ゴム消し 5/26 ゴムログ BobDylan 木工 Recipe others 沖浦和光 BBS link mail
木工に「ケーブルボックス」を追加 1/14    レシピに「もやし鍋」を追加 2/3

 

 

 

 

 

 

 

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A ten year old child is killed when Israeli war planes target his home.

 

 

 

 

 ソマリアに行く前は、世界というものをひとつの場だとしたら、ぼくは中心概念というものを無意識に持ってたわけです。中心とは、たとえば東京だったり、ニューヨークだったり、ワシントンDCだったり、ロンドンだったりしたわけですね。しかし、飢えて死んでいく子供たちを見て、中心概念は全部崩れました。餓死したって新聞に一行だって記事が出るわけじゃない。お墓がつくられるわけでもない。世界から祝福もされず生まれて、世界から少しも悼まれもせず、注意も向けられず餓死していく子供たちがたくさんいます。ただ餓死するために生まれてくるような子供が、です。間近でそれを見たとき、世界の中心ってここにあるんだな、とはじめて思いました。これは感傷ではありません。これを中心概念として、世界と戦うという方法もあっていいのではないかと考えました。餓死する子供のいる場所を、世界の中心とするならば、もっと思考が戦闘化してもいいのではないかとも考えました。

 世界はもともと、そして、いま現在も、それほど慈愛に満ちているわけではない。そして、すべては米国による戦争犯罪の免罪の上に成り立っている。じつにおかしな話なのですよ。情報の非対称の恐ろしさというのは、これだと思う。アメリカで起きた屁のようにつまらないことが、まるで自国のことのように日本でも報道される。けれども、エチオピアで起きている深刻なことや、一人あたりの国民総生産がたった130ドルのシエラレオネで起きている大事なことは、まず日本では報じられない。この国では、どこのレストランが美味いか、どこのホテルが快適か、どこで買うとブランド商品が安いか、何を食えば健康にいいのか、逮捕された殺人容疑者の性格がいかに凶悪か、タレントの誰と誰がいい仲になっているか....といった情報の洪水のなかでぼくらは生きています。伝えられるべきことは、さほどに伝えられなくてもいいことがらにもみ消されています。アフガンもそうやってもみ消されてきたのです。

 そのときに、言説、情報、報道というものはこれほどまでに不公平だ、この土台をなんとかしない限りは、ものをいっても有効性は持ちえない、どちらかというと無効なんだと思いましたね。同質のことをいま、ぼくはまたアフガンで見ざるをえない。若い人は、まだ報じられていない、語られていない、分類されていない人の悩みや苦しみに新たな想像力を向けていったり、深い関心をはらってほしい。ブッシュやラムズフェルドやチェイニーの貧困な想像力で暴力的に定義されてしまった世界、しかもその惨憺たる定義が定着しつつある世界を、新しい豊かな想像力でなんとか定義しなおしてほしい。それには相当の闘争も覚悟せさざるをえない。でも、そうしないと、ブッシュたちの定義にならされていくと思います。

反定義 新たな想像力へ(辺見庸+坂本龍一・朝日新聞社)

 

 

 

 

 

 

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文部科学省 放射線モニタリング情報 http://radioactivity.mext.go.jp/ja/index.html

東京電力 東日本大震災後の福島第一・第二原子力発電所の状況 http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/index-j.html

原子力安全・保安院 http://www.nisa.meti.go.jp/

消費者庁>東日本大震災についてのお知らせ http://www.caa.go.jp/jisin/

福島第1原発事故の情報(ヤフー) http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/fukushima_nuclear_plant/

[SAVE CHILD]放射能汚染から子供を守ろう. . http://savechild.net/

チェルノブイリへのかけはし http://www.kakehashi.or.jp/

【情報】放射能を可視化するサイト(リンク集) http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/958

早川由紀夫の火山ブログ http://kipuka.blog70.fc2.com/

武田邦彦教授のブログ http://takedanet.com/

宮内勝典「海亀日記」 http://pws.prserv.net/umigame/

友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ
 http://p.tl/V5qz

小出裕章(京大助教)非公式まとめ
 http://hiroakikoide.wordpress.com/

 

丸山健二 (@maruyamakenji) on Twitter http://twitter.com/#!/maruyamakenji

丸山健二のブログ http://ameblo.jp/maruyamakanji/

 

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開館ぴったりの朝9時到着  2012.5.20

 

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「ここ、おかしい」と蘇我氏の系図に

 

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酒船石のレプリカ

 

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奥飛鳥へ来た  後ろは稲淵の綱掛け神事

 

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明日香から高取城址へ抜ける山道でお昼

 

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おにぎりと、子のつくった野菜炒めとスクランブルエッグ、いちご。
このあと二人で昼寝した。

 

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飛鳥駅前の物産店であすかルビーのソフトクリーム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひさしぶりに風邪を引いてダウン。熱が収まってきた二日目から、ベッドでどんどん本が読めること読めること。これまで買い置きしていたものや積読のままだった本――――すべて震災関連のものだったが――――を一気に読み尽くした。石牟礼道子・藤原新也「なみだふるはな」(河出書房新社)、高橋哲哉「犠牲のシステム 福島・沖縄」(集英社新書)、外岡秀俊「3・11 複合被災」(岩波新書)、NHK「東海村臨界事故」取材班「朽ちていった命 被爆治療83日間の記録」(新潮文庫)。これらを一気に読みつくして、子も学校へ出かけ、Yも買い物へ出かけ誰もいない家の二階の寝室でひとり涙も涸れて窓から差し込んでくる午後の光に茫漠とした心地でしばらくたゆとうていた。

 

 多くを引用している余裕がないが、かつて「靖国問題」で“国家による犠牲のシステム”を記した高橋哲哉は非常に判りやすい、というか当たり前のこと。神国日本のためにと死んでいった若者たち、戦争の捨石とされ挙句に売り渡された沖縄の人々たち、そして今回の原発事故で犠牲になったさまざまな人々たち、の共通項としてそこに秘められた「犠牲のシステム」を語る。それは著者の言葉を借りれば次のようなものだ。

 

 犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている。そして隠蔽や正当化が困難になり、犠牲の不当性が告発されても、犠牲にする者(たち)は自らの責任を否認し、責任から逃亡する。この国の犠牲のシステムは「無責任の体系」(丸山眞男)を含んで存立するのだ。

高橋哲哉「犠牲のシステム 福島・沖縄」(集英社新書)

 

 では誰がいったい犠牲となるのか。それを決定できる者など、そもそもいるのか。それを決定する者は、まず自分が率先して犠牲になる覚悟ができているのか。「そして、だれにも犠牲を引き受ける覚悟がなく、だれかに犠牲を押しつける権利もないとしたら、在日米軍基地についても原発についても、それを受け入れ、推進してきた国策そのものを見直すしかないのではないか」と高橋は記すが、これもそもそもが当たり前のことだ。

 

 これら冷徹なシステムの真逆に位置している存在の言葉として、わたしは石牟礼道子がすでに亡くなった知り合いの水俣病患者の言葉として紹介していた次のような言葉を置きたい。福島・飯館村のアスファルトの上で踊り狂っていた二匹の蟻を見たときに「人類はもう滅んだ方がいい。人類が滅んで、その分助かる種が助かった方がいい」と藤原新也は思わず思ったそうだが、わたしはこの長年の苦痛と苦しみの末に到達した尊い水俣の女性の言葉は、救いようのないわたしたち人類の中で唯一、飯館村のアスファルトの上で踊り狂っていた二匹の蟻と対峙できる言葉ではないかと思ったのだった。

 

 道子さん、私は全部許すことにしました。チッソも許す。私たちを散々卑しめた人たちも許す。恨んでばかりおれば苦しゅうてならん。毎日うなじのあたりにキリで差し込むような痛みのあっとばい。痙攣もくるとばい。毎日そういう体で人を恨んでばかりおれば、苦しさは募るばっかり。親からも人を恨むなと言われて、全部許すことにした。親子代々この病ばわずろうて、助かる道はなかごたるばってん、許すことで心が軽ろうなった。
 病まん人の分まで、わたし共が、うち背負うてゆく。全部背負うてゆく。
 知らんちゅうことがいちばんの罪ばい。人を憎めばわが身もきつかろうが。自分が変わらんことには人は変わらんと父にいわれよったが、やっとわかってきた。うちは家族全部、水俣病にかかっとる。漁師じゃもんで

石牟礼道子・藤原新也「なみだふるはな」(河出書房新社)

 

 夕餉の席で、子にこの短い文章を朗読しながら、わたしはいくど声を詰まりかけたことだったろう。

2012.5.26

 

*

 

 数日前であったか、子は学校の社会科見学で明日香へ行った。飛鳥駅から鬼の雪隠や亀石を見て石舞台古墳前で昼食、その後、飛鳥寺から甘樫丘へと周遊するのだから、まあそれなりの距離がある。果たして歩けるだろうかと、父親が出張で不在の間、子は母と事前の実地調査へおもむき、おなじコースを歩いてみたのだった。「紫乃ちゃんは歴史に強い興味を持っていて、本人もみんなと歩きたいと言うので、歩かせようと思っているんです」と担任のT先生が相談をしてきていた。勘違いで岡寺までのぼってしまった追加コースを子は何とか甘樫丘まで踏破してそこで限界、本来はそこからさらに橿原神宮駅まで歩いて戻るのだが、その日はバスに乗って帰ってきた。当日も甘樫丘までは無事に歩くことができて、そこからは教頭先生の車で駅まで先に運んでもらった。

 そんな経緯があったので、「復習」というわけでもないけれど本人の記憶が鮮やかなうちにと唯一の塾のない日曜日、飛鳥資料館へ誘ったのだった。昼頃までかなり念入りに展示を見て、それから社会科見学とおなじ石舞台古墳前でお昼を食べたいと言っていたのだが生憎、無料の駐車場が空いていなくてそのまま奥飛鳥へ走らせ、高取城址へと続く人気のない山道の途中にレジャー・シートを広げて「ああ、やっぱりこんなところがいいなあ!」と思わず二人して声を漏らして、Yの握ってくれたおにぎりと、子が出発前に急いでつくった野菜炒めとスクランブルエッグ、それにデザートのいちごの昼食をとり、それから夢幻能の基本パターン――――旅の途中で異界が立ち現れる――――などという話をしてから、二人して狭いシートの上に重なるように横になって、杉が空から生えているみたいだね、風で梢が思い思いの方へ揺れているその模様が面白い、なんぞと話しているうちにそのまま眠ってしまった。目覚めてから、寝ている間にワキとシテがここを歩いていったかも、などと言って笑った。それにしてもシダ植物の生えている場所というのは心が落ち着く。シダは何か、わたしの原初の心に交錯するんだな。帰りは飛鳥駅前にある物産店を覗いて子はあすかルビーのソフトクリーム。こんにゃくと卵を買って帰宅した。

2012.5.20

 

*

 

 広大な谷間と丘陵地の緑地を切り崩してすすめられている大掛かりな町ぐるみの再開発地。新しい道路や川、造成地と古い集落や畑、田舎道の混在した奇妙な空間を毎日、20分かけて往復する。開店一時間前から閉店の一〜二時間後まで。帰りはたいてい深夜だ。街灯もほとんどない真っ暗闇の田舎の空気の中をあるいてきて、駅前の24時間営業のスーパーで明日の朝食に値引きされたおにぎりとお茶と缶チューハイを買う。二人一部屋のかび臭い2LDKの古ぼけたハイツの6畳間の片隅に敷かれた万年床に帰ってくる。シャワーを浴びて、布団の上であぐらをかき、缶チューハイをすすりながら持参した夢幻能についての解説書を読みすすめる。30〜40分ほど読んでから、電気を消して横になり、暗闇の中で iPOD の中島みゆき「歌暦」を聴く。きまって4曲目の「HALF」、続く「鳥になって」から聞き出す。これが毎日の変わらない日課。ほぼ一ヶ月間、まるで囚人のような規則正さで。それが減量中のボクサーのように切なくもあり、心地よくもあった。

 一ヶ月の間で、体重が4キロ少々減った。その間に海の向こうではリヴォン・ヘルムが死に、北の古里では親しかった老牧師氏が召天された。どちらも友人と母、それぞれの携帯電話のメールで知らされた。その日もわたしはいつもと変わりなく、24時間営業のスーパーで値引きされたおにぎりを買い、布団の上で缶チューハイをすすりながら夢幻能についての解説書を読み、中島みゆきを聴きながら眠りに就いた。毎日の20分の道のりで好きな場所がいくつかあった。たいていは昔ながらの面影の残っているような平凡な場所だ。ある畑の休耕地で、さいしょの頃はタンポポが一面に咲いていてその前を通るのが愉しみだったが、さいごの頃には背の高い雑草に覆われてしまった。気がつけば影の濃い、草いきれが匂い立つような夏の気配。

 帰ってきて六日間の休みを貰った。その六日間は体を休めること、家族と共に過すこと、それから庭の小屋建設の本格着手のための準備にいそしんだ。リビングに続くウッドデッキよりも、ゲートから正面に見える小屋を先につくって欲しいとYが言い出したためだ。6年生になってはじめての子の授業参観にも行った。子のリクエストで日曜の夕、市営のプールへ泳ぎにも行った。整備した庭に近所の人を招いてバーベキュー・パーティーもやった。Yと夕食の材や文房具や金環日食観察用のグラスを買いに車で近所の店を回った。土曜の夜の図書館へ子と「遠野物語」を借りに行った。どれも平凡なことばかりだ。平凡なことだけれどこの一ヶ月は得難かったことばかり。パソコンの前なんか向かっている暇などなかった。この六日間は仕事のことはきっちり忘れた。

 そして明日から辞令で大阪へ出社。

2012.5.15

 

*

 

 土曜日。子のリクエストで数年ぶりの法隆寺を訪ねる。山岸涼子の「日出処の天子」に感化されて、厩戸皇子のまぼろしを見たい、と。夢殿を前にして、子はしばし瞑目する。法隆寺はしだれ桜、中宮寺はレンギョウが満開であった。門前で葛きりを奮発する。家で夕飯を済ませてから、はじめての夜勤務のYを覗きに自転車で図書館へ行く。リクエストしていた井上理津子「さいごの色街 飛田」(筑摩書房)が入っていたと言われて借りてくる。

 

 日曜日。昼にYの甥っ子の赤ん坊が産まれたとの報せが入り急遽、午後から三人で車に乗り込んで和歌山行。一部開通したと聞いた京奈和を抜けて紀ノ川ルートで岩出の病院まで。保育器の中の赤ん坊をしばし眺めて、ついでにYの実家へ。途中の塩津湾を見下ろす高台のYの同級生の家で釜揚げのしらすを買う。久しぶりの義父母宅でお寿司の夕飯を頂き、夜10時半頃に帰ってくる。

 

 アマゾンや本屋などで新旧併せて書籍をいくつか。石牟礼道子・藤原新也「なみだふるはな」(河出書房新社)、外山秀俊「3・11 複合被災」(岩波新書)、飯野友幸編著「ブルースに囚われて アメリカのルーツ音楽を探る」(信山社)。また子に「桂枝雀のらくご案内―枝雀と61人の仲間」「らくごDE枝雀」(どちらもちくま文庫)を。

2012.4.8

 

*

 

 「Charlie Haden Family & Friends / Rambling Boy」というアルバムが湛えている魅力について、もういちどだけ書いておきたい。まだこのアルバムが到着した当初は、古希を迎えたジャズ・ベーシストが家族や友人とつくりあげた「古きよき時代のアメリカ音楽の風景」と評したものだが、実際は、もうちょっと違う。何が違うかというと、ひとつは「家族や友人」などと十把一絡ではくくれない豪華キャストについて。たとえば Jerry Douglas Dan Tyminski はあの(わたしも大ファンの)アリソン・クラウスのバンドの名プレイヤーたちだし、Ricky Skaggs はブルーグラス界の大御所、そして Sam Bush はマンドリン、Stuart Duncan はフィドル、Bela Fleck はバンジョー、Bryan Sutton はアコギとそれぞれがブルーグラス界の名だたる達人たち。かれらがそれぞれの参加曲で手堅くサポートしているこのアルバムは、じつはファミリー・バンドなどというレベルを超えた高品質・最高級のサウンドだということだ。そこにジャズ・シーンから Charlie Haden 自身のなんとも味わい深いウッド・ベース、また7曲に参加している Pat Metheny の洗練されたギターが、カントリーやブルーグラスにとどまらない新鮮味を醸し出している。加えて Haden Family の隙間をぬって彩りを添えている、これまた豪華なリード・シンガーたち。ハンク・ウィリアムス・ナンバーをしっとりと歌う Elvis Costello、ディープな南部の沼地をさすらうような Bruce Hornsby 、カーター・ファミリーの定番曲を孫が捧げる Rosanne Cash、朴訥なアルバム・タイトル曲をやや甘口の声で歌う Vince Gill、King of Bluegrass と呼ばれている Jimmy Martin のナンバーを歌う前述アリソン・クラウス・バンドの  Dan Tyminski、変わりどころでは Charlie Haden の娘の一人と結婚した俳優の Jack Black の軽快で愉しい Old Joe Clark、そして"The Canadian Playboy". のヨーデル歌手であった Jack Kingston のナンバーを歌う前述の大御所 Ricky Skaggs など。けれど、これらはいわば友情出演の“ご挨拶”とか敬意を込めた“祝辞”のようなものであって、やはりこのアルバムの中心となっているのは70歳を迎えた Charlie Haden その人とかれの音楽的家族たちである。The Haden Triplets はいわば「ヘイデン三姉妹」か。この三姉妹のハーモニーが奏でるのはやはりカーター・ファミリーやビル・モンローたちの1930年代・・・ とかのオールド・ソングたち。また娘・息子たちの個別のボーカルもそれぞれ味わい深いのだ。ナイーブな牧師の卵がひとり教会でひざまづいているような Josh Haden、前述の夫 Jack Black が妬ましいくらいの魅惑のボーカルについよろめいてしまう Tanya Haden、透き通った声がこちらも心奪われる Rachel Haden 。これら子どもたちの曲の後ろで父は寡黙にまた見守るように自らのウッド・ベースを弾いている、そんな風景がよろしい。子どもたちばかりでない。アイルランドの素敵な伝承曲 Down By The Salley Gardens を歌うのは、奥さんの Ruth Cameron。この人はジャズ・ボーカリストだったようだが、さまざまなシンガーに歌い継がれてきたこの曲の解釈としてはおそらくもっとも最良の声と表情だと思う。永遠にリピートをして浸っていたい。そうしてアルバムの最後を飾るのは、1939年のラジオ・ショーに家族で出演した時の Charlie Haden ―――じつに2歳のときの微笑ましいヨーデル・ソングから、御年70歳になった滋味深く静謐なラスト・ナンバー Shenandoah でしずかに幕を閉じる。すばらしい。人生はすばらしい。音楽に満ちた人生はすばらしい。つまりそういうアルバムです、これは。ぜひ、体感して欲しい。

 

1. Single Girl, Married Girl

2. Rambling Boy

3. 20/20 Vision

4. Wildwood Flower

5. Spiritual

6. Oh Take Me Back

7. You Win Again

8. The Fields Of Athenry

9. Ocean Of Diamonds

10. He's Gone Away

11. A Voice From On High

12. Down By The Salley Gardens

13. Road Of Broken Hearts

14. Is This America? (Katrina 2005)

15. A Tramp On The Street

16. Old Joe Clark

17. Seven Year Blues

18. Old Haden Family Show

19. Shenandoah

 

Personnel:

Charlie Haden : bass, backup vocals (2);

Petra Haden: vocal (1, 8, 11, 17), backup vocal (9, 13, 15);

Rachel Haden: vocal (1, 6, 11, 13, 15, 17), backup vocal (9);

Tanya Haden: vocal (1, 6, 10, 11, 17), backup vocal (15);

Jerry Douglas: dobro (1-3, 5, 6, 8-17, 19);

Sam Bush: mandolin (1, 6, 11, 15-17);

Stuart Duncan: fiddle (1-3, 5, 6, 8-17, 19);

Bryan Sutton: guitar (1, 3, 6, 11, 13, 15-17);

Vince Gill: vocal (2);

Dan Tyminski: backup vocals (2), mandolin (2), vocal (9);

Russ Barenberg: guitar (2, 5, 8, 10, 12, 14, 19);

Bruce Hornsby: vocal (3), piano (10, 12, 14);

Ricky Skaggs: fretless banjo (3), mandolin (9), vocal (13);

Rosanne Cash: vocal (4);

Josh Haden: vocal (5);

Elvis Costello: vocal (7);

John Leventhal: guitar (4, 7);

Pat Metheny: guitar (4, 7, 8, 10, 12, 14, 19);

Bryan Stuart: guitar (9);

Ruth Cameron: vocal (12);

Jack Black: vocal (16);

Bela Fleck: banjo (16);

Buddy Green: harmonica (16);

Old Haden Family Show (18).

2012.4.6

 

*

 

 九州への往復の新幹線で、ずっと中島みゆきのライブ・アルバム「歌暦」を聴いていた。とくに繰り返して何度も聴いたのは“HALF”と“鳥になって”だが、“HALF”が輪廻転生の歌だと、恥ずかしながらはじめて気がついた。「足りない魂の半分」が“HALF”であり、前世で激しく誓い合った記憶が果てしない時空を超えて蘇り、今生でもすれ違ってしまうが「次に生れてくるときは、きっと」と慟哭の中で歌われる。これは精神に異常をきたした哀れな女の歌なのだろうか。あるいは究極の想いなのか。「せめて伝えたい / 後姿に / わたしおぼえていたよ、と / いまさらなのに」 見知らぬ人から突然こんなことを言われたら、大概の人間は引いてしまうだろう。けれどそこに一抹の真実は、ほんとうにないものなのか? 前世の誓いを涙ながらに訴えるこの女はほんとうに気が触れているだけなのか? こんなふうに現実をひっくり返してしまう情念に、わたしはしばらく浸っていたい心地がする。

2012.4.5

 

*

 

 糖尿病で緊急入院した隊員のMさんの見舞いに行った。「糖尿病の人に菓子折りもヘンだろうし、いったいなにを持っていったらいいかな?」と相談した交通隊長のNさんの助言に従って、週刊誌をいくつか買ってもっていった。受付で訊いた病室のカーテンを遠慮がちに開けると、Mさんはベッドの上でリハビリをしているところだった。右足の太腿がまんなかあたりで途絶えている。2年ほど前にやはり糖尿病で左足の中指を1本、切断したそうだ。それから月一回で通院をしていたが、今回はいつもの水虫が酷くなっているくらいだろうと高を括っていたら即日緊急入院で、先生いわく「あと三日遅かったら命がなかった」と。入院した翌日に右足を切断して、それから三日間ほどは「存在しない足が痛くて」つらく、看護婦に「こんな身体になって生きていても仕方ないし、もう死にたい」とばかり漏らしていたという。投薬の効果もあってか、痛みがなくなってから気持ちが少し落ち着いてきた。リハビリ室に行くと、じぶんよりもっとひどい症状の人たちが懸命にリハビリをしている。残ったもう一本の足と両腕を鍛えて、じぶんも頑張らなければと気持ちを切り替えた。Mさんの奥さんはすこし以前から肝臓を病んで別の病院に入院している。あとは身寄りと言えば(Mさんいわく腹違いの)兄がいるがすでに90歳を超える高齢で、その奥さんも具合が悪い。そんなわけで家から着替えを持ってきてくれる人もなく、いま来ているものはみんな看護婦さんたちが家から古着を持ってきてくれたものだとMさんは笑った。看護婦さんがみんなよくしてくれるので、家よりも居心地がいい、と。それから入院費の話などをしたとき、切断した足の処分代として1万6800円を取られたと領収書を見せてくれた。近くの斎場で焼いてもたう費用だという。「こんなのを払わされて」とMさんは苦笑いしていた。最後に車椅子に乗るMさんを手伝い、いっしょに階下の売店へ行ってお茶を買うのにつきあった。お茶とブラック・コーヒーを2本づつ買ってレジを済ませ、隣の休憩室の方へ車椅子を向けるので「ここで話でもするのかな」と思ったら、休憩室のすみにある菓子パンの自販機の前で小銭入れを取り出したので、「これは甘いですよ、だめだめ。もう一本も切りたいんですか」と止めて、二つ欲しかったところを一つでやっと手打ちにして、なるべく甘そうでないのを一つ、ボタンを押したのだった。

 そうして帰ってきた夜。夕食を終えて(夕食の席でMさんの話もした)、いつものようにソファーを横に占領して新聞を読んでいたら、子がわたしの腹の横のわずかなスペースにちょんと腰かけてきて、いつになく真摯な顔で「お父さん。どうして世の中には病気の子と、そうでない子がいるのかな? そしてどうして病気の子がこのわたしなんだろう?」 わたしはそのとき、すこしばかり間が空いた、と思う。それからいろいろな話を子にしたのだが、とめどがなく、じぶんでもはっきりとどんな話をしたのか覚えていない。子はそれを黙って聴いていた。最後に言ったのは、たしかこんなことだ。お父さんはおまえのお父さんだけど、じぶんでは病気になったことはないから、お前の気持ちが100%分かるかといったら、たぶん分からないと思う。お前はこれからいろなことがあって、なんどでも、どうして? とじぶんでじぶんに問いかけるだろう。そしてそのたびにじぶんで答えを見つけるだろう。お前は答えを見つけられる強さを持っていると、お父さんは思っているよ。子はしずかにうなずいて(あるいはそんなふうに見えただけかも知れないが)、立ち上がって二階へあがっていった。途中から話を聞いていたYが洗濯ものを仕舞いに二階へあがったとき、子の部屋を覗くと、子はベッドと箪笥の間のすきまにしゃがんみこんでいたと言う。Yが近寄って声をかけると、せき止めていたものが溢れるようにわっと泣き出した。Yはそんな子をじぶんも泣きながら抱きしめていた。やがて「もう大丈夫。すこしひとりになりたいから」と子が言うので、部屋を出てきた。二階から下りてきたYが、まだソファーに横たわったままのわたしに、そう報告した。しばらくして子は降りてきて、いつもの調子でわたしの手足を乱暴にひっぱり、「お父さん! お風呂にいくよ」と命令した。そして二人で風呂に入った。湯船の中でわたしが子に話したのは、かつて高校生の頃に読んで衝撃を受けた品川嘉也という医学者が著した「意識と脳 精神と物質の科学哲学」(紀伊国屋書店)という本についてだった。その中の一節―――「・・こうして人間の意識とは、宇宙の中に自分がいるという意識であり、その自分が宇宙を意識しているということを意識している。 意識そのものが、宇宙の意識構造の一つであり、その情報構造が宇宙を意識している。意識とは宇宙の自己認識であるということもできる」―――を多少くだいて子に話してやると、彼女は一瞬じぶんの頭の中を整理するようにとまり、それから「そんなこと、考えたこともなかった!」と驚いて、笑った。その笑顔はまるで今日、切断した足の処分代の領収書を見せながら苦笑いしていたMさんにどこか似ているな、とわたしは思ったのだった。

2012.3.31

 

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 昨日は大阪で子の定期健診。整形外科、(手術後の)骨の形はいい感じで整っている。左足の甲を持ち上げる筋が効かないのが気になる。手術直後には若干動いていた筋がほとんど弱くなってしまったのはあまり例がない。歩くときの身体のふれが大きいのはひとえにお尻の筋肉による。リハビリで筋肉をつける以外にない。夏休み頃に装具の直しか造り替えを予定。脳神経外科、夏にMRIの定期検査の予定。

2012.3.28

 

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 そろそろ春の気配がそぞろ歩きはじめて、ウッドデッキとパーゴラ、それに立水栓の頭の中での支度が始まっている。ウッドデッキに必携といわれるふつうの丸ノコか、あるいはスライド丸ノコ(たとえばマキタのM244とか)のどちらかの購入を悩んでいるところ。たぶん後者になりそか・・・

 

 ヤフオクで古い「ちょうな」を落札する。4千円ほど。

○某大手建設会社のちょうな説明→http://www.takenaka.co.jp/corp/archive/daiku/tools/chona/index.html

 

 子は明日、学期末の「お楽しみ会」の恒例の行事の劇で、みずから脚本化した枝雀の「番町皿屋敷」を数人のクラスメイトと演ずるとか。

2012.3.21

 

*

 

 休日。午後から家族三人で橿原考古学研究所附属博物館へ行く。常設展示は 旧石器時代 | 縄文時代 | 弥生時代 | 古墳時代 | 飛鳥・奈良時代 | 平安・室町時代 と並んでいるのだが、ボランティアの解説員2名が入れ替わりに熱心に説明をしてくれ、また子は別の解説員の方から小学生用の展示問題のプリントももらい、わが家もそろってじっくりと見る性質なので、古墳時代の終盤の藤ノ木古墳を見終えたところでタイム・アウトとなった。続きはまた次回の訪問で。本気で見たら、丸一日かかるということだ。人気のないミュージアム・ショップで子は勾玉のネックレスをおねだりした。

県立橿原考古学研究所附属博物館 http://www.kashikoken.jp/museum/

 

 帰宅後、ミュージアム・ショップで見た景山 春樹「神体山 日本の原始信仰をさぐる」(学生社)の中古をネットで探して注文する。

 amazon よりドゥルーズ「批評と臨床」 (河出文庫)が届く。

2012.3.17

 

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 ストーブの前にジップが寝ころびまどろんでいて、そこへ足を投げ出すようにわたしはチャーチチェアに座りドゥルーズの「異質的な連続性による(ポジティブな)生成する流れ」についての文章を読んでいる。CDラジカセがディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの歌うシューベルトの「白鳥の歌」を流している。そんな、どこにでもある夕べ。

 

 子がベッドの中で、眠れそうにないときに iPOD で聴く音楽ベスト5。

1.「Down by the salley gardens」 Charlie Haden Family & Friends

2.「Octopus's Garden」 The Beatles

3.Kara の曲いくつか

4.「Spiritual」 Johnny Cash、 アルバム「Songs from the Road」の中のいくつか Leonard Cohen

 

 ベッドの中で、すぐに眠れそうなときに「いい気持ちで眠りたくて」 iPOD で聴くもの

→ 桂枝雀の落語 (朝目覚めて、“ああ、あのいちばんいいところを(眠ってしまい)聴き損ねた!”と悔しがる)

2012.3.13

 

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 明け方、津波の夢を見た。車をちかくのショッピングセンターの立体駐車場へ乗り上げ、屋上へ続く外部の階段をYと子と駆け上っていった。後ろを見れば、みるみるうちに膨らんだ水嵩があちこちの階下の人々を無情にも呑み込み、さらっていくさまがまるでスペクタル映画の一場面のように見えた。消えていく無数の人々の阿鼻叫喚も聴こえた。わたしは子の手を必死につかんで無我夢中で屋上へ向けて走った。津波の夢などこれまでいちども見なかったのだが、ちょうど一年目というその夜に見たことが、なんだか不思議になまめかしい。そんな話を仕事を終えて帰り、夕食の席で話すと、おなじ時間くらいに子もやっぱり津波の夢を見ていたというので二度、驚いた。

 

 坂庭省悟の「Hobo's Lullaby」が届いた。

2012.3.12

 

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 Yといっしょに行った本屋で檜垣立哉「ドゥルーズ 解けない問いを生きる」(NHK出版・シリーズ哲学のエッセンス)を購入した。

 プランターの土をつくってカモミールとみつばの種を播いた。

 リビングで辺見庸の詩「死者にことばをあてがえ」を朗読した。

2012.3.11

 

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 半日しごとをして、昼から子と県立図書館で寄席を聴く。父がユーチューブからDLした桂枝雀の落語にすっかりはまってしまった子に本物の寄席を見せてやりたいとネットで探してみたら、この県立図書館で3年前から、奈良市出身の落語家 桂文鹿(かつら ぶんろく)プロデュースによる図書館寄席「花鹿乃芸亭」(はなしかのうんてい)なるイベントをやっているのを知り、Webで予約していたもの。大人1000円、小中学生500円。演目は以下。

桂治門『黄金の大黒』
桂文鹿『紙幣改訂』
桂文三『芋俵』
中入り
抽選会
桂文鹿『天神山』
はやしや 久子(三味線)

 はじめて見る噺家ばかりであったが(失礼)、結構笑わせてもらった。子はもちろん、お腹が引きつるほど笑い転げていた。特にプロデューサー役の桂文鹿さんは勉強家の味わいがあるね。個人的には中入りのあとで余興として語られ演奏された出囃子の解説が面白かった。

 寄席が終わって、そのまま子を乗せて橿原の県立医大に入院している同僚のI君の見舞いへ。腸のポリープを切除する手術で、数ヶ月オストメイト(人工肛門)をつけるため、これを外す二度目の手術までの約半年間、休職の予定。

 夜はきびすをかえして自宅でYを乗せ、あの「いごっそう」のおやじさんを四国まで追いかけて修行をしてきたという青年が開いたラーメン屋をいよいよ食べに行く。まずまずはあの「いごっそう」の味を確かに引き継いではいる。わたしと子は「合格」点。あとはあのおやじさんにしか出せないプラスアルファ(人生いまだ語らず)かな。しかしこんな近くに「いごっそう」伝承者が戻ってきたことは単純に嬉しい。

 ところで四国の実家へ帰った「いごっそう」のおやじさん。あちらでも店を出すとシャッターの貼り紙に書いていたが、ひさしぶりにネットをググッてみたら、こんなブログ記事の写真が。「行列ができてるじゃない」 「すごいね」 家族三人で喜んだ。

麺屋・横手 http://r.tabelog.com/nara/A2901/A290101/29006788/

いごっそ店長 in 北川村(YouTube動画) http://www.youtube.com/watch?v=gOU9Cs7xMnc

2012.3.10

 

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 もうじきあの未曾有の大災害(天災と人災)から一年だ。一年、復興、収束などというが、あの日からいまだ時間が停止したままの人たちも無数にいるのではないかと今日の職場の新聞で誰かが書いていた。つまり内側の時間であり、停止したままの時間と空間は人の数だけ、生者と死者の数だけ、存在する。「わたしの心はわたしにしか分からない」 数日前に読んだ新聞記事で愛する家族を失った人が記者に語ったということばだ。わたしたちが注意して持ち続けなくてはいけないのは、頑張ろうニッポンだとか復興だとか希望だとか単純な一色で塗りつぶしてしまうことへの嫌悪感だ、と思う。いわゆる東日本大震災の死者 15,854人、行方不明者 3,203人、他に人知れず命を絶った人なども含めれば2万人以上の亡骸とかれらを奪われたさらに多くの遺された人々の数だけ、「わたしにしか分からない」わたしの心がころがり、うめいているということだ。それを単純化してはならない。数値化してはならない。統計化してはならない。そうしたものにこそ、いまいちばん注意を向けなければならない、疑いの目を向けなければならないと、わたしは改めて激しく思っている。

 

 なぜか急にむかし愛聴したディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ (Dietrich Fischer-Dieskau)の歌うシューベルトの三大歌曲(「美しき水車小屋の娘」、「冬の旅」「白鳥の歌」)が聴きたくなって、ちょうど3in1のBOXセット輸入廉価盤をネットで見つけて注文、古いCDラジカセでリピートにして流しっぱなしにしている。まるで歌の嵐の中にいるようだ。吹き荒れるのは花びらか、不穏な予感か、いまだ満たされぬ渇きか。なんにせよ頬に当たるこの風量が心地よい。

2012.3.9

 

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 BBSに Down by the salley gardens ばかり並べていたら、きはらさんが「初恋」と題されて日本語で歌われている Down by the salley gardens を載せてくれた。坂庭省悟(さかにわ しょうご)は高石ともや&ザ・ナターシャーセブンに在籍などしていた関西フォークシーンの旗手的存在云々と Wikipedia の解説にあるが、わたしはほとんど知らなかった。けれどユーチューブの映像でのその声、面構えに妙に腑に落ちるものを感じて、幾度かリピートし、気がつけばかれのオリジナル・レーベルのサイトで「初恋」の収録されたアルバム「Hobo's Lullaby」を注文していた。惜しくも2003年、53歳の若さでがんに倒れた坂庭の、それは遺作アルバムである。ちなみにこのユーチューブ動画で華麗なギターを添えている城田じゅんじも、おなじザ・ナターシャーセブンのメンバー仲間であったが2004年、同棲していた女性を口論から殺めてしまい、懲役5年の実刑判決を受けて服役している。この人は日本のバンジョー奏者の草分け的存在でもあるそうな。わたしの知らない人生の軌跡がまた転がり込んできた。

 

柳ゆれる庭の 美しい人よ
通り過ぎた素足の 白さばかり残る
春の花匂うままに 心 奪われ
想い届かぬ恋よ 初めての人よ

川のほとりゆけば 夏の日が暮れる
肩に触れたその手の 白さばかり残る
夏草の騒ぐままに 心奪われ
想い届かぬ恋よ ただ涙ばかり
想い届かぬ恋よ ただ涙ばかり

坂庭省悟「初恋」

 

坂庭省悟オフィシャルホームページ shogobrand.com http://www.shogobrand.com/

城田純二オフィシャルホームページ http://junji-shirota.ciao.jp/

2012.3.8

 

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Down by the salley gardens my love and I did meet;
She passed the salley gardens with little snow-white feet.
She bid me take love easy, as the leaves grow on the tree;
But I, being young and foolish, with her did not agree.

In a field by the river my love and I did stand,
And on my leaning shoulder she laid her snow-white hand.
She bid me take life easy, as the grass grows on the weirs;
But I was young and foolish, and now I am full of tears.

(Down by the salley gardens ・ William Butler Yeats 1889)

 

柳の園のちかくで ぼくらは出会った
雪のように白く可愛らしい足を見せ あの人は柳の園を抜けてきて
こう言ったものだ 「もっと気楽に恋をしましょう
木々に葉っぱが芽吹くように」
けれど若く愚かだったぼくは うなずくことができなかった

川辺のくさはらに ぼくらは立っていた
あの人は雪のように白い手を ぼくの肩にしなだれて
こう言ったものだ 「もっと気楽に生きましょう
堰に水草が茂るように」
けれど若く愚かだったぼくは いまでは 涙があふれてやまない

まれびと訳

 

 

Salley Gardens: 柳の園。スライゴー Sligo で WBY(イエイツ) がよく出かけたギャラヴォーグ Garavogue 川の土手で、インペリアル・ホテル Imperial Hotel (1987年廃業)のあたりの柳の土手の並木(ここで WBY は老婆から俗謡「柳の園の近くで」 ”Down by the Salley Gardens” を聞かされたという)を指すという意見などがある。アイルランドでは、そのほかにも柳の園と呼ばれる場所があちこちにみられる。

鈴木弘『図説イエイツ詩辞典』(本の友社、1994)

 

 

柳の苑のほとりにて戀人とわれと相見ぬ。
ま白の足もらうたげに柳の苑を過りつつ、
その戀人の云ひけるは、木に生ふる葉とも戀こそ面白けれ。
されどわれ、若く愚かに、その時之をうべなはず。

川のほとりの野邊にしも戀人とわれ佇みぬ。
やがて寄り添ふわが肩の上にま白の手を措きて
その戀人の云ひけるは、堰に生ふる草とも人生こそ面白けれ。
されどわれ、若く愚かに、悔恨をしも今にのこしぬ。

山宮允訳『イエイツ詩抄』(岩波文庫1946)

 

 

 うつくしいクラナド(Clannad)の演奏が正統派だとすれば、「Charlie Haden Family & Friends / Rambling Boy」で Charlie Haden の奥さんである Ruth Cameron がしみじみと、ひと息ごとに思いをつぎながら歌うようなこの Down by the salley gardens は、おそらくこの歌の核心のもっとも近くに触れているように思う。「若く愚かだった」かつての青年は、いま荒涼とした海辺の掘っ立て小屋のような独居で、しずかに人生の幕を閉じようとしている。年老いたかれの胸に去来するのは、甘美な思い出。鉱物の一瞬のきらめき。波のように激しい痛苦と悔恨。ついに未完であったがゆえに永遠なる似姿。だからこの歌のほんとうの魅力にはそんな、人の一生の不可思議さとおなじ昏さとせつなさがある。

2012.3.4

 

*

 

 確かいま社会で習っている琵琶湖の環境の話から風呂でブラックバス、人間の身勝手さ・・・ という話になって最後にナルニアの国の始まりの話に移っていった。始まりというより、ナルニアによって「選ばれた」子どもたちの話だ。アスランはナルニアの国へ迷い込んだ子どもに(たしか)こんなことを言う。わたしがおまえを呼んだから、おまえはここへ来たいと思ったのだ、と。風呂上りの上気した顔といつになく熱を帯びた口調で、子はついでこんなことをとつとつと言葉を選んで話す。わたし、いつも思うの。この扉をあとほんの数十秒遅く開けていたら、ナルニアの国へつながっていたんじゃないかって。ナルニアへ迷い込んだ女の子が「あなたはわたしを食べる?」と訊いたとき、アスランは「わたしは世界も人々もみな呑み込んだ」って、それがただ現実だから言ったみたいな言い方で答えたの。すごいでしょ? ほんとうにアスランに会ってみないと分からない感覚がきっとあるんだと思う。それはたぶん言葉ではとても表現できないんだと思う。ああ、わたしはアスランにとても会いたい。いつか会えると思っている。子の話がおわってから、わたしはすこしだけ話をつぐ。エンデさんがね、こんなことを言っていたよ。新しい自転車だとか、ゲームだとか、家だとか、欲しいものをがんばって働いて、お小遣いをためたりして、自分の力で買うことはできる。でも自分の力だけでは手に入れられないものが世の中にはある。プレゼントをされないと手に入らないものがある。そういうものは、プレゼントをうけとるものは、それをうけとるにふさわしい態度をしているだけでいい。おまえの言ったアスランの話にちょっと似ているね。じぶんがナルニアへ行きたいと思ったその気持ちは、じつはアスランが呼びかけて心の中に生れたものだという。でもアスランがせっかく呼びかけているのに、その子には聴こえないこともあるだろうね。「そうよ」と子が言葉をはさむ。だからアンドル伯父はさいしょ、ライオンが喋るわけはないってつよく思い込んでいたから、アスランがいくら話しかけても、そのアンドル伯父にはふつうのライオンのうなり声しか聞こえてこなかったの。長いこと、ね。

 アイリッシュ・グループのクラナド(Clannad)が歌う Down By The Salley Gardens の調べをなんどもリピートで聴いていても、まだ足りない。この曲はイェイツが「スライゴ州Ballysodareの村の農婆がよく一人で歌っていた不完全に記憶された3つの詩行から古い歌を復元する試み」として 1889年に彼の詩集 The Wanderings of Oisin and Other Poems に収められた歌の断片を基にしている。この曲の調べの先にわたしが感じている気配と、子が待ち望んでいるナルニアへつながる扉の出現とは、ひょっとしたらおなじ類のものなのかも知れない。

2012.3.2

 

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「この色は何から取り出したんですか」
「桜からです」

と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いてこう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。

私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。

考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。

『言葉の力』大岡信

 大岡はそしてドイツの詩人ノヴァーリスの詩をひく。

 

すべての見えるものは見えないものに、
聞こえるものは聞こえないものに、
感じられるものは感じられないものに
付着している。おそらく、
考えられるものは考えられないものに
付着しているだろう。

ノヴァーリス「断章」

 

 こんな話を佐藤貞樹が「高橋竹山に聴く 津軽から世界へ」(集英社新書)で紹介していた。佐藤が書きたかったのはもちろん、竹山の三味線の秘められた核心についてだ。

 

津軽の三味線をきけば、そこに津軽があらわれてくるような音、匂いを出したいものだ。津軽の三味線には津軽の匂いがあるはずだ。

高橋竹山「自伝」

 

 佐藤は記す。

 

ノヴァーリスの表現を借りれば、竹山があらわしたいと思う音―――そこに津軽があらわれてくるような音―――は、「津軽の真実の核心・・・・竹山の生まれ育った土地の歴史であり風土であるものから匂いたつもの」に付着している。竹山の三味線から聞こえる音は、聞こえないもの―――津軽の実体―――にくっついているのだ。私には聞こえないその音が竹山には聞こえていて、竹山はそれを、絶えず聴こえる音としてとり出したい(匂いを出したい)と求めてきたのだと思う。

 

 もういちどノヴァーリスをひく。

 

すべての見えるものは見えないものに、
聞こえるものは聞こえないものに、
感じられるものは感じられないものに
付着している。おそらく、
考えられるものは考えられないものに
付着しているだろう。

 

 もちろんわたしが思っているのはあの3.11からのうまく咀嚼しきれない苦々しい思念についてであり、わたしたちは結局、誰もが、見えるもののことしか思いを馳せなくなった、それがすべてだと信じ込むようになってしまったそのことが痛々しい。ことばでも、おとでも、ふうけいでも、みえないきこえないかんじられない「樹木全身の色」をわたしたちはうしなっていた。とくいげにはなびらをつまんで、これがせかいのすべてだと、うそぶいていた。

2012.2.27

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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