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蒋介石の声明についての声明

          (一九三六年十二月二十八日)

 蒋介石《チァンチェシー》氏は、西安《シーアン》で、張学良《チャンシュエリァン》、楊虎城《ヤンホーチョン》の両将軍および西北地方の人民の抗日の要求をうけいれて〔1〕、まず、内戦をすすめている軍隊に陝西《シャンシー》、甘粛《カンスー》両省から撤退するよう命令した。これは、蒋介石氏が十年来のあやまった政策を転換しはじめたものである。このことは、内戦を指揮し、分裂をつくりだし、同時に今回の事変において蒋氏を死地におとしいれようとした日本帝国主義と中国の討伐派〔2〕の陰謀に打撃をあたえた。日本帝国主義と中国の討伐派の失望は、すでにはっきりとあらわれている。蒋氏がこのような覚醒《かくせい》をしめしたことは、国民党が十年来のあやまった政策をやめようとしていることのあらわれとみてよい。
 蒋介石氏は、十二月二十六日、洛陽《ルオヤン》において「張、楊にたいする訓戒のことば」といわれる声明を発表した。内容はあいまいな、ひねくったもので、中国の政治的文献のなかではじつに興味のある文章である。もし、蒋氏が、ほんとうに今回の事変からふかい教訓をくみとって、国民党の新生のためになんらかの努力をはらい、外国にたいしては妥協、国内にたいしては武力、人民にたいしては抑圧というその伝統的なあやまった政策をやめ、国民党を人民の願望にそむかないところにみちびこうとするならば、かれは、その誠意をしめすために、政治的に過去をふかく悔い、将来の道をひらくもっとよい文章をだすべきである。十二月二十六日の声明は、中国人民大衆の要求を満足させることはできない。
 蒋氏の声明のなかには、称賛にあたいする一節がある。それは、「言った以上かならずまもり、おこなう以上かならず断固としてやる」というくだりである。それは、かれが西安で張、楊のだした条件に署名はしなかったが、国家、民族に有利なそれらの要求は採用するつもりであり、署名しなかったからといって約束をまもらないようなことはない、という意味である。われわれは、蒋氏が撤兵したあとで、はたして確実に信義をまもるかどうか、承諾した条件を実行するかどうかを見まもることにしよう。条件というのはつぎのようなものである。(一)国民党と国民政府を組織がえし、親日派を追いだし、抗日的人物をいれること。(二)上海《シャンハイ》の愛国的指導者たち〔3〕を釈放し、すべての政治犯を釈放し、人民の自由の権利を保障すること。(三)「共産党討伐」の政策をやめ、赤軍と連合して抗日すること。(四)各党、各派、各界、各軍隊による救国会議を招集し、抗日救国の方針をきめること。(五)中国の抗日に共鳴する諸国と協力関係をうちたてること。(六)その他具体的な救国措置をとること。これらの条件を実行するには、なによりもまず確実に信義をまもることが必要であるし、またいくらかの勇気も必要である。われわれは、蒋氏の今後の行動のなかでそれを観察することにしよう。
 しかし、蒋氏の声明のなかには、さらに西安事変は「反動派」の包囲による、ということばがある。残念ながら、かれのいう「反動派」なるものは、いったいどんな人物をさしているのか、蒋氏は説明していないし、また「反動派」という三字を蒋氏の辞典のなかではどのように解釈しているのかもわからない。だが、西安事変はつぎのようないくつかの勢力の影響をうけておこったことはたしかである。(一)張、楊両部隊と西北地方の革命的人民の抗日の波の高まり。(二)全国人民の抗日の波の高まり。(三)国民党左派勢力の発展。(四)各省実力派の抗日救国の要求。(五)共産党の抗日民族統一戦線の主張。(六)世界の平和陣営の発展。これらはすべて争うことのできない事実である。蒋氏のいう「反動派」とはほかでもなくこれらの勢力のことであり、人びとが革命派とよんでいるものを、蒋氏は「反動派」とよんでいるにすぎない。蒋氏は西安で本気になって抗日するという話をしたからには、西安をはなれたとたんにまた全力をあげて革命勢力を攻撃するようなことはやるまい。なぜなら、信義の問題は蒋氏とその一派の政治生命にかかわるばかりでなく、また現実の政治の道においても、蒋氏とその一派の前には、かれらにとって不利な、大きくふくれあがっている勢力が横たわっているからである。西安事変にあたって蒋氏を死地におとしいれようとしたいわゆる討伐派がそれである。だから、われわれとしては、蒋氏に、その政治辞典を改訂して、「反動派」という三字を革命派という三字にあらため、名実あいともなうようにしたほうがよいと忠告する。
 蒋氏は、かれが無事に西安をはなれることのできたのには、西安事変の指導者、張、楊両将軍のほかに、じつに共産党の調停が力になっていることを、記憶しておくべきである。共産党は、西安事変中、平和的解決を主張するとともに、そのためにさまざまな努力をはらったが、それはもっぱら民族の生存という観点から出発したものである。もし、内戦が拡大し、張、楊が長いあいだ蒋氏を監禁したとすれば、事変の進展はいたずらに日本帝国主義と中国の討伐派を有利にするだけであった。このような事情のもとで、共産党は日本帝国主義と中国の討伐派汪精衛《ワンチンウェイ》〔4〕、何応欽《ホーインチン》〔5〕らの陰謀を断固として暴露し、この事変の平和的解決を断固として主張した。これが張、楊両将軍および宋子文《ソンツーウェン》氏〔6〕らの国民党員の主張と、はからずも一致したといえる。これが全国人民の主張である。なぜなら、人民は現在の内戦をひどく憎んでいるからである。
 蒋氏は、西安での条件をうけいれたので、すでに自由をとりもどした。今後の問題は、蒋氏がかれ自身の「言った以上かならずまもり、おこなう以上かならず断固としてやる」という約束をかけ値なしに実行し、救国の条件をぜんぶ確実に実現するかどうか、ということである。全国人民は、蒋氏にこれ以上ためらったり、額面通り実行しなかったりすることを許さないであろう。蒋氏がもし抗日問題でぐらつき、その約束の実行をひきのばそうとするなら、全国人民の革命の波はかならず蒋氏を巻きさらってしまうであろう。古語にも「人にして信なくんば、その可なるを知らず」といわれている。蒋氏とその一派はふかくこの点に注意すべきである。
 蒋氏がもし国民党十年来の反動政策のよごれを洗いおとし、外国にたいしては譲歩、国内にたいしては武力、人民にたいしては抑圧というかれの根本的なあやまりを徹底的にあらため、ただちに各党各派の連合した一致抗日の戦線にはせ参じ、軍事的にも政治的にも、実際に救国のための段どりをとることができるならば、共産党はもちろんかれを支持するであろう。共産党は、はやくも八月二十五日付の国民党あての書簡で、蒋氏と国民党にこうした支持を約束している〔7〕。共産党が「言った以上かならずまもり、おこなう以上かならず断固としてやる」ことは、十五年このかた、全国人民のすでにみとめているところである。共産党の言動にたいする全国人民の信頼は、国内のいずれの党派の言動にたいする信頼よりもじつに高いのである。




〔1〕 張学良をはじめとする国民党東北軍と楊虎城をはじめとする国民党第十七路軍は、中国赤軍と人民の抗日運動の影響をうけて、中国共産党が提起した抗日民族統一戦線に賛成し「蒋介石に共産党と連合して抗日するよう要求した。蒋介石はこの要求を拒絶したばかりでなく、いっそう道理にもとる行動をとり、積極的に「共産党討伐」の軍事配置をととのえるとともに、西安で抗日青年を虐殺した。そこで張学良と楊虎城は共同行動をとり、蒋介石を逮捕した。これが一九三六年十二月十二日の有名な西安事変である。当時、蒋介石は共産党と連合して抗日するという条件をやむをえすうけいれて、釈放され、南京へ帰った。
〔2〕 これは西安事変のとき、張学良と楊虎城を「討伐」するよう主張し、蒋介石と権力争いをしていた南京国民党政府内部の親日派をさす。汪精衛、何応欽をかしらとするこれらのものは、日本帝国主義の進攻に便宜をあたえ、磯に乗じて蒋介石の支配的地位を奪いとるために、西安事変を利用して大規模な内戦をおこそうとしていた。
〔3〕 上海の愛国的な指導者とは、上海で抗日の愛国運動を指導した沈鈞儒、章乃器、鄒韜奮、李公樸、沙千里、史良、王造時の七人をさす。かれらは一九三六年十一月に蒋介石政府に逮捕され、一九三七年七月にようやく釈放された。
〔4〕 汪精衛は当時国民党内の親日派の首領であった。一九三一年から、かれは日本帝国主義の侵略にたいし一貫して妥協を主張していた。一九三八年十二月、かれは重慶をはなれて公然と日本侵略者に投降し、南京かいらい政府を組織した。
〔5〕 何応欽は国民党の軍閥で、国民党内の親日派のもうひとりの首領である。西安事変のなかで、かれは国内戦争の挑発を極力画策し、隴海鉄道に沿って陝西省に進攻するよう、国民党の軍隊を配置するとともに、蒋介石の地位にとってかわるため、西安を爆撃して蒋介石を爆死させる計画をたてていた。
〔6〕 宋子文は親米派である。当時、極東で支配権を争っていた米、日両帝国主義の矛盾から、かれはアメリカの利益にもとづいて、やはり西安事変の平和的解決を主張した。
〔7〕 この書簡は、国民党の反動支配と当時の国民覚中央執行委員会第二回全体会議にたいして、道理にかなった手きびしい批判をくわえると同時に、抗日民族統一戦線を結成することと、あらためて国共合作を実現する用意があることについての中国共産党の政策をあきらかにしたものである。この書簡の主要な部分はつぎのとおりである。「貴党中央執行委員会第二回全体会議のいっている『集中と統一』は、あまりにも本末を転倒している。十年来の内戦と不統一は、まったく貴党と貴党政府の帝国主義に依存して国をあやまらせる政策、ことに『九・一八』いらいの一貫した無抵抗政策によってつくりだされたものであることを知らなければならない。貴党と貴党政府は『外敵を打ちはらうには、まず国内を安んぜよ』というスローガンのもとに、毎年たえまなく内戦をくりびろげ、赤軍にたいしては幾度となく包囲攻撃をおこない、全国人民の愛国運動や民主運動にたいしては全力をあげて弾圧をくわえてきた。最近になってもまだ、東北や華北をすててかえりみず、日本帝国主義が中国の最大の敵であることをわすれ、全力をあげて、赤軍に反対するとともに、貴党員身の陣営内の争いを事とし、また全力をあげて、赤軍の抗日への進路をさえぎり、赤軍の抗日の後方を攪乱し、全国人民の抗日の要求を無視し、全国人民の自由の権利をうばっている。愛国は罪とされ、無実の罪を負うもの全国にみち、売国は賞せられ、民族裏切り者が好運を祝いあっている。このようなあやまった政策によって集中と統一をはかろうとすることは、まさに木によって魚を求めるものであり、まったく逆の結果になる。われわれはここに諸先生に忠告する。もし、諸君が自分のあやまった方針を根本的にあらためないならば、また、憎しみを依然として自己の同胞にむけ、日本帝国主義にむけようとしないならば、諸君が現状をいかに維持しようとしても、不可能であるし、まして集中と統一とか、いわゆる『近代国家』などは、まったく空論となる。全国人民がいま望んでいるのは、外国にへつらい、人民をふみにじる集中と統一ではなくて、抗日救国のための集中と統一なのである。全国人民はいま、真に国を救い人民を救う政府をつよく求め、真の民主共和国をつよく求めている。全国人民は自分たちの利益をはかる民主共和政府を求めている。この政府の主要な綱領はつぎのようなものでなければならない。第一は、外国の侵略に抵抗しうること、第二は、人民に民主主義の権利をあたえうること、第三は、国民経済を発展させ、人民の生活上の苦痛を軽減ないし除去しうることである。『近代国家』というからには、これらの綱領こそ植民地・半植民地の中国がいまの時代にほんとうに求めているものなのである。全国の人民は、現在この目標実現のために、心からの願望と確固たる決意をもってたたかっている。しかるに、貴党と貴党政府の政策は、こうした全国人民の願望とまったく逆行しており、それで人民の信頼をえようとしてもまったく不可能である。中国共産党と中国赤軍は、ここにとくに厳粛に宣言する。われわれは、全中国の統一的な民主共和国の樹立に賛同し、普通選挙権によって選出された国会の招集に賛同し、全国人民と抗日軍隊による抗日救国代表大会を支持し、全国的な統一的国防政府を支持するものである。われわれはつぎのように宣言する。全中国の統一的な民主共和国が樹立されたときには、赤色地域は全中国の統一的な民主共和国の一構成部分となり、赤色地域の人民の代表は、全中国の国会に参加するし、また赤色地域では全中国と同様の民主制度を実行するものである。われわれは、貴党の中央執行委員会第二回全体会議で組織することを決定した国防会議、および貴境と貴党政府が招集しようとしている国民大会では、集中と統一による抗日救国の任務の達成は不可難と考える。貴党中央執行委員会第二回全体会議で採択した国防会議条例によれば、国防会議は、貴境と貴党政府において実権をにぎっている少数の官吏だけによって組織され、国防会議の任務はたんに貴党政府の諮問機関にすぎなくなる。このような会議では、いかなる成果もおさめられず、人民のいかなる信任もえられないことは、きわめてあきらかである。そして、貴党政府採択の『中華民国憲法草案』と『国民大会組織法および代表選挙法』によれば、諸先生の招集しようとする国民大会も、同様に、いかなる成果もおさめられないし、人民のいかなる信任もえられない。なぜなら、このような国民大会は、貴党と貴党政府の少数の官吏たちによってあやつられる機関にすぎず、これらの官吏たちの付属品、装飾品にすぎないからである。このような国防会議と国民大会は、わが党の主張する全国抗日救国代表大会(すなわち国防会議)と中華民主共和国やその国会とはなんの共通点もない。抗日救国の国防会議は、各党、各派、各界、各武装組緘の代表者を参加させて、真に抗日救国の大計を決定しうる権力機関とならなければならず、この会議から全国的な統一国防政府をうみださなければならないものと、われわれは考える。国民大会も、全国人民が普通選挙で選出した国会でなければならず、中華民主共和国の最高権力機関でなければならない。このような国防会議と全国的な国会だけが、全国人民によって歓迎され、支持され、参加されうるものであり、国を救い人民を救う偉大な事業を確固不動の基礎にすえることができる。さもなければ、いかに耳ざわりのよい名称も、けっして、実際には役にたたないし、全国人民から賛成されはしない。貴党と貴党政府がこれまでに招集してきたいろいろの会議の失敗こそ、そのもっともよい証左である。貴党の中央執行委員会第二回全体会議の宣言はさらにつぎのようにものべている。『前途のけわしさはもとより予測しうるが、国事の困難を理由に、そのつくすべき職責をみずからおこたるようなことは断じてしない』、『わが党は国家の興亡にたいし、終始一貫、全知全能をかたむけるべきである。』たしかに貴党は中国の領土の最大部分を支配している政党であり、従来おこなわれた政治のすべての責任は、貴党がおわなければならない。一党独裁の国民党政府のもとでは、自民党はその責任からけっしてのがれることはできない。とくに、九・一八事変以来、貴党は、全国の人民の意思にそむき、全民族の利益にそむいて、完全にあやまった政策を実行し、中国のほとんど半分を喪失する結果をまねいた。この責任はぜったいに他のいかなる人にもおしつけることのできないものである。われわれおよび全国の人民からみれば、中国の半分が貴党によってうしなわれているので、どうしても領土主権回復の責任を貴党に課すとともに、それを督促しないではおれない。同時に、貴党のなかの多くの良心的な人びとも、いまでは亡国のおそろしさと民意の侮るべからざることをはっきりさとって、あらたな転換をしはじめ、自分の党内にいる、党と国家に災いをもたらす連中にたいして、怒りと不満をいだきはじめている。中国共産党は、このようなあらたな転換に完全に共鳴し、愛国心をもつ良心的な中国国民党員の意志と覚醒を心から歓迎し、民族の危機をまえにして、献身的にたたかい、勇敢に革新をはかろうとするその精神を歓迎するものである。貴党の中央執行委員会や各省の党部のなかにも、中央政府や各省政府のなかにも、また教育界、科学界、芸術界、新聞界、実業界、婦人界、宗教界、医薬界、警察方面、各種の大衆団体にも、とくに広範な軍隊、国民党の新旧党員および各級の指導者のなかにも、覚醒した、愛国的な人びとが、実際に多くおり、しかも日ごとにふえつつあることを、われわれは知っており、これは非常によろこばしい現象である。中国共産党は、いつでも、これらの国民党員と手をたすさえ、強固な民族統一戦線を組織して、全民族の最大の敵――日本帝国主義とたたかう用意がある。われわれは、これらの国民党員が国民党内で急速に支配的な勢力を形成していって、民族の利益をかえりみす、実際には日本帝国主義の代理人となり親日的民族裏切り者となりさがった、もっとも悪質な、もっとも恥すべき国民党員、孫中山先生を侮辱するあの国民党員どもを圧倒して、孫中山先生の革命的三民主義の精神をとりもどし、孫中山先生の、連ソ、連共、農労援助という三大政策をふたたびふるいおこし、『終始』、自己の『全知全能をかたむけて』、革命的三民主義とその三大政策を『一貫』させ、孫中山先生の革命の遺言を『一貫』させることを希望する。われわれは、かれらが全国の各党、各派、各界の愛国的指導者や愛国的人民とともに、断固として、孫中山先生の革命事業をうけつぐ責任をおい、断固として日本帝国主義を追いだし、中国を滅亡の危機から救うためにたたかい、全国人民の民主主義の権利のためにたたかい、中国の国民経済を発展させて最大多数の人民の苦痛を除くためにたたかい、中華民主共和国およびその民主的国会、民主的政府を実現するためにたたかうよう希望する。中国共産党はすべての中国国民党員につぎのように宣言する。もしも、諸君がほんとうにそうするならば、われわれは断固として諸君をたすける。われわれは、一九二四年から一九二七年までの中国の偉大な革命の時期に、両党が民族的抑圧と封建的抑圧に反対する偉大な統一戦線を結成したのとおなじように、諸君と強固な革命的な統一戦線を結成することを望んでいる。これこそがこんにち、国を滅亡から救い、民族の生存をはかるただ一つの正しい道だからである。」


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