日本帝国主義に反対する戦術について
(一九三五年十二月二十七日)
これは、毛沢東同志が陝西省北部瓦窰堡の党活動者会議でおこなった報告で、一九三五年十二月の中国共産党中央委員会政治局瓦窰堡会議のあとでおこなわれたものである。この政治局会議は、きわめて重要な党中央の会議で、中国の民族ブルジョア階級は中国の労働者、農民と連合して抗日することができないという党内のあやまった観点を批判し、民族統一戦線をうちたてる戦術を決定した。この報告で、毛沢東同志は党中央の決議にもとづいて、抗日という条件のもとで民族ブルジョア階級とあらたに統一戦線をうちたてる可能性と重要性を十分に説明し、この統一戦線のなかで、共産党と赤軍が決定的意義をもつ指導的役割をはたすことをとくに指摘し、中国革命の長期性を指摘し、それまで長いあいだ党内に存在していたせまい閉鎖主義と革命にたいするせっかち病――これらは第二次国内革命戦争の時期に党と赤軍が重大な挫折をこうむった基本的原因である――を批判した。同時に、毛沢東同志は、一九二七年に陳独秀の右翼日和見主義が革命を失敗にみちびいた歴史的教訓について党内の注意をよびおこし、蒋介石が革命勢力を破壊するのは必至であると指摘した。こうして、毛沢東同志は、蒋介石のはてしない欺瞞とたびかさなる武装攻撃にあっても革命勢力に損害をこうむらせることのないよう、わが党がその後の新しい情勢のなかではっきりした考え方をもつことができるように保障した。一九三五年一月、党中央は、貴州省の遵義でひらかれた政治局拡大会議で、それまでの「左」翼日和見主義の指導をあらため、毛沢東同志をはじめとする新しい党中央の指導をうちたてた。だが、その会議は赤軍の長征の途上でひらかれたため、当時もっとも切迫していた軍事問題と中央委員会書記処、中央革命軍事委員会の組織問題についてしか、決議することができなかった。赤軍が長征して陝西省北部に到着したのち、党中央ははじめて政治上の戦術の諸問題を系統的に説明できるようになったのである。こうした政治上の戦術の諸問題について、毛沢東同志のこの報告は、もっとも完全な分析をくわえている。