中々効能を述べ立てると際限ないでせうけれども、実際仮名文時から行けば、五十音あるか六十音あるか知りませぬが、其大部分が雙方同じだらうと思ふ。是は間違つて居るかも知れませぬが、私はさう思ふ。「バ、ビ、ブ、べ、ボ」と云ふのは日本式であらうが標準式であらうが同じやうに御書きになつて居るやうに私は見て居ります。違つて逞つて居りますれば、正します。其他大部分と云ふものは同じだと云ふことだけは事実だと思ひます。さうすれば或小部分の言葉をどう云ふ風に現はすかと云ふことが、結局議論になるが、それに色々學問上からの御議論もあらうし、或は便宜の上からの御議論もありませうし、或は既に斯う云ふ風に使ひ慣れて居るから、どうとか斯うとかと云ふ御議論もありませうが、一つ雙方違ふ言葉「サ、シ、ス、セ、ソ」にHを附ける方が宜いとか、附けない方が宜いとかと云ふ風に、それから論じ合つて見ると云ふ風な進行の遣り方が出家ないものでありませうか。それは主義の上から駄目ですか。

○委員(田中館愛橘君) それは数回今日まで試みられた。藤岡君も御承知ですが、「ひろめ會」の時に私も委員になりまして「カ、キ、ク、ケ、コ」は是は論はないではないか、「マ、ミ、ム、メ、モ」は是は問題はないではないか、仕舞に一つに来る。そこで議論の分れる所は片方の方は文法の組幟を組立てると云ふこと、一方は音を寫すと云ふことで、根本主義が違ふ。音を寫せば宜い、蓄音器になれば宜い。所が蓄音器ではいけない。蓄音機にすれば東北の「ズウズウ」も九州の「シヤキシヤキ」も皆蓄音器では別に出て来る。さう云ふものを書いては國語の書き方ではない。英語などを発音するにしても、スコットランド、イングランド、アイルランド、アメリカなど場所々々で発音の仕方は減茶に違ふ。で國語の書き方は発音を寫す問題ではない。是は國語をなして居る組織を書くと云ふ只今の組織の問題である。組織等はどうでも宜いから普通の耳に感ずる英語で習つた如く「チ」は「チャーチ」の「チ」で行かう、即ちイギリス人が耳に感じた通りで満足して行かう、問に合はせる。それで妥協すると、文部省の明治三十三年案は其式で、「シャ,シュ,ショ」(sya, syu, syo)は日本式を採るから、其代り「ジャ、ジュ、ジョ」(ja, ju, jo)はヘボン式でやらう、と言つた工合にして互に譲歩して決つたものが出た。出たけれども、それを両方が使はぬ。両方が駄目だ。其事は行政政治家としては御尤もな御意見である。あるですけれども、それは数回初めから試みられて行はれない。

○議長(田中隆三君) 行はれないと云ふのは、どう云ふ文字を書かうと、草書を書かうと、楷書で書かうと、篆審を書かうと同じ考へから行はれないと云ふことはありませうけれども、此會の始めに私の心持を申述べました通りに、要するに此方が便宜だ、此方が理屈に叶ふと、云ふやうな所を併せて、皆様の考へで斯う云ふものが宜からうと云ふ、多数の意見が当然出ませうが、多数の考へが斯うであれば、其決まつたことを普く広く日本國内に徹底するやうに、少くとも文部省の教科書として是からの若い人を導いて行く方法位までは出来ませう。又政府だけの力で出来る各官署の用ひ方等をやつて行きたい。尤も世間の管轄を離れて自由に使つて居つた文字を、斯う書くと決めた所で、是は法律を以て強制しない限りは出来ませぬが、少くとも差当つては子供に教へること、或は諸官署の言葉を統一したい。斯う云ふことから出て居りますから、此前には旨く行かなかつたかも知れませぬが、やはり今申上げたやうな意味で、皆さんの御意見をまとめると云ふことに行かぬものでせうか。

○委員(宮崎静二君) 実は議長から御話になりましたことも、何れ此會が進行致しますれば、必然にさう云ふ所に行く時もあるかと存じますけれども、只今伺つて居りりますれば、田中館委員の御話の中に私共標準式の主張は斯うであると云ふ風のことを御紹介下さつたことの中に、可なり真相と違ふかのやうに私に感ぜられることもあるのであります。それは御互に始終論じ合つて居るのでありますけれども、兎角我々は自分の思ひ込んだことは中々改め悪いと云ふ人間的の弱点を持つて居ります。或は私共の知つて居りますこどが、多少変つて日本式の方の御考の中に印象されて居るかも知れない為でせう。それで先づ標準式の方を代表して意見を述べさして戴く臨時委員としての私の立場から、本日は兎も角、此前の御演説に對して私共、御伎ひになつて居ります言葉の中にも、事実の中にも、多少能く分り兼ねる所もございますし、はつきり致しませぬ所もございますから、質問をさして戴きたいと思つて居るのでございます。さうして尚ほ其上で何れ此次の會合にはなるかと存じますけれども、私共は私共の立場から(先程田中館博士から御話がございましたが、ローマ字を使ふと云ふことは日本の将来の為めにと云ふことでやるのである、斯う云ふことがございました、其点に於ては私共も不肯ながら祖國百年の大計の為めにと云ふ点に付ては、人後に落ちない積りでございます。それで其点から致しますれば、私共は私共の綴り方でなければならぬと云ふ風の信念を持つて居りますのでございますから)其理論的な立場と云ふものを、兎に角今一遍だけ御聞きを願ひまして、其上で何れ討論になるのであらうかと考へますが、さう云ふ御進行を御願ひ致したい。斯う云ふことを希望するのであります。

○委員(末弘厳太郎君) 此前から今日にかけての議論を伺つて居りまして、私共から考へると、どうも、例へば茲に配つてあります所の物を見ましても、御互ひに大日本標準式、ローマ字ひろめ會式とか、所謂日本式、五十音圖劃一式、田丸式、何んだか、御互ひにへんな名前を付けて名前のことにこだわつて居る議論が前回から出で居る。さう云ふことを此會で御互ひに気まづいことを言ひ合つて、名前のことに付て御互ひにヘボン式は誰が云つたとか、誰式は誰が云つたとかと云ふことは御互ひに言はないやうに、議論の外に置いて戴きたいと云ふことを、私は一つは申したいのであります。もう一つは此前の會議の折、田丸先生御本人は、喋りたいことだけを喋つてさぞ気持が宜かつたでせうが、実は總會であれを聞くことは、反對の方等には随分御迷惑であつたらうと思ふ、平常から反對の方は日本式のことを研究して居られますから、隨分厄介だらうと思ひますが、只今櫻根委員の御話の如く、此上又御意見のあることを茲で遮ることは、此前田丸さんが独り舞台されたに対して、今度遮ると云ふことは不公平であるやうでありますが、總會の席で御互ひに細かいことを言ひ合つたら、何時までも切りがない。私共まで同情して色々細かいことを言つて見度くなるのでありますが、只今會長の御話では、違つて居る点、田中館博士の御意見と違つて居る所に根本の議論があるのでありますから、両方採るに付て斯う云ふ長所がある、斯う云ふ短所がある、個々の発音に付てヾなく、例へば斯う云ふことをすることが、将来の國字として斯う云ふ書き方が望ましいとか、或は斯うすることが今は便利ではないとか、今は便利であるが、将来はどうだとか、各々大きな特徴欠点があると思ふのであります。それは寧ろ私は此際特別委員あたりに移されて、さう云ふ問題をはつきりきちんきちんと長所短所を述べ合ひ、それを御当人は此欠点は斯うであるから、斯う云ふ風にしたら宜からうと云ふ風に行けば、根本主義に付ての纏りが、或る程度まで出来て来るかも知れぬ。出来ないならば、出来ないでも宜いではないか、何んでも無理に纒めて形式だけを纒めて行くと、此前の決議と同じやうに全く実行性のない、失敗に終ると思ひますので、願はくは両方の議論に付てテクニカルの問題に付て、茲で以て御互ひに言ひ合ふことを止めて戴きたいと云ふ希望を以て居る。重ねて申上げますが名前のことを御互ひに言ひ合ふことを止めて戴きたい希望を私は申上げる次第であります。

○委員(宮崎静二君) 名前のことゝ、それから進行のことでございます。名前に付きましては誠に御尤もなことでございまして、私も実は強ひて名前のことをやかましく言ひたくないのでございます。唯私が名前のことをやかましく我嗚り立てたのは、(若しかすると、名前をやかましく云ひだしたのは私が始めてであつたかも知れませぬが)私は始めは名前はどうでも宜かつたのでありますが、段々やつて居ります中に、私共の名前をヘボン式と云ふことが、宣伝の材料に使はれて居るやうな感じが致し始めましたので、私が名前と云ふことを問題にし始めたのであります。日本式の方々が御前の方では標準式と云ふ名前を使ふか、それならば俺の方でも其の標準式と云ふ名前を使はうと云ふあつさりした態度であるならば、名前の問題に付ては事なく済むのであります。例へば此前の田丸博士の御話の中に、世間一般がヘボン式と云ふ言葉を使ふ中はヘボン式と云ふ言葉を使ふと仰しやつたのは、一応御尤に聞えます。が今日に於てへボン式と云ふ名を使ふ人は、実際は六十以上の所謂ヘボンの辞書を御使ひになつた方は、さう云ふことを仰つしやる方もございますが、若い者ではヘボン式と云ふ名を使ふ者は実際、少ないのでございます。それで此頃の若い者では、重に英語の教科書若しくは何か小學校あたりでローマ字を習つて来た者に多いのでありますから、さう云ふもの(ローマ字)は大体は文部省の検定になつて居る本になつて居ります物の中に出て居りますローマ字は私共の式のものなのでございます。それで日本式の方々から御配りになつたパンフレツトの中に、菊澤さん、南日さんの出版の本のことが出て居つたやうであります。私は中學校の教師を二十五年やつて居りますので、英語の教科書は大抵献本として送つて貰ひますので、大抵は見るのでございますが、英語の教科書に出て居りますものは殆んど例外なしにと言つても言過ぎますまいが、多少の一、二の例外を除いて、殆んど皆私共の式でございます。今日何にも所謂日本式とか、標準式とか、ヘボン式とかと云ふ種類、名前を知らずに綴つて来た者は、ローマ字綴りと云へば、直ぐに私共の式を聯想するので、ヘボン式と云ふ名前を知るのは、是は日本式、是は標準式と云ふことを教へられて、此名前を始めて知るのでございます。私は少くともさう信ずるのであります。さう云ふ訳でありますから、ヘボン式と云ふ名前が天下に宣傅されて居ると云ふやうな意味に解釈せらるゝやうな、田丸博士の御話でございますけれども、それは少し事実に違ふのでございますから、さう云ふ意思で私共は兎に角さう云ふ風の意味に於て、自分達の式が多少誤つた意味に於て諒解されると云ふことを憂へる為めに、(私は三年前から運動を始めたのでございますが、之に這入るずつと以前から會では使つて居つた次第でありますが、)標準式と云ふ名前が出未て居るのであります。名前等はどうでも宜いから、御前達の宜いやうに標準式と云ふ名前にしろとさう云ふ風に此名前を御使ひ下されば、今後今日只今からさらりさつぱりと一切名前のことは申上げないのでございます。第二の進行のことでございますが、如何にも進行を圓満に致したいと云ふ気持は、私は皆さんと同じやうに持つて居るのでございます。けれども兎に角此問題は非常な重大性を帯びて居る所の問題であるが故に、斯う云ふ貴顕の方々も多数御集りになつて戴いて居るのでございますから、一回若くは二回回数が伸びると云ふことに依つて、片手落であるとか、若くは何んであるとかと云ふやうな風な気持を起させるやうなことは御止めになつて戴いて、無論其御思召でいらつしやるのでございませうが、公明正大なと云ふ意味で平等な機會を与へて、(私共が斯う云ふことを言ふと平等な機會を与へないで居ると云ふやうなことを考へて居るかのやうに聞えますが、さう云ふ意味でございませぬけれども)もう一遍私共の意見を話させて戴きまして、其上で又改めて進行のことに付ても、御考を願ひたいと云ふ希望を私は持つて居るのでございます。

○委員(松村真一郎君) 私は素人のことでありますから、玄人の御方々の出来るだけのことを尽して戴きたいと思つて遠慮して居るのであります。発言を御許し下されば素人は素人としての考を申述べて見たいと思ひます。私は前の會に田丸博士の詳しい御話がございましたので、実は田丸委員に私は質問致したい。私は何式に質問すると云ふのではないのでありまして、其御方々の御考を直接面と向つて御聞きしたいと云ふ趣旨でございますが、其問題に這入ります前に、田中館先生が今日色々御議論なさつたことがありましたので、それに付て私に質問を述べさして戴きたいと思ふ。

○議長(田中隆三君) 松村君に申上げますが、田丸君から特に自分の話したことに付ての問は、今日は代つて出席する福永君から、其他の方からなり御答をするからと云ふことでありますから……

○委員(松村真一郎君) それでは其積りで申します。今日承りましたことに付て、疑問が私の頭に素人的に起つたのでありますから、それを田中館先生に御尋ね致したいのであります。それは将来の國家の問題であると云ふことを御話になつたのが一つ、もう一つは櫻根委員からの御話にもありました官制の関係、其二つに付て私の考を述べて質問致したいと思ふ。此官制の第一條に、國語のローマ字綴りと云ふことがありますが、此國語と云ふ意味を私は古い國語と云ふことに眺めて居らない。是は田丸さんなりの御考へとどう云ふ点に於て一致して居るか齟齬しで居るか分りませぬが、田中館さんの御話に依りますと、将来発展して抱擁力の多い國語と云ふものを決めなければならぬ分けであります。茲には五十音圖と云ふことが問題になつて居ります。「タ行」に纒めてあるとか、「サ行」に纒めてあるとかぶ云ふことは、五十音圖の問題であります。私はさう云ふ問題の専門家でないのでありますから、詳しく研究も致して居りませぬが、五十音圖夫自身が大して時代の古いものでなく、日本の紀元千三、四百年の頃に出来たものらしく思はれます。五十音圖の作者は吉備真備と云ふ説もあり、慈覚大師と云ふ説もありますが、其前に太安麿に依つて古事記が出来て居る。問題の「タ」行の音に付て古事記を見ましても、其中に現はれて居る「チ」の字は「宇麻志阿斯訶備比古遅神」の「遅」は「須比智邇神」の「智」、「知訶嶋」の「知」、「八千矛」の「千」がある。古事記は五十音圖の出来た前であるとすれば、「タ」行と云ふやうに、行に纒めて考へずに、「チ」、「ツ」などの音声を個々別々に考察するの必要があると思ひます。古来の日本語の音が梵語を學び悉曇章を読んだ遣唐使、留學生などに依つて纒められて出来たものが五十音圖であらうと思ふのでありますが、五十音圖に囚はれただけの議論をして於りますだけでも、日本の國語に付て色々な問題が起りはしないかと思ふ。それのみならず五十音圖の出来るまでの年代の方が長く、五十音圖の出来てから後の今日までの方が短い位である。夫程のものであるから、五十音圖の何の行に纒つて居るとか纏つて居らないとかと云ふことを如何なる程度に重きを置きて考ふべきやは、中々研究して見なければならぬ問題であると思ひます。其点に付ては言語學者の教へを願ひたいのであります。更に此國語の影響は将来に亘る廣いものであると云ふ、田中館博士の言葉に全然同感である。そこで日本式に付て主なる問題は、日本式に付きましては二十六文字の内の十九文字だけを採用して居られる。そこで田中館先生は先刻、メートル法のことを御話になりました。問題が側に外れるやうでありますが、実は関係がある。それはvと云ふ字である。vと云ふ字は日本式はどう云ふ風に御取扱ひになるか。日本式の「ローマ学読み方」と云ふ本を頂戴して居るのでありますが、其中にローマ字は二十六あると云ふととが書いてある。二十六あつて、さうして、vにどう云ふ仮名が附いて居るかと云ふと、「ウ」の字に濁りが打つてある。それでありますと云ふと、日本式の御方々は日本のかなの中に「ウ」の濁りのある字の存在を認められて居ると思はれますが、それであれぼ「ウ」の字に濁りのある字は、日本式はどう云ふ音價を与へて、どう云ふ字を御使ひになるのであるかと云ふことを承りたいのであります。私は田丸博士に對する質問に這入る前に、此事に付て田中館博士に質問申上げたいと思ふのであります。それは「ヴ」と云ふ字が非常な重大な関係を将来の日本の國語に及ぼすのであります。それは明治十九年四月二十日に発布の勅令に、メートル條約と云ふものがある。條約は日本では法律と同じ効力を有つて居る。國民はそれに拘束されて居ると申しても宜いと思ひますが、其訳語の中ヴェネズエラ共和國と云ふ字があつて、「ウ」に濁りが打つてある。其次に明治二十年三月二十四日の勅令で、海上法の要義を確定する為めに西暦一八五六年四月十六日、パリ公會に於て決定せし宣言に加盟し、茲に之を公布せしむと云ふことが、明治二十年三月二十五日外務省告示第一号で出て居る。其中にハノーヴルと云ふ字があつて、「ウ」に濁りが打つてある。それから更にメートル條約に付て申上げますと、メートル法の國際的統一の條約に関する國際條豹と云ふものがあります。是は大正十四年一月八日條約第一号で出て居る。それにはフランスセーヴルに於てと、其「ヴ」と云ふ字は「ウ」に濁りを打ってある。帝國全権委員がドイツ國外二十五國の全権委員と共に署名したる國際條約と書いてある。そこの所に「セルブ・クロアート・スロヴエーヌ」と書いてある。茲にも「ヴ」と書いてある。それでメートル條約にセーヴルに於て暑名しましたと云ふ帝國全権委員の中に、田中館先生の名前が書いてある。全権委員として田中館愛橘と署名せる同條約に、「ウ」に点が打つてある。更に勅令の問題に移つて論じます。在外公館費用條例と云ふものがあります。明治二十六年勅令第百七十一号であります。それには沢山「ヴ」と云ふ字が書いてある。ジヴァプールの「ヴ」、アンヴェルスの「ヴ」、ノヴォシビルクスの「ヴ」等である。更に明治四十二年四月二十九日文部省令第十三号に東京音楽學校規程、是の第三條の表の次に、随意科目として「ヴァイオリン」、「ヴイオラ」を授くることを得と書いてある。更に明治四十四年法律第四十六号工場法に基ける工場法施行令と云ふものが大正五年に出て居る。それは勅令第九十三号であります。是の中に左に掲ぐる事業を営む工場は工場法第一條第一項第二号に該当するものとすとありまして、三十と云ふ所に「ヴイスコース」の製造と云ふことが書いてある。更に大正九年一月十日對独平和條約附属議定書、是は斯う云ふ言葉で公布されて居る、枢密顧問の諮詢を経て大正八年六月二十八日フランス國ヴェルサイユに於てとあつて、「ウ」に濁りが打つてある。斯う云ふ訳で「ウ」に濁りが附いて居るものは沢山ある。尚ほ今の平和條約の中をずつと捜して見ますと「ヴァ,ヴィ,ヴ,ヴェ,ヴォ」云ふものが皆揃つてあります。更に萬國郵便條約及最終議定書、大正十四年九月二十六日條約第十一号と云ふものに、ポリヴィア、ラトヴィアと「ウ」に濁りがある。私共の関係と致しまして、農林省としては、ソヴィエト國との漁業條約と云ふものがあるが、之には沢山「ヴ」と云ふ字が書いてあつて、「ヴァ」、「ヴィ」、「ヴ」、「ヴェ」、「ヴォ」がある。今日メートル條約に付て御話がありましたから、自分として考へた点を申述べるのでありますが、何故此「ヴ」と云ふ字に付てやかましく申すかと申しますと、将来の日本の國語としては、日本として隣接國を眺めなければならぬ。私共農林省の者の立場から申しますと、米國への生絲の輸出、是が七、八億と云ふ金額である。是は輸出の総金額の三割七、八分であつて、國際貸借上重要なる地位を占めて居る。支那に對して多額な海産物を輸出して居る。又日本の文化は朝鮮を経て来て居るのでありますが、内地と朝鮮との関係、ロシアとの漁業條杓の関係、斯様な隣接地に付て色々な問題が日常起るのであります。私は「ヴ」と云ふ字を申しましたが、それが「タ、チ、ツ、テ、ト」の「チ」に付て申上げても、其「チ」なり「ヴ」なりが國際交通上如何なる関係を有ち、日本の國語の問題として何の位の分量を占めるものであらうかと云ふことを考へ、将来の國民の為め、将来の國語の為めと云ふことを考へますと、「ヴ」が現に仮名として認められて居る。恐らく文部省では欧洲戦争のことに付ての何か書いてある學校の教科書には、「ウ」に濁りの附いた字を文部省として認めて居るだらうと思ふ。さうしますと云ふと、既に「ヴ」と云ふものが五十音圖には無い。併ながら日本で明治十九年以来用ひて居る。更に現に日本に於てどう云ふ範囲程度に於て用ひられて居るかを考へまするに、外國語に基いて出来て居る色々な近頃の新しい文字の字引を見ますと、「ウ」に濁りの打つたのが沢山使はれて居る。且又ヴ聞を見ましても「レグュー」とか、「ヴィタミン」とか云ふ文字があり、医學大辞典とか経済學辞典とか云ふやうな書物にも「ヴ」を用ゐて居ります。それ等を眺めて見ますと「ウ」に濁りを打つたものが随分出て居る。日本式は十九字だけの中に立寵つて居られるのであるが、日本の将来の國語は外國の言葉との関係に於てどう云ふやうな具合に発展するものであるか、之に対して如何なる御用意が御ありになるかと云ふことが、今田中館さんの御話に依りまして承はりたいと思ふ鮎であります。國語と云ふのは将来の國語をも抱擁した意味に於てと、実は官制を解して居りますが、それに對して田中舘さんはどう云ふ風に考へて居られますか。私は又Lと云ふ字に付て、又先刻申上げました「チ」に付て素人ながらの御質問をしたいと思ふのでありますが、取敢へず「ウ」に濁りのある「ヴ」に付ての田中館先生の御考へを承りたい。

○委員(田中館愛橘君) 此日本語の今まである所の固有の日本語を書く時には、日本式では十九字を以て足ります。併し外國語の書き方となりますと、これは又別問題であります。我々の方針と致しましては、外國語は自然の外國語として使ふことにして居ります。言換へれば、人の名前だとか、或は學名とかと云ふものは、原文の通り、即ちドイツ語のものはドイツ語の綴り方で又、フランス語のはフランス語の綴り方の儘で書いて居ります。しかも通例それを印刷物の場合にはイタリツク体の活字にして、それが外國語であると云ふことを示すやうにして居ります。更に将来の問題としまして、vの音が日本語に這入るか、或はL音とR音との区別が、日本語の区別に這入るか這入らぬかと云ふことは、是は今日から予想の出来ない問題であります。現代に於ては、此RとLの区別をする、少くも日本語として区別をすることは標準式を主張される諸君はどうかと思ひますが−−標準式の内にはイギリスと云ふ語を成る程IgilisとLで御書きになつたのも見受けるやうであります−−が我々はイギリスと云ふ時は、既に全く日本語となつたものであるから、是は「イ・ギ・リ・ス」と日本の発音に従つてIgirisuとRを使ふ。若しlを書くなら全部外國式にして「イングリツシユ」(English)で行つたらよささうに思ひます。1に付て外國語其儘の立場として使ふ時には、同時にqでもxでも総べて二十六文字皆使ふべきであります。さり乍ら、それを以て我々を「五十音圖遵奉者だ」とか、日本式は「五十音圖式だ」とか「劃一式だ」とか云つて攻撃されることは、是は甚だ迷惑な次第であります。此前の田丸さんの演説にもありました通り、五十音圖には全く関係がない。是は読み方を教へる為めに茲に書いたのであつて、日本式ローマ字を使ふ場合には五十音圖といふものは要らない。却つてヘボン式の如く表音式で書く時には、五十音圖のやうな仮定が要るのであります。是は田丸さんが此前説明されたやうに思ひますが、だれそれの作つた五十音圖にこびり着いて居ると云ふのでは、毛頭ないのであります。それから「タ、ティ、トゥ、テ、ト」と云ふやうな、外國音の「ティ」と云ふやうな音が、将来日本語に這入つで来たらばどうするか、此問題に付きましては菊澤さんなり、福永さんから尚ほ御説明があるかも知れませぬが、又さう御願ひしたいのでありますが、此方法に付ては我々は幾らも救済法を講じてあります。同時に日本語として読む時にはタ行の「チ」、是は言語學者も言ふ通り夕行の口蓋化である。田丸さんの説明に従ヘば、英語の「タ」は「タ」其ものが既に日本語の「タ」と違つた音が出る。其子音と「イ、ウ」と結合した音は日本の音とは特に違つた音が出ますので、詳しい証明は此音声分析に依つて証明されるのであります。さて問題に返つて「ヴ」の音でありますが、松村次官の御述べになつた通り「ヴ」と云ふ音は可なり日本には使はれて居りますから、公文にまでも使はれて居るのであります。松村さんの指摘されたヴェルサイユ條約の「ヴェ」、これは此会議には私も代表として出ましたが、私のは全く技術的の意見を述べる為めの代表でありまして、其翻訳の如きは外務省の方で全部なされましたので、Versailleをヴェルサイユと訳されたことについても、外務省の方で総べて御取扱ひになつたもので、それには外務省の御規則があります。さう云ふ次第で「ウ」に濁りを打つたのを書いて置くのであります。尚ほ「ヴ」に付て申すと、ドイツに行つたならばvは殆んどFと区別の出来ない。「へルファーテクト」と却つてFと同じやうな音が出ます。國に依って色々違ふのでありますが、松村さんが御挙げになりましたやうなフランス語や英語に似たものを寫すには、「ウ」に濁りを打つたものが書いてある。然るに古いもので「ビロード」とかと云ふことになりますと、「ヒ」に濁りを打つて「ビロード」と書く。「ウ」に濁りを打つて「ヴィロード」と書かなければいけないなどとそんなことを言ふ論者は殆んど今はあるまいと思ひます。蓄音器の「ビクター」の如く経営者の外國人の方から「ヴィ」を「ビ」に直して広告を出して居るものもあります。外國語もこのやうに日本化致しますれば、我々は「ウ」に濁りを打つて置くと云ふことはしない積りであります。「ビロード」とあつたならば、「ビロード」と書く。唯日本語になり切らないヴェルサイユと云ふやうな新しいのは、それに近い現はし方を外務省でも御使ひになつて居るだらうと思ふのであります。能く御分りになつたかどうか知りませぬが、此外にもあつたかと思ひますから、菊澤君等から一つ之に付て御説明を願ひたいと思ひます。

○委員(松村真一郎君) 私は「ウ」と云ふ字の濁りを伺つて居るので、「ヴ」といふ仮名で示されて居る如き発音は日本語にはない、又将来日本には這入らないだらう、との御意見でありますか、それを伺ひたい。

○委員(福永恭助君) 私が代つて答弁します。日本語「ヴ」に音が這入るか這入らぬかと云ふことは我々国字論者のかゝはることではないのであります。是は性質上國語側の方に御委せすべき問題であります。そして、萬一「ヴ」の音が國語に這入つたと國語側で正式に御認めになつたら我々はvの宇を採用することに少しも反對しない積りであります。例へば國語調査會あたりで蓄音器レコードの「ビクター」は「ヴィクター」と発音するのが本当だと云つたならぼ、vの字を採り入れるのであります。で今日國語側が「ヴ」音に就てどう云ふ見解を採つて居るか、是は國語調査會幹事の保科さんから御説明を願ひます。

○番外(保科孝一君) 只今の問題に関して臨時國語調査會の立場を御話申上げます。臨時國語調責會に於て先般外國音の寫し方を規定致しました。其場合にまだ日本語化しない純粋の外来語に付ての書き方は別として、既に日本語化致したものは総て日本流に書き表す方針に決つたのであります。倒へば「ベランダ」と云ふ言葉は日本語化して居る。「バイオリン」もやはり日本語化して居るから、斯う云ふものは「ウ」の濁りで表すと云ふことでなく、「ハ行」の音に濁りを打つて、「ベランダ」、「バイオリン」と書くやうにして居ります。尚ほ日本語化しない「ヴィタミン」と云ふやうなものは、外國音を其儘忠実に表す必要ありとして、それは「ウ」に濁りを打つて表すと云ふやうなことになりますが、既に日本語となつて仕舞つた、丁度「バスケツト」が「バケツ」になつたやうに日本語化したものと認めるものは、今申上げるやうに「ベランダ」にしても「バイオリン」にしても、「ハ行」の文字に濁りを打つて「べ」、「バ」で表す方針にして居ります。

 

○委員(松村真一郎君) 保科さんに御伺ひ致したいのですが、其意味は五十音圖の仮名で示すと云ふ方から来て居るのですか、日本化すると云ふことは日本の「ベ」の発音の変じて仕舞つた、斯う云ふ意味ですか。

○番外(保科孝一君) 御答へ致します。國語調査會では先般仮名遣を制定致しました。その際外國語にして日本語になつて居るものと認められるものゝ仮名遣をどうするかと云ふことを問題として、その仮名遣を改訂致したのでありますが、純粋の外國語に対するものゝ寫し方は、國語の仮名遣と一緒にする訳に行かない。つまり日本語の仮名遣としては、外國語であつても國語に全く同化して仕舞ったものは、其仮名遣に依て書き表すやうにするのであります。併しまだ外國語の匂の濃厚なもの、「バタ」の匂ひの濃厚なものは、外國語の音を忠実に表す為にどう云ふ表し方をするも、それは自由であります。けれども臨時國語調責會では國語として同化して仕舞つたものは、國語と同じやうな仮名遣で進んで行かう、斯う云ふ方針であります。唯外國語の発音を忠実に表さうとして、どう云ふ方法を執らうとも、それは別問題で、國語調査會としては、國語の仮名遣を一定する為に語源的には外國語であつても、もう既に國語の中に籍を移したやうなものは、國語の仮名遣で進んで行かう、斯う云ふ方針で居ります。國語の仮名遣の中に「ウ」に濁りを打つたやうなものを入れる考へは、今の所ではないのであります。

○委員(松村真一郎君) それでは「ウ」と云ふ字に濁りを打つだ文字は、日本の文字でないと云ふことに御覧になつて居りますか、日本の文字と御覧になりますか。

○番外(保科孝一君) それは文字としては日本の方に、「ウ」に濁りを打つたものは今の所ないのであります。日本の仮名には五十音圖を御覧になつても、さう云ふものはないのでありますが、唯外國語音を寫す為に臨時に作つたものであります。

○委員(松村真一郎君) 臨時に作つたと云ふことではなく、文字であるかどうかと云ふことを訊いて居るのです。

○番外(保科孝一君) 文字です。

○委員(松村真一郎君) 日本の文字として文部省で御覧になつて居るかどうか。

○番外(保科孝一君) 日本の仮名はまだ五十音圖が標準になつて居りますから、今の「ウ」に濁りを打つたやうなのは、外國音を表はず為に特に使つて居りますが、斯う云ふものは日本一般に、まだ普通の文字として認めらるゝに至つたものでない。唯臨時的に用ひて居るものと考へて居るのです。

○委員(松村真一郎君)兎に角日本の文字となるのですね。

○番外(保科孝一君) さう御考へになつて宜しうございます。

○委員(松村真一郎君) 五十音圖にある文字ではないが、日本の文字である。

○番外(保科孝一君) さう御考へになつて宜からうと思ひます。

○委員(松村真一郎君) さうすると日本の仮名と認める。それなら次に起る問題は、文部省で外國の地図を御作りになる場合、今度は保科さんに伺ふのですか、此ヘボン式の問題がイギリスで起つて居る。イギリス人が日本の地名を書く場合に問題が起つて居る。それと同じ関係が日本人が外國の地名を書く場合に問題が起こると思ふ。そこで外國の「ウ」の濁りで示されて居る地名は、文部省では外國地圖を小學生に教へる時にどう御書きになりますか。イギリスの「v」でも宜しい、ドイツの「w」でも宜しい、それからロシアの「b」でも宜しい、其「ヴ」と云ふ音の字が定まらない。イギリス人が苦むと同じ苦みをさせる。我々が小學校の教科書を作る時に、やはり困ると思ふ。ロンドンで地理學者が日本のヘボン式とか何とか云つて居るが、是はイギリス人が勝手に定めれば宜しい、日本國に於ては、日本式ともヘボン式とも公に一般的には未だ決定して居ないと申したらば、あちらで勝手に何とか致すであらうと思ふ。處が日本の小学生に外國の地理を数へる場合に「ゥ」に濁りの字の音があれば是は何とか認めざるを得ない。今保科さんは同化するとか、同化しないと云ふことを仰しやいましたが、國語調査會の委員諸君が同化したと認むるに依つて、其時より同化したものとして取扱ふのであるか、其前に同化して居るのか分らぬ。一寸こゝで申添へたいことは、「ン」と云ふ仮名は、形は「ニ」に似て居る、ローマ字では、共に「n」で示すのであるが、此の「ン」は五十音圖にはない仮名である。五十音圖にないものは、日本の文時でないなどと云ふ考を、何人も懐いて居らぬことは申すまでもない。支那との交通、漢字漢語の輸入に依つて「ン」の仮名が出来たのであるから。欧米との交通、欧米語の輸入に依つて「ヴ」仮名が出来ることは、私は格別不思議とは思はないのみならず、寧ろ「ヴ」仮名の類が出来るべきものであると思ふ。「ウ」に濁りのある文字が今日は便利であつても。将来日本に於てローマ字を採用した場合どう云ふ音價を定めるか。是は私第二回の時に申して居る。日本式の方にも標準式の方にも御尋ねする。標準式に對する質問は後で申します。外國地理、外國歴史を教へる場合にどうなさいますか。

○議長(田中隆三君) さう云ふことも此會に於て定めで戴いたらいゝのでせう。今既に書き方が不統一であるが故に此會が生れたと云ふことも、大なる原因の一つであるから、「ヴィクター」を「ビクター」と書いたらどうしても現状から見て、「ウ」に濁りを打つたものを一つの文字としなければならぬ,さうして「ビ」と読まなくちやならぬ。斯う云ふことは、皆さんの御考へから、さう云ふことを一つの決議として定めて戴けば、解決するぢやありませぬか。文部省としては提案がないから、皆さんの智慧を拝借することになつたのです。提案がないとは甚だ心細い所だが、役所の中でも皆違つて海軍は海軍、陸軍は陸軍で違つて居る。是ぢゃ困ると云ふのが此會の生れた大なる原因である。兎に角「ウ」に濁りを打つたと云ふことが、此會の大発見かも知れない。両方にないでせう、あるのですか。

○委員(福永恭助君) 私から御答致します。松村委員は田丸博士と御話もなさいましたが、「ローマ字國字論」も御覧になつたと思ひますが、我々の方では外國の地名の書き方はちやんとー定して居ります。洲の名、アジア、アフリカ、アメリカ及び國名のイギリス、フランスは我々が現に発音する通り、其他の細かな地名は、元の各國の綴りの通り。斯う云ふことに定つて居ります。

○委員(松村真一郎君) それならば、ロジアの地名はどうなさいますか。我々がシベリアを旅行するには、ロシアの地圖を開かなければならぬ。さうして地名を字訳しなければならぬ。さう云ふ場合にьладиьостокの「B」「ヴ」をどう訳しますか、どう読ませますか、соьетソビエト聯邦の「ь」「ヴ」、其の主府москьаモスクヴァの「ь」「ヴ」はどう云ふやうになりますか。ロシアの字は「キリル」字кирилича(Cyrillic)で半分身ローマ字であると言つてもよいかと思ひますが、ローマ字との関係を考へる必要があると思ひます。

 要するに、日本では今日既に「ヴ」と云ふ文字を使用して居る、それは英語の「v」のやうな音を示して居る。日本と経済上政治上の交渉の密接なる米国は勿論のこと、日本の隣接國のロシアソヴィエト聯邦の國語にも「ヴ」音がある。ロシア語と文字を同じくして居る所の欧州のブルガリヤ語や、セルビア語にも「ヴ」音があり、欧洲の他の言語を考へて見ると、英語、仏語、ドイツ語に「ヴ」音のあることは言ふまでもない。オースタリー、ハンガリー、ポーランド、ギリシア、オランダ、デンマーク、ノールウエー、スエーデン、イタリー、スペイン、ポルトガル等の言語には何れも「ヴ」音がある。欧洲語の系統の南北アメリカ諸國の言語に「ヴ」音のあることは当然のことである。只「ヴ」音を示す文字が、國に依りて異つて居つて、或は「v」、「w」又は「ь」になつて居るに過ぎない。ローマ字を使用するに当つては、國際交通を考へて、「ヴ」音に付て何とか定めて置くことを要すると思ふが、如何であるか、これが私の質問であります。

 元来ローマ字を日本で採用するに当つては、英語に似てはいけないとか、國粋的でなければならぬとか云ふやうなことに余りに顧慮することは如何かと考へる。イギリス式を日本で採用すれば即ち日本の式になるのである。「ch」の綴りを採用したと仮定して、之を「チ」と発音すれば、それはイギリス式の「チ」であると同時に、スペイン式の「チ」である。イギリス風のものを採用したからと云つて、イギリス式と必ずしも称せなければならぬと云ふことではない。前の明治三十三年に文部省で、「c」に対して「チ」と云ふやうなことにせられた。是はイタリー式であると思ふ。私は意見を申す積りではありませぬが、母音に付てはドイツの「ウムラウト」の「ü」のやうなもの、又はポルトガルの「ã」のやうのものを、子音に付てはスペインの「ñ」のやうなもの等を考へて見るのも宜しからうと思ひます。要するにローマ字採用に付ては國際的考慮を払ふべきであると考へます。

 日本式では洲の名、イギリスとかドイツとか云ふ國名は日本化して居るから、日本流に書く、其の他の細かな地名は、各國の綴りの通りにすると申されますが、それではロシア字のロシアの地名を、ローマ字で如何に日本で書くかの問題は解決しない。ロシアの地圖を教へる時にどうなさるのであるか。Охотскオホトスクとか、Хачароьскハバロヴスクとかの「x」を、ロシアではギリシャ語の「x」のやうな発音、ドイツの「ch」のやうな発音を致して居る。日本式では如何になさるのでありますか。ローマ字諸國ではロシアの字の地名、人名に對して一定の字訳慣例があるやうに、日本式でも御考があることゝ思ひますが如何ですか。次にギリシア字に付ても同様の御尋ねを致したい。ギリシア字の「Θ」「Φ」「Χ」等で綴つた地名、例へばΑθηναιや、人名倒へばΣαπφωや、其の他の名称Bàkxosなどを如何にせらるゝのであるか。日本式では二十六文字のローマ字中の十九字の外の七字には如何なる音価を与へ、如何に使はれるのであるか御伺ひ致したい。私は第二回の時から申して居る。日本式たると標準式たるとを問はず、「a.b.c」等各ローマ字に對してどう云ふ音価を与へて居られるかと云ふことを示して戴きたい。

 議長の御話もあるから、私は本論に這入つて、田丸博士の御述べになつたことに付ての質問に致したいと思ひます。便宜上御配布になりました第三回の印刷物に付て御尋ね致したいと思ひます。それは第五十二頁に表が載つて居りますが、次の頁の第一行に「五十音を書いたんだと御思ひになると困るから」と書いてある。此表を見ますと云ふと、ローマ字のアルハベツト順にはなつて居ない。「ア、カ、サ、タ、ナ」流になつて居る。是は仮名とか五十音圖と対照の為に‥斯う云ふ順序を採用になつたのですか。若しローマ字と云ふものを採用になれば、是もローマ字順序になすつた方が宜しからうと思ふが、是はやはり五十音圖と対照上の便利からでありますか、之を一応伺ひたいと思ひます。

 

○委員(田中舘愛橘君) 是は田丸博士の御出しになつたものですから、博士は別の考へかも知れませぬ、つまり此五十音圖に較べて見る便宜の為に、茲に「ア、カ、サ、タ、ナ」「ハ、マ、ヤ、ラ、ワ」の順序を出したものと思ひます。或はさもなければ「サ、ザ」「カ、ガ」と云ふのは、五十音圖の表に成程いゝかも知れませぬが、下の方が濁音、半濁音になり、上の方が清音となつて居ります。是は田丸博士も云はれた通り、唯読み方を教へる為に書いただけであつて、五十音圖に従ふ積りではない。又音價に致しましても「R」「L」の区別、同時にローマ字の音價となりましで「k」「q」の違ひとかは、ペルシアとかトルコに行くと非常に重大であるさうですが、ヨーロツパあたりは左程重大でない。唯眼に見る場合に同音異義語の区別が出来ると云ふに止まつて居るやうであります。音價を一々ローマ字に付て定めて行くと云ふことは如何なものでせうか、我々はローマ字の使ひ方を、日本語を書く使ひ方としては、随分長い間色々の種類の書き物も書いて見たのでありますが、是で差支へる所はーつもないぢやありませんか。「x」の音價をう定める、「v」の音價をどう定めると云つても、音價は國語に依て違ひますから、日本の國語の音價を定めると云ふことになりましたならば、是は東京語を標準とするとか何とか云ふことで、容易におさまりがつかないと考へます。音價を一々定めると云ふことは、御出しになつても、若しやれば十分に御調べにならなければいけないと思ひます。

○委員(松村真一郎君) 先程の福永さんの御答弁に依りますと、一音一字主義を採らない、一音素一字主義と云ふことであつたが、一音素と云ふのは何が一音素であるかの御説明を願ひたい。日本式は音價はなしと云ふことであれば、私はそれで進んで行く積りです。それから束京を標準とするか、どこを標準とするか、おさまりがつかぬと云ふやうな御説でありますが、をさまりがつかなければ東京でも何處でも宜しい。標準國語を何にするかと云ふことを御相談の上お定になつて、仮りに東京でも京都でも宜しい、大多教の日本國民が使つて居る標準は是だと云ふことを定めて、日本の仮名の音は萬國の発音符号でも宜しいのでありまして、それで似寄つた所へ行けばどこへ行くかと云ふことを、私は御尋ねして居る。日本式は音價を定めない。さう云ふことであれば私はそれで議論を進めて行きます。それは萬國発音符号であつても、同じ発音符号をイギリスもフランスも同じには使つて居ない。一音素一記号、之には改良不改良と云ふことがありませうが、「S」なら「S」と云ふ発音が、同じ「S」と云ふ萬國発音符号になつて居るに拘らず、イギリス、フランス、ロシア各々違ふのでありますからそれは音素で説明して居るだらうと思ふ。さう云ふ訳ですから、音素を日本式は日本式に御採用になつて居ります。二十六文字に付て音素は定めないと云ふことであればそれで宜しい。それだけ承りたいと思ひます。

                                    

〇委員(福永恭助君) 御答致します。決してそんなことはありませぬ。此前松村委員から日本語の「アイウエオ、カキクケコ」を萬國発音記号で書いて来いと仰しやいましたから、私は書いて差上げたのであります。ところが一枚だけではいかぬから、謄寫版に刷つて来いと云はれましたから、謄寫版に剔らうと思つて、更に研究致しました所が、第一に日本語の発音と云ふものが未だ研究甚だ不完全である。私は日本音声學協會の発起人でありますが、それは音声学協会に於てもこれから研究すべきものである。それからも一つ、是は寧ろ神保さんから言つて戴いた方がいゝのでありますが、日本語の発音は萬國発音記号だけでは書けない。名は萬國発音記号と云つても、あれはヨーロツパ数ケ國語の音しか表はすことが出来ない。さう云ふやうな次第で、是は今後の研究に俟つべき問題であります。まだ私共の手で出来ないのであります。唯我々日本人が発音して居る「シ」と云ふ音を日本式では「si」と書く。是れだけで音價の説明は御満足を願ひたいのです。

○委員(松村真一郎君) 是から研究すると云ふことであれば別問題です。それで私は音價が分らないと云ふのでは困ると思ふのです。是は質問でありますが、希望と云つて宜しい。何等かやはり範囲を定めて戴いて、「a.b.c」の二十六分字を御使ひになる。例へば「w.x.y」と云ふものになると、エスペラントでは使つて居ない。色々の関係から「w.x.y」と云ふ字を如何に取扱ふべきやは問題だと思ふ。「w」と云ふ字に「ワ」行の字の音價を与へて居るのはイギリスだけ−−だけと云っても世界中を知つて居る訳ではありませぬが、イギリスは「ワ」行に使つて居る。フランスやポルトガルでは外来語のみに用ひて居るやうであります。ラテン語では「w」と云ふ字は使つて居ない。ドイツ、イギリスの「v」のやうな音價を以て使つて居るやうです。是は私よりもあなた方が御承知ですから私から講釈する必要はない。そこで「w」の一字より言へば、日本式も亦イギリス式であると謂ひ得る。

 次に進んで行きたいと思ひますが、第五十三頁第一第二行に「カ、キ、ク、ケ、コと読むのです」「サ、シ、ス、セ、ソと読む」。是は読むのですと云ふのですから、読めるか読めんか知らないが、さう云ぶ風に読むのだ、さう云ふ意味ですか。つまり「チ」と云ふ所に関係がある。櫻根さんが先程仰しやつた如く、「タ、チ、ツ、テ、ト」「チ、ツ、ト」と云ふのは、場合に依つては違ふやうな感じがする。違ふやうな感じをする人もある。あるのだが日本式では「ti」と書くのである。之を「チ」と読ます。読めても読めぬでも読ませるのだと了解して宜しうございますか。読めるかも知れぬが、櫻根さんは読めないと仰しやる、読めない人が日本人に既にあるが、日本式では読ませる、斯う云ふ風に丁解して宜しうごぎいますか。

○委員(福永恭助君) 読ませるのです。

○委員(松村真一郎君) 読ませると云ふことですね。読ませると云ふことにして置かないと結論が一致しないから。それから第五十四頁ですが、不規則々々々と云ふことが色々出て居りますが、是は後で伺ひたい。それから同じ頁の第三行日に不規則でないと今まで認められて居るとあります。不規則がないと今まで認められて居ると云ふのは、今までは「立ツ」は「タ、チ、ツ、テ、ト」と変化して居るのですから、文字の語尾は「ア、イ、ウ、エ、オ」と変化して居るのではない。発音の語尾が「アイクエオ」なのでせう。

○委員(福永恭助君) 語尾が変化して居る。

○委員(田中舘愛橘君) 念の為めに申上げて置きますが、日本式の規則では「i」の前で「s」と「t」の音價が鋭くなる。それは他の「カ」行でも同じことだ。是は機械を通じて見れば分る。耳に分る分らぬの問題でない。

○委員(松村真一郎君) 第五十九頁の終から三行目に『日本語の運用の仕方がローマ字式である』とありますが。あなたの方で御考になつて居るのはやはり「ア、イ、ウ、エ、オ」の変化………

○委員(福永恭助君) さうです。語尾だけが変化する。

○委員(松村真一郎君) それから第六十頁の終から七行目に『英語の「タ」ならば「i」と云ふ所に持つて行くならば「ティ」と云ふのがG然でありますが』とありますが、英語ならば「ti」は「ティ」と云ふのが自然だ、斯う御認めになって居る訳でありますか。

 

○委員(福永恭助君) 認めて居ります。

○委員(松村真一郎君) 英語ならば自然だ、日本語になると「ティ」ではいかぬ、日本にはないからですね。

○委員(福氷恭助君) もともと日本語の「タ」と英語の「タ」とは音が違ふと云ふのです。併し是は私から申上げられませぬ。田丸博士の個人の意見がはいつて居りますから...........

○委員(松村真一郎君) 英語ならば自然だ、英語もローマ字國ですから、英語で自然であつて、ドイツ語はどうですか。倒へばイタリー語では、名詞「parte」「poeta」が複数に「parti」「poeti」となり、又動詞「oartire」の単数一人称、二人称、三人称が「parto, parti, parte」となる場合に於て「ta, ti, te,to」の発音は「タ、ティ、テ、ト」であつて、「ti」は「チ」とは発音しない。ラテン語なりフランス語なりスペイン語なりポルトガル語でもロシア語にも、總て「ティ」と云ふ音価を使つて居る、萬國発音記号で大抵の國は使つて居るのに、英語ならば「ティ」と云ふものが自然だと仰しやいますが、ローマ字を採用して居る他の國々はどうですか。日本だけは「チ」と読ませるのですね。

○委員(末広嚴太郎君) 同じ國でも使つて居る場所で違ふと思ふ。自然も不自然もないと思ひます。

○委員(松村真一郎君) 兎に角「ティ」と云ふのが英語では自然であると致しますれば、是は例外はあるのるかも知れませぬが、原則としては「ティ」であると云ふことでなければならぬ。凡そ原則としては斯く斯くになるのであると云ふことが定つて居ると思ふ。是は田丸さんもウェブスターのスペリング・プックのことを御話になりましたが、綴字の発音の稽古の場合には各種の綴字に對し通常の場合、原則的の場合の発音に付て教へるものであるやうに存じます。「t」と「i」とに夫々或る音価が与ヘられて居る場合に、二つが結び附けられたるときに、自然に生ずる発音が何であるかと云ふことが問題なのであります。音価のことを彼れ此れと申します理由は、今日外國語の発音を日本人が稽古する場合に仮名で示すことが出来ないことはない。ところがローマ字を採用した場合に、其日本の國字たるローマ字に音価が定まつて居なければ、外國語の発音を示すことが出来ない。それでは困りますからして、私は音價を定めて戴きたいと申すのであります。仮名では外國語の説明が出来るが、日本のローマ字では出来ないと云ふことぢや、日本式、標準式の問題ぢやない。ローマ字そのものゝ問題になります。其意味に於て音價問題を御者へを願ひたいのであります。それから第六十頁終から六行目です、『日本語では「i」と云ふ時に、「yi」と云ふ風な音になると私共の素人の耳には聞えます』とありますが,「yi」と云ふ綴りは日本式のローマ字にはないのですね。

○委員(福永恭助君) ありませぬ。

○委員(末弘嚴太郎君) 標準式にもない。

○委員(松村真一郎君) 標準式には後で質問します。

○委員(田中舘愛橘君) 途中ですが、此表の後に「チャ」「チュ」「チョ」とありますが、「ti」の「i」にあたる意味でせう。

○委員(松村真一郎君) それは後で質問致します。それが私は疑問の原因です。その綴字はないと云うて居られますが、兎に角「y」と云ふ音が加はるやうになる。それで、「ti」が「チ」になると仰つしやるのである。日本語で「ti」の発音の工合が英語の「ti」と云ふものと違ふとの御意見のやうに存ぜられますが、違ふか違はないかと云ふことが問題であります。第六十頁終から六行目に『H本の「t」、「タ」と云ふ時の「t」と申して居られ、終から三行目に『日本のtは特別だ』とありますが、日本はまだ定つて居らぬ。私共は日本の「t」と云ふものは知りませぬが……

○委員(田中舘愛橘君) 日本語のta(タ)の「t」です。

○委員(松村真一郎君) それで結構です。

○委員(福永恭助君) 一寸松村委員に申上げます。第六十一頁の第七行目に書いてありますが、田丸委員は「唯私の想像を申し上げるのであります」と言つて居られる。さう云ふことでありますから今のことは我々第三者から答辨は致し兼ねます。

○委員(松村真一郎君) それは田丸さんから御答弁下さるでせう。そこで私の之に對する質問は、今田中舘さんの御話に依つても、拗音の類例で「チャ」「チュ」と云ふやうな場合に「y」「i」と云ふやうなことに想像がつくやうになると、其想像は綴りに現はす価値があるかどうかと云ふ問題になる。田丸さんの説明では素人の耳に聴き出すやうな変化が起るが、其変化がプロパアサウンドSpeech-sound properであるか、グライドglideであるか分らぬが、兎に角変化が起ると云ふことを御認めになるのですね。

○委員(田中館愛橘君) 耳に感じた結果が「y」「i」の如く聞える。人の気持で「チ」と云ふものに子音が一つの子音を発音する。「立チ」と云ふ時に「チ」と云ふ語には一つの子音を発して居る。拗音を発して居る。意識でない、唯耳に聞える場合、斯う云ふ風になつて来る。

○委員(松村真一郎君) そこに何か意識変化がゐると思ふ。

○委員(田中舘愛橘君) さうです。

○委員(松村真一郎君) 「t」と「i」とを「チ」と読ませる。読ませると云ふことに対して私は逆の考へ方を致したい。日本の発音の方をローマ字に寫したいから、そこで日本音の「チ」と云ふものをローマ字で母音子音に分解したらどうなるかと云ふことを伺ひたい。

○委員(田中館愛橘君) それです。其分解した結果は我々は一音に入れて仕舞ふ。「チ」を分解して細かにすると云ふと、「タ」行に限つたことではない。其他………

○委員(松村真一郎君) 「タ」行だけの質問です。

○委員(田中館愛橘君) 「タ」行も「サ」行も同じです。

○委員(松村真一郎君) いやそれは違ふ。「タ」行で「チ」を分解は出来ませぬかと云ふことです。

○委員(福永恭助君) 是は「ti」を「チ」と読めと読ませるのです。併し将来発音學が進歩致しますと、どうやら斯うなりさうだ。「ti」を分解すると斯うなりさうだと云ふ見込を、田丸委員は言はれたのです。どうもさうらしい。

○委員(松村真一郎君) そこで私は意見を述べる丈けの資格はありませぬが、唯結論だけを申上げて置いて、是は日本式も標準式でも御教へを願ひたい,初めに申したやうに、日本本土には文化が朝鮮を通じて色々求て居る。支那との関係も中々密接である。ロシアは隣接國である。然るに其の何れの言葉を見ても「チ」音があるやうである。ロシアには「チ」「ч」と云ふ子音がある。「ч」と云ふ文字に付てはN. V. Trofimov氏とDaniel Jones氏との共著The Pronunciation of Russianに、「ч」に独立の音価を与へ、発音記号「t∫」を以て示しで居ります。そこでロシアの「ч」の字で示されて居る地名を、例へばシベリア鉄道の「чnta」チタ駅とかの類を、日本式ローマ字で、如何に字訳せられますか。そしてチタの「チ」と、セミパラティンスクcemnпaлatnhckの「ティ」とを如何に区別せられますか。朝鮮語に、「ティ」「t」子音に對して、「*」子音、「*」子音があり、「チ」「t∫」子音に対しては「*」子音、「*」子音があるやうに思ふ。「知」は「*」「チ」であり、「治」は「*」「チ」である、「千」が「*」「チィョン」であつて「t∫」に当り、「天」は「*」「ティョン」であつて「t」に当る。次に古来日本と交通上密接な支那の言語に於ても、「t」子音と、「t∫」子者とがあるやうに思ふ。「千」は「tien」「チェン」であつて、「天」は「tien」「ティエン」である。

 

○議長(田中隆三君) 朝鮮語で言篇に青を書いて「チン」と読みますね。青が「チィ」と云ふのですね。

○委員(松村真一郎君) 紀元一三七二年に出来た古事記に、「チ」音の文字のあることは、先程申しました。古事記の前に紀元一三六八年には和銅開珎を鋳ることがある。其の珎「チン」も「チ」音である−−勿論、古のことは字が残つて居つて、音そのものは分りませぬけれども−−古来の日本語音を五十音圖に配列したのであるから、五十音圖の以前に所謂五十音の存したことは申すまでもない。であるから私の陳述の趣旨は、動詞の語尾の変化に関係なき「チ」音が古来存在するのであるから五十音圖の「タ」行に[タ、チ、ツ、テ、ト」と纒められて居ると云ふことに余りに捉はれないで、「チ」音を単独に先づ考へて戴きたいと云ふことなのである。五十音圖の配列は時代に依つて異つて居つたさうであつて、現在の五十音圖中には「ヤ」行、「ワ」行に缺字のあること、合計四十七字しかないことをも顧み、尚ほ國民が使つて居る所の日本語の文法説明の便否論は別として、日本語そのものゝ使用者、創造者である所の國氏の中には、五十音圖よりも、「いろは」の方に親みを持つて居る者が過去に於ても現在に於ても少くないと云ふ事賓をも参照すべきであると思ふ。

 要するに、古来の日本語音中に、「t∫」子音が存在して居るのではなからうか、それが「チ」の仮名で示されて居る所の音に存するのではないか、それが私の質問である。

 日本語は日本式の如くに、十九時のローマ字で纏る程、簡単な國語であるかどうか,複雑なのが文明であるか、簡単なのが文明であるか知らぬが、併ながら十九字で纏まる様な簡単なものであるかどうか。日本の何れの隣國にも「チ」音がある。ローマ字本國のイタリーにもある。エスペラントも「チ」と云ふものを使つて居る。日本語に於て「t」「ティ」子音の外に「t∫」「チ」子音と云ふものを独立に見ても宜しくはないかと思ふ。日本式には言語學者が沢山御出になるから、御教示を願ひたい。

 そこで次に移ります。日本語の示す通りの規則正しさがある、劃一とか単一とか統一とか云ふことに、規則正しさと云ふことを仰しやつて居るのではないか。それであるから余り沢山なエクセプションが出て来ると困る。ところがエクセプションと云ふことも規則正しい。フランス語を見てもドイツ語を見ても英語を見ても、規則変化の他に不規則変化と云ふものがある。然し不規則変化と云ふものも、或る意味では規則的変化であると思ふ。田丸さんはどうも劃一・単一・統一と云ふことを規則正しいと云ふやうな意味で、規則正しいと云ふことを御使ひになつて居るやうですが、それは余り単純過ぎると思ひますが、それを伺つて居るのです。゛

○委員(福永恭助君) 其前に御訂正を願ひます。第六十一頁三行日「どんな見方に従へば発音にも日本式の示す通りの規則正しさがあることになるか」と直して下さい。其次に第四行日の「日本式が示すやうな使ひ方に依て来る」とあるのを、「と平行な」と直して下さい。其次の行「規則正しさを」の次に「認めるには」と入れて下さい。それから括弧の中で「それに依つた所の」を、「それと平行な」に直す。それだけです。

○委員(松村真一郎君) 私の質問は劃一・統一と云ふことです。

○委員(福永恭助君) 「規則正しい」と云ふことは元来さう云ふことを指すのです。

○委員(松村真一郎君) つまりエクセプションがあつてはいかぬと云ふことですね。

○委員(田中館愛橘君) ヱクセプションを第一にして規則正しい。

 

○委員(末広嚴太郎君) 発言中ですが、議事の進行に付て−−一人々々の質問で速記録の一々に付て、細かい詮議立てをなさつては、何時まで経つても済まないと思ふ、松村さんが御分りにならないことを、松村さんが御読みになつた程度に於て理解なさることで済んで居るやうなことが、先程から可なり多いぢやないかと思ふ。我々は斯う云ふことで、貴重な時間を費やし過ぎて居る。酷い言葉を使へば我儘だと云ふ感じが致します。

○委員(松村真一郎君) 私は素人でありますから、末弘さんは玄人でおいでになる。農林次官などを御加へになつて居る理由は、元来日本式と標準式の争だけになつた場合に、どうしても定まらない。其意味に於て中間者も非常に大事だと思ふ。一回二回の會で非常にきめつけて仰しやるやうでありますが、私も職責上やつて居る。お互ひに斯う沢山の人が集ります時には自分の気に入らぬことも澤山あると思ふ。さう云ふ時には席をはづすより仕方ないと思ふ。さつき宮崎さんの仰しやつた祖國の為め、田中館さんの将来の為めと云ふことになれば、私は一日や二日三日は、出来るだけ疑問のあるものは質問するのが当然だと思ふ。私の申したことが詰まらぬことでありますれば、それは私の無學の致す所で已むを得ないと思ひます。私共の役所には水産講習所、水産試験場があり、蚕業試験場があり、農事試験場もあります。それが皆外國文で印刷物を出して、重要な研究を外國に発表して居る。殊に蚕業の試験場などは、日本でなければ蚕絲業に付ては進んだ研究は出来て居ない。さう云ふ場合に出す刊行物の綴字にも影響するのですから、もう少し忍耐して戴きまして、もう少し質問さして戴きたいと思ひます。尚ほ特別委員に附議せらるゝのも結構でありますが、やはに總會で我々のやうな素人を教へて戴かないと、私共の仕事を御預りして居る農林省が、如何なる態度を執るかと云ふことに付て、判断が出来ないと思ひますから、暫く御忍耐を願ひたいと思ひます。そこで今度は第六十三頁の辺でありますが、日本式は「チェ」と云ふ字を認めて居らない。「チェ」と云ふ字がない、類例で行くのかも知れませぬが、私は「チェ」と云ふ字を考へたらどうかと思ひます。それは上田博士の大日本國語辞典を見ると、「チェ残念」とか、「チェスト」とか云ふことが書いてある。又鉄道省で距離を計る何哩何鎖と云ふ「チェーン」は、日本語だと思ひます。それから標準式の六十四頁に移ります。其標準式の中に「チャ、チュ、チョ」と書いてある。此「ch」と云ふ綴りは何となくローマ字國に親みのある綴りぢやないかと思ふ。それは標準式に賛成して居る意味ぢやありませぬが、「tye」と「che」と何れがいゝか。「tye」と書くと目で見る作用で、「ty」で切る恐れがある。或は「t」で切つて、「y」で切る恐れがある。「tye」と云ふローマ字を採用する場合には、相当考へていゝぢやないかと思ふ。「che」と考へたらどうか。又「qu」の綴りはラテン語にあり、伊、佛、西、英にもあつて、英語と佛語とは発音は異るけれども、綴字としては日本式にも標準式にも「kwa」と云ふのがある、「qua」の形には親みを感ずる。元来ローマ字を日本が國字として採用すべきや否やが抑も問題であると思ひます。然しながら、若しローマ字と云ふ國際的文字を使用するとせば、ローマ字諸國の慣用や由来と云ふやうなことは考ふべきである。日本式でも標準式でも、此点を御考へを願ひたいと思ひます。それからこゝに附加へて申しますが、日本式の御方々は、日本式は一つでも変へてはいかぬと云ふ,非常に強い立場においでのやうですが、併し「ch」の発音が國に依つて、或は「シャ」になつたり、「チ」になつたり、「キ」、「ホ」になりますが、佛、英、西、伊、独の何れも「ch」と云ふ綴りを有して居る。日本で申せば、例へばイギリスに似ちやいかぬと云ふことはない。どこにも似ないのが日本式だと云ふのは、私はどうかと思ひます。又[j」と云ふ字もイギリスでもフランスでもドイツでも皆ありますから、之を無理に避けるに及ばぬぢやないかと考へる。是は又拗音と云ふことに関係致しませう。日本式は拗晋は「ヤ」行卸ち「y」音を加へると云ふことに簡単に出来て居るやうですが、「t」に「ya」を附加すれば、「トヤー」となつて「チャー」とは読めぬやうに思はれる。抑も五十音圖が楚語の研究に依つて出来たものとすれば、今日は我國語は勿論のこと、ギリシア語、ラテン語、其他諸民族や諸國の言葉を御研究になつた學者の御方々があるから、新らしく日本の國語の音圖の建直しをする必要があるのではないかと云ふ意味に於て申上げたのであります。

○委員(福永恭助君) 明治屋は「di」を使つて居る。「ch」と反対ぢやないか。

○委員(松村真一郎君) 「di」と書いた方がいゝか、「ji」とやつた方がいゝかと云ふことを云ふのぢやない。日本の商売人の出して居る看板の中には、外國人に読ませる為に、外國人に物を買つてもらふ便宜上から出したのもありますから、其都合々々でやるのだから、私の申上げたのは、どこの國に近いから避けると云ふやうなことは如何なものかと云ふことです。

○委員(福永恭助君) それは分りませぬ。兎に角.......

 

○委員(松村真一郎君) さう云ふことぢやないので、「ch」は親しみのある字だから音價はどうでもいゝが、「ch」を採用したらどうであるかと云ふのです。私は事実であるから申します。実際のことを申しますと、私は実は日本語のローマ字綴りは非常に読み辛い。恐らくは英佛独語を學んだ日本人の大多数はさうぢやないかと思ふのですが,何故かと云ふと、我々は國家の學制上、學校に於て必修課目として英語等を習つて来て居りますから、其習慣からして、従来のやうなローマ字綴りでは、標準式でもさうであるが、日本式では國民的に精力を消耗するやうに思ふ。兎に角私自身は非常に精力を消粍する。先きに日本式の「Rômazi Yomikata」と云ふ本を戴きまして、ローマ字綴りでomotya(玩具屋)と畫のやうに書いてある所を開きました時に、「オモトヤ」(萬年青屋)と読んだ。変だなと気付きました。「tya」と云ふ綴りに馴れて居りますから、さうして「y」を綴頭又は綴足に見慣れて居りますから、さう云ふことが往々ありはしないかと思ひます。「tya」と云ふ綴りは読みづらい。

○委員(福永恭助君) 其筆法で行くとフランス語をやつた人には、「cha」で「チャ」と読ませる方が読みづらくはありませぬか。

○委員(松村真一郎君) 「tya」と云ふのは私には読みづらい。「character」 のやうな文字、是はetymology―語原の問題ですが、國語をローマ字綴りでする以上は、大分外國語が日本には入つて来るだらうと思ふ。其場合に差支がなければ外國綴りに縁のある形にして置きますと、語原をたどつて本当の意味を丁解するのに便利ぢやないかと思ひます。つまり直ぐに日本綴りにして仕舞はないで置いた方が宜しい場合もあるであらうかと思ふ。ローマ字綴りは将来の國民が余り苦労しないやうにした方がいゝぢやないか。日本式とか標準式と云ふことで云うて居るのではないのです。

○議長(田中隆三君) 一寸途中で妨げして済みませぬが、「tya」を「チャ」と読むことが外國語に余計通ずるのでずか。

○委員(田中館愛橘君) 「チャ」と云ふ音に通ずる國が多いと思ひます。「y」の代りに「l」を使ふことはよくありますね。今欧羅巴十九ケ國のローマ字書き方を調べたものを洋行中の一人の仲間が送つて来ました。来月其人が日本に帰つて来る。原文はローマ字で書いてありますが、それを当人が帰つて来てから漢字交り文に直して、出版することになつて居ります。出来ましたら皆さんの御手許に差上げますが、それを見るとヨーロツパ各國に於ける綴り方の相違がよく判ります。「チャ」を日本式流に綴つて居る國の例も出て居ります。

○委員(松村真一郎君) それから第六十四頁の表ですが、日本語の.「ツ」を逆に分析して貰ひたい。それはドイツ語には「ツェット」(z)と云ふのがありますね。伊語に「z」があり、露語に「д」があり、エスペラントにも「c」があります。発音記号では「t∫」又は「t∫」で示して居ります。日本語の「ツ」と云ふ音の中に含まれて居る所の子音を考へて見るのがよくはないか。「ツ」の分析を考へて戴いたらどうかと云ふのです。それから第六十五頁には先程福永さんの仰しやつたやうな、他の行との関係、即ち「タ」行、「ナ」行のことがありますね。私は是は他の行は他の行でーつづつ定めて行つたらいゝぢやないかと思ひます。「ニ」に付ても「n」の外に場合に依つては「ñ」の如きスペイン語流のものを御考へ下さるのも宜しからうと思ひます。「チ」だけを論じたからとて別段片手落と云ふ程のことでもなく、又「チ」も「ニ」も両方とも別の文字を以てせらるゝことも差支なからうかと思ひます。それから第六十六頁の第八行、旧ローマ字會の時に子音に英語の子音を取つたとありますが、之を英語の子音と云ふ意味でなく、日本語の子音の分解、さう云ふやうなことを少し御考へ願ひたい。是は無理かも知れませぬが。

 

○委員(田中館愛橘君) 伺つて置きませう。

○委員(松村真一郎君) それから第六十九頁の『意圖する発音』と云ふ田丸さんの御話は誠に考ふべき問題ぢやないかと思ふ。それは撥音に於て、標準式では金屏風の「ン」の音は唇音「B」の前であるから「n」とせずして「m」とつづることに慣用されて居る。日本式ではそれが宜しくないと云ふことで金屏風と云ふ場合でも「n」でなければならぬと仰しやつて居りますが。促音に付て意圖する発音と云ふことを考へるならば、例へば白い光は「hakkô」ですね。新聞紙を発行するのも「hakkô」と綴つて居られるけれども、促音は二語接続の場合には音がつまる、それで綴字が縮まるのぢやないかと思ふ。故に「白光」「haku kô」は「u」が省略されて「hakkô」とする。併しながら新聞紙を発行する場合の「発行」「hat(s)u kô」は「(s)」が省略せられて「hatkô」となるのが『意圖する発音』であらうと思ふ。『意圖する発音』なることを申さるゝならば、日本式は促音の綴字に付て何等かの御考へがあるやうにも思はれますが如何ですか。

○委員(田中館愛橘君) それでは『意圖する発音』ではなくて『意圖する語義』になつてしまひます。田丸博士の御考へになつて居る発音の意圖は「hakko」なのですから........

 

○委員(松村真一郎君) 意圖する発音をあなたの方ではどう云ふ意味に使つて居らるゝのであるか。私は日本式は発音よりも國語に重きを置いておられる様に思ひますが、それならば意圖する発音を更に『意図する國語』まで進まるべきではないかと思ふ。

○委員(福永恭助君) それは不賛成です。

○委員(松村真一郎君) それは御考へ次第ですが、私はさう思ふ。田丸さんの御言葉は何となく國語的の感じはするが、意圖すると云ふ意味が徹底しない。

○委員(田中館愛橘君) さう云ふ書き方は既に沢山試みましたが………

 

○委員(松村真一郎君) それから第七十五頁の一行目に、國語を擁護する。其擁護と云ふのは、私の考へは先程保科さんに御質問したのですが、広い國語と云ふ心持で質問して居る。英語なども日本人が日常の談話や文章などに日本流に使つて居るときは、或る意味の日本語として取扱つた方がいゝと云ふ意味で、応用のきくやうな綴り方を採つたらどうか。國語と云ふことに付て動詞の変化に関して論議せられて居られるやうですが、名詞もありませうし、外國からは入る言葉もあつで色々あるが廣く國語を眺めて議論を其方に進めて戴きたいと思ひます。それから英語の近似音と云ふやうなことが第七十八頁にあるが、これは英語の近似音の綴り方を採るか、或は日本式の綴り方を採るかに決するものであると田丸博士は限局されて居るから、私はもつと広く見る。英語だけに見ないで廣く眺めるのが宜しからうと思ふ。折角斯う云ふ調査會が出来た以上は、日本式か標準式かに定まればいゝぢやないか、籤引をしようぢやないかと云ふ風に、此會を見ることはよくないと云ふ私は議論です。大体私の便宜上議事録の文字に付ての質問であつたのでありますが、一応の質問はこれで終ります。

○委員(菊澤季生君) 今日福永さんから御話になりました時にも、私に何か少し答弁して貰ひたいと云ふやうなことがあり、田中舘博士の御話になつた時にも、何か意見を述べて見よと云ふことでありました。それで松村さんの御話も伺ひまして、私も色々申上げたいことがございます。併し私はまだ若輩でありまして、ローマ字運動に携つてまだ十年余りでありますから、私の申上げることが僭越であつても悪いと思ひますし、分両も相当ありますから、「日本ローマ字會」の御方々に御諮りして、次回に取りまとめ御答を申上げたいと思ひますが、其点を御順致したいと思ひます。

○委員(櫻根孝之進君) 私は至つて言葉が下手で、或は私の申上げました趣旨が徹底しなかつたとも思ひます。其点だけー寸申土げて置きたいと思ひます。 初めに御尋ね申しましたのは、所謂英語風或は英語式と云ふのはつまりローマ字のシンボルに付てヾあるか或は綴り方に付てヾあるかと云ふのでありました。それに対して福永さんはそれは綴り方でなしにシンボルをとると云ふことであると、さう云ふ風に私は伺つたと思ひます。それから第二の綴り方の基準と云ふことに付て、御尋ね致した中に、数のことを申しましたが、是が私の申しました意味と少し違つて御聴きを願つたかと思ひます。私はローマ字綴方の基準と云ふものは綴り方の全体或は其大部分に付て、之れを決定すべきであると云ふ意味で申ぢ述べたのであります。申換へますと、つまり御互ひに違ふ所は一部分でありますから、残りの大部分に付て基準を定める。それが順序であらうと思ひます。さう云ふ訳で、私は多数と云ふことは綴り方の大多数に付てと云ふ意昧でありますから、それだけ申上げて置きます。

○委員(宮崎静二君) 私は十三ケ條だけ極く簡単に御尋ね致したいと思ひます。先づ田中舘博士に御尋ね致したいことが七ケ條ございます。それから後六ケ條を田丸博士に御尋ね致したいのであります。私は言葉の意味のはつきりしない所を御尋ね致しますので、場合に依つてはイエスとかノーとかで宜しうございます。座って居つて申上げますから御許しを願ひます。第一田中舘博士の明治十八年に御出しになりました『ローマ字意見並に発音考』と云ふ本の中に、表が出て居りますが、其表に依りますと「ヤ行」及び「ワ行」は「y」で一貫し、「w」で一貫して居るやうであります。それを御改めになつて、只今のやうな形になつたのはどう云ふ思召でありますか。又何時頃から御改めになりましたか。

○委員(田中舘愛橘君) 「発音考」を書きました時に、あの本の中に斯う断つてあります。「(此表が)従来の五十音に当る、当らぬの論は暫く御預りと致し、音韻を覚える為の表として置きたし。」さう掲げてあります。あすこにあるものを皆用ふると云ふことは出来ませぬ。実際私が当時書きましたローマ字文に於ても、「ヤ行」の「ye」は使ひませんでした。それから「ワ」行の「wu」「ヤ」行の「yi」は使ひませんでした。其後國語を書く方法として小學校の生徒などに教へる段取りになりまして、是は使はないと云ふものは、括弧に入れたり、或は全然書かなかつた。さう云ふことで現在に及んで居ります。初めの時にもあすこにあるものは必らず使ふと云ふ意味のーつもなかつたことは、あの表に続いて断り書きがしてある通りであります。尚ほついでに断つて置きますが、『ローマ字ひとりげいこ』と云ふ本の中にも、其ことは断つてありまして、「ヤ」行のイ、「エ」等は使はない。併し古典を直訳するやうな場合に使ふことがある。さう書いてあります。古典的には使ふが現代語には使はない。他の論者から時々誤られて、斯う云ふ点をつかまへて、五十音劃一主義のやうに云はれますのは遺憾と思つて居ります。グンデルト氏などにも、日本式ははつきりしない文字は使はず音階に追従した書き方であると認めて居られます。

 

○委員(宮崎静二君) つまり発音に従つて書くと云ふことですか。

○委員(田中舘愛橘君) 発音に従ふと云ふことから、撥ねる音を三通りに分けないのは何故かと云ふことになつて来ると、さう云ふ意味の発音ではない。所謂「音素」、大体の発音に従つて書くと云ふのである。ナラウ・ホニチツク(narrow phonetic)でなくて、ブロード・ホニチツク(broad phonetic)、さうすれイギリス人が書いても結局日本式に落付く。

○委員(宮崎静二君) 何時頃から御改めになつたのですか。

○委員(田中舘愛橘君) それは隨分前で、日本式の出来た頃からです。

○委員(宮崎静二君) 第二は是は先生の御話の第二回の綴り方の中に発見致したのでありますが、第十頁の正字法オーソグラフイを、こゝで御使ひになつて居る意味をはつきり伺つて置きたいと思ひます。

○委員(田中舘愛橘君) 正字法と云ふのは、つまり日本語を書く、確定したる−−字引も編成するし、教科書もそれで書く所の正式の書き方を定めるのが正字法。

○委員(宮崎静二君) さうすると、私共の標準式で使つて居ります,それで書くと云ふと、正字法と御認めになりますか。

 

○委員(田中舘愛橘君) つまりはさうなります。

○委員(宮崎静二君) 結局、日本語を書き表すと云ふと正字法ですね。其正字法は必らずしも実際の発音を使はなければならぬと云ふことはないのですね。

○委員(田中舘愛橘君) そんなことはありませぬが、正字法は成るべく現代の発音に近く発音を其通りに書くと云つたら、私のやうな東北辨もあるし色々違ふから、國語の発音に近く平均したる、又國語の性賀や分法を簡単にするやうに考慮して書き方を定める。

○委員(宮崎静二君) 分りました。それから第三です。音声又は音声意識と云ふ言葉を御使になつて居るが、どう云ふ意味で御使ひになつて居りますか、それを伺ひたい。

○委員(田中舘愛橘君) 今申上げたやうな言葉の働きを考へて見て、此前田丸博士も述べられた通り、「トル」と云ふのが「トリ」「トル」、つまり「トル」と云ふ音は、下の「アイウエオ」の語尾に付て言葉が変化を起して行くもの。「タチ」「タツ」の「タツ」と云ふ音は「t」と云ふ音系に属する。「t」と云ふのが其言葉の「ルート」である。それを音系と云ふのであります。もう一つは御分りだらうと思ひますが、日本人の意圖と云ふことが音声に関係するのですが、其他の「インテンション」「ヱチモロジイ」の「インテンション」と云ふやうに、松村さんは御考へになつたのですが、さうでなく日本式で「タツ」「タチ」「タテ」と云ふことを云ふのは、「トリ」「トル」と云ふことゝ同じ「t」で云つて居る。其系統です。それから此間文部省で出ました清濁の関係、濁音でもやはり言葉が続く為に、自然的に無清音が有清音になる。其為に出て来る所の濁音−−「tuki」「mikaduki」言葉が二つ続く為に濁音になる。さうしてそれが離れて出ます時にはもとに還元する。此系統はつまり「t」の系統に属したる所の音であるからして、「t」の濁音は「d」で書きます。

○委員(宮崎静二君) さうすると「t」は二つありますね。「t」「d」ですから。

○委員(田中舘愛橘君) それはいかぬ。「t」の濁音は「d」、「s」は「z」、「k」の濁音は「g」、新う云ふことになる。

○委員(宮崎静二君) さうすると、此前田丸博士の御話になりました中に、五段動詞の変化、それから清濁の関係、此條件を満足する意識、即ち音声意識と解して宜しうございますか。

○委員(田中舘愛橘君) しれが音声意識の主なるものです。又音の−−所謂音便で変化するやうなものでも、やはり意識した音声意識には入つて居るだらうと思ひます。私は其方に専門ではないのですが、音便と云ふことを考へますと、どうしても音声と音便が来るのであります。是は田丸さんの自然的現象......

 

○委員(福永恭助君) もう一つあります。「カ」と「ガ」、ある人は発音上確かに違ふ発音であると云つて居るが、我々はそれを一緒にして居る。あなた方もして居るでせう。それから金屏風の「ン」と云ふのは既に御承知でありますが、「ン」と云ふ音に色々違ひがある。

○委員(田中舘愛橘君) いや「ホネーム」は音素であつて音系とは違ひます。音素と云ふのは「ホネーム」、一つの「ハヒフヘホ」の「ハ」の「ホネーム」です。「エンサイクロペヂヤ」の中にジョンソンが書いて居る、「ハヒフヘホ」を「h」で書くのは一つの「ホネーム」です。

O委員(福永恭助君) 「音系」についての今の私の説明を撤回致します。私は田中舘委員の云はれたことを誤解して居りました。

O委員(宮崎静二君) はつきり致しませぬが、次へ進みます。第四、是はやはり第十頁に出て居る言葉ですが、模音法と寫者法と表音法と云ふ言葉が使つてありますが、是は皆意味が述つて居りますか。一寸分り難いので、どう云ふ意味で使っておいでになりますか、言葉の意味を伺ひたいのです。

○委員(田中舘愛橘君) 是は漢字の使ひ方がまづかつたかも知れませぬが、摸音・寫音と云ふことは殆んど同じやうに使つて居ります。音を真似る.....唯斯う云ふ違ひがあります。「ホニチック」で音を綴るのが寫音。模音と云ふのはイギリスのローマ字綴り方で日本語を真似て書く。或はフランス人が.....

 

O委員(宮崎静二君) 一寸分らなくなりましたが、摸者法と寫音法は同じ意味である。是は外人が日本の言葉を書く場合に自分流に書き表す綴り方、是が模音法・寫音法であると仰しやるのですか。

○委員(田中舘愛橘君) 各々に依て綴り方が違ふ。

○委員(宮崎静二君) 各人が各人勝手に書くのが寫音法ですか。

O委員(田中舘愛橘君) 是は一つの「ホニチック」を定めて置いて寫す。私は言葉の使ひ方が悪いですから、或は誤解を起すことがあるかも知れませぬが.....

○委員(宮崎静二君) 読んで見た感じでは、日本式の今御書きになつて居る方々は寫音法と見るのです。

○委員(田中館愛橘君) それです。つまり範園を廣くして置いてさうして音を現はす。

○委員(宮崎静二君) さうすると、「ブロード・ノウテエション」で行けば、必らずしも日本式でなくともさう云うことになるのですか。

O委員(田中館愛橘君) さうです。


O委員(宮崎静二君) 是は櫻根さんの先程の質問の中にも一寸出ましたが、つまり我々がお互ひに論じ合つて居る他の大多数のものは、同じ文字で現はされて居るのであります。問題となる所のものは定つて居ります。此一部分をばやはり同じやうに寫音法に依て限られたものと見て宜しうございますか。

O委員(田中舘愛橘君) えゝ、それで私共の心配する所は、日本式は音価とは関係なしに、無暗に五十音で進めて居る。さうして音は一向現はして居らぬと云ふことに、宣伝され評判されるがさうではない、「ブロード・ホニチック」である。それから又之に反して、標準式では確実に日本の音を現はして発音に通ずるものだと云ふ風に書いたものでも、話でも聴くやうでありますが、若しも発音を基準として書くならば、「f」で「フ」の音を現はすことは全く誤つて居る。

O委員(宮崎静二君) 御説は後で伺ひます。第五に移ります。場所は同じ所でありますが、「斯の如く清音と模音と全然別々で、摸音法で國語を書くとすれば云々」とありますが、是は何か斯う云ふことがあることを眼中に御置きになつて仰しやつて居るのでせうか、それとも抽象的に仰しやつたのでありますか。

○委員(田中舘愛橘君) 之は抽象的ですが、前の項に斯う云ふやうなイギリス流やフランス流にすると、「ch」だけを使つては語法文法が複雑になると云ふことを云つたのです。

○委員(宮崎静二君) 分りました。くだらない質問で御気の毒でありますが、第六に是は第十五頁になりまず。斯う云ふことが書いてある。國語を捨てる、或は國語を組み替へると云ふことが書いてありまず。是とローマ字綴りが何か関係があるのですか。

○委員(田中舘愛橘君) 是は関係なしと御考へになればなし、関係ありと御考へになればある。國語と云ふものは重いものであると云ふことで、其後に國語を尊重する意味から語法文法を尊重して、其考へからしなければならないと云ふことが日本式の方にはある。國語を尊重して語法・文法を尊重する訳ですね。

○委員(宮崎静二君) 國語を捨てる、國語を組み変へると云ふやうな事例があると云ふ意味ですか。

○愛貝(田中舘愛橘君) 是は抽象的のことです。けれども國語の書き方が変ると云ふことは、直接でなくても多少影響が行くかも知れぬが、是は國語は大切なものである、それに正字法は尚ほ大切であるふ云ふことであります。

○委員(宮崎静二君) 田中館博士はそれだけであります。田丸博士は御出でになりませぬから.....

 

○議長(田中隆三君) 一寸御話中ですが、今日は食事の用意もしてありませぬし、他に用事のある方もあるさうですから、此程度に止めて置きたいと思ひます。大変ぼつぼつになりますけれども、もう暑中になりますし、田中舘さんも暫くの間外國に暑中休暇中いらつしやると云ふ希望もありますので、暑中は休みまして暑中明けとなつてから會議を開くやうに致したいと思ひます。続きのことは此次の會に御願致したいと思ひます。

                             【午後五時十五分閉會】

 

  ...................................................................................

    臨時ローマ字調査會委員殿            同 委員  田 丸 が 郎

       附和六年一月三十一目

拝啓 去十三日の臨時ローマ字調査會議場で、時間の関係から小生の発言出来ませなんだ事項は、次回に於て申述べる筈でございますが、そのうち次の二点だけは、事柄の性質上二ケ月以上を待つことを苦痛に感じますので、一応書面を以て各委員諸君に申上げ置きます。何卒御通読を願ひます。

 (一)櫻井委員の発言中、小生が大學新聞に書きましたものを読み上げられ、それが小生の甚巧みな宣傅であると申されましたことは、小生の全く心外に存ずることでございます。彼の文句に書き表はしました事柄は全部小生の真実と信ずる所でございまして、其問に誇張又は煽動に類する意志は毛頭ございません。就中ローマ字綴り方問題に政治的勢力が関係することは問題の性質から考へまして、小生の最も不本意に又同時に最も当惑に感ずる点でございまして、この故に小生は発表前に文部次官に對して委員たることを辞したき意嚮を陳べた位でごぎいます。尤もこの委員辞退の意嚮は当局者のこの國家的重大問題を解決せんとせられる御決意を尊重する意味に於て、小生として出来る限り、十分の努力を以て其職に当るべきことを決心して撤回いたしました。かゝる次第で、彼文章は全く小生の事実と思ふ處、並にこれによつて感じた処を、卒直に言ひ表はしたゞけのもので、宜傅などとは思ひもよらぬことでございます。而も彼の新聞は、関係者諸君に小生の苦衷を申上げたき意味を以て特に新聞牡から必要部数を取寄せ、會長各委員(櫻井委員を含む)並に幹事諸君に對し、差出人に小生の名を署して送附致し、御一読を願つたものでございますのに、櫻井委員が恰も他より入手せる新聞紙の切抜きを読むが如き、又小生の不穏の言辞を素破ぬきたるが如き態度を以て、それを読み上げられたるは小生の全然了解し能はざる處でございます。

 (二)櫻井委員は其演述中に於て数回「コソコソ運動」なる語を使はれました。同委員は如何なる運動をコソコソ運動とし如何なる運動をコソこそならざる運動とせられるか明かでありませんが、誰にもあれ如何なる途にもよれ、苟も不法ならざる方法手段によつて自ら善しと信ずる所を当路に開陳するに何の不可がありませう。同委員が故らにかゝる中傷的の語を使はれましたことは小生の全く了解し能はざる所でございます。

 右の外、同委員が我々日本式の仲間がへボン式の名を製造して云々と我々の夢想もしないことを申されたことなどから見ましても、同委員は種々の点で余程根深い感違ひをして居られることが察せられますが、如何に感違ひの結果とは申せ、上のやうな感情的な議論をされることは甚だ遺憾なことゝ存じます。

 思ふに臨時ローマ字調査會は國家の一重大問題に就て審議することを目的とした會でございます。それの會議に於ては目的の事項なる綴り方に就て學問上並に國家國民の福利上から論議すべきであつて、各個人の態度方針等に関する感情的な評語を交へることは、審議の圓満な進行を阻み、會議の目的を害ふものであると存じます。會議の将来の進行に就て心配の余り愚見を申述べる次第でございます。

 追記 櫻井委員は前記御論述の間に小生に関係しても「失礼な言があつたならぼ御詫を申す」といふ御丁事な御詞を賜はりまして恐縮いたした次第でございますが、それが上に述べました諸点を取消される意味とも了解しかねますので、上のやうに申述べました。

 尚念の為に申添へますが、櫻井委員は小生の最も尊敬する先輩の一人で居られることは申すまでもございませんので、普通の事柄ならば上のやうな評は御遠慮いたす所でございますけれども、此度の問題は國家的に重大な問題で個人的の考慮によつて言論を遠慮すべきでないと存じますので、止むを得ず上のやうに申述べました次第、此点特に御了承を願ひます。

                            (終)