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国共合作成立後のさしせまった任務

          (一九三七年九月二十九月)

 はやくも一九三三年に中国共産党は、赤軍への進攻を停止すること、民衆に日中をあたえること、民衆を武装化すること、この三つを条件として国民党のいかなる部隊とも抗日協定をむすぶ用意がある、という宣言を発表した。それは一九三一年、九・一八事変がおこったときから、中国人民の第一に重要な任務が日本帝国主義の中国進攻にたいしてたたかうことにあったからである。だが、われわれの目的はたっせられなかった。
 一九三五年八月、中国共産党と中国赤軍は、各党各派および全国の同胞に、抗日連合軍と国防政府を組織してともに日本帝国主義とたたかうことをよびかけた〔1〕。同年十二月、中国共産党は、民族ブルジョア階級と抗日民族統一戦線を結成することについての決議を採択した〔2〕。一九三六年五月、赤軍はまた、南京《ナンチン》政府に内戦の停止と一致抗日を要求する通告電を発表した〔3〕。同年八月、中国共産党中央委員会ははまた、国民党が内戦を停止すること、両党の統一戦線を結成してともに日本帝国主義とたたかうことを要求する書簡を国民党中央委員会におくった〔4〕。同年九月、共産党はまた、中国に統一的な民主共和国を樹立することについての決議をおこなった〔5〕。共産党側はこれらの宣言、通告電、書簡、決議をだしたばかりでなく、代表をおくって何回も国民党側と交渉をおこなったが、やはりなんの結果もえられなかった。一九三六年の末、西安《シーアン》事変がおこるにいたって、中国共産党の全権代表は、ようやく国民党のおもな責任者とのあいだに、両党の内戦停止という当時の政治上の一つの重要な共通点に到達し、同時に西安事変の平和的解決を実現した。これは中国史上の大きなできごとで、このときから、両党のあらたな協力にとって必要な一つの前提がつくられたのである。
 ことしの二月十日、国民党中央執行委員会第三回全体会議のひらかれる前夜、中国共産党中央は、両党の協力を具体的に実現するため、この会議にたいして系統だった提案を電報で通知した〔6〕。この電報では、内戦の停止、民主と自由の実施、国民大会の招集、抗日のための早急な準備、人民の生活改善などの五項目を共産党に保証するよう国民党に要求するとともに、共産党もまた、二つの政権の敵対関係の解消、赤軍の名称の変更、革命根拠地での新しい民主制度の実施、地主の土地没収の停止の四項目の保証を国民党にあたえた。これもまた一つの重要な政治上の段どりであった。なぜなら、もしこのような段どりがなければ、両党の協力の実現はどうしてもひきのばされ、抗日のための早急な準備にとってまったく不利になるからである。
 その後、両党の交渉は一歩あゆみよった。両党の共同の政治綱領の問題、民衆運動禁止の解除と政治犯釈放を要求する問題、赤軍の名称変更の問題などについて、共産党側はいっそう具体的な提案をした。共同綱領の公布、民衆運動禁止の解除、革命根拠地の新制度の承認などは、こんにちもまだ実現してはいないが、赤軍を国民革命軍第八路軍(抗日戦線の戦闘序列では第十八集団軍ともいう)と改称する命令は、北平《ペイピン》、天津《ティエンチン》が敵に占領されてから約一ヵ月後に公布されている。はやくも七月十五日に国民党に手渡された、両党協力の成立を公表する中国共産党中央の宣言と、当時それにつづいて発表する約束になっていた、中国共産党の合法的地位を認める蒋介石《チャンチェシー》氏の談話は、発表がひどくおくれて残念であるが、これも九月二十二日と二十三日、ちょうど前線が緊迫してきたときに、国民党の中央通信社をつうじてあい前後して発表された。共産党のこの宣言と蒋介石氏のこの談話は、両党協力の成立を公表したもので、両党の共同救国という偉大な事業のために、必要な基礎をすえたものである。共産党の宣言は、両党の団結の方針となるだけでなく、全国人民の大団結の根本方針ともなるであろう。蒋氏の談話では、共産党の全国における合法的地位を認め、団結救国の必要を指摘しているが、これはけっこうである。しかし、国民党の思いあがった考えをまだすてていないことと、必要な自己批判もまだしていないことは、われわれとして満足できないものである。しかし、ともかくも、両党の統一戦線は成立をつげた。これは、中国革命史上に一つの新紀元をひらいた。これは、中国革命に広範な、深刻な影響をあたえ、日本帝国主義の打倒に決定的な役割をはたすであろう。
 中国の革命で、一九二四年から決定的な役割をはたしてきたのは、国共両党の関係である。両党が一定の綱領にもとづいて協力したことによって、一九二四年から一九二七年までの革命がおこされた。孫中山《スンチョンシャン》先生が四十年も国民革命に力をつくしながらなお完成できなかった革命事業は、わずか二、三年のあいだに一、広東《コヮントン》省の革命根拠地の創設と北伐戦争の勝利という大きな成果をおさめた。これは両党が統一戦線を結成した結果である。ところが、一部のものが革命主義を堅持できなかったため、革命が完成されようとした矢先に、両党の統一戦線が割れて、革命の失敗をまねき、それに乗じて外国の侵略の手がのびてきた。これは両党の統一戦線が割れた結果である。いま、両党がふたたび結成した統一戦線によって、中国革命に新しい時期が形成されたいまなおある人たちが、この統一戦線の歴史的任務とその偉大な前途を理解せず、この統一戦線の結成をやむをえないその場しのぎの方法にすぎないと考えていても、歴史の車輪は、この統一戦線をつうじて、中国革命をまったく新しい段階へみちびいていくであろう。中国がこれほど深刻な民族的危機と社会的危機から解放されるかどうかは、この統一戦線の発展状況によってきまる。その有利な新しい証拠はすでにあらわれている。第一の証拠は、中国共産党がはじめて統一戦線政策を提起したとき、いちはやく全国人民の賛同をえたことである。人心の向こうところは、これを見てもあきらかである。第二の証拠は、西安事変が平和的に解決されて両党が停戦すると、国内の各党、各派、各界、各軍がただちにかつてないほどの団結ぶりをしめしたことである。この団結は、抗日の必要からいうと、まだ非常に不十分で、とくに、政府と人民のあいだの団結の問題は、いまなお基本的に解決されてはいないが。第三の証拠、これはもっとも顕著なもので、全国的な抗日戦争がおこされたことである。この抗戦は、現在の状況についていえば、全国的なものではあるが、まだ政府と軍隊にかぎられているので、われわれには満足できない。このような抗戦では日本帝国主義にうち勝つことができないということを、われわれははやくから指摘していた。そうではあるが、百年らいかつてなかった全国的範囲での対外抗戦が、たしかにもうおこされており、これは、国内の平和と両党の協力がなければできないことである。両党の統一戦線が割れていたときには、日本侵略者は一発の弾丸もつかわないで東北地方四省を手にいれることができたとしても、両党の統一戦線がふたたび樹立されたこんにちでは、血戦の代価なしには中国の土地を手にいれることはできない。第四の証拠は、国際的な影響である。全世界の労農民衆と共産党は、中国共産党のかかげた抗日統一戦線の主張を支持している。国共合作の成立後、各国人民、とくにソ連は、いっそう積極的に中国を援助するであろう。中ソは、すでに相互不可侵条約を締結しており〔7〕、こんご両国の関係はさらに一歩ふかまるものと期待される。以上のべたような証拠から、統一戦線の発展は、日本帝国主義の打倒と中国の統一的な民主共和国の樹立という明るい偉大な前途へ中国をすすませるものと、われわれは断定することができる。
 しかしながら、このような偉大な任務は、現在の状態にとどまっている統一戦線では達成できるものではない。両党の統一戦線はもっと発展させる必要がある。それはいま成立している統一戦線が、まだ充実した強固な統一戦線ではないからである。
 抗日民族統一戦線は、国民党と共産党という二つの政党にかぎられるものであろうか。そうではなく、それは全民族の統一戦線であって、二つの党はこの統一戦線の一部にすぎない。抗日民族統一戦線は、各党、各派、各界、各軍の統一戦線であり、労働者、農民、兵士、知識層、商工業者などすべての愛国的同胞の統一戦線である。現在の統一戦線は、事実上まだ二つの党の範囲にとどまっていて、広範な労働者、農民、兵士、都市小ブルジョア階級およびその他の多くの愛国的同胞はまだ、よびさまされていず、動員されていず、組織され武装化されていない。これが当面のもっとも重大な事態である。それが重大だというのは、前線での勝利を不可能にしているからである。華北地方および江蘇《チァンスー》省、淅江《チョーチァン》省の前線での重大な危機は、現在もはやおおいかくすくともできなければ、また、おおいかくす必要もなく、問題は、この危機をどうして救うかということにある。危機を救う唯一の道は、孫中山先生の遺言、つまり「民衆をよびさます」ということばを実行することである。孫中山先生は臨終のこの遺言のなかで、四十年の経験を積んで、革命の目的を達成するにはそうしなければならないことを深く知った、といっている。いったいどのような理由から、どうしてもこの遺言を実行しようとしないのか。いったいどのような理由から、こうした危急存亡の瀬戸ぎわにあってなおこの遺言の実行を決意しないのか。統制や弾圧が「民衆をよびさます」という原則にそむくものであることは、だれの目にもあきらかである。政府と軍隊だけの抗戦では、けっして日本帝国主義にうち勝つことはできない。われわれは、ことしの五月には、この問題について、民衆が抗戦に立ちあがらなければ、エチオピアの二の舞いを演じるだろうと指摘して、政権をにぎっている国民党に、声を大にして警告していた。たんに中国共産党員だけでなく、各地の多くの先進的な同胞と国民党のなかの多くの賢明な党員も、この点を指摘していた。だが、統制政策は依然としてあらためられていない。その結果、政府は人民から遊離し、軍隊は人民から遊離し、軍隊内では指揮員が戦闘員から遊離している。統一戦線が民衆によって充実されないと、前線の危機は、どうしても大きくなる一方で、小さくなることはない。
 こんにちの抗日統一戦線は、国民党の統制政策にとってかわるものとしての、両党が共同で承認し、正式に公布した政治綱領をまだもっていない。国民党が民衆にたいしてとっているやり方は、いまでも十年らいのやり方そのままである。政府機構、軍隊制度、民衆政策から、財政、経済、教育などの政策にいたるまで、だいたいみな十年らいのやり方そのままで変化していない。変化したもの、しかも大きく変化したものもある。それが内戦の停止と一致抗日である。両党の内戦が停止し、全国的な抗日戦争がはじまったということは、西安事変以来の中国の政局のきわめて大きな変化である。だが、さきにのべたあのやり方は、いまもなお変化していない。これを、変化していないものが変化したものに適応しないというのである。これまでのやり方は対外的に妥協することと、対内的に革命を弾圧することにしか適用されないものであるのに、いまなおこのやり方で日本帝国主義の進攻に対処しているのであるから、どこもかしこもぴったりゆかず、さまざまな弱点がさらけだされるのである。抗日戦争をやらないのならともかく、それをやろうとするのに、しかもすでにやりはじめており、そのうえすでに重大な危機があらわれているのに、それでも新しいやり方にきりかえないのでは、前途の危険は想像にあまるものがある。抗日には充実した統一戦線が必要で、そのためには、全国人民を立ちあがらせて、統一戦線に参加させなければならない。抗日には強固な統一戦線が必要で、そのためには共同綱領が必要である。共同綱領は、この統一戦線の行動方針であり、また、この統一戦線にとっての一種の制約でもあって、それは一本のつなでしばるように、各党、各派、各界、各軍など、統一戦線に参加したすべての団体と個人をかたく制約する。それでこそ強固な団結といえるのである。われわれは、あのふるいやり方による制約が民族革命戦争に適応しないので、それに反対する。われわれは、ふるいものにかわる新しい制約をもうけること、つまり共同綱領を公布して、革命的秩序をうちたてることを歓迎するものである。そうしないかぎり、抗日戦争に適応することはできない。
 共同綱領とはなにか。それは、孫中山先生の三民主義と、共産党が八月二十五日に提起した抗日救国十大綱領〔8〕である。
 中国共産党は、国共合作を公表した宣言のなかで、「孫中山先生の三民主義は、中国がこんにち必要とするものであり、わが党はその徹底的な実現のために奮闘するものである」とのべた。共産党が国民党の三民主義を実行したいといっていることにたいして、不思議におもっているものが若干いる。たとえば上海《シャンハイ》の諸青来《チューチンライ》〔9〕は、上海の刊行物でこうした疑問をだしたひとりである。かれらは、共産主義と三民主義は両立できないものだとおもっている。これは一種の形式主義的な見方である。共産主義は、革命が発展していく将来の段階で実行されるものであり、共産主義者は、現在の段階で共産主義を実行しようなどと夢みてはいず、歴史が規定する民族革命主義と民主革命主義を実行するものであって、共産党が抗日民族統一戦線と統一的な民主共和国を提起した根本的な理由はここにある。三民主義についていえば、十年まえの両党の第一次統一戦線のときに、共産党と国民党がすでに国民党第一回全国代表大会で、その実行をともに決定しており、しかも、一九二四年から一九二七年まで、すべての忠実な共産党員と忠実な国民党員をつうじて、全国の広大な地域で実行されたのである。不幸にも、一九二七年に統一戦線が割れ、そのときから国民党側が十年間にわたって三民主義の実行に反対するという局面があらわれた。だが、共産党側がこの十年間に実行してきたすべての政策は、根本的にはやはり孫中山先生の三民主義と三大政策の革命的精神にかなったものである。共産党は、ただの一日も帝国主義に反対しない日はなく、これが徹底的な民族主義である。また、労農民主主義独裁の制度は、ほかでもなく徹底的な民権主義である。土地革命は徹底的な民生主義である。その共産党がなぜこんどは労農民主主義独裁を廃止し、地主の土地没収を停止すると言明しているのか。この理由も、われわれがはやくから説明してきたように、こうした制度や施策がまったくだめだというのではなく、日本帝国主義の武力侵略が国内の階級関係の変化をひきおこしたので、日本帝国主義とたたかうために全民族の各階層を連合させることが必要になり、また可能になったからである。中国だけではなく、世界的範囲においても、共同してファシズムに反対するために、反ファシズム統一戦線を結成することが必要になったし、また可能になった。したがって、われわれは、中国に民族・民主統一戦線をつくることを主張するのである。労農民主主義独裁のかわりに、各階層連合の民主共和国を樹立するというわれわれの主張は、こうした点を基礎として提起されたものである。「耕すものに土地を」ということを実行する土地革命は、とりもなおさず孫中山先生がかつて提起した政策であり、われわれが、こんにち、この政策の実行をとりやめるのは、もっと多くの人びとを結集して日本帝国主義とたたかうためであって、中国が土地問題の解決を必要としないというのではない。このような政策変更の客観的原因と時期については、われわれは、かつてすこしのあいまいさもなく自分の観点を説明した。中国共産党は、マルクス主義の原則に立って、第一次国共統一戦線の共同綱領、つまり革命的三民主義を一貫して堅持し発展させてきたからこそ、強大な侵略者がおしよせてきた民族の危急にさいして、時をうつさず、危機を救うことのできる唯一の政策として、この民族・民主統一戦線を提起し、しかも、それをうまずに実行することができるのである。現在の問題は、共産党が革命的三民主義を信ずるかどうか、実行するかどうかにあるのではなくて、むしろ国民党が革命的三民主義を信ずるかどうか、実行するかどうかにある。現在の任務は、孫中山先生の三民主義の革命的精神を全国的範囲で復活し、それによって一定の政治綱領と政策を制定するとともに、二心なくほんとうに、おざなりでなく着実に、ひきのばすのでなく早急にそれを実行することである。中国共産党側では、ほんとうに日夜それを祈っているのである。そのため、共産党は蘆溝橋《ルーコウチァオ》事変ののち、抗日救国十大綱領を提起したのである。この十大綱領は、マルクス主義に合致しているし、真の革命的三民主義にも合致している。これは、現段階の中国革命、つまり抗日民族革命戦争における初歩的な綱領であり、それを実行しなければ、中国を救うことはできないのである。この綱領と抵触するすべてのものをつづけていくならば、かならず歴史の懲罰をうけることになる。
 国民党は、いまのところ、まだ中国で支配権をにぎっている最大の政党なので、この綱領を全国的範囲で実行するには、自民党の賛成がなければ不可能である。国民党員で賢明なものは、いつかはこの綱領に賛成するものとわれわれは信じている。なぜなら、もし賛成しなければ、三民主義はいつまでたってもから談義に終わり、孫中山先生の革命的精神は復活できず、日本帝国主義にうち勝つことはできず、中国人民が亡国奴の境遇におちいることはきけちれないからである。国民党員でほんとうに賢明なものは、けっしてこうなることをのぞまないし、全国人民も、けっしてみすみす亡国奴になるようなことはない。しかも、蒋介石氏は、九月二十三日の談話のなかで、「われわれ革命の信奉者は、個人の意地や私見のためでなく、三民主義の実現のためにあると、わたしはおもう。この危急存亡のさいには、なおさら過去の一切にこだわるべきでなく、国家の生命と生存をたもつために、全国の国民とともに徹底的に再出発し、団結につとめるべきである」と指摘している。そのとおりである。現在の急務は、三民主義の実現をはかるために、個人や小集団の私見をすて、これまでのふるいやり方をあらためて、三民主義に合致した革命の綱領をただちに実行し、徹底的に人民とともに再出発することである。これが、こんにちの唯一の道である。これ以上ひきのばすと、後悔してもおよばないことになるであろう。
 しかし、三民主義と十大綱頭を実行するには、実行する手段が必要である。そこで、政府の改造と軍隊の改造という問題が提起されるのである。現在の政府は、民族・民主統一戦線の政府ではなく、まだ国民党の一党独裁の政府である。三民主義と十六綱領の実行には、民族・民主統一戦線の政府がなければ不可能である。現在の自民党軍の制度はまだふるい制度であって、このような制度の軍隊で日本帝国主義にうち勝つことは不可能である。現在の軍隊はみな抗戦の任務を遂行しており、われわれは、すべてのこうした軍隊、とくに前線で抗戦している軍隊には敬意をはらっている。だが、この三ヵ月らいの抗戦の教訓がすでに証明しているように、国民党軍の制度は、日本侵略者を徹底的にうちやぶる任務を遂行するのに適していないし、三民主義と革命綱領を順調に遂行するのにも適していないので、どうしても改革しなければならない。改革の原則は、将兵の一致、軍民の一致を実行することである。現在の国民党軍の制度は、基本的にこの二つの原則にそむいている。広範な将兵は忠勇の心をもってはいるが、ふるい制度にしばられて、その積極性を発揮することができない。したがって、ふるい制度の改革を早急にはじめなければならない。戦争を中止し、制度を改革してから戦争をやるのではなく、戦いながらも制度を改革することができる。中心的任務は、軍隊の政治精神と政治工作をあらためることである。模範的な前例は、北伐戦争時代の国民革命軍で、それはだいたいにおいて、将兵一致、軍民一致の軍隊であった。当時の精神を復活させることがぜひとも必要である。中国はスペイン戦争の教訓にまなぶべきである。スペイン共和国の軍隊はきわめて困難な環境のなかでつくられてきた。中国の条件はスペインよりもまさっているが、充実した強固な統一戦線がなく、革命の全綱領を実行できる統一戦線の政府がなく、新しい制度にもとづく大量の軍隊がない。中国はこれらの欠陥をおぎなわなければならない。中国共産党の指導する赤軍は、こんにち、抗日戦争全体にたいしては、前衛の役割をはたすだけで、まだ全国的範囲で決定的な役割をはたすことはできないが、その政治上、軍事上、組織上の長所は全国の友軍が十分とりいれてよいものである。この軍隊も、はじめから今のような状態であったのではなく、主として軍隊内部の封建主義を一掃し、将兵一致と軍民一致の原則を実行するなど、やはり多くの改造をへてきている。この経験は全国の友軍のかがみとなりうるものである。
 政権をにぎっている国民党の抗日の同志諸君、われわれと諸君は、こんにち、ともに国を滅亡から救う責務をになっている。諸君はすでにわれわれと抗日統一戦線を結成したが、これはけっこうなことである。諸君は対日抗戦を実行しているが、これもまたけっこうなことである。だが、われわれは諸君が他のふるい政策をとりつづけることには賛成しない。われわれは、民衆を統一戦線に参加させ、それを発展、充実させなければならない。共同綱領を実行して統一戦線を強化しなければならない。政治制度と軍隊制度の改革を決意しなければならない。一つの新しい政府があらわれることはぜひとも必要で、そのような政府があってはじめて、革命の綱領を遂行でき、また全国的範囲で軍隊の改造にとりかかることもできる。われわれのこの提案は時代の要求である。この要求については、諸君の党内でも多くの人がいまこそその実行の時だと気づいている。孫中山先生は、かつて政治制度と軍事制度の改造を決意したので、一九二四年から一九二七年までの革命の基礎がすえられたのである。おなじような改造を実行する責務が、こんにちでは諸君の肩にかかっている。国民党の誠実な愛国的な党員は、すべてわれわれのこの提案を不必要のものだとはもちろん考えないだろう。この提案は客観的な必要に合致したものだと、われわれはかたく信じている。
 わが民族はすでに存亡の瀬戸ぎわに立っている。国共両党は、親密に団結しよう!  亡国奴となることをのぞまない全国のすべての同胞は、国共両党の団結を基礎として親密に団結しよう! 必要なすべての改革を実行して、あらゆる困難にうちかつこと、これがこんにちの中国革命のさしせまった任務である。この任務が達成されれば、かならず日本帝国主義をうちたおすことができる。われわれが努力しさえすれば、われわれの前途は明るいのである。




〔1〕 本選集第一巻の『抗日の時期における中国共産党の任務』注〔2〕を参照。
〔2〕 本選集第一巻の『抗日の時期における中国共産党の任務』注〔3〕を参照。
〔3〕 本選集第一巻の『抗日の時期における中国共産党の任務』注〔4〕を参照。
〔4〕 本選集第一巻の『蒋介石の声明についての声明』注〔7〕を参照。
〔5〕 本選集第一巻の『抗日の時期における中国共産党の任務』注〔6〕を参照。
〔6〕 本選集第一巻の『抗日の時期における中国共産党の任務』注〔7〕を参照。
〔7〕 「中ソ相互不可侵条約」は、一九三七年八月二十一日に締結された。
〔8〕 本巻の『すべての力を動員して抗戦の勝利をかちとるためにたたかおう』にみられる。
〔9〕 諸青来は、「国家社会党」(反動的な地主、官僚、大ブルジョア階級によって組織された小集団)の首領のひとりである。のちに、かれは汪精衛の民族裏切り政府の一員となった。


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