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     「すべては統一戦線を通じて」というのはまちがいである

 国民党は政権をにぎっている党であるが、いまなお統一戦線の組織形態の存在をゆるしていない。敵の後方では、「すべては……を通じて」などできるものでなく、国民党がすでにゆるしたもの(たとえば「抗戦建国綱領」)にもとづいて、独立自主でやる以外にない。あるいは、国民党がゆるすだろうと予想したものは、さきに処置してあとで報告するのである。たとえば行政専員の設置、山東《シャントン》への部隊の派遣などといったことは、さきに「通じ」るとすればやれなくなる。フランス共産党はかつてこのスローガンをかかげたことがあったというが、それはおそらく、フランスには各党の合同委員会があるのに、社会党側が共同でさだめた綱領のとおりに実行しようとせず、依然としてかれらなりにやっているので、共産党としては社会党を制約するためにこのスローガンをかかげる必要があったからで、なにも自分をしばるためにこのスローガンをかかげたのではない。中国のばあいは、国民党が各政党の平等の権利を剥奪しており、各党を国民党一党の命令に従わせようとしている。われわれが、このスローガンをかかげることが、もし国民党にたいし、「すべて」はわれわれの同意を「通じ」なければなるないと要求するものであるとすれば、それはできない相談だし、こっけいなことである。またそれが、われわれのやろうとする「すべて」について、事前に国民党の同意をえようというのであるならば、国民党が同意しなかったばあいはどうするのか。国民党の方針はわれわれの発展を制限するものであり、われわれがこのスローガンをかかげることは、ただ自分で自分の手足をしばることになるだけで、けっしてそうすべきではない。いまのところ、さきに国民党の同意をえなければならないこと、つまりさきに報告してあとで処置することもあり、たとえば三つの師団を三つの軍に拡大編成することがそれである。既成事実をつくったうえで、それを国民党に知らせること、つまりさきに処置してあとで報告することもあり、たとえば二十余万の軍隊を拡充したことがそれである。国民党がいまは同意しないだろうと予想されるものは、しばらくのあいだ、処置しても報告しないでおくこともあり、たとえば辺区議会の招集などがそれである。しばらくのあいだ、処置も報告もしないでおくこともあり、たとえば実行したなら大局のさまたげになることがらがそれである。要するに、われわれはけっして統一戦線をやぶってはならないが、また自分で自分の手足をしばることもけっしてしてはならない。したがって「すべては統一戦線を通じて」のスローガンをかかげるべきではない。「すべては統一戦線に従う」ということばを、もし蒋介石《チャンチェシー》や閻錫山《イェンシーシャン》に「すべて従う」と解釈するなら、それもあやまりである。われわれの方針は、統一戦線における独立自主であって、統一もしているし、独立もしているのである。




〔1〕 このことばは『孟子』にみられる。原文は「人為《な》さざることありて、而《しか》る後に以て為すあるべし」となっている。
〔2〕 レーニンの『哲学ノート』――『へーゲルの著書「哲学史講義」の摘要』から引用。
〔3〕 労資協調論とは第二インターナショナルの反動理論で、資本主義国におけるプロレタリア階級とブルジョア階級との協調を主張し、革命的手段によるブルジョア階級の支配の転覆とプロレタリア独裁の樹立に反対するものであった。


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