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     人民共和国〔28〕

 われわれのこれまでの政府が労働者、農民、都市小ブルジョア階級の同盟による政府であったというなら、これからは、労働者、農民、都市小ブルジョア階級のほか、さらに、その他の階級のなかの、民族革命に参加することをのぞむすべての人びとをもふくめたものにあらためなければならない。
 いまのところ、この政府の基本任務は、日本帝国主義の中国併呑《へいどん》に反対することである。この政府の構成要素は広い範囲に拡大される。土地革命には興味をもたなくても、民族革命には興味をもっているものも、これに参加できるだけでなく、欧米帝国主義と関係があって欧米帝国主義には反対できなくても、日本帝国主義とその手先には反対できる人びとも、かれらがのぞみさえすれば、これに参加することができる。したがって、この政府の綱領は、当然、日本帝国主義とその手先に反対するという基本任務に合致することを原則とし、これにもとづいて、われわれのこれまでの政策を適切にあらためるべきである。
 現在の革命の側の特徴は、きたえあげられた共産党が存在し、またきたえあげられた赤軍が存在することである。これはきわめて重要なことである。もし、いまでもまだきたえあげられた共産党と赤軍が存在しないとすれば、きわめて大きな困難がうまれるにちがいない。なぜか。中国の民族裏切り者、売国奴は数も多く、力も強く、かれらは、かならず、さまざまな手口を考えだして、この統一戦線をうちこわす、すなわち、売国奴からはなれてわれわれとともに日本とたたかおうとする、かれらよりも小さい勢力を各個撃破するため、脅迫、誘惑やあらゆる術策によって挑発と離間をはかり、また武力によって強圧するからである。もし、抗日の政府と抗日の軍隊に共産党と赤軍という重要な要素が欠けるなら、こうした状態はさけがたい。一九二七年の革命が失敗したおもな原因は、共産党内の日和見主義路線から、自己の隊列(労農運動と共産党の指導する軍隊)の拡大につとめず、一時的な同盟者である国民党だけにたよったことにある。その結果、帝国主義は自分の手先である豪紳・買弁階級に命じて、ありとあらゆる手を動かし、まず蒋介石を、のちにまた汪精衛《ワンチンウェイ》を抱きこんで、革命を失敗におちいらせた。当時の革命統一戦線には中心の支柱がなく、強固な革命の武装部隊がなかったので、四方八方に裏切りがはじまると、共産党は孤軍奮闘せざるをえなくなり、帝国主義と中国の反革命勢力の各個撃破戦術に対抗することができなかった。当時、賀竜、葉挺《イエティン》の部隊はあったが、まだ政治的に強固な軍隊でなく、党もそれをうまく指導できなかったので、ついに失敗してしまった。これは、革命の中心勢力が欠けていたために革命の失敗をまねいた血の教訓である。こんにちでは、この点が変わって、すでに強固な共産党と強固な赤軍が存在し、そのうえ赤軍の根拠地もある。共産党と赤軍は、いま抗日民族統一戦線の発起人になっているばかりでなく、将来の抗日政府や抗日軍隊のなかでも、かならずしっかりした大黒柱になり、日本帝国主義者と蒋介石に抗日民族統一戦線切りくずし政策の最後の目的をとげさせないであろう。疑いもなく、日本帝国主義者と蒋介石は、多くの面で脅迫、誘惑やあらゆる術策をつかうにきまっている。われわれは、それを十分注意しなければならない。
 もちろん、抗日民族統一戦線のはばひろい隊列にたいして、そのすべての部分が共産党や赤軍とおなじように強固であることはのぞめない。その活動の過程では、一部の悪質分子が敵の影響をうけて、統一戦線をぬけだすようなこともありうる。だが、われわれは、そうした人びとの脱落をおそれない。一部の悪質分子が敵の影響をうけてぬけだしても、一部のよい人がわれわれの影響をうけてはいってくる。共産党と赤軍そのものが存在し、発展するかぎり、抗日民族統一戦線もかならず存在し、発展する。これが民族統一戦線における共産党と赤軍の指導的役割である。共産党員は、いまはもう子どもではない。かれらは、すでに自分のことをりっぱにさばいていくことができるし、また同盟者をもうまくさばいていくことができる。日本帝国主義者や蒋介石があらゆる術策をつかって革命の隊列にむかってくることができるなら、共産党もあらゆる術策をつかって反革命の隊列にたちむかうことができる。かれらがわれわれの隊列内の悪質分子をひきぬくことができるなら、われわれももちろん、かれらの隊列内の「悪質分子」(われわれにとってはよい人びと)をひきぬくことができる。もし、われわれがかれらの隊列から一人でも多くひきぬくことができれば、それだけ敵の隊列は減り、われわれの隊列は大きくなる。要するに、いまは二つの基本的な勢力がたたかっており、すべての中間勢力はあちら側につくか、さもなければこちら側につく。これは理の当然である。そして、日本帝国主義者の中国を滅ぼす政策と蒋介石の中国を売りわたす政策は、どうしても多くの勢力をわれわれの側に追いやり、直接共産党や赤軍の隊列に参加させるか、または共産党や赤軍と連合戦線をむすばせるようになる。われわれの戦術が閉鎖主義でないかぎり、この目的はたっせられるのである。
 では、なぜ労農共和国を人民共和国に変えなければならないのか。
 われわれの政府は、労働者と農民を代表するばかりでなく、民族をも代表するものである。労農民主共和国のスローガンには、もともとその意義がふくまれていた。なぜなら、労働者と農民が全民族の人口の八〇パーセントないし九〇パーセントをしめているからである。わが党の第六回全国代表大会できまった十大政綱〔29〕は、労働者と農民の利益を代表しているばかりでなく、同時に民族の利益をも代表している。だが、いまの状況は、われわれに、このスローガンをあらためること、つまり人民共和国にあらためることをもとめている。それは、日本の侵略という状況が中国の階級関係を変え、小ブルジョア階級だけでなく、民族ブルジョア階級も抗日闘争に参加する可能性がうまれたからである。
 人民共和国が敵階級の利益を代表しないことは、もちろんである。反対に、人民共和国は帝国主義の手先である豪紳・買弁階級とは正反対の立場に立つもので、これらの階級を人民という範囲には入れない。これは、蒋介石の「中華民国国民政府」が、ただ最大の金持ちを代表するだけで、民衆を代表せず、民衆をいわゆる「国民」の範囲には入れていないのと同様である。中国の八〇パーセントないし九〇パーセントの人□が労働者と農民であるから、人民共和国はなによりもまず、労働者と農民の利益を代表しなければならない。だが、人民共和国が帝国主義の抑圧をはらいのけて、中国を自由・独立の国にすること、地主の抑圧をはらいのけて、中国を半封建制度からぬけださせること、こうしたことは、労働者と農民に利益をあたえるばかりでなく、他の人民にも利益をあたえる。労働者、農民その他の人民のすべての利益を一括したものが、中華民族の利益を構成している。買弁階級や地主階級も中国の土地に住んではいるが、かれらは民族の利益をかえりみず、かれらの利益は多数の人びとの利益と衝突している。われわれが決別するのはかれらのような少数者だけであり、われわれが衝突するのも、かれらのような少数者だけである。だから、われわれには、われわれこそ全民族を代表するものだという権利がある。
 労働者階級の利益は、民族ブルジョア階級の利益とも衝突するところがある。民族革命をくりひろげるには、民族革命の前衛に政治上、経済上の権利をあたえ、労働者階級に帝国主義とその手先である売国奴に立ちむかう力をださせるようにしなければ、成功するものではない。しかし、民族ブルジョア階級が帝国主義反対の統一戦線に参加するなる、労働者階級と民族ブルジョア階級は共通の利害関係をもつことになる。ブルジョア民主主義革命の時代において、人民共和国は、非帝国主義的、非封建主義的な私有財産は廃止せず、民族ブルジョア階級の工商業は没収しないばかりか、これらの工商業の発展を奨励する。どんな民族資本家でも、帝国主義と中国の売国奴に手をかさないかぎり、われわれはこれを保護する。民主主義革命の段階では、労資間の闘争には限度がある。人民共和国の労働法は労働者の利益を保護するが、民族資本家の金もうけにも反対しないし、民族工商業の発展にも反対しない。なぜなら、このような発展は、帝国主義にとっては不利で、中国の人民にとっては有利だからである。このことからもわかるように、人民共和国は、帝国主義に反対し封建勢力に反対する各階層人民の利益を代表するものである。人民共和国の政府は、労働者、農民を主体とし、同時に、帝国主義に反対し封建勢力に反対するその他の階級をも包容する。
 これらの人びとを人民共和国の政府に参加させるのは、危険ではないのか。危険ではない。労働者、農民は、この共和国の基本大衆である。都市小ブルジョア階級、知識層および反帝・反封建の綱領を支持するその他の人びとに人民共和国政府のなかで発言し仕事をする権利をあたえ、選挙権と被選挙権をあたえるが、労農基本大衆の利益にそむくことはできない。われわれの綱領の重要な部分は、労農基本大衆の利益を保護するものでなければならない。人民共和国政府のなかで労農基本大衆の代表が大多数をしめること、共産党がこの政府のなかで指導と活動をおこなうことによって、かれらがはいってきても危険でないように保障される。中国革命の現段階がプロレタリア社会主義的性質の革命ではなく、いまなおブルジョア民主主義的性質の革命であることは、きわめてあきらかである。中国ではすでにブルジョア民主主義革命は完成した、つぎに革命をやるなら、社会主義革命よりほかにない、とでたらめをいうのは、ただ反革命のトロツキスト〔30〕だけである。一九二四年から一九二七年までの革命はブルジョア民主主義的性質の革命であったが、その革命は達成されず失敗した。一九二七年から現在までの、われわれの指導してきた土地革命も、ブルジョア民主主義的性質の革命である。なぜなら、革命の任務は反資本主義ではなく、反帝・反封建だからである。今後のかなり長い期間における革命も、やはりそうしたものである。
 革命の原動力は、基本的にはやはり労働者、農民、都市の小ブルジョア階級であるが、現在ではもう一つ民族ブルジョア階級がくわわることも可能である。
 革命の転化は将来のことである。民主主義革命は、将来、必然的に社会主義革命に転化する。いつ転化するかは、転化の条件がそなわったかどうかによってきめられなければならないが、時間的にはかなり長くかかる。政治上、経済上のすべての必要条件がそなわらないうちは、また、転化が全国の最大多数の人民にとって不利でなく、有利になるような時がこないうちは、かるがるしく転化を提起すべきではない。この点に疑いをもって、ごく短期間での転化をのぞむのは、いぜん一部の同志が民主主義革命が重要な省で勝利しはじめたときこそ革命が転化しはじめるときだといったのと同様に、まちがっている。それは、かれらが中国はどんな政治経済状態の国であるかがわからないからであり、中国が政治的、経済的に民主主義革命を達成するのは、ロシアよりもずっと困難で、ずっと多くの時間と努力が必要であることを知らないからである。


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