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     われわれの指導責務

 (一六)一定の歴史的環境のもとでは、帝国主義や封建制度とのたたかいに参加しうる中国のブルジョア階級は、その経済的、政治的軟弱性から、他の歴史的環境のもとでは、動揺し変節する。この法則は、中国の歴史においてすでに証明されている。したがって、中国の反帝・反封建のブルジョア民主主義革命の任務を達成するには、ブルジョア階級の指導によるのではなくて、プロレタリア階級の指導によらなければならないことは、すでに歴史によって判定されている。しかも、ブルジョア階級のもつあの先天的な動揺性と不徹底性を克服して、革命を流産させないようにするには、民主主義革命のなかで、プロレタリア階級がその強靱《きょうじん》性と徹底性を十分に発揮する以外にない。プロレタリア階級をブルジョア階級に追随させるか、それともブルジョア階級をプロレタリア階級に追随させるか。中国革命を指導する責務というこの問題は、革命が成功するか失敗するかの鍵《かぎ》である。一九二四年から一九二七年までの経験は、ブルジョア階級がプロレタリア階級の政治的指導にしたがったとき、革命がどんなに前進したか、プロレタリア階級(共産党が責任を負う)が政治的にブルジョア階級に追随してしまったとき〔17〕、革命はまたどんなに失敗をなめたかを、あきらかにしている。このような歴史を二度とくりかえしてはならない。いまの状況からいうならば、プロレタリア階級とその政党の政治的指導をはなれては、抗日民族統一戦線をうちたてることも、平和と民主と抗戦の目的を実現することも、祖国を防衛することも、統一的な民主共和国を実現することもできない。こんにちでも、国民党に代表されるブルジョア階級は、まだ多くの受動性と保守性をもっており、共産党が提唱した抗日民族統一戦線を長いあいだうけいれようとしなかったことが、その証拠である。このような状況が、プロレタリア階級とその政党の政治的指導の責務をさらに重くしている。抗日救国の参謀本部としての職責は、共産党にとって他に転嫁することも、また辞退することもできないものである。
 (一七)プロレタリア階級は、その政党をつうじて、全国の革命的諸階級にたいして、どのように政治的指導を実現するか。第一に、歴史の発展過程にもとづいた基本的な政治的スローガンを提起し、またこのスローガンを実現するために、一つ一つの発展段階、一つ一つの重要なできごとについて、動員のスローガンを提起する。たとえば、われわれは「抗日民族統一戦線」と「統一的な民主共和国」という基本的なスローガンを提起し、さらに全国人民が一致して行動する具体的目標として「内戦を停止せよ」「民主主義をたたかいとろう」「抗戦を実行せよ」というスローガンを提起したが、このような具体的目標がなければ、政治的指導といったものはありえない。第二に、このような具体的目標にもとづいて全国的に行動に立ちあがったとき、プロレタリア階級、とくにその前衛――共産党は、これちの具体的目標を実現するうえでの模範となるよう自己のかぎりない積極性と忠実さをしめすべきである。抗日民族統一戦線と民主共和国についてのすべての任務のためにたたかうにあたって、共産党員は、もっとも遠い見通しをもち、もっとも犠牲的精神に富み、もっとも確固としており、またもっとも虚心に状況を把握《はあく》することができ、大衆の多数に依拠し、大衆の支持をかちとるようにしなければならない。第三に、確定した政治目標をみうしなわないという原則のもとに、同盟者と適切な関係をうちたて、この同盟を発展、強化させる。第四に、共産党の隊列の拡大と思想の統一、規律の厳格さである。全国の人民にたいする共産党の政治的指導は、以上のべたこれらの条件を実行することによって実現される。これらの条件は自己の政治的指導を保障する基礎であり、また革命が同盟者の動揺性によって破壊されることなく、徹底的な勝利をかちとる基礎でもある。
 (一八)平和が実現し、両党の協力関係が成立したのちには、いままで二つの政権が敵対していたときの路線のもとでの闘争方式や組織方式や活動方式には、なんらかの変更がなされなければならない。それは主として、武力的なものから平和的なものにうつり、非合法的なものから合法的なものにうつることである。このような転換は、たやすいものではなく、あらためて学習する必要がある。幹部をあらためて訓練することがその主要な環になる。
 (一九)民主共和国の性格と前途の問題については、多くの同志からすでに提起された。われわれの答えはつぎのとおりである。その階級的性格は革命的諸階級の同盟であり、その前途は社会主義にすすむ可能性をもっている。われわれの民主共和国は、民族的抗戦の任務を遂行する過程で樹立されるものであり、プロレタリア階級の指導のもとで樹立されるものであり、新しい国際環境(ソ連における社会主義の勝利、世界革命の新しい時期の前夜)のもとで樹立されるものである。したがって、社会的、経済的条件からすれば、それはやはりブルジョア民主主義的性格の国家ではあるが、具体的な政治的条件からすれば、一般的なブルジョア共和国とは異なるもので、労働者、農民、小ブルジョア階級およびブルジョア階級の同盟による国家でなければならない。したがって、その前途はやはり資本主義の方向にすすむ可能性をもってはいるが、同時にまた社会主義の方向に転ずる可能性をももっている。中国のプロレタリア政党はこの後者の前途をたたかいとるようつとめなければならない。
 (二〇)閉鎖主義と冒険主義にたいする、同時にまた追随主義にたいするたたかいは、党の任務を遂行するための必要な条件である。わが党は、民衆運動において、ひどい閉鎖主義、高慢なセクト主義および冒険主義という伝統的傾向をもっている。これは党が抗日民族統一戦線をうちたて、多数の大衆を獲得することをさまたげる悪い傾向である。一つ一つの具体的な活動のなかでこのような傾向を一掃していくことは、ぜひとも必要である。われわれが要求することは、多数にたより、全局面に気をくばることである。陳独秀的追随主義の復活はゆるされない。これはプロレタリア階級の隊列におけるブルジョア改良主義の反映である。党の立場をひきさげ、党の姿をあいまいにし、労働者、農民の利益を犠牲にして、ブルジョア改良主義の要求に迎合することは、かならず革命を失敗にみちびくものである。われわれが要求することは、断固たる革命政策を実行し、ブルジョア民主主義革命の徹底的勝利をたたかいとることである。以上のべたような悪い傾向を克服する目的を果たすためには、全党的にマルクス・レーニン主義の理論的水準をたかめることがぜひとも必要である。なぜなら中国革命を勝利にみちびく指針としては、そうした理論しかないからである。




〔1〕 華北事変とは、一九三五年、日本侵略者が華北を侵略し、蒋介石をかしらとする国民党政府が華北で主権を売りわたした一連の事件をさす。同年五月、日本侵略者は、華北における支配権を国民党政府に要求し、華北における国民党政府代表何応欽は、六月に日本侵略者の華北駐屯軍司令官梅津美治郎と協定を結び、この要求をうけいれた。これがいわゆる「何応欽・梅津協定」である。この協定によって、中圏は河北省と察哈爾省の王権の大部分をうしなってしまった。日本侵略者はまた十月に河北省の香河県で民族裏切り者をさしずして、暴動をおこさせ、県部を占領させた。さらに十一月には、民族裏切り者をあやつって、「華北五省自治運動」なるものをおこすとともに、河北省東部の民族裏切り者の「防共自治政府」をつくった。国民党政府は日本侵略者の「華北政権特殊化」の要求に応ずるため、宋哲元らに命じて、「冀察政務委員会」をつくらせた。
〔2〕 これは一九三五年八月一日に中国共産党が発表した宣言をさす。この宣言の要点はつぎのとおりである。「わが国家、民族の滅亡の危機が目前にせまっているこのとき、共産党はかさねて、全国同胞によびかける。あらゆる国力(人力、物力、財力、武装力など)を集中して抗日救国の神聖な事業につくすために、各政党間に、過去および現在、政見や利害のうえでいかなるちかいがあろうと、また各界の同胞のあいだに、主張や利害のうえでいかなる相違があろうと、各軍隊間に、過去および現在、いかなる敵対行為があろうと、すべてのものが『兄弟牆《かき》に鬩《せめ》げど、外その侮りを禦《ふせ》ぐ』という真の自覚をもつべきであり、まずすべてのものが内戦を停止すべきである。共産党はとくにかさねて厳粛に宣言する。国民党軍隊が赤軍攻撃の行動をやめさえすれば、またいかなる部隊であろうと対日抗戦を実行しさえすれば、過去および現在、かれらが赤軍とのあいだにいかなる宿怨を有しようと、また赤軍とのあいだに国内問題でいかなる相違があろうと、赤軍は、ただちに敵対行為を停止するばかりでなく、かれらとかたく手をむすび、ともに救国にあたりたいとのぞむものである。」「共産党はこのような国防政府樹立の発起人になる用意があり、また共産党は抗日救国事業への参加をねがう中国のあらゆる政党、団体(労働組合、農会、学生会、商業会議所、教育会、新聞記者連合会、教職員連合会、同郷会、致公堂、民族武装自衛会、反日会、救国会など)、知名人、学者、政治家、およびすべての地方軍政機関と共同して国防政府を樹立する問題についてただちに話しあいをする用意がある。話しあいによって樹立される国防政府は、国家、民族を滅亡から救う臨時指導機関となるべきである。この国防政府は抗日救国にかんするさまざまの問題をいっそう具体的に討議するために、真に全同胞を代表する(労働者、農民、軍人、官公吏、商工業者.知識層など各界の人びと、抗日救国をねがうすべての政党や団体、および国外の華僑や中国国内の各民族によって、民主的条件のもとで選出された代表)代表機関を招集する措置を講ずべきである。共産党は、このような全人民を代表する機関の招集をあくまでも支持するとともに、この機関の決議をあくまでも実行するものである。」「抗日連合軍は、抗日をねがうすべての部隊によって組織されるべきである。そして、国防政府の指導のもとに統一的な抗日連合軍総司令部がつくられる。この総司令部が、各軍の抗日をする長官および兵士によって選出された代表からなるか、あるいはその他の形式からなるかは、各方面の代表および全人民の共同の意思によって決定される。赤軍は抗日救国の使命をはたすために、あくまでも率先してこの連合軍にくわわる。国防政府が国防の重任を真ににないうるようにするために、また抗日連合軍が抗日の重責を真にはたしうるようにするために、共産党は全同胞につぎのようによびかける。わが全同胞を総動員し、新旧あらゆる武器をもって何百何千万の民衆を武装するために、金あるものは金を、武器あるものは武器を、食糧あるものは食糧を、力あるものは力を、専門技術あるものは専門技術を提供しよう。」
〔3〕 これは一九三五年十二月二十五日、陝西省北部の瓦窰堡でひらかれた中国共産党中央政治局会議で採択された「当面の政治情勢と党の任務についての決議」をさす。この決議は、当時の中国の内外情勢と階級関係の変化を全面的に分析して、党の政策を決定した。以下はこの決議の一部である。「当面の情勢は、日本帝国主義の中国併呑の行動が全中国と全世界に衝動をあたえたことをわれわれに教えている。中国の政治生活における各階級、階層、政党および武装勢力間の相互関係はあらたに変化したか、あるいは、変化しつつある。民族革命戦線と民族反革命戦線は再編されつつある。したがって、党の戦術路線は、全中国、全民族のすべての革命勢力を動員し、結集し、組織して、当面する主要な敵――日本帝国主義と売国奴の頭目蒋介石に反対することである。いかなる人、いかなる党派、いかなる武装部隊、いかなる階級でも、日本帝国主義と売国奴蒋介石に反対するものならば、すべて連合して、神聖な民族革命戦争を展開し、日本帝国主義を中国から追いだし、日本帝国主義の手先どもの中国における支配をくつがえし、中華民族の徹底的な解放をたたかいとり、中国の独立と領土の保全をはかるべきである。日本帝国主義とその手先蒋介石にうち勝ちうるのは、もっとも広範な反日民族統一戦線(下部のものと上部のもの)だけである。もちろんそれぞれの個人、団体、社会階級、社会階層、武装部隊が、反日の民族革命に参加するのには、それぞれ異なった動機や立場がある。あるものはかれらの従来の地位を保持するためであり、あるものはこの運動が自分たちのゆるす範囲をでないように運動の指導権をうばうためであり、またあるものは真に中華民族の徹底的な解放をはかるためである。それぞれの動機と立場が異なっているからこそ、闘争がはじまるとすぐに動揺して裏切るものがいたり、中途で消極的になるか、あるいは戦線から脱落するものがいたり、最後までたたかいぬこうとするものがいたりするのである。しかし、われわれの任務はあらゆる可能な反日の基本勢力を結集するだけではなくて、あらゆる可能な反日の同盟者をも結集することであり、愛国的な中国人なら、だれひとり反日戦線に参加しないものがないよう、全国の人民に、力あるものは力を、金あるものは金を、武器あるものは武器を、知識あるものは知識をださせることである。これが、党のもっとも広範な民族統一戦線戦術の総路線である。われわれが全国の人民の力を動員して、全国人民の共同の敵である日本帝国主義と売国奴蒋介石に対処しうるには、ただこの路線にもとづく以外にない。中国の労働者階級と農民は、依然として中国革命の基本的な原動力である。広範な小ブルジョア大衆、革命的な知識層は、民族革命のなかでもっともたよりになる同盟者である。労働者、農民、小ブルジョア階級のかたい同盟は、日本帝国主義と民族裏切り者、売国奴にうち勝つ基本的な力である。一部の民族ブルジョア階級と軍閥は、土地革命と赤色政権にいかに不賛成であっても、かれらが日本に反対し、民族裏切り者、売国奴に反対する闘争にたいして、共鳴する態度をとるか、あるいは善意の中立をたもつか、あるいはこれに直接参加するばあいは、反日戦線の展開にとって有利である。なぜならば、このことは、かれらを反革命勢力全体からひきはなして、革命勢力全体を拡大させるからである。この目的を達成するために、党はこれらの勢力を反日戦線にたたかいとるようさまざまな適切な方法と方式をとるべきである。そればかりでなく、地主買弁階級の陣営内部も、完全に統一しているわけではなく、中国ではいままで多くの帝国主義がたがいに競争してきた結果、各帝国主義国のために中国でたがいに競争しあう売国奴集団がうまれており、かれらのあいだには矛盾と衝突があるので、党はまた、一部の反革命勢力を、一時的にせよ反日戦線に積極的に反対しない立場にたたせるようさまざまな方法を講ずべきである。日本帝国主義以外の他の帝国主義にたいする戦術もまたこれとおなじである。党は、全中国人民の共同の敵にあたるため、全中国人民の力を動員し、結集し、組織するばあい、反日統一戦線内部のあらゆる動揺、妥協、投降および裏切りの傾向にたいしては、動揺することなく断固として闘争をおこなうべきである。中国人民の反日運動を破壊するものは、すべて民族裏切り者、売国奴であって、こぞってこれを攻撃すべきである。共産党は日本反対、民族裏切り者、売国奴反対の徹底した正しい言論と行動とをもって、反日戦線における自己の指導権を獲得すべきである。また、反日運動は、共産党の指導によってのみ徹底的な勝利をかちとることができる。反日戦争に参加する広範な大衆にたいしては、その基本的利益についての要求(農民の土地にたいする要求、労働者、兵士、貧民、知識層などの生活と待遇改善の要求)をみたすべきである。かれらの要求をみたしてのみ、より広範な大衆を反日の戦列に動員することができ、反日運動を持久性のあるものにすることができ、運動を徹底的な勝利にみちびくことかできるのである。またこうしてのみ、反日戦争における党の指導権を獲得することができるのである。」『日本帝国主義に反対する戦術について』という論文を参照。
〔4〕 一九三六年五月五日、南京政府に停戦・講和および一致抗日を要求した赤軍の通告電にみられる。この通告電の全文はつぎのとおりである。「南京国民政府軍事委員会、陸海空全軍、全国各党、各派、各団体、各新聞社、および亡国奴となることをのぞまないすべての同胞諸君。中国赤軍革命軍事委員会が中国人民赤軍抗日先鋒軍を組織して黄河を渡って東征していらい、行くさきざきで勝利し、全国がこれに呼応している。ところが、抗日先鋒軍が同蒲鉄道(大同―蒲州)を占領して、河北省へ東進し日本帝国主義と直接戦おうと積極的に準備していたとき、蒋介石氏はこともあろうに十コ師団以上の兵力を山西省におくり、閻錫山氏と協力して、赤軍の抗日への進路をさえぎるとともに、張学良、楊虎城の両氏および陝西省北部の軍隊に、陝西、甘粛の赤色地域に挺進し、わが抗日の後方を攪乱するよう命令した。中国人民赤軍抗日先鋒軍は、日本と直接戦う目的をたっするためには、本来ならば、全力を集中して、抗日への進路をはばむ蒋氏の部隊を消滅すべきである。しかし、赤軍革命軍事委員会は再三考慮の結果、国難をまえにして双方が決戦すれば、勝敗がどうきまろうとも、中国の国防力にとっては損失であり、それをよろこぶものは、日本帝国主義であると考えた。しかも、蒋介石、閻錫山両氏の部隊には、内戦停止、一致抗日をねがう愛国的軍人もすくなくなく、かれらがいま、両氏の命令をうけて、赤軍の抗日への進路をさえざるのは、実際には自分の良心にそむく行動となるのである。したがって、赤軍革命軍事委員会は、抗日戦争を早急におこなえるよう国防の実力を保持するために、またわれわれが、幾度となく国民にたいして宣言してきた内戦停止と一致抗日の主張を断固として実行するために、蒋介石氏およびその部下の愛国的軍人たちの最後の覚醒をうながすために、山西省で数多くの勝利をえたにもかかわらず、人民抗日先鋒軍を黄河の西岸に撤退させた。われわれはこの行動によって、南京政府、全国の陸海空軍および全国の人民にたいし、停戦抗日の目的を達成するために、抗日する赤軍を攻撃しているすべての武装部隊と一ヵ月以内に、停戦・講和をおこないたいという誠意をしめした。赤軍革命軍事委員会は、南京政府の諸公にとくに丁重に進言する。国家、民族の滅亡がせまっているこの緊急な瀬戸ぎわには、当然、翻然として悔いあらため、『兄弟牆に鬩げど、外その侮りを禦ぐ』の精神をもって、全国的範囲において、まず陝西省、甘粛省、山西省において内戦を停止し、双方から代表をだして抗日救国の具体的方法について協議すべきである。これは、諸公の幸であるのみか、じつに民族、国家の福でもある。もし、依然として頑迷にしてさとらず、甘んじて民族裏切り者、売国奴となるならば、諸公の支配はかならず最後には瓦解し、かならず全国の人民から見すてられ、くつがえされるであろう。ことわざにも『千人の指さすところ、病なくして死す』といわれ、『凶刃をすてて、善人になる』ともいわれている。諸公の熟慮をのぞむ。赤軍革命軍事委員会は、亡国奴となることをのそまない全国のすべての団体、政党、人民に、われわれの停戦・講和と一致抗日の主張を支持し、内戦停止促進会を組織し、代表を派遣して双方の火線を隔離し、この主張の完全な実現を督促し監視するよう、さらによびかけるものである。」
〔5〕 本巻の『蒋介石の声明についての声明』の注〔7〕にみられる。
〔6〕 一九三五年十二月、中国共産党中央政治局会議で採択された「当面の政治情勢と党の任務についての決議」と毛沢東同志の『日本帝国主義に反対する戦術について』という報告で、人民共和国のスローガンが提起された。その後情勢の必要にもとづいて、中国共産党は蒋介石に抗日をせまる政策をとり、人民共和国というこのスローガンは蒋介石集団にはうけいれられないと推定して、一九三六年八月、国民党にあてた書簡で、民主共和国というスローガンにあらためた。つづいて、同年九月、中国共産党中央が採択した「抗日救国運動の新しい情勢と民主共和国についての決議」で、さらに民主共和国のスローガンについて具体的な説明をおこなった。この二つのスローガンは、形式のうえではちがっているが、実質は一致している。以下は、一九三六年九月、中国共産党中央で採択された決議の民主共和国の問題にかんする部分の二節である。「党中央は、当面の情勢のもとで民主共和国樹立のスローガンを提起する必要があると考える。なぜなら、これはあらゆる抗日勢力を結集して、中国領土の保全を保障し、中国人民を国家、民族の滅亡の惨禍からふせぐもっともよい方法であり、しかも、広範な人民の民主主義的要求からうまれた、もっとも適切な統一戦線のスローガンでもあるからである。民主共和国は、一部の領土にうちたてられた労農民主主義独裁の制度よりも、いっそう、地域的にひろげられた民主主義であり、全中国の主要な地域での国民党の一党独裁よりも、大いにすすんだ政治制度であり、したがって、抗日戦争をひろくまきおこし、徹底的勝利をかちとることをいっそう保障しうるのである。同時に、民主共和国は、全中国のもっとも広範な人民大衆を政治生活に参加させ、その自覚の度合いと組織の力をたかめることができるばかりでなく、さらに、中国のプロレタリア階級とその指導者共産党にも、将来の社会主義の勝利のためのたたかいに自由な活動の舞台をあたえるものである。したがって、中国共産党は、民主共和国の運動を積極的に支持することを宣言する。さらに、民主共和国が全中国において樹立され、普通選挙にもとづいた国会が招集されるときには、赤色地域はその一構成部分となり、赤色地域の人民は代表を選出して国会におくり、赤色地域内で同様な民主主義制度を完成することを宣言する。」「党中央はつぎのことを強調する。われわれが、国民党南京政府を抗日の方向にすすませるためには、また民主共和国を実現する前提条件をつくるためには、全中国人民の抗日救国運動をひきつづき展開し、各党・各派、各界・各軍の抗日民族統一戦線を拡大し、民族統一戦線における中国共産党の政治的情導の役割をつよめ、赤色政権と赤軍を極力強化する以外になく、国の主権を売りわたし、民族統一戦線の力をよわめるようなあらゆる言論と行動にたいして、断固としてたたかう以外にない。苦難な長期にわたる闘争がなければ、全中国人民のたちあがりと革命のたかまりがなければ、民主共和国の実現は不可能である。中国共産党は、民主共和国のためにたたかう過程において、この民主共和国を、わが党の提起した抗日救国十六綱領の実行にはじまって、中国のブルジョア民主主義革命の基本的任務の徹底的完成にまですすませるべきである。」
〔7〕 この電報は、一九三七年二月十日に発したもので、原文はつぎのとおりである。「中国国民党中央執行委員会第三回全体会議の諸先生。西安問題の平和的解決は、国をあげてのよろこびであり、平和と統一、団結によって外敵にあたるという方針がこれより実現しうることは、じつに国家、民族の幸である。日本侵略者が横暴をきわめ、中華民族の存亡が危機一髪にあるとき、貴党の中央執行委員会第三回全体会議が、この方針にもとづき、つぎの各項を国策として決定されることをわが党は切望するものである。すなわち、(一)すべての内戦を停止し、国力を結集し、一致して外敵にあたる、(二)言論、集会、結社の自由を保障し、すべての政治犯を釈放する、(三)各党、各派、各界、各軍の代表者会議を招集し、全国の人材を結集して、ともに救国にあたる、(四)対日抗戦のあらゆる準備を早急に完了する、(五)人民の生活を改善する、ことである。もし貴党の中央執行委員会第三回全体会議が、決然として、これを国策として確定されるならば、わが党は、団結によって外敵にあたる誠意をしめすために、貴党の中央執行委員会第三回全体会議に、つぎの点を保証したい。(一)国民政府をくつがえそうとする武装暴動の方針を全国的範囲でとりやめる、(二)労農民主政府は中華民国特別地区政府と改称し、赤軍は国民革命軍と改称し、直接、南京中央政府と軍事委員会の指示をうける、(三)特別地区政府の地域内では、普通選挙による徹底的な民主制度を実行する、(四)地主の土地を没収する政策をとりやめ、抗日民族統一戦線の共同綱領を断固実行する。」
〔8〕 一九三六年十一月から十二月にかけて、上海にある日本の紡績工場と中国の紡績工場あわせて二十六工場の労働者四万五干余人が、大ストライキをおこなった。十二月には、青島にある日本の各紡績工場の労働者も、上海の労働者に呼応して、いっせいにストライキをおこなった。上海の労働者は、十一月分から五パーセントの賃上げを獲得し、工場側が労働者を不当に解雇したり、殴打し、侮辱したりすることを許さないという勝利をおさめた。青島の労働者は、日本の海軍陸戦隊の弾圧にあった。
〔9〕 一九三三年に日本侵略者が山海関を占領して華北に侵入してから、とくに一九三五年の「何応欽・梅津協定」が締結されてから、イギリス、アメリカ帝国主義の華北、華中における利益は、日本帝国主義の直接の打撃をうけるようになった。そのため、イギリス、アメリカは、日本にたいする態度を変えはじめるとともに、蒋介石政府の対日政策にも影響をあたえた。一九三六年、西安事変がおきたとき、イギリスはその在華利益にとって不利な日本の要求を拒否することを主張したばかりでなく、蒋介石政府がひきつづき中国人民を支配することができさえすれば、日本の侵略政策に打撃をあたえるため、「共産党とのなんらかの形での提携」をしてもよいという態度さえしめした。
〔10〕 広西省軍閥の李宗仁、白崇禧、広東省軍閥の陳済[”学”の”子”の代わりに”呆”]らは、一九三六年六月、「抗日救国」に名をかりて、連合して蒋介石に反対した。同年八月、このできごとは、蒋介石の離間、買収などの手段によって、つぶされた。
〔11〕 一九三六年八月、日本侵略軍とかいらい軍が綏遠省にたいする侵略をはじめた。十一月、綏遠省駐屯の中国軍はこれに抵抗し、全国人民は、綏遠援助運動をくりひろげた。
〔12〕 一九三五年の「何応欽・海津協定」締結後、中国人民の抗日の波におされ、また、イギリス、アメリカ帝国主義の対日政策がわりあい強硬化したことに影響されて、南京国民党政府は、日本にたいし、わりあい強硬な態度をとるようになった。一九三六年九月から十二月にかけての交渉で、国民党政府はひきのはしの方法をとり、交渉を結果がえられないままに中断させた。
〔13〕 西安事変が平和的に解決されたあと、一九三七年二月十五日南京でひらかれた国民党中央執行委員会の会議をさす。
〔14〕 阿Qとは、中国の偉大な作家魯迅の有名な小説「阿Q正伝」の主人公である。魯迅はこの人物をつうじて、自分で自分をなぐさめることか習性になり、どんな状況のもとでも自分では勝利者、すなわち「精神的勝利」者と思いこんでいるものの典型を描きだしている。
〔15〕 ここでいう孫中山の三民主義とは、かれが提起した民族、民権、民生の三つの問題についての原則と綱領をさし、かれの世界観あるいは理論体系をさすのではない。共産党員は、ブルジョア民主主義革命の段階では、孫中山の綱領の基本的な面に賛成し、かれと協力するが、しかし、かれに代表されるブルジョア的、小ブルジョア的な世界観あるいは理論体系には賛成していない。世界観あるいは理論体系のうえでは、また民族問題その他の問題の理論的観点のうえでは、中国プロレタリア階級の前衛としての共産党員は、孫中山とは完全にちがっている。毛沢東同志の『新民主主義論』を参照。
〔16〕 国民党は、一九二四年、孫中山によって改組されてから、諸階級の革命的同盟体に変わり、当時、中国共産党員は個人の資格で国民党に参加していた。一九三七年、国民党は、革命を裏切ったのち、全国各地で共産党員と、国民党内における孫中山の三大政策の真の支持者である左派の人びとを多数殺害し、これを「清党運動」と称した。国民党はこのときから大地主、大ブルジョア階級の反革命政党に変わってしまった。
〔17〕ここでは、一九二七年の上半期、共産党中央の日和見主義的指導によってもたらされた状態をさしている


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