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新しい国際情勢についての新華日報記者との談話

          (一九三九年九月一日)


 記者の問い ソ独不可侵条約〔1〕が結ばれましたが、その意義をどうお考えになりますか。
 毛沢東の答え ソ独不可侵条約が結ばれたのは、ソ連の社会主義の力が増大し、ソ連政府が平和政策を堅持した結果です。この条約は、チェンバレン、ダラディエらの国際反動ブルジョア階級によるソ独戦争の挑発の陰謀を粉砕し、ドイツ・イタリア・日本反共集団のソ連にたいする包囲を打破し、ソ連、ドイツ両国間の平和を強化し、ソ連の社会主義建設の発展を保障しました。東方においては、日本に打撃をあたえ、中国を援助し、中国の抗戦派の地位を強化し、中国の投降派に打撃をあたえました。こうしたことによって、全世界人民の自由と解放をかちとるたたかいを援助する基礎がきずかれました。これがソ独不可侵条約の政治的意義のすべてです。
  人びとは、英仏ソ交渉が決裂した結果、ソ独不可侵条約が結ばれたということを、まだ理解しておらず、逆に、ソ独条約が結ばれた結果、英仏ソ交渉が決裂したのだと考えています。英仏ソ交渉がなぜ成功しなかったかを説明していただけないでしょうか。
  英仏ソ三国の交渉が成功しなかったのは、ほかでもなくイギリスとフランスの政府に誠意がなかったからです。近年らい、世界の反動的ブルジョア階級、とりわけ、イギリス、フランスの反動的ブルジョア階級は、ドイツ・イタリア・日本ファシストの侵略にたいし、一貫して反動的な政策、すなわち「不干渉」政策なるものをとってきました。この政策の目的は、侵略戦争をほしいままにやらせておいて、自分はそこから漁夫の利をえようとするところにあります。したがって、イギリス、フランスは、ソ連がいままで提起してきた真の反侵略戦線結成の提案をあたまから拒絶して、「不干渉」の立場をとり、ドイツ、イタリア、日本に侵略をほしいままにやらせておいて、自分はかたわらに立ってながめていたのです。その目的は、戦争している双方をたがいに消耗させ、そのあとで自分が干渉にのりだすことにあります。かれらは、この反動政策を遂行する過程で、中国の半分を犠牲にして日本にあたえ、エチオピアの全部、スペインの全部、オーストリアの全部、チェコの全部を犠牲にしてドイツ、イタリアにあたえました〔2〕。そして、こんどはまた、ソ連を犠牲にしようと考えたのです。このような陰謀は、こんどの英仏ソ三国の交渉のなかで、はっきりと暴露されました。この交渉は四月十五日から八月二十三日まで四ヵ月余にわたっておこなわれ、ソ連側は忍耐に忍耐をかさねました。ところがイギリス、フランスは、一貫して平等互恵の原則に賛成せず、自分たちの安全保障をソ連に要求するばかりで、自分たちのほうは、ドイツの進撃に突破口をひらいてやるため、ソ連の安全保障とバルト海諸小国の安全保障を承知しませんでした。それだけでなく、ソ連の軍隊が侵略者とたたかうためにポーランドを通過するのもゆるさなかったのです。これが交渉決裂の原因です。この期間、ドイツには反ソを停止する意向があり、いわゆる「防共協定」〔3〕を放棄する意向があって、ソ連の国境の不可侵を認めたので、ソ独不可侵条約が成立したのです。国際的反動派、とりわけ、イギリス、フランスの反動派のこのような「不干渉」政策は、つまり「山上に坐して相うつ虎の倒るるを待つ」政策であり、まったく人をそこなっておのれの利をはかる帝国主義的政策です。それは、チェンバレンの登場からはじまり、昨年九月のミュンヘン協定で頂点にたっし、今回の英仏ソ交渉にいたってついに破産したのです。これからさきは、イギリス・フランスとドイツ・イタリアとの二大帝国主義集団の直接衝突の局面となちざるをえません。わたしは一九三八年十月の中国共産党第六期中央委員会第六回総会で、「自分がもちあげた石で自分の足をうつ、これがチェンバレン政策の必然の結果である」とのべたことがあります。チェンバレンは、人をそこなうという目的から始まって、自分を害するという結果に終わりました。これはすべての反動政策の発展法則となるでしょう。
  あなたのみられるところでは、当面の情勢はどう発展していくでしょうか。
  当面の国際情勢はすでに新しい様相をしめしています。まえまえからはじまっている第二次帝国主義戦争の一面的な状態、つまり「不干渉」政策からうまれた、一方が進攻、他方が坐視という局面は、ヨーロッパ方面についていえば、今後全面的な戦争に変わっていくにちがいありません。第二次帝国主義戦争はすでに新しい段階にはいっています。
 ヨーロッパ方面では、ドイツ・イタリア帝国主義集団とイギリス・フランス帝国主義集団とのあいだの、植民地人民にたいする支配権争奪を目的とした帝国主義大戦が目のまえにせまっています。戦争中、戦争している双方は、人民をあざむき、世論を動員するために、どちらも正義は自分のほうにあって相手のほうにはないと恥知らずな宣伝をするでしょう。実際には、これは欺瞞《ぎまん》にすぎません。なぜなら、双方の目的はともに帝国主義的なもので、どちらの側も植民地、半植民地および勢力範囲にたいする支配権の争奪を目的としており、みな略奪的な戦争だからです。いまはポーランド争奪、バルカン半島と地中海沿岸争奪が目的です。このような戦争はまったく正義の戦争ではありません。世界ではただ、非略奪的な、解放をめざす戦争だけが正義の戦争です。共産党はいかなる略奪戦争もけっして支持しません。共産党は、正義の、非略奪的な、解放をめざす戦争にたいしてはすべて、身を挺して支持し、また闘争の最前線に立つものです。第二インターナショナルに属している社会民主主義諸政党は、チェンバレン、ダラディエの脅迫と誘惑によって分化しつつあり、一部の上層反動分子は第一次大戦のときの轍《てつ》を踏み、新しい帝国主義戦争を支持しようとしています。だが、他の一部は共産党とともに、反戦・反ファッショの人民戦線をつくるでしょう。現在、チェンバレン、ダラディエは、ドイツ、イタリアにみならって、一歩一歩反動化し、戦時動員を利用して国家組織をファッショ化し、経済組織を戦時体制化しつつあります。要するに、二大帝国主義集団はいま戦争準備に狂奔しており、大暈殺戮《さつりく》の危険が何百何千万の人民の頭上にのしかかっているのです。このような事態は、疑いもなく、広範な人民の反抗運動を燃えあがらせるでしょう。ドイツ、イタリアにおいても、イギリス、フランスにおいても、ヨーロッパや世界のその他の地域においても、人民が帝国主義の砲火の餌食になることをのぞまないなら、かれらはきっと立ちあがって、いろいろな方法で帝国主義戦争に反対するにちがいありません。
 資本主義世界では、前にのべた二大集団のほかに、なお第三の集団があります。それは、アメリカをかしらとする、中南米の多くの国ぐにをふくむ集団です。この集団は自己の利益のために、しばらくはまだ戦争に転ずることはないでしょう。アメリカ帝国主義は、将来、資本主義世界の指導的地位の争奪にのりだすために、しばらくは中立に名をかりて戦争のどちら側にも参加しないでおこうと考えています。アメリカのブルジョア階級は、いまのところ、国内での民主政治と平時の経済生活をうちきろうとは考えていません。この点は世界の平和運動にとって有利です。
 日本帝国主義はソ独条約によって重大な打撃をこうむっており、その前途はいっそう困難になるでしょう。外交政策の面では、いま、二つの派があらそっています。軍閥は、中国を独占し、東南アジアを侵略し、イギリス、アメリカ、フランスを東方からしめだすという目的をはたすため、ドイツ、イタリアと同盟を結ぼうと考えています。しかし、一部のブルジョア階級は、中国略奪に目標を集中するため、イギリス、アメリカ、フランスに譲歩することを主張しています。いまのところは、イギリスと妥協する傾向がひじょうに強いとおもいます。イギリスの反動派は、中国を共同で分割することと日本を財政的経済的に援助することを条件に、日本を東方におけるイギリスの利益の番犬にして、中国の民族解放運動を弾圧させ、ソ連を牽制《けんせい》させようとしています。したがって、いずれにしても、中国を滅ぼそうという日本の根本目的はけっして変わるものではありません。日本が中国の正面戦線にたいして大規模な軍事進攻をおこなう可能性は、それほど大きくないかもしれませんが、日本は「中国人をもって中国人を制する」〔4〕という政治攻勢と、「戦争によって戦争をまかなう」〔5〕という経済侵略とをいっそうはげしくおこなう一方、その占領地では気違いじみた軍事「掃討」〔6〕をつづけ、また、中国が投降するように、イギリスをつうじて圧力をかけることを考えています。日本は、自分につごうのよい時機に東方ミュンヘンを提唱し、ある種の比較的大きな譲歩をえさにして、城下の盟《ちかい》を結ぶよう中国を誘惑、強迫し、それによって中国を滅ぼすという目的をはたそうとするでしょう。日本のこの帝国主義的目的は、日本人民の革命がおこらないかぎり、日本の支配階級がどんなに内閣を変えたところで、変わることはありえません。
 全資本主義世界のほかに、社会主義のソ連という光明の世界があります。ソ独条約によって、ソ連が世界の平和運動を援助する可能性、中国の抗日を援助する可能性は増大しました。
 以上が国際情勢についてのわたしの見通しです。
  このような情勢のもとで、中国の前途はどうなるでしょうか。
  中国には二つの前途があります。一つの前途は、抗戦を堅持し、団結を堅持し、進歩を堅持することで、これは復興への道です。もう一つの前途は、妥協を実行し、分裂を実行し、後退を実行することで、これは亡国への道です。
 新しい国際環境のなかで、また日本がますます困難になり中国が断じて妥協しないという条件のもとで、わが国の戦略的返却の段階は終わり、戦略的対峙の段階がやってきました。戦略的対峠の段階とは、反攻準備の段階のことです。
 しかし、正面における対峙と敵の後方における対嶬とは反比例するものです。正面における対峙の局面があらわれれば、敵の後方における闘争の局面はきびしくなってきます。したがって、武漢《ウーハン》を占領されてからはじまった、被占領地区(主として華北地方)における敵の大規模な軍事「掃討」は、今後もつづくばかりか、さらにはげしくなることでしょう。そのうえ、敵の当面の主要な政策が「中国人をもって中国人を制する」という政治攻勢と「戦争によって戦争をまかなう」という経済侵略であること、イギリスの東方政策が極東ミュンヘンであることから、中国の大きな部分の投降と内部の分裂という危険が、ひじょうに増大しています。さらに、わが国の国力は敵とくちべると、まだ大きな開きがあって、全国が一致して刻苦奮闘しないかぎり、反攻をおこなうだけの力をそなえることはできません。
 したがって、わが国の抗戦堅持の任務は、やはりひじょうに重大な任務であって、いささかもゆるがせにしてはなりません。
 したがって、中国は、確固とした政治的立場をとるべきであり、どんなことがあっても、いまの時機を逸してはならず、考えをあやまってはならないということは、すこしも疑う余地がありません。
 それは、第一に、抗戦の立場を堅持し、いかなる妥協運動にも反対することです。公然たる汪精衛《ワンチンウェイ》であろうと、かくれた汪精衛であろうと、これに断固として打撃をあたえなければなりません。日本の誘惑であろうと、イギリスの誘惑であろうと、断固として拒否しなければならず、中国はけっして東方ミュンヘンに参加してはなりません。
 第二に、団結の立場を堅持し、どんな分裂運動にも反対することです。それが日本帝国主義の側からこようと、その他の外国の側からこようと、また国内の投降派の側からこようと、すべて十分警戒すべきです。抗戦に不利な内部摩擦は、どんなものであっても厳然たる態度で制止しなければなりません。
 第三に、進歩の立場を堅持し、どんな後退運動にも反対することです。抗戦のためには、軍事、政治、財政経済、党活動、文化教育、民衆運動のいずれの面のものであろうと、抗戦に不利な思想、制度、方策はすべて、再検討し、適切に改善しなければなりません。
 もしそれができれば、中国は反攻をおこなう力をじゅうぶんにそなえることができるのです。
 いまから、全国が「反攻の準備」を抗戦の全般的任務とすべきです。
 いまは、一方では、正面の防御を厳正な態度で支持し、敵後方の戦争を力づよく支援するとともに、他方では、政治、軍事その他各種の改革を実行し、巨大な力を蓄積して、時機がきたらいつでも全力を傾注して、大挙反攻し、失地を奪回できるようにしておかなければなりません。




〔1〕 ソ独不可侵条約は一九三九年八月二十三日に結ばれた。
〔2〕 一九三五年十月、イタリアはエチオピアへの武装侵略を開始し、一九三六年五月、エチオピアを完全に占領した。一九三六年七月、ドイツとイタリアは共同してスペインの内政に武力干渉し、スペイン人民戦線政府にたいするファシスト軍閥フランコの反乱を支持した。人民戦線政府はドイツ・イタリア干渉軍およびフランコ反乱軍と長期にわたる抗戦をおこなったが、一九三九年三月に失敗してしまった。ドイツは、一九三八年三月、出兵してオーストリアを占領し、同年十月には、また出兵してチェコスロバキアのズデーデン区を占領し、一九三九年三月にはチュコスロバキアを完全に占領した。ドイツ、イタリアのファシストのこうした気違いじみた侵略行動は、いずれも当時のイギリス、フランス政府の「不干渉」政策による放任と激励のもとですすめられ、成功したものである。
〔3〕 一九三六年十一月、日本とドイツは「防共協定」を結んだ。一九三七年十一月には、イタリアもこの協定に参加した。
〔4〕 「中国人をもって中国人を制する」というのは、中国にたいする日本帝国主義の侵略の陰険な謀略である。従来、日本帝国主義は、中国内部を分裂させてその侵略目的を達成するために、いつも自己の利用できる勢力を中国で育成してきた。抗日戦争勃発後、日本帝国主義は、国民党内の公然たる親日分子汪精衛派を利用するだけでなく、蒋介石派の力をも利用して、もっとも決然と抗戦している中国共産党を牽制した。一九三九年から、日本が蒋介石の軍隊にたいする進攻を停止し、政治的に蒋介石の反共活動をはげましたのは、まさにこの「中国人をもって中国人を制する」政策の実施である。
〔5〕 日本帝国主義は、侵略戦争の物資の需要をまかなうために、中国における占領区内で残酷な略奪をおこなった。日本の軍閥は、この政策を「戦争によって戦争をまかなう」といっていた。
〔6〕 抗日戦争中、日本侵略者はわが人民解放区に進攻し、きわめて野蛮な焼きつくし、殺しつくし、奪いつくすという「三光政策」を実行した。敵はこれを「掃討」とよんだ。


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