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プロフィールHEADLINE

身体的特徴

身長
177p  178pあったのですが、縮んだのかな?
体重
84.5s   80sまではダイエットしたいと思っています。
視力
右0.3  左0.1   矯正後1.0  当然ですが、遠近両用メガネです。
身体的に寂しいところ
見ての通り「頭部」です。 外部だけでなく内部も薄いのが悩みですが・・・
好きな食べ物
ラーメン、うどん、カレー、そば、お好み焼き  グルメとはほど遠い存在です。
赤ワインも好きですが、銘柄などは全く解りません。渋めが好きです。
趣味
仕事?読書、パソコン関係(ネットサーフィン、情報整理、FB・Twitterなど)       最新機種が出ると欲しくなる、新しもの好きです。
年 月 日 年齢 エピソード 備  考
昭和28年
6月15日
阿波町西原で生まれる
4才頃
右手にはクリスマスプレゼントと思われるピストル。ヒザの継ぎ接ぎが懐かしい
昭和34年
4月
阿波町立伊沢幼稚園入学
昭和35年
4月
阿波町立伊沢小学校入学
昭和35年
運動会で地区別対抗リレーの選手になった(地区で学年男子は私一人だったため)が、スタートでバトンを落とし、懸命に走ったがビリになる。
(このときにはまだ自分の足が遅いことに気づいていなかった)
昭和36年
小学二年の運動会の地区対抗リレーで、一年生からはトップで私にバトンを渡されたが、次々抜かれビリになる。(自分の足の遅さを自覚し始めた)
以後これがトラウマになり、運動会が苦痛になった。

5年生頃か?
神戸のおじさんが来ると、いつも写真を撮ってくれた
昭和39年
4月
10 成績順に教室の席次を決める先生が担任になった。
いつも隣に座る女の子にほのかな恋心。これが初恋か?
昭和40年
4月
11 担任の先生に勧められ、生徒会長選に立候補。
3人の立候補者が立ち会い演説会。
これが演説の初体験。結果は次点に泣く。
昭和41年
3月
12 伊沢小学校卒業
昭和41年
4月
12 阿波町立阿波中学校入学
先輩に勧められて、ブラスバンド部入部。
トランペットに憧れたが、一年生のこともありシンバル担当。
瀬詰大橋の竣工式で「君が代」を演奏した。
昭和42年
4月
13 中学校2年の新学期から、阿波町内の3校が新校舎へ統合された。
中学に頃
中学校は坊主頭
昭和43年
4月
14 中学校が合併したことで弦楽器も加わり、ブラスバンド部から音楽部へと名称も変わり、オーケストラ編成となる。
音譜の読めない身でありながら、2代目部長となる。

歯並びが悪く、いつも左寄りにマウスピースを当てていたことが影響し、左の唇が伸びて、現在のように口がゆがんでしまった。

右の写真のころは、まだ大丈夫だったのに!
昭和44年
4月
15 徳島県立脇町高等学校普通科入学
高校に音楽部がなかったことから、卓球部に入部。
スポーツ音痴も手伝い成績は残せなかったが、良い友達を得る。

高校2年生
修学旅行で日光へ
昭和45年
17 大阪万国博覧会が開催され、夏休み友人と共に一週間親戚の会社の空き部屋を借り見に行った。
岡本太郎の太陽の塔に感動した。
昭和47年
3月
18 徳島県立脇町高等学校卒業
昭和47年
4月
18 神奈川大学工学部建築学科入学
浪人しようかと迷ったが、家業を継ぐことを決めており、学歴社会で生きるわけではないと自分なりに割り切ったつもりだったが・・・・今でも
もう一度チャレンジすべきだったと感じている。
昭和47年
9月
19 沖縄返還闘争で、大学がロックアウトとなり、前期試験が中止となった。
その後学生運動は下火へ。
尊敬する先輩に誘われ、一度「民青同盟」に入ったが、その思想にどうしても同感できず脱退。以後ノンポリ生活。
昭和51年
3月
22 神奈川大学卒業
平成51年
9月
23 大学卒業。徳島へ帰る。しばらく家業を手伝っていたが、インテリアデザインを学ぶため、河原デザインスクールへ入学。
昭和51年
12月
23 宅地建物取引主任者資格取得
二級建築士免許取得
昭和53年
3月
24 河原デザインスクール インテリアデザイン科卒業
帰郷し家業に復帰。
一級建築士資格取得
昭和53年
12月
24 建築関係の仕事に関与していた友人数人と、土地、設計、建築までをカバーする総合事務所設立を目指し、
<人間・環境・建築工房TEAM28>を開設 代表となる。
昭和55年
1月20日
26 結婚 妻 真由美22才
私は妻が8人目、妻は私が3人目の見合い相手だった。

当時ジュディオングの「魅せられて」が流行していたことと、文明の発祥地で古代建築の宝庫でもあることから、ギリシャへ新婚旅行。
(後継者が育ち、リタイア後何時の日か、夫婦でもう一度訪れることが夢)

昭和55年
8月9日
27 父が交通事故で他界(享年57才)

弔問者600余名。花輪150本余。父の交友関係の広さと、多くの人から認められた人間性を改めて感じた。
(有)丸若材木店 代表取締役となる。

父の跡を継ぎ、(社)阿波麻植法人会 阿波地区部会長就任。
税務署の友誼団体である法人会との関係が深まった。
昭和55年
11月
27 人間・環境・建築工房TEAM28 を友人に譲り、
<建築設計 啄木鳥(キツツキ)>開設。
インテリアコーディネーター資格取得
昭和56年
5月
27 長男 洋祐(ようすけ)誕生。
父の死後の家庭に、笑いと希望を与えてくれた。
昭和57年
8月
29 次男 修平(しゅうへい)誕生。
妻は子育てに追われることになったが、仕事に張り合いが増してきた。
昭和58年
11月
30 住宅リフォーム工事、新築、防音工事を主たる業務とする別会社として、<株式会社 徳島住宅リフォームセンター>を設立。
→現在は<(株)トップハウジング>に社名変更している。
昭和60年
12月
32 三男 祥太(しょうた)誕生。
次は 女の子! と思ったが、これもまた楽しい結果となった。
三人の名前を一時ずつ並べると「太平洋」となる。
力を合わせ、仲良く生きて欲しいと願う。
平成3年
7月1日
38 阿波ライオンズクラブ会長就任。
全国最年少会長として 20周年記念式典を開催した。
平成3年
9月1日
38 (有)丸若材木店を改組改名し
 株式会社アーキトップとなる。
従来の木材販売よりも、住宅機器販売、建築工事へ営業内容をシフトする方針を固めた。
平成4年
4月
38 まちづくり運動に参加し「阿波町まちづくりリーダー塾」第一期生として、全国各地に研修等に出かけた。

役場職員であり、姉の同級生でもある井原まゆみさんから、リーダー塾への参加を要請され、格別の意識もなく参加したが、仲間と共に活動する中で「まちづくり」への興味と意欲が大きくなってきた。

地域は行政が動かすのではなく、地域住民の連携の中で活かされることを再認識したが、同時に「政治」と「行政」のあり方が、地域住民の生活に大きな影響を与えていることを強く意識するようになった。
平成5年
4月
39 「まちづくりリーダー塾」卒塾後、同メンバーと共に
「まちづくりグループ クリーンハート」を設立。

父の交通事故による突然の死後仕事一筋の毎日だったが、日々の活動の中に「まちづくり」が加わり、これ以後私と行政との関わりが、日に日に大きくなってきた。
 平成5年
9月
 40  肺ガンで入院中であった印藤町長が死去。町長選挙となる。
悪しき慣習を断ち切り、お金に翻弄されないクリーン選挙の実現を目指し「いらんでよ、もらわんとこな」運動を仲間と共に進めたが、その願いもむなしく、双方1億5千万円以上を使い、逮捕者までも出す醜い選挙となった。
支援していた候補は当選したが、心からは喜べなかった。
 
平成5年
9月
40 選挙に携わる中で、公職選挙法こそがマニフェストを中心とした「政策本意の選挙」を妨げていると、強く認識した。


(井原まゆみさんとドルチェにて)
よい地域づくりを実現するには、地方政治のあり方から変えなければならないこと。
その為には「金」「もの」「地域のしがらみ」がハバをきかす選挙ではなく、マニフェストを中心とした「住民本位の選挙」を実現しなければならないとの思いが、いっそう高まった。

当時は自分が選挙に出るなど全く想像できなかったのだが、今にして思えばこの頃から選挙との縁が出来たのかも知れない。
平成6年
1月
40 商工会青年部で、商業集積施設(ショッピングセンター)についての勉強会の座長をしていたことから、食品スーパー後継者が中心となり進めていた阿波町共同店舗事業への協力を、商工会事務方トップから要請され参加。

建設委員長を任命され、共同店舗事業成功の8割を決めると言われていた、建設予定地の用地買収交渉を担当。
地権者ひとり一人への交渉シミュレーションを頭に描きながら、眠れぬ夜が続いたが、実質2週間で地権者17名、18,600uの用地買い上げ交渉をまとめた。(平成7年2月)
平成7年
9月
42 農業後継者が開催を検討していた、ふるさとキャラバンのミュージカル「男のロマン、女のフマン」公演に、同会会長から協力の依頼を受け、事務局長として参加。
3500円の入場券であったが、目標よりも多い800名余りの観客が集まり大盛況となった。

公演後に会場の後片付けを終えた時、劇団員の方々から「全国の何処よりも、人の熱意を感じた」との言葉を頂き、確固たる成功への信念を持つこと、そして、自分に言い訳せず「一所懸命」取り組むことが何より大事であると、改めて認識した。
平成8年
2月
42 共同店舗初代理事長が家庭の事情により脱退。

ショッピングセンター事業には関係のない木材・建築業であることから固辞したが、組合員からの強い要請により
阿波町共同店舗準備組合 理事長就任。

 同年5月・マルヨシセンターと出店調印
 同年11月・ハウジングセンターヨコタの出店確認
  ショッピングセンター構想が本格始動した。
平成9年
4月
43 阿波町と市場町の広域事業として3年計画で出発した「フルーツフラワー王国」の会長就任。
農産物のブランド化、生産・加工・販売までを扱う新産業化への可能性を探る。

長年基幹産業として位置づけられてきた農業だが、行政と従事者の間には断絶があり、唯我独尊的思考の多い農業従事者には協調性が求められること、また農業を産業として育てるには、農業者側には「発想の転換」が、行政には「戦略的支援」という視点が必要であるとの思いを新たにした。
平成9年
10月
44 阿波町共同店舗準備組合を高度化認定に向けて
阿波町コミュニティマート(協)に改組 
  理事長就任。
平成9年
11月
44 阿波町議会議員補欠選挙に立候補
5063票 初当選。(一期目)

商業者と住民そして行政が一体となって進める、商業を中心としたまちづくり事業である「コミュニティマート構想」を何としても実現したいとの思い、さらに、もっと積極的に地方政治に関わり、住民の声を活かしたまちづくりを進めたいとの、止むに止まれぬ思いから立候補を決意した。

町長選二期目を目指す現職と、返り咲きを果たしたい元色の激しい争いの狭間で、補欠選挙もその波の中で思惑が入り乱れ、デマと中傷に翻弄される選挙戦となったが、それまでに主張通り「金」や「もの」ではなく「信念」に基づき「政策本意の選挙」を貫いたこと、そして選挙の現実が見えたこともあり、以後の活動のためにも良い経験となった。

平成11年
3月
45 ショッピングプラザ アワーズ OPEN!

立ち上げから参加し、建設用地買収交渉、核店舗・準核店舗の招聘、出店者の募集、行政との調整、建設業者選定、周辺整備計画策定等、全力を傾け4年余り。
この日に至るまでの色々なことが走馬燈のように駆けめぐり、オープン初日最後のお客様を送り出した閉店後の店内で、苦労を共にした事務局長と二人、思い切り泣いた。
うれしかった。


購買力の90%以上が町外流出していた阿波町に、念願であった地域商業の核施設が完成した。

これからが「まちの顔づくり」事業の本番であり、商業者、行政、住民が一体となり充実発展させる、地域活性化のモデル事業としなければならないとの決意を新たにした。
平成11年
4月
45 阿波町議会 広報特別委員長就任

議会及び行政の情報公開が「まちづくり」の基本であるとの考えから、紙面の段組変更や「ご意見ハガキ」の採用など、記事内容や構成を根本的に見直し、購読率の向上に務めた。
平成12年
3月
46 阿波町議会議員選挙当選 
   509票 10位 (二期目)
文教厚生常任委員長
町村合併特別委員長 就任

国の財政状況を見れば地方交付税の削減方針は明らかであること、また平成11年7月可決成立した「地方分権一括法」が4月から施行されること、さらに日本再生のためにも「合併はせざるを得ない」との信念から、町村合併委員長として地方主権の実現を目指し、阿波・市場・土成・吉野4町の議長、副議長、町村合併正・副委員長の合同会議を企画開催。

坂東土成町長はこの席で、6月議会に法定合併協議会設置議案を成立させ、4町合併へ参加したいとの決意を語ったが、議会対策も含め、町内の調整が付かず頓挫。
あわ北合併協議会は解散となった。
平成13年
5月
47 父の死後27歳から20年間務めた阿波地区部会長を退任し(社)阿波麻植法人会 副会長就任。

阿波町監査委員就任。
平成15年
4月
49 町村合併特別委員会委員長(二期目) 就任

土成町参加により阿波北4町合併が復活し、法定協議会が設立され、議会選出合併委員としてあわ北合併協議会に参加。

国が合併のアメとして用意した合併特例債交付税の算定替え等の甘い罠に捕らわれず、人員削減、事業見直し、経費削減を進めると共に、各町の資源を生かした新市建設計画策定すべきと強く主張した。
平成15年
11月
50 アワーズ内店舗のSUN住奏(さんじゅうそう)を50坪へ増床 来場者倍増し好評を得る。

福祉用具専門相談員資格 取得
介護リフォームを含め、高齢化の進む家庭での快適と安全を提供していきたいとの思いで、営業内容の充実を図った。

平成16年
3月28日
50 阿波町議会議員 三期目当選 604票4位
(3位と2票差、2位と9票差)

初めての選挙以来、後援会通信等のチラシ作戦と対話のみの選挙戦を展開し、実質1000万円以上かける候補者が多い中、懸案である市町村合併の情報と政治信条を記載した「手作りビラ」と「手作り名刺」だけの選挙運動により、選挙前後の総費用を合わせても法定選挙費用内の完全クリーン選挙を三期連続で貫徹した。

総務常任委員会委員長 就任
合併まで一年となり、町として最終年度の行政運営に一所懸命取り組む決意をした。
平成16年
5月
50 阿波町商工会副会長就任。
平成17年
4月1日
51 合併により阿波市となる      (参考 合併前の4町)
人口 42,388人 総世帯数 12,657戸
1世帯あたり人数 3.32人 核家族世帯割合 49.9%
65歳以上家族
のいる世帯割合
54.4% 65歳以上家族
人員1人世帯割合
7.5%
平成17年
4月15日
51 合併初議会開催
議会委員構成
 総務企画常任委員会 委員長
 議会運営委員会 委員
 まちづくり特別委員会 委員  就任

合併により67名という大議会となった。
平成17年
12月18日
52 町議会時代から懸案としていた
 「阿波市議会議員倫理条例」
 「同 施行規則」
 「政治倫理審査会条例」の3本を議員提案した。

予算審議をする議員の親族が、市発注工事や物品納入に関わったのでは、公正な入札を阻害するおそれがあるし、そのような状況の中では、市民から議員に対する信頼は生まれないとの考えから、議員の3親等までの者が関わる会社や人の「入札」と「物品納入」を、下請けに至るまで排除するという、全国で最も厳しい条例を自ら起案し、提出した。

提案時には、67名もの大議会であり、かなりの抵抗があるものと覚悟していたが、建設業関連議員も多数在籍しているにも関わらず、全国的にもまれな「全会一致」で成立させることが出来た。
徳島県の市で、初めての条例制定となった。

予想外の「全会一致」となったことで、市議会議員としての役割は果たせたとの「天命」を感じ、次回選挙には立候補しないと、心に決めた。
平成18年
1月
52 委嘱により
 行政改革推進委員会委員
 阿波市総合計画審議会委員
平成18年
2月
52 「まちづくり座談会」のメンバー募集に応募し
 産業部会へ参加
平成18年
3月
52 市議会議員としての役割を終えた。

これまでのご恩返しも含め、一市民として、もう一度「まちづくり」に精進したい、との思いを新たにした。
平成18年
8月10日
53 地元有志の要請もあり、平成の大合併以降の大きく動きつつある地方自治に関与したいとの思いから、平成19年4月に実施される統一地方選挙に於いて、県議会議員選挙への立候補を決意した。

9月2日 地元西原地区の臨時総会で推薦された。
9月16日 西原地区の方々へ、常会役員の方々とともに出馬予定を報告した。

以後、全市へのあいさつ回りを開始。
平成19年
4月8日
53 8375票を獲得し、県幹部OBで三期目を目差していた地元現職に2100票余りの差をつけ
徳島県議会議員 当選!一期目

厳しい選挙戦を親身にご支援下さり、当選を願いつつ選挙期間中に亡くなった方々の、天国からのご支援もありがたく、嬉しさよりも感謝の気持ちでいっぱいになった。

平成19年
5月17日
53 臨時議会開会 選挙後初の議会 
    議長、副議長、所管委員会の決定があり、

総務常任委員会 委員
環境特別委員会 委員 となる。

徳島県議会最大会派である 
  自由民主党「新政会」へ入会。
平成19年
6月11日
53 4月に当選して2ヶ月、
選挙後初の6月定例議会に於いて、
今期当選者全員のトップバッターとして、
会派を代表し一般質問をする機会を得た。

市議会と違う雰囲気に多少緊張しが、長峰工業団地のこと、情報公開についてなど、阿波市の懸案事項と徳島県の政治姿勢について質問した。
長峰工業団地については、賃貸及び販売条件の緩和、立地企業業種の緩和を求め現状に即した条件に変更するとの答弁を引き出した。
この条件緩和により、全く動かなかった残り二区画に企業進出が実現する流れとなった。


平成19年
9月25日
54 企業会計決算認定特別委員会 委員 就任。
平成20年
3月18日
54 委員会の構成変更があり

文教厚生常任委員会 副委員長
交通交流特別委員会 委員 
平成21年
3月19日
55 総務常任委員会 委員長 就任

県議会における総務委員長は、他の委員長とは別格のものであり、「一期生で、しかも県議会2年の経験で総務委員長になったのは、嘗てないことだから、そのつもりで」しっかりやるようにと、先輩から激励された。

人権・少子・高齢化対策特別委員会 委員
一般会計決算認定特別委員会 委員

平成22年
2月19日
56 経済委員会 副委員長
交通・交流対策特別委員会 委員

自由民主党新政会 副幹事長(研修担当)
平成22年
10月5日
57 普通会計決算認定特別委員会 委員に選任される
来年度予算編成に向けて、H21年度決算を審査する
懸案事項についても質問し、来期へ望むことを述べた。
平成23年
3月11日
57 午後2時46分 東日本大震災発生!

大津波が甚大な被害をもたらし「千年に一度の大災害」となったが、当日の夜からは、東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウン、水素爆発が起こり、政府の後手後手の対応とご都合主義、そして東電の隠蔽体質による被害が、地震・津波よりも大きな問題となっていった。
平成23年
3月17日
57 二期目の県議会議員選挙に向け事務所開き
旧サンクス跡を借りた。
平成23年
4月1日
57 県議会議員選挙 無投票当選 二期目

東日本大震災の発生もあり、出陣式も「黙祷」に始まり、必勝ハチマキもなし、前回のような動員も無しだったので、どれほどの方に来ていただけるのか不安だったが、実数で800人ほどの人が集まり感謝の一言!

前回の厳しい戦いから一転、一日の告示日に市内一円を広報活動する中、無投票で当選が決定の知らせがあった。
より大きな責任を負ったものと肝に銘じ、活動することを誓う。

その夜の「感謝・慰労会」で、「祐ちゃんも良かったが、私らも良かった」としみじみ話された親戚の言葉に、前回の選挙時の厳しさと親戚や友人の協力の大きさを感じた。

平成23年
5月17日
57 改選後の臨時議会において
 議長に岡本富治氏、副議長に森田正博氏が選任

 県土整備常任委員会 委員長
 関西広域連合特別委員会 委員 
平成23年
7月3日
58 次男 修平が 前田典子さんと結婚
初めて娘が出来た気分
平成24年
3月21日
   長男 洋祐が 西阪享子さんと入籍
   新たな一歩を歩み始めた。
 
平成24年
3月25日
徳島県議会新議長に 県民会議の 樫本 孝氏
 副議長に明政会の 嘉見博之氏が 就任された。
 私は
  総務常任委員会 委員
  環境対策特別委員会 委員 
就任
平成25年
3月14日
59 徳島県議会新議長に 県民会議の 杉本直樹氏氏
  副議長に 川端正義氏が 就任された。
私は
 議会選出 監査委員
 県土整備委員会 委員
 人権過疎対策特別委員会 委員 
就任
平成25年
4月10日
  大阪で住友化学に勤務している長男洋祐夫婦に長男誕生!  「祐人(ゆうと)」と命名。
初孫誕生で晴れて「じいちゃん」となる!
 
平成26年
3月12日
60   徳島県議会 議長に 明政会の森田正治氏
      副議長に 県民会議の木南征美
        (きみなみ ゆきよし)氏が 
        就任された。

私は
 文教厚生常任委員会委員
 環境対策特別委員会 委員長 就任
 
平成26年
12月30日
完済

解散総会は
12月24日
 61 ショッピングプラザアワーズを、組合員であるヨコタコーポレーション株式会社が設立した「株式会社アワーズクリエイト」へ経営譲渡する協議がまとまり、私にとって大きな心の負担となっていた組合に対する高度化借入金の残額を一括返済することが出来たことから、阿波町コミュニティーマート協同組合を解散した。

延長を含めた国の高度化融資返済期限である平成41年(私は満74歳となる)まで、代表理事としての責任を免れないものと覚悟していたが、正に天佑ともいえる展開で解決に到り、新年を目前に、一気に肩の荷を下ろすことが出来た。
今後は、「テナント会」の会長として、フリーな立場でアワーズの発展に寄与することになる!
 
平成27年
4月3日
 61  統一地方選挙 
  徳島県議会議員選挙 三期目 無投票当選

  徳島県知事選挙 飯泉嘉門知事 四期目 当選
平成27年
5月18日
 61  徳島県議会 議長に 当会派の 川端正義氏
      副議長に 明政会の 重清佳之氏が就任

私は 議会運営委員会 委員長
   防災対策特別委員会 委員
   会派役職 自由民主党県民会議 副会長

県議会超党派勉強会「徳島梁山泊」 発足 会長就任
 
 平成28年
3月28日
 62  同志7名で新会派「自民創政会」を旗揚げしました。
故竹内資浩(たけうちもとひろ)氏の志を受け継いでいきます!


議会構成は、
徳島県議会 議長に 明政会の 嘉見博之氏
      副議長に 県民会議の 喜多宏思氏が就任

私は 経済常任委員会 委員長
   環境対策特別委員会 委員
 
 平成28年
 6月3日
 62  美馬市長の牧田氏の交通事故による引責辞任に伴い、会派の藤田元治議員が、美馬市長選挙立候補のため辞職しました。
 新会派を立ち上げ「さあこれから!」というときで、非常に残念ではありますが、新しい門出を心から祝福しました。
 
 平成28年
7月22日
 63  次男 修平夫婦に待望の長男誕生!
    「陽平」と命名
結婚から5年、念願の内孫誕生で喜びもひとしお!
 
 平成29年
 3月
 63  自民系3会派が合流し、新会派「徳島県議会 自由民主党」が誕生しました。
県議会議員37人のうち、27人が構成員となる大会派がどのような活動をしていくのか、大きな責任を伴う改変と言えるでしょう。
 
 平成29年
4月
63 議長に木南征美(きみなみ ゆきよし)氏
副議長に寺井正邇(てらい しょうじ)氏が就任

私は、文教厚生委員会
次世代人材育成・少子高齢化対策特別委員 に所属

合わせて 関西広域連合議会議員 同理事となり、自由民主党県連では、憲法改正本部長 となりました。
 
丸若
丸若
丸若
マルワカ
丸若
まるわか
徳島県関係
丸若
丸若
政 党
マルワカ
丸若
情 報
日本の借金時計
徳島の借金時計
まるわか
丸若
丸若
まるわか
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