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     第八節 速決戦

 戦略上の持久戦と、戦役および戦闘上の速決戦、これは一つのことがらの二つの側面であり、国内戦争で同時に重んじられる二つの原則であり、また、帝国主義反対の戦争にも適用できるものである。
 反動勢力が強大なので、革命勢力がじょじょにしか成長しないこと、このことが戦争の持久性を規定している。この面であせることは損をすることになり、この面で「速決」を主張することは正しくない。十年も革命戦争をつづけたことは、他の国にとっては、あるいは驚異に値するかもしれないが、われわれにとっては、ちょうど八股《こ》文をつくるのに、破題、承題および起講〔37〕だけを書いたようなもので、たくさんのにぎやかな文章は、まだこれからである。今後の発展は、内外のあらゆる条件の影響によって、過去にくらべて疑いもなく大いに速度をます可能性がある。国際的、国内的環境には、すでに変化がおきており、しかも、もっと大きな変化がやってこようとしているので、われわれは、すでにいままでのような発展のゆるやかな孤軍作戦の状態からはぬけだしたといえるのである。だからといって、あすにも成功するものと期待してはならない。「朝めし前にかたづける」という気概はよいが、「朝めし前にかたづける」という具体的な計画はよくない。なぜなら、中国の反動勢力は、多くの帝国主義によって支持されており、国内の革命勢力が内外の敵の主要な陣地を突破できるまでに集積されないうちは、また国際革命勢力が国際反動勢力の大部分をうちやぶり、それを牽制しないうちは、われわれの革命戦争は依然として持久的だからである。この点に立って、われわれの長期作戦の戦略方針を規定することは、戦略指導の重要な方針の一つである。
 戦役と戦闘の原則はこれとは逆で、持久ではなくて速決である。戦役と戦闘で速決をめざすことは、古今東西いずれもおなじである。戦争の問題では、古今東西をつうじて速決をもとめないものはなく、月日を長びかすことはなんといっても不利だとみられてきた。だが、中国の戦争だけは、最大の辛抱強さをもってあたらないわけにはいかないし、持久戦をもってこれにあたらないわけにはいかない。李立三路線の時期に、ある人はわれわれのやり方を、「拳法戦術」(何回もうったりうたれたりする手あわせをしなければ大都市は奪取できないという意味である)だとあざけり、またわれわれを、白髪にならなければ革命の勝利はみられないだろうとあざけった。このようなせっかち病の気分が正しくないことは、すでに早くから証明されている。だが、もしかれらの批判的意見が戦略問題にではなくて、戦役や戦闘の問題についておこなわれたのであれば、それは非常に正しい。その理由は、第一に、赤軍の兵器、とくに弾薬には補給源がないこと、第二に、白軍はたくさんの部隊をもっているが、赤軍には一つの部隊しかないので、一回の「包囲討伐」をうちやぶるには、迅速な連続的な作戦を準備しなければならないこと、第三に、白軍の各部隊は分進してはくるが、その多くは比較的に密集しており、かれらのなかの一つをうつさい、迅速に戦闘をかたづけることができなければ、他の部隊がみなやってくることである。こうした理由から、速決戦を実行しないわけにはいかない。われわれにとって、数時間とか、一日、あるいは二日のあいだに、一つの戦闘をかたづけてしまうのはよくあることである。ただ、「敵を包囲してその援軍をうつ」方針のもとでは、目的が包囲した敵をうつのではなくて、敵の援軍をうつのであるから、包囲した敵との作戦は相当に持久の準備をするが、敵の援軍にたいしてはやはり速決である。戦略的防御のさいに牽制方面の拠点を固守するとき、戦略的進攻のさいに孤立無援の敵をうつとき、根拠地内の白色拠点を消滅するとき、こうしたときにも、つねに戦役あるいは戦闘に持久の方針がとられる。しかし、こうした持久戦は、赤軍主力の速決戦をたすけこそすれ、それをさまたげはしない。
 速決戦は、頭のなかでそうしようと考えたらそれで実現できるというものではなく、それには、たくさんの具体的な条件が必要である。その条件の主要なものは、準備が十分できていること、時機を失わないこと、優勢な兵力を集中すること、包囲・迂回戦術をとること、よい陣地があること、運動中の敵をうつこと、あるいは駐止はしたが陣地をまだかためていない敵をうつことである。これらの条件を解決しないで、戦役あるいは戦闘の速決をもとめるのは不可能である。
 一回の「包囲討伐」をうちやぶることは、一つの大戦役であり、それには、持久の原則ではなくて、やはり速決の原則が適用される。なぜなら、根拠地の人力、財力、軍事力などの条件が、いずれも持久をゆるさないからである。
 だが、一般的な速決の原則のもとで、不当なあせりに反対することは必要である。革命根拠地の最高の軍事政治指導機関が、根拠地のもつこうした条件を考慮に入れ、敵の状況を考慮に入れて、敵の気勢にきもをつぶさず、まだたえられるような困難にくじけず、いくらかの挫折にも力をおとさずに、必要な忍耐心と持久力をもつことは、ぜひとも必要である。江西省で一回目の「包囲討伐」をうちやぶったのは、緒戦から終結までわずか一週間であり、二回目の「包囲討伐」をうちやぶったのは、わずか半ヵ月であったが、三回目の「包囲討伐」をうちやぶるには三ヵ月も苦労しぬき、四回目は三週間、五回目はまるまる中年も苦労しぬいた。ところが、五回目の「包囲討伐」をうちやぶることができず、包囲突破をよぎなくされたときには、あってはならないあわてぶりをしめした。状況からみれば、まだ二、三ヵ月もちこたえられ、それによって軍隊を休養・整頓することもできたはずである。もしそうであったならば、また包囲突破後の指導がもう少し賢明であったならば、状況は大いにちがっていたであろう。
 以上のべたとおりではあるが、全戦役の時間を極力縮めるというわれわれの原則は、やはりやぶられてはいない。戦役、戦闘の計画では、兵力の集中や連動戦などの条件を極力たたかいとって、内線で(根拠地において)敵の実兵力を消滅して「包囲討伐」の迅速な解決をはかるほかに、「包囲討伐」が内線で解決できないことが証明されたときには、主力の赤軍をもって敵の包囲攻撃線を突破し、わが方の外線、つまり敵の内線にはいっていって、この問題を解決すべきである。堡塁主義の発達したこんにち、このような手段は通常の作戦手段となるものである。五回目の反「包囲討伐」がはじめられてニヵ月後に、福建事変Fがおきたとき、主力の赤軍は、疑いもなく、淅江《チョーチァン》省を中心とする江蘇《チァンスー》・淅江・安徽・江西省地区につき進んで、杭州《ハンチョウ》、蘇州《スーチョウ》、南京《ナンチン》、蕪湖《ウーフー》、南昌、福州《フーチョウ》のあいだを縦横にかけめぐり、戦略的防御を戦略的進攻に変えて、敵の中枢要地をおびやかし、堡塁のない広大な地帯で戦いをもとめるべきであった。このような方法がとられたならば、江西省南部、福建省西部地区を進攻していた敵は、その中枢要地を援助するためにひきかえすことをよぎなくされ、われわれは、江西省の根拠地にたいする敵の進攻を粉砕できるとともに、福建人民政府をも援助できたであろう。――このような方法は、たしかにかれらを援助できるものであった。この計略を用いなかったために、五回目の「包囲討伐」はうちやぶることができなかったし、福建人民政府もたおれるよりほかなかった。一年ものあいだ戦ったあとでは、淅江省にうって出るにはすでに不利であったが、もう一つの方向にむけて戦略的進攻をとること、すなわち主力を湖南省にむけて前進させ、湖南省をへて貴州省にむかうのではなくて、湖南省の中部にむけて前進し、江西省の敵を湖南省にひきよせて、それを消滅することもできたはずである。この計略も用いなかったので、五回目の「包囲討伐」をうちやぶる希望は最終的にたちきられ、ただ一つ長征の道だけがのこされた。


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