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     一 二つの世界観

 人類の認識史には、宇宙の発展法則についてこれまで二つの見解が存在してきた。一つは形而上《けいじじょう》学的な見解、他の一つは弁証法的な見解であって、それらはたがいに対立しあう二つの世界観を形成している。レーニンはいっている。「発展(進化)についての二つの基本的な(あるいは二つの可能な? あるいは二つの歴史上よくみられる?)観点は、つぎのとおりである。すなわち、発展とは減少および増大であり、反復であるとみること、発展とは対立面の統一(統一物がたがいに排斥しあう二つの対立面にわかれ、そしてこの二つの対立面がたがいに関連しあっている)であるとみることである。」〔3〕レーニンがいっているのはつまり、この二つの異なった世界観のことである。
 形而上学は、玄学ともよばれている。この思想は、中国でもヨーロッパでも、歴史上非常に長いあいだ、観念論的な世界観にぞくし、人びとの思想のなかで支配的な地位をしめていた。ヨーロッパでは、ブルジョア階級の初期の唯物論も形而上学的であった。ヨーロッパの多くの国の社会経済が資本主義の高度に発達した段階にすすみ、生産力、階級闘争および科学がいずれも歴史上かつてない水準に発展し、工業プロレタリア階級が歴史を発展させるもっとも偉大な原動力になったことによって、マルクス主義の唯物弁証法的世界観がうまれた。そこで、ブルジョア階級のあいだには、公然たる、極度に露骨な、反動的観念論のほかに、また俗流進化論があらわれて、唯物弁証法に対抗するようになった。
 形而上学あるいは俗流進化論の世界観というものは、世界を孤立的な、静止的な、一面的な観点でみるものである。こうした世界観は、世界のすべての事物、すべての事物の形態と種類を、永遠にそれぞれ孤立した、永遠に変化することのないものとみなしている。変化があるとしても、それはただ量の増減と場所の変動にすぎない。しかも、その増減と変動の原因は、事物の内部にあるのではなくて事物の外部にある、すなわち外力によって動かされるものだとしている。形而上学者は、世界のさまざまな異なった事物と事物の特性は、それらが存在しはじめたときからそうなっており、その後の変化は量の上での拡大または縮小にすぎないとしている。かれらは、一つの事物は永遠におなじ事物としてくりかえして発生するだけで、異なった別の事物に変化することはない、と考えている。形而上学者からみれば、資本主義の搾取、資本主義の競争、資本主義社会の個人主義思想などは、古代の奴隷社会でも、さらに原始社会でさえ、見いだすことができるし、しかも、永遠に変わることなく存在しつづけるということになる。社会発展の原因ということになると、かれらはそれを地理、気候など社会外部の条件によって説明する。かれらは単純に、発展の原因を事物の外部にもとめ、事物の発展が内部矛盾によってひきおこされると主張する唯物弁証法の学説を否定する。したがって、かれらには事物の質の多様性を説明することができないし、ある質が他の質に変化する現象を説明することができない。こうした思想は、ヨーロッパでは一七世紀と一八世紀には機械的唯物論となってあらわれ、一九世紀末から二〇世紀のはじめには、俗流進化論となってあらわれた。中国には「天は不変であり、道もまた不変である」〔4〕といった形而上学の思想があり、長いあいだ、腐敗した封建的支配階級から支持されてきた。百年このかた、ヨーロッパの機械的唯物論や俗流進化論が持ちこまれて、これがブルジョア階級から支持されている。
 形而上学の世界観とは反対に、唯物弁証法の世界観は、事物の発展を事物の内部から、またある事物の他の事物にたいする関係から研究するよう主張する。すなわち事物の発展を事物の内部の、必然的な自己運動とみなし、また一つ一つの事物の運動は、すべてその周囲の他の事物とたがいに連係しあい、影響しあっているものとみる。事物の発展の根本原因は、事物の外部にあるのではなくて事物の内部にあり、事物の内部の矛盾性にある。どんな事物の内部にもこうした矛盾性があり、そのために事物の運動と発展がひきおこされる。事物の内部のこの矛盾性は、事物の発展の根本原因であり、ある事物と他の事物がたがいに連係しあい、影響しあうことは、事物の発展の第二義的な原因である。このように、唯物弁証法は、形而上学の機械的唯物論や俗流進化論の、外因論または受動論に、力づよく反対してきた。たんなる外部的原因は、事物の機械的運動、すなわち範囲の大小、量の増減をひきおこすだけで、事物はなぜその性質が千差万別であり、また、なぜたがいに変化しあうかを説明することができないのはあきらかである。事実は、たとえ外力によって動かされる機械的運動でも、やはり事物の内部の矛盾性をつうじなければならないのである。植物や動物の単純な成長、その量的な発展も、主としてその内部の矛盾によってひきおこされる。同様に、社会の発展は、主として、外因によるのではなくて内因によるのである。多くの国はほとんどおなじような地理的、気候的条件のもとにあるが、その発展の相違性と不均等性は非常に大きい。一つの国についてみても、地理や気候に変化がないという状況のもとで、社会には大きな変化がみられる。帝国主義のロシアは社会主義のソ連に変わり、封建的な鎖国日本は帝国主義の日本に変わったが、これらの国の地理や気候には別に変化がなかった。長いあいだ封建制度によって支配されてきた中国には、この百年来、大きな変化がおこり、いま、自由・解放の新中国にむかって変化しつつあるが、中国の地理や気候には別に変化がなかった。地球全体および地球の各部分の地理や気候も変化はしているが、社会の変化にくらべると、ごくわずかな変化しかみられない。前者は、何万年かを単位として変化があらわれるが、後者は、何千年、何百年、何十年、ときには何年あるいは何ヵ月(革命の時期には)のあいだにさえ変化があらわれるのである。唯物弁証法の観点によれば、自然界の変化は、主として自然界の内部矛盾の発展によるものである。社会の変化は、主としで社会の内部矛盾の発展、すなわち、生産力と生産関係との矛盾、諸階級のあいだの矛盾、新しいものとふるいものとのあいだの矛盾によるものであり、これらの矛盾の発展によって社会の前進がうながされ、新旧社会の新陳代謝がうながされる。では、唯物弁証法は外部的原因を排除するものだろうか。排除はしない。唯物弁証法は、外因を変化の条件、内因を変化の根拠とし、外因は内因をつうじて作用するものと考える。鶏の卵は適当な温度をあたえられると、ひよこに変化するが、石ころは温度をくわえてもひよこにはならない。それは両者の根拠がちがうからである。各国人民のあいだの相互影響はつねに存在する。資本主義時代、とくに帝国主義とプロレタリア革命の時代には、各国のあいだの政治的、経済的、文化的な相互影響と相互衝撃はきわめて大きい。十月社会主義革命は、ロシアの歴史に新紀元をひらいたばかりでなく、世界の歴史にも新紀元をひらき、世界各国の内部の変化に影響をおよぼし、同様にしかもとくに深刻に、中国の内部の変化に影響をおよぼした。しかし、このような変化は、各国の内部そのもの、中国内部そのもののもつ法則性をつうじておこった。二つの軍隊が戦うばあい、一方が勝ち、他方が負けるが、勝つのも負けるのも、みな内因によってきまる。勝つ方は、強いか、あるいはその指揮にまちがいがないからであり、負ける方は、弱いか、あるいはその指揮にまちがいがあるからで、外因が内因をつうじて作用するのである。一九二七年に、中国の大ブルジョア階級がプロレタリア階級をうちまかしたのは、中国プロレタリア階級内部の(中国共産党内部の)日和見主義をつうじて作用をおこしたのである。われわれがこの日和見主義を清算すると、中国革命はあらたに発展した。その後、中国革命はまた敵からひどい打撃をうけたが、それは、われわれの党内に冒険主義があらわれたからである。われわれがこの冒険主義を清算すると、われわれの事業はまたあらたに発展した。こうしたことからみて、ある政党が革命を勝利にみちびくには、どうしても自己の政治路線の正しさと組織の強固さに依存しなければならない。
 弁証法的な世界観は、中国でも、ヨーロッパでも、古代にすでにうまれていた。しかし、古代の弁証法は、自然発生的な、素朴な性質をおびていて、当時の社会的、歴史的条件から、完備した理論をもつことができなかった。したがって、宇宙を完全に説明することができず、やがて、形而上学にとって代わられてしまった。一八世紀の後期から一九世紀の初期にかけてのドイツの有名な哲学者へーゲルは、弁証法にたいして重要な貢献をしたが、かれの弁証法は観念論的弁証法であった。プロレタリア運動の偉大な活動家であったマルクスとエンゲルスが、人類の認識史の積極的な成果を総合し、とくにへーゲルの弁証法の合理的な部分を批判的にとりいれて、弁証法的唯物論と史的唯物論という偉大な理論を創造するようになってはじめて、人類の認識史には空前の大革命がおこった。その後、レーニンとスターリンによって、この偉大な理論はさらに発展させられた。この理論がひとたび中国につたわると、中国の思想界に非常に大きな変化がおこった。
 この弁証法的世界観は主として、さまざまな事物の矛盾の運動の観察と分析に熟達すると同時に、その分析にもとづいて矛盾の解決方法を見いだすよう、人びとに教えている。したがって、事物の矛盾という法則を具体的に理解することは、われわれにとって非常に重要なことである。


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