松陰寺のすり鉢松・・・静岡の伝説より(静岡県伝説研究会編)抜粋
今から300年ほど昔、原の松陰寺に、白隠という和尚さんが住んでいました。五百年に一人出るか出ないかという、とてもえらいお坊さんだったので、歌にまで歌われました。
「駿河の国に過ぎたるものが二つあり、一に富士山、二に白隠。」
白隠は、学問はあるし、困る人があると、相談にのってやり、捨て子があると、親がわかるまで、 赤ちゃんを抱いてお乳をもらって歩いたり、いろいろと世の中のためになる仕事をしたりしていました。
だから、原の人たちばかりでなく、白隠の評判を聞いて、日本中のあちらこちらから、大勢の人が原にやってきました。 このころ、備前の国(岡山県)の大名である池田侯は参勤交代の行き帰りに松陰寺へ立ち寄って、白隠和尚から国の治め方や、学問などを教わるのを楽しみにしていました。
ある年の秋のこと、池田侯が参勤交代の帰りに原の宿へやってきました。
「今日は何もおみやげ物をもってこなかったが、望みの物があれば、何なりと遠慮なく言って下され。」
「私は、金持ちではないが、今あるもので十分暮らせます。」
その時、小坊主の一人が、白隠のところへ来てあやまった。
「申し訳ないことをしました。今、台所で、あやまってすり鉢を割ってしまいました。お許しください。」
「もう壊れる時だったのだ」と、白隠は、ただひと言いっただけで許してやりました。
そばでそれを聞いていた池田侯は、
「和尚、それでは、代わりのすり鉢を私が差し上げましょう。ご存知のように、私の国は名高い備前焼の産地です。小坊主の思わぬあやまちを、何もおとがめにならず、 お許しになられた和尚の広い心に、感じ入りました。」
「それは、ありがとうございます。では、すり鉢を一つだけ頂きましょう。」
一ヶ月ほどたった頃、約束どおり備前焼のすり鉢が、五つも届けられました。
「これは、なかなか立派なすり鉢だ」
ちょうどその時、庭の松の木が一本折れたままになっているのが目にとまりました。
「おお、そうだ。あのままにしておくと、折れたところから水が入って、松の木は枯れてしまうだろう。可哀想だから、このすり鉢をかぶせてやろう」
その後、松はぐんぐん育っていきました。すり鉢も、松が大きくなるとともに、どんどん高くなっていった。風が吹いても、雨が降っても、すり鉢はびくともしない。
「不思議だ。どうして落ちないのだろう。」
「白隠さんのやさしい気持が通じているから、落ちるはずがないのだ。」
それ以来、人々はこの松を「松陰寺のすり鉢松」と呼ぶようになり、松を見上げては白隠さんをしのんでいます。

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