マリカ・サイト マリカ日記
 ご冥福をお祈りいたします。平成22年12月19日永眠  この頁一番下を参照
先生の幅広いご交友関係を
示す。左は先生のお友達。
72歳の現役ダンサーで、バレエ、
ボール・ルーム・ダンスと幅が
広い。相手役は16歳の男性。
メダルが無数に箱に入っていた。
日本翻訳詩人協会会長。
世界私人大会名誉会長。
ホセ・柴崎先生
正式には、ドクトル・サー・
ホセ・シバサキとなる。
あまりたくさんあるので、一部のみ アップ。そのうち、折を見て、だんだん アップしていく予定。
Japan Times 1947 Jan.16

What I lost in the War:
Dr.Jose Civasaqie
--------------------------------
I lost my Books,
But my Bible remained.

I lost my house,
But the church remained.

I lost my friends,
But Jesus remained.

I lost everything that belonged to me,
But still I keep the things I need.
2005 April 10th 訪問の際に
書き写す。

--------------------------
私が戦争で失ったもの:

私は多くの書籍を失った、
しかし、聖書は残った。
私は家を失った、
しかし、教会は残った。
私の友は戦死した、
しかし、イエス様は残っておられる。
私は自分のものはすべて失ったが、
必要なものは、まだ持っている。
 
  「去る12月19日、父・柴崎宗佐、肺炎のため94歳で永眠しました。
毎年、春になると書斎から見える我が家の桜を楽しみにしていましたが、
今年は天空高くから眺めることでしょう。
皆様からの長期にわたるご厚情に深く感謝いたします。
父の法名は詩月院秦徳佐想居士
施策をもったpらとし、泰然自若として徳あり、
思いを巡らす月あきらかなる詩人を
どうか時に触れ思い出していただけたらと存じます」

柴崎その枝さん(娘さん)からのハガキを受け取り、途方に暮れた。
どうして私は、先生のお宅へ昨年のお花見にお伺いしなかったのだろう。
でも、それは、以前私が先生のお電話でお招きを受け、お花見にお伺いした時、
とても楽しかったのだが、後日その枝さんからお手紙を受け取り、もう来ないようにとの
指示があったから、躊躇していたのだ。
私がお邪魔した時は、先生、とてもお元気で張り切り過ぎて、疲れが出て、翌日から寝込んでしまったと
書いてあったので、本当に申しわけないことをしたと反省した。
ホセ柴崎先生とは、高橋健二先生が会長時代の日本ペンクラブで初めてご紹介され、
それ以来仲良くしていただいた。
私は大学院時代、高橋健二先生、相良守男先生、奥津彦重先生、佐藤通次先生など、
まわりがみんなそうそうたるおじいさんだったため、違和感がなかった。
ひとつのことを長くやる、ともかく続けるということの大切さをホセ柴崎先生は、膨大な数のノートを
提示することで教えて下さった。
写経の代わりに、聖書の英語版とスペイン語版をこのように書き写しているのですよとおっしゃった。
私もやってみようと、新宿御苑に住んでいた頃、一生懸命に英語の聖書を書き写していたことを
今でも覚えている。
そのうちに、面倒になり、途切れがちになり、また続けたかなと思うと、なぜか続かず、そして
最後にはやめてしまった。根性が足りなかった。
ホセ柴崎先生は、それを生涯お続けになられたから、豊かな語彙を神様から贈られた。
神様と言えば、ひとつわからないことがある。
生涯キリスト教の聖書を書き写していらして、神様をテーマにした詩作をなさっていた先生の戒名が
どうして仏教名なのだろう。
ご自分のお名前さえ、Jose Cibasaquiとスペイン語風に書いていらしたというのに。
ちなみに、先生の訳詞は、多くの歌手によって歌われていらしたようだ。
森山加代子「月影のキューバ」、木村芳子「リオの夜」など。
先生、たくさんのご指導をありがとうございます。   平成23年1月10日
 お問い合わせ:メール