前へ  目次へ  次へ


     民主の問題

 「民主を強調するのはあやまりで、ただ抗日だけを強調すべきである。抗日の直接行動がなければ、民主運動はありえない。多くの人は、抗日だけを要求して、民主は要求していない。『一二・九』@がもういちどあれば、それでよいのだ」。
 まず、問題をすこしだそう。まえの段階(一九三五年の一二・九運動から一九三七年二月の国民党中央執行委員会第三回全体会議まで)では、多くの人が抗日だけを要求して、平和は要求していなかったといえるだろうか。まえに平和を強調したのはまちがっていただろうか。抗日の直接行動がなければ、平和運動はありえないだろうか(西安事変や国民党中央執行委員会第三回全体会議は綏遠《スイユァン》抗戦が終わったのちのことであり、現在でもまだ綏遠抗戦や「一二・九」のようなものはない)。抗日には平和が必要であり、平和がなければ抗日はできず、平和が抗日の条件であることを、知らないものはない。まえの段階でのあらゆる直接、間接の抗日行動(「一二・九」から国民党中央執行委員会第三回全体会議まで)は、すべて平和をかちとることをめぐっておこなわれ、平和はまえの段階での中心的な環であり、まえの段階での抗日運動のもっとも本質的なものであった。
 抗日の任務にとって、民主もまた新しい段階におけるもっとも本質的なものであり、民主のためとは、抗日のためということである。抗日と平和、民主と平和がたがいに条件となっているのとおなじように、抗日と民主はたがいに条件となっているのである。民主は抗日の保障であり、抗日は民主運動の発展に有利な条件をあたえることができる。
 新しい段階で、直接的、間接的な多くの反日闘争のおこることをわれわれはのぞむし、またおこるにちがいない。それらが対日抗戦をおしすすめるであろうし、また大いに民主運動の助けともなる。しかし、歴史がわれわれにあたえている革命の任務の中心的な本質的なものは、民主をかちとることである。「民主」、この「民主」はまちがっているだろうか。 わたしはまちがっていないとおもう。
 「日本は後退した、イギリスと日本は均衡がとれはじめている、南京はいっそう動揺してきた」。これは歴史の発展法則を理解しないことからうまれた的はずれの心配である。日本がもし国内革命によって根本的に後退したのなら、中国革命にとって有利であり、われわれののぞむところであり、世界侵略戦線の崩壊の始まりであるのに、どうしてまた心配することがあるのだろうか。しかし、本当は、まだそうなっていない。佐藤外交は大戦の準備であり、大戦はわれわれの前にせまっている。イギリスの動揺政策も無結果に終わるほかない。これはイギリスと日本との利害が異なることによって決定づけられている。南京が長期にわたって動揺しつづけるなら、かれらは全国人民の敵となってしまうので、それも南京の利益がゆるさない。一時的な後退現象が全般的な歴史の法則にとってかわることはできない。したがって、新しい段階を否定することはできないし、また民主の任務の提起を否定することもできない。しかも、状況がどうあっても、民主のスローガンはすべて適応できるものであり、民主は、中国人にとってありあまっているものではなくて、欠けているものである。これはだれにもあきらかである。まして、実際の状況がしめしているように、新しい段階を指摘し、民主の任務を提起したことは、抗戦に一歩近づいたものである。時局はすでに前進した。それをあとにひきもどしてはならない。
 「なぜ国民大会を強調するのか」。それは、国民大会が、生活のすべての面と関連する可能性をもつものであり、反動的独裁から民主へのかけ橋であり、国防的な性質をおびており、合法的なものだからである。同志諸君が提起しているように、河北《ホーペイ》省東部と察哈爾《チャーハール》省北部の奪回、密輸入反対、「経済提携」反対などは、いずれも正しい。だが、このことは民主の任務や国民大会と、たがいに補いあっていて、少しも矛盾するものではない。しかし、中心的なものは国民大会と人民の自由である。
 日常的な反日闘争および人民の生活のための闘争が、民主運動と呼応しなければならないということは、まったく正しいし、またなんら論議の余地もない。だが、現段階での中心的なそして本質的なものは、民主と自由である。


前へ  目次へ  次へ